英国ケンブリッジ近郊の草葺屋根の家 1978年 |
明治になると多くの西欧人が,政府から招聘され,或は個人的な興味から日本を訪れ,江戸時代には禁止されていた地方を旅した.彼等は各地で見聞した自然や風俗を新鮮な目で記録したが,中に,草ぶき屋根の棟を彩っていたイチハツを記述を残した人々もいた.
大森貝塚を発見したことで知られるモースは,建築にも興味を持っていて,有名な “JAPAN DAY BY DAY” の30年前に出版した “Japanese Homes and
their Surroundings” では,日本の家屋の外観・構造・建築法・間取りのみならず,室内装飾や暮らし方まで,日本の風土や歴史に則って記した.この書は当時の欧米で高い評価を得ていた.
この書や “JAPAN DAY BY DAY” には,横浜や江戸近郊や,植物学者矢田部良吉と共に旅した東北・北海道で見た家屋の草葺屋根の上に植えられているイチハツやオニユリを驚きの目で記録している.米国の草葺屋根には,植物を積極的に棟に植える事は無かったのであろう.
帝国大学の初代動物学教授モース(エドワード・シルヴェスター,Morse, Edward Sylvester,
1838 - 1925)は,ハーバード大学のルイ・アガシー教授の元で貝類の研究をしていたが,進化論の観点から腕足動物を研究対象に選び,1877年,腕足動物の種類が多く生息する日本に来た.文部省に採集の了解を求めるため横浜駅から新橋駅へ向かう汽車の窓から,貝塚を発見.これが,後に彼によって日本初の発掘調査が行なわれる大森貝塚である.訪れた文部省では,東京大学の動物学・生理学教授への就任を請われ,お雇い教授を2年務め,大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した.また,江ノ島の漁師小屋を『臨海実験所』に改造し,海産生物の収集を行った.日本の古美術品,特に陶器に興味を持ち,度々来日し収集,そのコレクションはボストン美術館へ譲渡され,また民具のコレクションは現在のピーボディー博物館の基礎となった.
日本に初めて,ダーウィンの進化論を体系的に紹介し,大衆の教化のための公開講演を度々開いたことでも知られる.
彼の日本について書いた最初の書籍で,西欧の民俗学者たちに高く評価された,“Japanese Homes and their Surroundings” (1889) には,彼が1878 年 6 月に東大植物学科初代教授の矢田部良吉 (1851 - 1899) と共に旅した北海道(Yezo)の,室蘭近くで見た草ぶき屋根の棟(草棟)に咲くユリ(オニユリ)の記述と共に,東京付近では,青と白の花の咲くイチハツ(原文:iris)が草棟に見られると記した.
Morse “Japanese Homes and their Surroundings”
(1889) Harper
& Brothers
CHAPTER II.
TYPES OF HOUSES.
THATCHED ROOFS
“Another house,
shown in fig. 41, was seen on the road to
Mororan, in Yezo. Here the smoke-outlet was
in the form of
a low supplementary structure on the ridge.
The ridge itself
was flat, and upon
it grew a luxuriant mass of lilies. This roof
was unusually large and capacious.
Fig. 41.—House Near Mororan, Yezo.
In that portion
of Japan lying north of Tokio the ridge is
much more simple in its construction than
are those found in
the southern part of the Empire. The roofs
are larger, but their
ridges, with some exceptions, do not show
the artistic features,
or that variety in form and appearance,
that one sees in the
ridges of the southern thatched roof. In
many cases the ridge
is flat, and this area is
made to support a luxuriant growth
of iris, or the red lily (fig. 41). A most
striking feature is
often seen in the appearance of a brown
sombre-colored village,
wherein all the ridges are aflame with the
bright-red blossoms
of the lily; or farther south, near Tokio,
where the purer
colors of the blue
and white iris form floral crests of exceeding
beauty.”
和訳は E.S.モース著,斎藤正二・藤本周一訳『日本人の住まい』 (2000)
八坂書房
より引用
「第二章 家屋の形態
都市および田舎の家屋
草葺屋根
四一図に示したいま一つの家は、蝦夷の室蘭Mororan(ママ)に通じる道路沿いにあったものである。この場合、煙ぬきは、棟の中央部に小さな棟を補助的に重ねたかたちになっている。棟自体は平らになっていて、そこにかなりの数の百合が生えている。この屋根は、大きくて広々とした点では稀に見るものであった。
東京の北部で見られる棟の造りは、日本でも南の地域におけるものに比べてはるかに簡単である。屋根自体は大型であるが、若干の例外を除けば、南日本の草葺屋根の棟に見られるような凝った造りや形態の変化は、その棟に見られない。多くの場合、棟は平らで、この部分は、「菖蒲(しょうぶ)」の類などを植えたりする。四一図では百合が植えられている。褐色のくすんだ色調の村のたたずまいのなかで、家家の棟に、菖蒲の類が鮮やかに咲き乱れた様子はほんとうに印象的である。また、東京近郊でも、ずっと南へ行くと、一段と鮮やかな青色や白色の菖蒲が植えられていて花による棟飾りの美しさはまさに格別である。」とある.
また,モースの日本滞在記とも言うべき “JAPAN DAY BY DAY” 正式名称 “Japan day by
day, 1877, 1878-79, 1882-83; with illustrations from sketches in the author's
Journal” (1917) にも,草棟に植えられたイチハツやオニユリの記述が残るが,上陸した横浜から東京への初めての旅で,早くも多くの草葺屋根の棟にイチハツの葉(原文:leaves like the iris)が見られることに注目していた.
また,日光の訪問の人力車旅行の途上では,空色の花を着けるイチハツ(原文:blue iris)が草棟に王冠の輝きを与えると記し,また,彼が開設した江の島実験場から横浜駅に向かう農村や,矢田部教授と旅した北海道・東北地方においても,草ぶき屋根の棟に咲くオニユリや鳶尾を観察した.
JAPAN DAY BY DAY
VOLUME
I
A
RAILROAD JOURNEY p11
(中略)
on our first visit to Tokyo, the name
meaning "Eastern Capi-
tal." It is a city of nearly a million
inhabitants. Its old name
was Yedo, and the older foreign residents
still call it Yedo.
The train bearing us to Tokyo was made up
of first, second,
and third class cars; we found the second
class cars clean and
comfortable. The cars are a triple cross
between the Eng-
lish car, the American car, and the
American horse-car. The
couplings, truck, and bunter-beam are
English, the platforms
and doors in ends of cars are American, and
the seats running
lengthwise are like our horse-cars. With
what interest we
watched the landscape. The rice-fields,
stretching for miles
on each side of the railroad, are now
(June) covered with
water, and the people working in them are
up to their knees
in mud ; the new rice, of a light-green
color, contrasts vividly
with the dark shaded groves. The farmhouses
have enor-
mous thatched roofs, on the ridge-poles of
which are growing
plants with leaves like
the iris. At intervals we passed a
temple of worship, or a shrine, always in
some charming, picturesque
place surrounded by trees. The sights were
novel and
absorbing and the ride of seventeen miles
went like a flash.
以下和訳は「モース著 石川欣一訳『日本その日その日〔全3巻〕』東洋文庫171 (1970)」より引用
p12 「1877年の日本 – 東京と横浜
(中略)
我々は横浜を、例の魅力に富んだ人力車で横断した。東京は人口百万に近い都会である。古い名前を江戸といったので、以前からそこにいる外国人達はいまだに江戸と呼んでいる。我々を東京へ運んで行った列車は、一等、二等、三等から成り立っていたが、我々は二等が充分清潔で且つ楽であることを発見した。車は英国の車と米国の車と米国の鉄道馬車との三つを一緒にしたものである。連結機と車台と.ハンター・ビームは英国風、車重の両端にある昇降台と扉とは米国風、そして座席が事と直角に着いている所は米国の鉄道馬車みたいなのである。我々は非常な興味を以てあたりの景色を眺めた。鉄路の両側に何マイルも何マイルもひろがる稲の田は、今や(六月)水に被われていて、そこに鋤く人達は膝のあたり迄泥に入っている。淡緑色の新しい稲は、濃い色の木立に生々した対照をなしている。百姓家は恐ろしく大きな草葺きの屋根を持っていて、その脊梁には鷲尾(とんび)に似た葉の植物*が生えている。時時我々はお寺か社を見た。いずれもあたりに木をめぐらした、気特のいい、絵のような場所に建ててある。これ等すべての景色は物珍しく、かつ心を奪うようなので、十七マイルの汽車の旅が、一瞬間に終って了った。
*直訳:アイリスに似た葉の植物」
また日光を訪問の途上でも
THE
BOYS' FESTIVAL p.64
thatched roof is treated; so much taste
displayed in such a
material. It is said that a good thatched
roof will last fifty
years.1 The remarkable feature
about the thatched roof in
Japan is the fact that each province will
have its own style, so
that one familiar with the various types
might land in that
country in a balloon and determine the
province he was in
by the appearance of the ridge-pole of the
house. Samuel
Colman, the artist, criticized our roofs on
account of their
monotonous appearance; a straight ridge
instead of some
graceful curve and ornamental ends, and
this kind of a roof
from California to Maine. Here the ridges
are in many in-
stances elaborate structures. Plants grow
from the matted
straw, and on some I have seen a superb crown of blue iris
completely covering the ridge-pole.
「日光への旅
(中略)
萱葺屋根の葺きようの巧みさには、いくら感心しても感心しきれなかった。こんな風なことに迄、あく迄よい趣味があらわれているのである。よく葺いた屋根は五十年ももつそうである*。
*『日本の家庭』には屋根のことが写生図と共にある程度まで取扱ってある。
日本の萱葺屋根の特異点は、各国がそれぞれ独特の型式を持って相譲らぬことで、これ等各種の型式をよく知っている人ならば、風船で日本に流れついたとしても、家の背梁の外見によって、どの国に自分がいるかがすぐ決定出来る程である。画家サミュエル・コールマンはカリフォルニアからメインに至る迄どの家の屋根も直線の脊梁を持っていて、典雅な曲線とか装飾的な末端とかいうものは薬にしたくも見当らぬといって、我国の屋根の単純な外見を批難した。日本家屋の脊梁は多くの場合に於て、精巧な建造物である。編み合わした藁から植物が生える。時に空色の燕子花(かきつばた)が、見事な王冠をなして、完全に背梁を被っているのを見ることもある。」とある.
彼が江の島に開設した海洋生物の研究所から,横浜への道筋にある風物を記した文章にも,イチハツを戴く屋根をもつ家々が記されている.
THE
PROFESSORSHIP OF ZOOLOGY p140
difference is seen in the houses of the
villages. In one village
every house had growing
from the ridge of the roof a dense
mass of iris. The ride was very picturesque, charming views of
Fuji appearing every now and then. It is
certainly a wonder-
ful mountain, standing up so loftily above
everything else.
At times we would pass through a ponderous gateway capped
with flowers. The tea-houses, or inns, will often have for a
sign a weather-worn, irregular piece of
wood upon which the
name of the place will be painted in
characters. The sweet
single pink that we raise in our gardens at
home is here seen
growing wild along the road. The highly
perfumed lily, Lilium
Japonicum*, is not an uncommon object and the atmosphere is
scented with its sweet, nutmeg odor.
*
Lilium Japonicum: この学名 Lilium japonicum はササユリ(左図,左)のそれであるが,横浜附近の平地には自生せず.香りもナツメグとは異なり,強くもない.ヤマユリ
Lilium auratum(左図,右)の誤りと思われる.
p124 「大学の教授職と江ノ島の実験所
南へ行くに従って、江ノ島まで位の短い内であっても、村々の家屋に相違のあるのか認められる。ある村の家は、一軒残らず屋根に茂った鳶尾(とんび)草*を生やしていた。この人力車の旅は、非常に絵画的であった。富士山の魅力に富んだ景色がしばしば見られた。かくもすべての上にそそり立つ富士は、確かに驚く可き山岳である。時々我々は花を頂いた、巨大な門を通りぬけた。茶屋や旅籠屋には、よく風雨にさらされた、不規則な形をした木片に、その名を漢字で書いたものが看板としてかけてある。我々の庭で栽培する香のいい一重の石竹が,ここでは路傍に野生している。また非常に香の高い百合(Lilium Japonicum)を見ることも稀でなく、その甘ったるい、肉荳蒄(にくずく)に似た香があたりに漂っている。」とある.
*直訳:アイリス
更に,矢田部良吉と共に訪れた北海道(蝦夷)及びその往復の途上の風物を記録した部分にも,屋根の上の植物を記録した.
JAPAN DAY BY DAY
VOLUME
I
CHAPTER XII 416
YEZO,
THE NORTHERN ISLAND
July 13, 1878. I
left Yokohama on the steamer this evening
for Yezo. Our party consisted of Professor
Yatabe, botanist,
and his assistant and a servant; my
assistant, Mr. Taneda, and
a servant; and Mr. Sasaki.
VOLUME
II
CHAPTER XIII 33
THE AINUS
WAYSIDE
SHRINES
(中略)
The low mountains and inlets of the sea and
the Bay of
Mororan, with its long, yellow beach, would
have made a
fine subject for a picture. Figure 409
gives a rough idea of
the region. Near Mororan was a curiously
shaped Japanese
house, the roof unusually high, with the flat ridge covered
with lilies, iris, and
other flowers. The roof was thinly
34 JAPAN DAY BY DAY
thatched, and the little shed-like roofs
near the eaves were
covered with round stones.*
* See Japanese Homes, fig. 41.
第十二章 北方の島 蝦夷
一八七八年七月十三日
今晩私は、汽船で横浜を立ち、蝦夷へ向った。一行は、植物学者の矢田部教授、彼の助手と下僕、私の助手種田氏と下僕、それから佐々木氏とであった。
室蘭に着く前の景色は実に目をたのしませた。低い山々、海の入江、長い黄色い浜を持つ室蘭湾は、画の主題としては何よりであろう。図409はこの附近の景色を、ざっと画いたものである。室蘭近くに、面白い形の日本家があった。屋根が並外れて高く、その平な家梁(むね)には、一面に百合や、鳶尾(いちはつ)や、その他の花が咲いていた。屋根は薄く葺いてあり、軒に近い小屋がけみたいな小屋根には、丸い石がのせてあった*。
* 『日本の家庭』四一図を見よ。」とある.
草ぶき屋根の家は米国にもあるが,日本のそれの巧みさ,地方による構造の差異等に興味を持ったモースは,“Japanese Homes and their Surroundings” に,その葺き方や道具や,各地方の草ぶき屋根の外観等を挿図入りでかなり長く記述している.
草棟に植えられた植物はアメリカにはなかったものと見えて,日本のそれについては多くの記事を残したが,植えられている理由については,何も考察していない.
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