Asparagus officinalis L.
2005年6月 |
日本には中国経由で江戸中期に移入され,ツンベルクによれば出島のオランダ人向けの食材として長崎で栽培され,また江戸で栽培されていた.江戸での栽培は観賞用であったらしく,梅園の美しい図譜には食材としての記事は無い(Blog-1).
いくつかの江戸後期本草・草木の図譜には「アスヘル・・・」の名の植物が記載されている.
質問本草 外篇巻之二 NDL |
★中山 呉子善『質問本草』は沖縄の中山および掖玖諸島の草木160種に関し,漢名や薬効を福建等の中国医師45名に質問し,その答えに基づき,草木の線描と簡単な効用を紹介している.本書は寛政元年(乾隆五十四年、尚穆王三十八年、1789年)に完成した.時の八代薩摩藩主島津重豪はこれをおおいに喜んで出版するつもりであったが,果たさないうちに死去.これを48年後に曾孫の十一代藩主島津斎彬が,天保八年(道光十七年、尚育王三年、1837年)に薩摩府學蔵版として世に出したものである.
この書の「外篇巻之二」には,
「石刁柏 蠻名アスペルシユス
春苗ヲ生シ夏花ヲ開ク
俗名 石刁柏 藥ニ入ルニ堪エ不
甲辰戴道 光戴昌蘭」
とあり,描かれた植物は,中国人医師により,漢名:石刁柏(セキチョウハク),蠻名(蘭名):アスペルシユスと同定され,薬にならないとされている.しかし,この絵を見ると,Asparagus officinalis より草丈が低く,葉が密生していて根も細い.また,「質問本草」の仕事が始まった年が,丁度オランダキジカクシが日本に渡来したとされる年で,アスパラガスが当時の琉球列島にあったとは考えにくいことから,この植物はクサギカズラやタマボウキの類と考えられる.
注目すべきは,既にこの時期に中国ではアスパラガスが石刁柏という漢名を持ち,アスペルシユスと蘭名が認識されていた事で,この時期以前に欧州から渡来し,ある程度普及していたことが伺われる.
★岩崎灌園(1786-1842)『本草図譜』(刊行1828-1844) には,野生種,園芸種,外国産の植物の巧みな彩色図が,余白に名称・生態などについて説明を付し,『本草綱目』の分類に従って配列されている.巻5-10は文政13(1830)年江戸の須原屋茂兵衛,山城屋佐兵衛の刊行.以下巻11-96は筆彩の写本で制作,三十数部が予約配本され,弘化元(1844)年に配本が完了した.
本草図譜 巻之二十八 NDL |
この書の巻之二十八,「百部」の項には,
「一種
さうちく
志ヽかくし
アスベルチイ アスハラキュスの誤称なり
時珍の説に鄭樵通志に葉似薯蕷者謬なりと云ハ却て非なりこれ百部を知らざるなり
時珍の説に有細葉茴香と云是なり
春月宿根より生ず初生小指の大サ形竹筍の如く荷蘭人これを食らふと云
長すれバ枝を分ち葉を生じて小茴香に似て粉緑色又きじかくしに似て稜なく圓く高サ四五尺葉の間に小き淡黄花を開き天門冬の花ニ似たり 根は百部に似て塊なし.」
とある.「荷蘭人これ(小指の大きさで形が筍のような芽)を食らふと云」と西洋では食用にされていたことを認識している.また,冒頭の文は明の時珍『本草綱目』の「草之七
蔓草類,百部」の項に「(《別錄》中品)【釋名】婆婦草 野天門冬
(中略)
時珍曰︰百部亦有細葉如茴香者,其莖青,肥嫩時亦可煮食。其根長者近尺,新時亦肥實,但乾則虛瘦無脂潤爾。生時擘開去心曝之。鄭樵《通志》言葉如薯蕷者,謬矣。」とあるのを指すが,この時代中国にアスパラガスがあるとは考えにくい.
★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(草部は1852年(嘉永5)ごろ成稿,出版 1856 (安政3) 年から62 (文久2) 年)草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.
蘭種キヂカクシ 石刁柏 質問本草
此草ハ蘭舶載來テ訛轉シテ普クアステルヒーノ名ヲ稱ス。キヂカクシ類中ノ最大ナルモノニシテ高四五尺ニ及ヒ。莖圜ニシテ線條ナク。枝撓ミテ婆娑。幹枝共ニ○?アリ。幹ニアツテハ殆ト鱗状ニシテ。ソノ下側ノ正中ニ當ツテ一尖起アリ。蓋シ刺ノ小ニシテ軟ナルモノナリ。枝ニ至テハ分裂シ両側一針様ヲナス。亦柔ニシテ剛ナラズ。葉細長針状鹹蓬葉ニ似テ細カク如糸。七九或ハ十餘モ一處ニ攅生シ。花キジカクシノ如クナレトモ。彼ノ如ク多カラズ。長梗アルコト玉ホウキノ如クシテ葉間ニ下垂ス。萼六出ニシテ短小。花六辧尖纔(ワズカ)ニ開翻シ。色淡黄緑白。六雄蕋辧瓜ニ出。實礎六縦道アル圓体ニシテ種ナケレバ。斷シテ假トス。此種詰實セズソノ雄性ナルコト不待言 附一 全花
一 陪圖 二 開花体見諸事郭大圖
第二種 アスパラギュス デシリナトュス アフゲホーゲ子 アスペルギー 蘭
Asparagus
Declinatus afgeboogene
aspergie」
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