前田曙山(1872 – 1941,本名,次郎)『園芸文庫 第弐巻』(1903)(NDL pid/80002)
八月之部「松葉牡丹
八月之部「松葉牡丹
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園芸文庫 第弐巻 八月之部 (NDL) |
蘭國より渡る 此花は元外国の産、傳へいふ寛文年中蘭國より渡りしものとか、當時にありては甚だ尊重せられ、西國の某太守は、此花を愛玩するの餘り、數十鉢を庭前(ていぜん)に並べて、守衛の士を置きたりしに、士偶(たまた)ま座睡(ざすい)して足を失し其一鉢を仆(たう)せしより、既に誅せられんとせしが、近侍の諫むるに因(よ)りて、僅かに事なきを得たりしと、彼(か)の緋目斑魚(ひめだか)を流失して割腹(くわつふく)したりし奇譚と共に愚なる好對といふべし。
花に紅白黄緋或は樺色或は桃色にして紅斑なるもの、白花(はくくわ)にして淡紅の絞を交へたるものなどありて、殆ど名狀すべからず、其重辧(やへ)なるは大にして花富麗、眞に牡丹の名に脊かず。豈軽々しく拆(す)つるの花ならんや。
繁殖の法は實生にあれど、採芽(さしめ)にても活(つ)かずといふ事なし、今日縁日の植木店にて、一鉢に様々の種類を蒐(あつ)め、一銭二銭にて客をよぶものは、大抵採芽に非ざるはなし。土は赤土にても眞土にても可なれど、陰濕に過きざるを以て可なりとす、肥料などは殆ど選ぶ所なし。
石燬(や)けて松葉牡丹の盛りかな 可盛
とは、其烈日の下に、紅黄緋白の妍を戰(たヽ)かはすを詠じたものなるべく、花は朝(あした)に開きて夕(ゆうべ)に萎む、萎むものは再び開かねども、翌(あす)は叉新花(しんくわ)の咲き出づるを以て、盛り久しくして眺矚(ちやうしょく)に値(あたへ)すべし。只其色の艶に過ぎて、清洒(せいしゃ)の態に乏しければ、目に巒氣(らんき)の磅礴(はうはく)たるを見るに能(あた)はざるを恨みとす。
」
注:原文では漢字にはすべて振り仮名があるが、適宜必要と思われるものだけ、括弧に入れて残した.
*眺矚:遠くをじっとながめる.「矚」は、じっと注目する.
『万葉集 巻十九』の巻頭歌.大伴家持の作.越中秀吟十二首の一首目に、「天平勝宝二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首(天平勝宝二年三月一日の暮に、春苑の桃李の花を眺矚して作る二首;天平勝宝二年三月一日の夕方に、春の庭園の桃とすももの花を見渡して作った歌二首)」とある.
** 巒気:山中で感じられる特有の冷気
*** 磅礴:旁礴/旁魄:「ぼうはく」とも.1 混じり合って一つになること.2 広がり満ちること.満ちふさがること.
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