出島のオランダ商館の医師として 1823-29 年赴任していたシーボルトに,オランダから与えられた課題のひとつに.西洋医薬品の日本への輸出拡大のための工作があった.この目的のため弟子の高良斉に『薬品応手録』という簡単な説明をつけた薬品目録を作らせ.文政九年 1826)のカピタン江戸参府旅行の随行の時.各地の日本人医師に名刺代わりに配った.内容はヨーロッパで常用されている薬草とその代用品に加え,二,三の新薬を収載したもので,洋薬の宣伝普及が一つの目的ではあるが,これにより洋薬の使用法がはじめて公にされた意義は大きい.この冊子や鳴滝に於いて行った診療や講義の記録『蘭方口伝(シーボルト験方録)』の効果もあって,蘭藥の処方も増え,輸入量も増大したらしい.
しかし,『薬品応手録』はあまりにも簡便で,禁忌や副作用の記述が少なく,治療効果が上がらなかったためか,輸入されたオランダ語の医学書に基づいて,門人の高良斉「蘭法内用薬能識」(1836) と日高凉台「和蘭用薬便覧」(1837)の解説書が出版された.
この二書にも,「ヤラッパ」は「峻下劑」として記載され,「紫茉莉」と和名が考定されている.しかし,「和蘭用薬便覧」の「附録」では,凉台は「(和産の)紫茉莉(オシロイバナ)を用いたが,薬効が認められなかった.舶来品を用いるべき」としている.
同じシーボルトの門人,伊藤圭介 (1803-1901) は,その七年前に出版した『泰西本草名疏』(1829)において,「MIRABILIS IALAPPA. LINN. オシロイバナ 紫茉莉 ○尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先輩紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ」と明記していたが,この知見は門人の間でも,共有されていなかった.
この『薬品応手録』の内容は余りにも簡便であったが,日本人医師は長崎へ洋薬をどんどん注文し,配合禁忌などを無視した処方が多く出た.高良斉(前記事参照)は責任上,十年後の天保七年(1836)に『蘭法内用薬能識』という小冊子を発行した.
この書の序文で,大坂の宗学の学者・篠崎小竹*は「蘭法が伝来してより我国の医人は,往々蘭法の多効に喜び,言葉巧みに諸人に試し病人に出費させている.その上,斃れた原因を理解していない.これはよく見られる事象で禁じなくてはならない」(中西淳朗釈文)というほどであった.
このような風潮を正すために,『蘭法内用薬能識』は,「藥品列次并至主能禁症用法合藥之品大氐倣法列兒(ハツレル)人名 藥品精約 千八百二十二年著
之例伹如小有異同者原于伊百乙(イベイ)人名 ●(幣の巾を足)結兒(ベツケル)同 福烏篤(ホウト)共和蘭當時名毉 等之説記焉」の蘭書を参考にし(凡例の記事),『薬品応手録』では,順不同に並列されていた薬品・薬物を「根,草,木・皮,花,子實,脂膠,動物,酸精,灰汁塩,中和塩,金石并製品,越畿(エキス),舎利別(ストローブ:シロップ),昆設兒父(コンセルフ**),醋酒製,油 附礆,丁幾(チンキ),露水,●(竄?)精(スピリット)」と由来・性状に分けて記述し,「作用,禁忌,投与量,副作用」に言及している.
*篠崎小竹 (1781~1851): 江戸後期の儒学者.大坂の人.名は弼(ひつ).篠崎三島に師事、同家の養子となり、のち、江戸で古賀精里に学んだ.帰坂後,家塾梅花書屋をつぐ.詩文,書にすぐれ,頼山陽らとまじわった.
**コンセルフ:花果根草の類を砂糖と和したもので,医薬としても食物としても用いた.
この書において,高良斉はヤラツバ(ヤラッパ)を紫茉莉(オシロイバナ)と同定したうえ,
「【紫茉莉】 ヤラツバ
【能】衝動,強下,利水,駆虫 【禁】多血,実性,焮腫,痔疾,敏性. 【用】末 三■至卅■
【合】下利 蛤,芒,純 驅蟲 纈,海,駆」(上図左端)と記した.
■= ケレイン(前記事参照)
また,シーボルトの弟子の日高凉台***(1798-1868)は、高良斉編の『薬品応手録』が簡便なので、モスト***の『医事韻府書』等にならって蘭法の内科藥を,「發汗,湧吐,峻下,通下,利尿,壯神・鎮痛,衝動・鎮静,麻神・鎮痙,緩和・和胸,清涼,健胃,温胃・驅風,制酸・清潔,強心,強壮・防腐,収歛,調經,驅虫,〇(疒+黴 )毒,解凝分泄」と薬効区分し,これに従って配列して,正しい用法を記し,天保六年に書き上げた。
この原稿は天保八年(1837)に「和蘭用薬便覧」と題して刊行され,序文には「凉台老人(日高凉台)は、この種の小冊子は小澤瑣言ばかりで公刊するに値しない。発刊すれば町医は簡便に走り医の大本を忘れるから刊行は不可であると言った。私はこの本が用薬に非常に便利で、町医が上手に用いれば治療功者になる。それは仁術への近道ではありませんかと主張して出版にこぎつけた。」姪の日高信が書いている.(中西淳朗釈文)
***日高凉台:江戸時代後期の蘭方医.京都で新宮凉庭(しんぐう-りょうてい)に,長崎でシーボルト,吉雄権之助にまなぶ.大坂で開業し,のち故郷の安芸
竹原で眼科の診療に従事した.名は精,惟一.字(あざな)は子精.別号に六六堂など.
日高涼台『和蘭用薬便覧』天保8刊 NDL |
この冊子の本編では,藥品・薬物を「發汗,湧吐,峻下,通下,利尿,壯神・鎮痛,衝動・鎮静,麻神・鎮痙,緩和・和胸,清涼,健胃,温胃・驅風,制酸・清潔,強心,強壮・防腐,収歛,調經,驅虫,●(疒+黴 )毒,解凝分泄」とその薬効別に分類して,医師が使いやすいようになっている.
彼は「紫茉莉=ヤラッパ」を「峻下」の作用のある草の根と分類し,その粉末及びチンキ(アルコール抽出液)の大人及び小児への投与量,服用法(飲み薬),薬効,主な適応症,更に禁忌を記している.
*仝前:「湧吐」「吐根末(イベカクアンナ.ブラーク.オルトル)」と同じ「水服」
彼は「紫茉莉=ヤラッパ」を「峻下」の作用のある草の根と分類し,その粉末及びチンキ(アルコール抽出液)の大人及び小児への投与量,服用法(飲み薬),薬効,主な適応症,更に禁忌を記している.
蘭 和
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用 薬 便 覧 全
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|||||||
薬 劑
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分量
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分量
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用法
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能力
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主 症
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禁 症
|
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大人
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小兒自二
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|||||||
至五
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||||||||
草 根
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峻
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紫茉莉根末
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自二十■
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自五
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仝 前*
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峻下
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便秘,尿閉
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多血、●腫
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下
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至三十■
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至十
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刺戟
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蛔虫、
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痔疾、敏性
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仝丁幾
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自二戔
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自五分
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仝 前
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仝 前
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仝 前
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仝 前
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至四戔
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至一戔
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*仝前:「湧吐」「吐根末(イベカクアンナ.ブラーク.オルトル)」と同じ「水服」
■:ケレイン(前記事参照)
別の姪・源道光が序文を書いている四巻からなる「附録」には,本文に記載された用語や単位の解説,薬物・薬品の詳細と,製剤の製法などが詳しく述べられている.
日高涼台『和蘭用薬便覧附録其四』天保8刊 NDL |
「和蘭用薬便覧 附録 上」
「〇下劑
紫茉莉根
原名「ヤラッピ」是レ印度地方及ヒ南亜墨利加(アメリカ)洲ノ諸國ニ産スル一種ノ草根ナリ或ハ紫茉莉ヲ以テ是ニ充ツ形状異ナラサルカ如シ然モ之ヲ試ルニ効驗ナシ舶來ノ品ヲ用ユヘシ或ハ甘遂・大戟ヲ以テ代用ス其効却テ相類セリ
仝丁幾
葯剌巴(ヤラッパ) 適宜 焼酒 八倍
右剉ミ浸出スルコト六日渣ヲ去リ収メ貯フ
仝脂
葯剌巴粗末 三百八十四戔 焼酒 九百六十戔
右硝子壜ニ内レ沙火上ニ置キ時々振蕩シ浸スコト三日濾テ液ヲ取リ又タ其滓ニ焼酎九百六十戔ヲ加ヘ沙火ニ置クコト前法ノ如シ搾リテ液ヲ取リ前液ト合シ静定シテヲ去リサラニ濾過シテ蒸露水七百六十戔ヲ加ヘ蒸露罐ニ内レ文火ニテ蒸露シ盡ク其焼酒ヲ滴シ去レハ其脂罐底ニ残ル是ヲ取リ水ニテ洗ヒ其水少モ味ナキニ至リ脂ヲ取リ又タ是レニ焼酒少許加ヘテ溶シ文火ニ上シ乾シ貯フ」
この「ヤラッパ(葯剌巴)≠紫茉莉(オシロイグサ)」は,既に伊藤圭介 (1803-1901) がツンベルクの『日本植物誌』に基づいて著した『泰西本草名疏』下
八(1829)において, Mirabilis jalappa について,「MIRABILIS IALAPPA. LINN.** オシロイバナ 紫茉莉 ○尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先輩紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ」とあるが,蘭医の処方にはいかされなかったようである.
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