2002年7月 玉原高原 |
北半球の温帯の寒冷地や高原に広く分布するアカバナ科の大形多年草.地下茎で広い面積を占有し,穂状につけた四辧の美しい赤紫色の花を一斉に咲かせる.この光景から英名の一つは Fire weed.和名は葉が柳のそれによく似ていて美しい花を着けるから.日本では崩壊地や山火事の後の先駆植物として,高地の日当たりのよい草原に生育するが,変遷によって樹木が生い茂るに従い,林辺に追いやられる.
山地に生育するためか,美しく目立つ花を着ける割には,古い和書にはあまり出てこない.(和文献図は全て NDL の公開デジタル画像より部分引用)
故磯野教授の初見は★左馬介『諸禽万益集』(1717) .この書は江戸三大養禽書の一つで,巻一には飼育法,巻二には和鳥125品について解説する.後書で著者は『草花伝』という自著もあることを記し,そこには記載予定の草木,外来種では金糸梅・日々草・葉牡丹など,和産種では京鹿子・達磨菊・釣舟草・羽衣草・二葉葵などの内外計210ほどの名を挙げるが,そのなかには「柳蘭」の名が初出する(左図).しかし,この「柳蘭」が現在のヤナギランかは疑問である.
神聖ローマ帝国の薬剤師・植物学者★ヨハン・ウエインマン (1683-1741) の『花譜 or薬用植物図譜』(Phytanthoza iconographia)(1737-1745) 収載の植物名を和訳した★群芳園陳人写『烏延異莫漫莫草木名』(文化12,1805) には,「レイシマシア 柳ラン」とあり(右図,右),『花譜』の図(右図,左)を見て該当する日本産の植物名を記載したと思われる.
明かにヤナギランと分かる花が描かれている和書は,本ブログでも度々引用している★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園花譜』で,「夏之部三」に美しく精密な図と共に
神聖ローマ帝国の薬剤師・植物学者★ヨハン・ウエインマン (1683-1741) の『花譜 or薬用植物図譜』(Phytanthoza iconographia)(1737-1745) 収載の植物名を和訳した★群芳園陳人写『烏延異莫漫莫草木名』(文化12,1805) には,「レイシマシア 柳ラン」とあり(右図,右),『花譜』の図(右図,左)を見て該当する日本産の植物名を記載したと思われる.
明かにヤナギランと分かる花が描かれている和書は,本ブログでも度々引用している★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園花譜』で,「夏之部三」に美しく精密な図と共に
柳葉菜(ヤナキソウ)
ヤナキラン/ハキラン/四ッリンソウ/アカハナ
地錦抄ニ曰 柳葉草(ヤナギサウ)其花黄色ト謂者別種乎 救荒ノ柳葉菜 其葉柳ニ似 梢ニ四辧ノ真紅花ヲ間(開?)細長角兒ヲ結フ者此也 一名ヲ柳蘭ト云 出所不詳
両? 丙戌*五月十二日寫」
とある.梅園はほとんどの場合,描いた花の出所は詳細に示しているので,この場合は他人から貰ったものか.
*丙戌:文政9年,1826年.
ここで,『梅園花譜』に引用されている「救荒本草」「地錦抄」の記事を示す.
★徐光啓輯『周憲王救荒本草 巻之二』(1406),茨城多左衞門等刊 (1716)
「柳葉菜 鄭州賈峪山山野ノ中ニ生ス.苗ノ高サ二尺餘.莖淡
開ク.細長角兒ヲ結ブ其葉味甜
救飢 苗葉ヲ採リ煠キ熟シ油塩ニ調ヘ食」
[原文
柳葉菜 生鄭州賈峪(音欲)山山野中苗高二尺餘
莖淡紅色葉似柳葉而濃短,有澀毛,梢間開四瓣深紅花,結細長角兒,其葉味微甜。
【救飢】采苗葉炸熟。以油鹽調食。](右図,左側)
★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録 巻之二』(1733)
「柳葉草(やなぎさう) 葉ほそ長くやなぎの葉の如く志げり付く夏のころよりのびたち八九月花さく黄色小りん一所に多く集りて咲」(右上図,右側)
★岡林清達・水谷豊文『物品識名』(1809 跋) には
「ヤナギサウ 木曽ヤナギサウ 柳葉菜(ヤナギバナ)一種」とある.『本草正譌』の記事からするとヤナギランと思われる.(左図)
★岩崎灌園 (1786-1842)『日光山草木之図』(1824)には「四十九 よつ里んさう 赤沼カ原」と,赤沼ガ原に生育しているヤナギランの花の絵が記載され,花辧の數から由来する別名の四輪草の名が載る.(右図,左)
富山藩主前田利保の組織した赭鞭会の一員★飯室庄左衛門(1789-1858か)『草花説. 第2冊 巻9湿草類』には
「柳葉菜 一種ヨツリンサウ」とある.(右図,中央)
★鎌井松石 (1816-1892)『本草正譌 第二巻』(1865) には
「柳葉菜 救荒本草ニ出日光山ニテ四輪草ト云木曽ニテ柳草ト
云ソノ花甚美シ」とある.(右図,右)
続く
続く
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