2023年2月2日木曜日

ガーンジー・リリー (8) トゥルヌフォール, J. P. Tournefort Lilionarcissus “Institutiones rei herbariae”-2,参照文献 (1)

Nerine sarniensis

フランスの植物学者ジョゼフ・ピトン・ド・トゥルヌフォール(Joseph Pitton de Tournefort, 1656 1708)は,リンネに先駆けて花の形を基準にした植物分類法を考案したことで知られる.彼の主著『基礎植物学』には,“Lilionarcissus” というグループが作られ,そこにはモリソンを引用して,ネリネ・サルニエンシス(ガーンジー・リリー)が, Lilionarcissus Japonicus, rutilo floreという名で記載されている.
 その増補改訂ラテン語版『植物学指針』(Institutiones rei herbariae(1700)では,記載植物種の数を増やすとともに,CLASSIS(綱), SECTIO(節),GENUS(属), SPECIES(種)の体系を継続した.これがその後の植物分類の基本の考え方となった.
 この『植物学指針』には,CLASSIS IX. の中に SECTIO V. があり,更に,この SECTIO(節)の中に Lilio-narcissus, Lis-Narcisse GENUS I として記載されている.その特徴と図,及び21種と 1664 年版より大幅に増えた種(species)がこの GENUS(属)に属すると,参照文献と共に記されている.参照されている文献は,クルシウス,モリソンの他多数に渡り,幾つかの記載は同一のものとされているが,名称は新たにトゥルヌフォールが付けたものもあり,原記載のままのものもある.そこにはモリソンと,更にコルーヌを参照して,ネリネ・サルニエンシス(ガーンジー・リリー)が, Lilionarcissus Japonicus, rutilo flore”と“Narcissus Japonicus, rutilo flore,”という原記載の名で記載されている.(前記事 参照)

ここの “Lilio-narcissus” に参照された13の文献の,著者と検索しやすい名称と対比させたリストを,著作の刊行年順に示し,各文献の著者の簡単な紹介と共に,見出した該当ページの図を,二記事に渡って載せる.それぞれの種名は,トゥルヌフォールの書における名称と,各文献における名称(イタリック体)で示す.

Clus. Hist.: Charles Clusius de l'Ecluse “Rariorum Plantarum Historia” (1601)

「稀産植物誌」
カロルス・クルシウス(シャルル・ド・レクリユーズ, Carolus Clusius, Charles de l'Écluse, L'Escluse, 1526 - 1609)は 16 世紀ヨーロッパの植物学者として最も重要な人物の一人で,フランドルに生まれた.健康に恵まれず,貧しかったが多才な人物で,八ヵ国語を操った.ヨーロッパ各地を旅行し豊かな植物学の知識を身につけた.およそ14年間マクシミリアン二世に仕え,ウィーンの宮廷で過ごしたが,最後はライデン大学の教授になった.ここに植物園をつくり,オランダにおける球根栽培の基礎を築いたといわれる.若い頃からの成果をまとめて1601年『稀少植物誌』を出版.リンネの仕事はこの本のおかげをたいそう被っている.クルシウスの業績はリンネを通じて現代の植物学にも影響を及ぼしているといえよう.

Lilio-Narcissus Jacobæus, lactifolius, Indicus, rubro flore. Narcissus latifolius, Indicus, rubro flore Clus Hist. 157
Lilio-Narcissus luteus, autumnalis, minor. Narcissus serotinus Clus. Hist.162.
Lilio-Narcissus autumnalis, melino flore. Nacissus Persicus Clus. Hist. 163.
Lilio-Narcissus luteus, autumnalis, major. Narcissus autimnalis, major Clus. Hist. 164.

SuvertEmanuel Suvert, “Emanuelis Suvertii Florilegium.” (1612) 「花譜」


エマヌエル・スウェールツ(
Emanuel Sweert1552 - 1612)は,オランダの画家,園芸家である.1612年の著書『花譜』(Florilegium Amplissimum et Selectissimum)で知られる.スウェールツは神聖ローマ皇帝,ルドルフ2世のウィーンの植物園の園長として雇われていた.また『花譜』の図版の多くはルーブルのフランス王,アンリ4世の植物園で栽培されていた植物である.『花譜』は560種を掲載した園芸植物のカタログで,手彩色銅版画110枚を収録しており,1612年にフランクフルトの印刷業者ヨハン・テオドール・ド・ブリーによって出版された.植物学者のピエール・ヴァレが準備した植物が描かれた.スウェルーツの花譜は日本に伝わり,1761年,平賀源内の蔵書となり,蔵書目録で『紅毛花譜』として紹介された.
  Lilio-Narcissus Indicus, florealbo, exteriùs rubente. Narcissus à D. Gareto, flore albo, exterior parte rubicundus Suvert. 28.
  Lilio-Narcissus luceus, vernus. Narcissus vernum, flore lutea Suvert.

EystBasilius Besler ”Hortus Eystettensis.” (1613) 「アイヒシュタットの庭」


バシリウス・ベスラーまたはバジル・ベスラー(
Basilius Besler または Basil Besler1561 - 1629)はドイツの薬剤師,植物学者,植物画家である.ドイツ,アイヒシュテットの司教で植物愛好家の,ヨハン・コンラート(Johann Konrad von Gemmingen)が造った庭園で栽培された植物を詳細に描いた『アイヒシュタットの庭』(Hortus Eystettensis)の植物画を描き,出版したことで知られる.本書は850ページに1084の植物が記述され,ベスラーの描いた367点の版画がつけられた最も初期の銅版よる大型本の一つである.1668年には日本にも輸入されている.
  Lilio Narcissus luteus, multiplex, autumnalis. Narcissus autumnalis, flore luteo, multiplex Eyst.

C. B. Pin.Caspari Bauhini “Pinax Theari Botanici” (1623. & 1671.) 「植物の劇場総覧」


ギャスパール・ポアン(
Gaspard Bauhin or Caspar Bauhin,羅: Casparus Bauhinus, 1560 - 1624)はスイスの植物学者である.古今の名称が対照されている全12巻の『植物の劇場総覧表』(Pinax theatri botanici, sive Index in Theophrasti Dioscoridis, Plinii et Botanicorum qui a saeculo scripserunt opera, 1623)を著し,リンネら後世の植物学者に影響を与えた.父親はプロテスタントとなるためにフランスからスイスに移住した医師であり,バーゼルに生まれた.パドヴァ,モンペリエ,ドイツで医学を学んだ後バーゼルへ戻った.医学の学位を得て,植物学,生理学を教えた.1582年にバーゼル大学のギリシア語の教授となり,1588年に解剖学と植物学の教授となった.その後市の医師となり,バーゼル大学の薬理学の教授となり,学長,学部長を務めた.
著書,『植物対照図表』は植物学の歴史において重要な著作で,6000に及ぶ種が記載された.分類法はそれほど革新的なものでなく最初の10巻が草を扱い,2巻が木を扱っている.植物研究というのは医薬である薬草の研究を起源としているので,主として植物の用途によって分類されたが,植物の類縁性が意識されており,現在の分類でいくつかの同じ科に属する植物はまとめて記載されている.また,一部の植物は二名法で命名されている.
  Lilio-Narcissus luceus, vernus. Colchicum luteum vernum C, B, Pin. 69.
      Lilio-Narcissus autumnalis, melino flore. Colchicum melino flore C. B, Pin. 69.

Park. Par,John Parkinson “Paradisi in Sole Paradisus Terrestris” (1629) 「太陽の庭・地上の楽園」


ジョン・パーキンソン(
John Parkinson, 1567-1650)  は英国の庭師・植物学者である.薬剤師見習いからスタートし,1617年薬種商組合の創設に参加,20年には理事になるが庭仕事に熱中するようになり,22年には引退した.彼を有名にした『太陽の園,地上の楽園 Paradisi in Sole Paradisus Terrestris”』(1629)のタイトルは,自分の名前(park-in-son)をラテン語にしたもので,これは主に観賞用植物だけを扱ったイギリス最初の絵入り本である.皇后に献呈され,その後彼はチャールズ一世のお抱え植物学者となる.とにかくパーキンソンは庭園の観賞植物多数に言及した最初の人であった.この書は第一部「花園」(The Garden of pleasant Flowers.),第二部「菜園」(The Kitchen Garden.),第三部「果樹園」(The Orchard)よりなる園芸書.庭園設計や土づくり,種まき,育て方などの具体的な庭造りのノウハウと,約800ページの植物図版が掲載されている.諸外国から移入された,或は英国自生の庭園用の美しい植物が多く取り上げられ,中世の菜園の実用主義や医術・治療を目的としたそれまでの本草書とは,大きく異なる内容となっている.
  Lilio-Narcissus Indicus, pumilus, monanthos, albus Narcissus Virgneus Park. Par. 86.

Narcissus Virgineus.   The Virginia Daffodill.

This plant I thought fittest to place here in the beginning of this Classis, not finding
where better to shroud it. It hath two or three long, and very narrow leaues, as greene
as the leaues of the great Leucoium bulbosum, and shining withall, which grow some-
times reddifh, efspecially at the edges : the stalke riseth vp a spanne high, bearing one
flower and no more on the head thereof, standing vpright like a little Lilly or Tulipa,
made of six leaues, wholly white, both within and without, except that at the bottome
next to the stalke, and a little on the backside of the three outer leaues, it hath a small
dash or mew of a reddish purple colour : it hath in the middle a few chiues, standing
about a small head pointed; which head groweth to bee small and long, containing
small blackish flat seede : the roote is small, long, and round, a little blackish on the
outside, and white on the inside.

The Place.

This bulbous plant was brought vs from Virginia, where they grow ab-
oundantly; but they hardly thriue and abide in our Gardens to beare
flowers.

The Time.

It flowreth in May, and seldome before.

The Names.

The Indians in Virginia do call it Attamusco, some among vs do call it
Lilionarcissus Virginianus, of the likenesse of the flower to a Lilly, and the
leaues and roote to a Daffodill. Wee for breuity doe call it Narcissus Virgi-
nues,
that is, The Daffodill of Virginia, or else you may call it according to
the former Latine name, The Lilly Daffodill of Virginia, which you will ;
for both names may serue well to expresse the plant.

Ferr. Flor.Giovanni Battista Ferrari ”Ferrarius de Florum Cultura. Joannis Baptistæ Ferrarii, Senensis” (1633)


ジョヴァンニ・バティスタ・フェラーリ(
Giovanni Baptista Ferrari1584 - 1655)は,イタリアのイエズス会士,グレゴリアン大学の教授で,植物図譜や,ラテン語-シリア語辞典の編集を行った.
 シエナの裕福な家に生まれ,1602年にローマでイエズス会に入会し,著作のかたわら,ローマのイエズス会の大学でヘブライ語と修辞学の教授を務め,教皇の園芸の顧問を務めた.語学の才に恵まれ,21歳でヘブライ語を自由に扱い,ギリシャ語とラテン語の優れた文章を書くことができた.ローマの実力者であったフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿(Francesco Barberini, 1597 – 1679)の個人植物園Horti Barberiniを管理し,植物園の植物を学び,1632年に園芸書,“ Flora, seu, De florum cultura”を出版した.添付された植物図は,最初の女性版画家とされるアンナ・マリア・ヴァリアナ(Anna Maria Variana)を含む版画家が作成した.第1版はバルベリーニに献じられた.

  Lilio-Narcissus Indicus, saturato colore purpurascens. Narcissus Indicus, Litiaceus, saturo colore purpurascens Ferr, Flor. 119.
  Lilio-Narcissus Indicus, maximus, sphæricus, floribus plurimis, rubris, Liliaceis. Narcissus Indicus, flore Liliaceo. Sphæricus Ferr. Flor. 129.

Corn.: Jacques Philippe Cornut “Canadensium plantarum” (1635) 「カナダ植物誌」


ジャック=フィリップ・コルニュ(
Jacques Philippe Cornut, 1606-1651)はフランスの医師,植物学者である.著書として,パリ近郊の植物の研究書,『パリの植物ハンドブック』("Enchiridion botanicum parisiense")やセント・ローレンス川からルイジアナ地域の植物の研究書『カナダの植物』("Canadensium plantarum, aliarúmque nondum editarum historia nondum editarum historia cui adiectum est ad calcem enchiridion botanicum parisiense":Paris: Simon le Moyne, 1635)がある.生涯を通じて,541の種の記述を行った.『カナダの植物』の図版はピエール・バレ(Pierre Valet:1575-1650)が描いた.カナダの植物について記述したにもかかわらず,一度も新大陸を訪れたことはなく,植物標本はフランス王,アンリ4世の庭園やパリ大学の医学部の庭園で植物栽培したヴェスパズィヤン・ロバン(Vespasien Robin)父子や,パリで多くの園芸庭園を所有するモラン家から入手した.北アメリカ東部の30以上のそれまで知られていなかった植物の記述し,図を示し,南アフリカの植物も紹介した.カール・フォン・リンネも『植物の種』("Species Plantarum")のなかでコルニュの著書から引用した.
    Lilio-Narcissus Japonicus, rutilo flore. Narcissus Japonicus, rutilo flore, Corn. 158.
    Lilio-Narcissus Indicus, pumilus, polyanthos. Narcissus Indicus, pumillus, polyanthos Corn. 154.

⑧ J. B.:Johann Bauhin ”Historia plantarum universalis - - ” (1650) 「一般植物誌」


ジャン・ボアン(Jean Bauhin,Johann Bauhinとも,1541 – 1613)は,スイスの植物学者・医師である.④項の植物学者のギャスパール・ボアン(Gaspard Bauhin or Caspar Bauhin, 羅: Casparus Bauhinus, 1560 - 1624)の兄である.バーゼルで生まれた.父親は新教徒となったために,フランスから追われた医師である.植物学をテュービンゲン大学(Universitas Eberhardina Carolina)でレオンハルト・フックス(Leonhart Fuchs, 1501 – 1566)のもとで学んだ後,チューリッヒ大学(Universität Zürich)でコンラート・ゲスナー(Conrad Gesner, 1516 - 1565)のもとで学んだ.当時の高名なイタリアの植物学者,ウリッセ・アルドロヴァンディ(Ulisse Aldrovandi, 1522 – 1605)やフランスの博物学者ギヨーム・ロンドレ(Guillaume Rondelet, 1507 – 1566)のもとを訪ね,リヨン滞在中はジャック・ダレシャン(Jacques Daléchamps, 1513 - 1588)とともに植物の研究を行ったが宗教上の理由でフランスを去り,スイスに戻った.スイスに帰郷したコンラート・ゲスナーとスイスの植物調査を行った後,バーゼルに定住し,医師として働いた.1570年にモンベリアールのヴュルテンベルク公(Friedrich I of Württemberg , 1557 – 1608))の宮廷に医師として招かれ,没するまで,モンベリアール(Montbéliard)に住んだ.モンベリアールの大庭園(Grands-Jardins de Montbéliard)で珍しい植物を栽培し,その中には新大陸から伝わったジャガイモも含まれていた.
    Lilio-Narcissus Jacobæus, lactifolius, Indicus, rubro flore. Narcissus Indicus latifotius, rubro flore J. B. 2. 609.
    Lilio-Narcissus autumnalis, melino flore. Narcissus Persics, Croci flore, Colchicis affinis J. B. 2. 661.
    Lilio-Narcissus luceus, vernus. Colchicum vernum flavo flore J. B. 2. 662.
    Lilio-Narcissus luteus, autumnalis, minor. Narcissus autumnalis minor J. B. 2. 662.


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