Epilobium angustifolium
2002年7月玉原高原 |
「第八綱 八雄蕊 Octandoria(オクタンドリア)
ヤナギサウ
木曽山中和田嶽ニ多ク生シ其名尤高シ.茎高二三尺.葉互生形柳葉ノ如クニシテ鋸歯
●(微?)ナリ.夏梢上ニ短梗四辧淡紅帯紫色花ヲ穂状ニ綴リ.辧尖微缼アツテ山櫻花辧
ノ如ク.而シテ辧ノ位置偏ニシテ正列ナラズ.下邊ノ二辧両方ヘ披キ五辧花ノ一辧ヲ
缼ガ如シ.萼四片披針状.子室角様一柱頭四裂ニシテ反巻シ.垂レテ下辧披開ノ間ニ挺
出ス.雄蕊八ニシテ黄葯」主用出藥鏡柳葉菜下可見
第一種
エピロビユム アングュエスチホリウム 羅 スマルブラーヂフ バステルド ウエデリッキ 蘭
Epilobium
angustifolium smabbladig basterd-wederik」
本文では,花辧の配置が五辧花の下の一片が欠けているよに見え,雌蕊が大きく四裂し反り返るなど,他のアカバナ科の花には見られない特徴を記述している.
引用されている「藥鏡」は宇田川榛斎著 『新訂増補和蘭薬鏡』(1828) と思われ,その巻には「柳葉菜」の項目がある.そこで言及されている「主用」はオランダ等の文献由来と考えられるが,その文献は見つけ出せなかった.
★宇田川榛斎著 『新訂増補和蘭薬鏡』文政11(1828)年
宇田川榛斎は,姓は安岡,名を璘,字を玄真と称した.榛斎はその号である.伊勢の出身で江戸に出て,津山藩宇田川玄随の門に入り,大槻玄沢から蘭学を学んだ.後に杉田玄白の娘と結婚して同家に入ったが,離婚して旧師宇田川玄随の跡を継いだ.
本書は全18巻18冊からなり,主な内容としては,桂,橙,無花果などひろく薬用となる植物について解説し,また病気の症状などを取り上げて,利用方法について説明したものである.従来西洋の薬物については,桂川甫周の
『和蘭薬選』
に始まったが,同書は刊行されないままで終ったため,本書の出版によって,薬品の効用や精練などについての大要が明らかにされることとなった.本書は文政2年に刊行された同名の増訂版である.
その第十七巻に,
「柳葉菜
「アカバナ」和 「サリカリア」「リシマシア.ピュル
ピュレア」「リトリゥム.」「サリカシラ」羅 「ピュルペ
ウェーデリキ」「バスタール ト.
ウェーデリキ」「パルティケ」蘭
[試効]莖葉花根皆用フ○緩性収濇藥トス。經久
下痢赤痢下血吐血婦人月經過多ナドヲ治ス。虚弱ノ
症ハ殊ニ良騐*アリ○淹滞ノ下痢ハ先ツ下劑ヲ與ヘテ
胃腸ノ汚液ヲ浄掃シ此藥ヲ末トシ一錢若クハ其餘
日ニ兩次用フ○虚症ノ下痢赤痢ニ此末ヲ試ミ用ルコト十
人皆的効ヲ得タリ。大抵初ニシテ下劑ヲ與ヘテ後此末一錢
或ハ四刃宛(ツヽ)朝夕用フ。其病未タ久ヲ經ス或ハ胃腸虚弱罷ノ
症ハ大抵三四日ニシテ治ス。經久頑滞シテ諸藥騐ナキ
症ハ三週中ニ治ス。或ハ病毒ヲ驅除スレトモ胃腸ノ虚
弱ニ因テ下痢荏苒**タル症ハ皆此藥適應ス。此症ハ
幾那亦効アリ○或云遷延ノ下痢赤痢ニ此草ノ根ヲ
水煎シ用ヒ或ハ莖葉花ヲ末トシ用ヒテ皆治騐多シ○
或云此藥ハ痢疾ニ効アルコト他ノ緩和劑ノ優(マサ)レリ
末トシ一時若クハ一時半毎(ゴト)ニ一刃***宛(ツヽ)與ヘ或ハ煎劑トシ
用フ○或云此藥險重虚憊ノ下利ヲ治スト雖モ惡液
質ノ人及ヒ膿様ノ敗液多キ症ハ是ヲ禁ス。然レトモ乾葉
ハ収濇ノ味。微ナル故ニ用ヒテ妨ケス。痢疾モ亦用ヒテ閉
澁ノ害ナシ○勞瘵ノ血液烊崩ノ下利ニ用ヒテ其脱泄
ヲ静止シ呼吸蹇難。苦悶。等ヲ寛解ス○外敷ニシテ創ヲ
愈シ血ヲ止メ。焮腫眼ヲ消散ス
【依】【羅】
【括】【伍】」とある.
引用ノ書
【依】:依百乙(イペイ) 藥性主治集成書(遠西醫法名物考.巻一 凡例)
【羅】:羅仙斯的印(ロセンスライン) 内外科治療書(同上)
【括】:括林(クワリン) 内科治療書(本書.巻一 凡例)
【伍】:伍乙都(ウジイツ)増補書 醫事纂要書(遠西醫法名物考.巻一 凡例)
何れも原書確認できず.
*騐:「験」の異体字
**荏苒(じんぜん):なすこともなく,段々に月日がたつさま.物事がはかどらず,のびのびになるさま.
***刃:一錢ヲ三ニ分チタル一分ナリ即チ三分三厘強(本書第一巻 凡例)
【刃】:一錢ヲ三ニ分チタル一ニシテ即チ三分三厘三毛強なり○和蘭に是を須屈爾百兒(スケルペル)と呼ぶ.今權(かり)に略して「シュ」と呼ぶ.
℈ ****を以て符号とす.故に此を略して刃に作る(『遠西醫法名物考』巻一 凡例)
**** ℈ :欧州の薬衡(apothecaries' system)単位で,1スクループル(scrupel) = 1.2959782g
なお,本書では「ヤナギサウ」の和名をアカバナとしているが,慾斎の『草木図説』のアカバナの項にはこの「柳葉菜」は引用されておらず,慾斎は,蘭名その他から,榛斎の「柳葉菜」は,ヤナギランを記述したと考えたのであろう.
慾斎の『草木図説』を増補改訂した★牧野富太郎『増訂草木図説 1-4』大正元年(1907-22)成美堂の「第二輯,草部 巻七」には
「第八綱 八雄蘂 OCTADRIA.
第一目 一雌蘂 Monogynia
○第三十八圖版 Plate
XXXVIII.
ヤナギラン ヤナギサウ
Epilobium angustifolium L.
アカバナ科(柳葉菜科) Œntheraceae
木曽山中和田嶽ニ多ク生ジ其名尤高シ.莖高二三尺.葉互生形柳葉ノ如クニシテ鋸歯微ナリ.夏梢上ニ短梗四辧淡紅帯紫色花ヲ穂状ニ綴リ.辧尖微缼アツテ山櫻花辧ノ如ク.
而シテ辧ノ位置偏ニシテ正列ナラズ.下邊ノ二辧兩方ヘ披キ五辧花ノ一辧ヲ缼ガ如
シ.萼四片披針狀.子室角様一柱頭四裂ニシテ反巻シ.垂レテ下辧披開ノ間ニ挺出ス.雄蘂
八ニシテ黄葯.主用出藥鏡柳葉菜下可見. 附(一)萼片(補) (二)雄蘂(補) (三)花柱,共廓大圖
(補) (四)未開裂ノ果実(補) (五)種子ノ全形,廓大圖 (六)同,廓大圖(補)
第一種
エピロビユム アングュエスチホリウム Epilobium
angustifolium 羅 スマルブラーヂフ バステルド ウエデリッキSmabbladig
Basterd-Wederik. 蘭
[補]
我邦中部,北部ノ山地ニ生ジ殊ニ北海道ニ多シ,多年生本ニシテ根莖ヲ曳テ繁
殖シ其繁殖力最モ旺盛ナリ.果実ハ狭長ニシテ長サ凡二寸許アリ微細ノ白網ヲ被
リ往々紅紫色ニ染ム.四狭片ニ開裂シ多數ノ種子ヲ出ス.種子ニハ極メテ細微ニシテ
種髪ヲ具ヘ風ニ乗ジテ四方ニ飛散シ近遠ノ地ニ播布ス.国外ニ在テハ廣ク歐州,亜
細亜,及北米ノ温帯竝ニ寒帯地ニ分布シ,隣邦支那,朝鮮亦之ヲ見ル(牧野)」とある.本文は慾斎の原著と同文だが,(補)では各部分の拡大図が,[補]には,より詳細な分布や生育状況が追加されている.
牧野の[補]にあるように,北海道多く生育し,アイヌ民族はこれを藥用として用いていたとの文献がある.
『アイヌ民族の有用植物』
協力:独立行政法人 医薬基盤研究所 薬用植物資源研究センター北海道研究部
和 名
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学 名
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科 名
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アイヌ語名
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薬 用
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出 典
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ヤナギラン
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Chamaenerion angustifolium
Scop. *
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アカバナ科
Onagraceae
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キナポアハニ kinápoax-ni
(kina草-poax子宮-ni木),茎,(白浦)
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茎葉:胃腸病に煎じて飲む.子宮病や消渇にも煎じて飲み,または局部を洗滌した.
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知里真志保「分類アイヌ語辞典植物篇」
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また,最愛の妹とし子が亡くなった翌年,傷心の宮沢賢治が,大正一二年に北海道・樺太を旅した際の作品『オホーツク挽歌』(一九二三.八.四,『春と修羅』収載)には,樺太の栄浜の丘陵を朱鷺色に染めるヤナギランが詠われている.
「オホーツク挽歌
海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた
緑青(ろくしやう)のとこもあれば藍銅鉱(アズライト)のとこもある
むかふの波のちゞれたあたりはずゐぶんひどい瑠璃液(るりえき)だ
(中略)
いまするどい羽をした三羽の鳥が飛んでくる
あんなにかなしく啼きだした
なにかしらせをもつてきたのか
わたくしの片つ方のあたまは痛く
遠くなつた栄浜の屋根はひらめき
鳥はただ一羽硝子笛を吹いて
玉髄の雲に漂つていく
町やはとばのきららかさ
その背のなだらかな丘陵の鴾*いろは
いちめんのヤナギランの花だ
(後略)」
*鴾:トキ(朱鷺),学名
Nipponia Nippon
このヤナギランの印象が深かったのか,宮沢賢治『サガレンと八月』の後半部分では,タネリという名のギリヤークの少年が,浜に遊びに出たら「南の岬(みさき)はいちめんうすい紫(むらさき)いろのやなぎらんの花でちょっと燃(も)えているように見えその向(むこう)にはとど松(まつ)の黒い緑(みどり)がきれいに綴(つづ)られて何とも云いえず立派(りっぱ)でした。」ので,「あんなきれいなとこをこのめがねですかして見たらほんとうにもうどんなに不思議(ふしぎ)に見えるだろうと思いますとタネリはもう居いてもたってもいられなくなりました。」と,お母さんの戒めを破って,透明なクラゲのめがねを通してこの風景を眺めて,犬神のような怪物に海の底へ拉致されて,蟹に変えられてしまう.残念ながらこの物語は未完のまま終わってしまった.
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