2023年5月21日日曜日

ガーンジー・リリー (14-5) ハコネシダ 石長生 和文献・考定和名-2.和刻本草綱目,松下本-和名なし,貝原本-ヒナハラ,若水本-ヨメガハヽキ.本草綱目品目-ハコネサウ(初出).本草瓣疑-阿蘭陀艸,広益本草大成-箱根艸,和爾雅-ハコ子クサ

 ドイツ人博物学者エンゲルベルト・ケンペルは『廻国奇観』“Amœnitates Exoticæ”(1712)の中で,初めてイチョウを Ginkgoとして,西欧に紹介した.そのなかで,葉がホウライシダ類(Adiantum, 英名:Maiden hair fern)に似ている事を述べた.この著作にはホウライシダ屬のホウライシダ(A. capillus-veneris L.)と彼が考定した植物が記載されている.将軍謁見のための江戸参府の道中(1691年)に,箱根山中で薬効があると聞いて採取し,ハコネクサ(Fákkona Ksa)とその名を記したハコネシダ(現在有効な学名:Adiantum monochlamys D.C.Eaton)である.彼の腊葉標本は現在も大英博物館に保存されている.

 牧野富太郎は,ケンペルがハコネシダの薬効を教え,オランダソウの名が生じたと『牧野日本植物図鑑』(1940)の「ハコネサウ」に記したが,ケンペルが訪れた1691年より前に刊行された『本草瓣疑』(1681),『広益本草大成』(1689)に,「阿蘭陀艸(オランダソウ)」の名や「オランダ人が箱根で採ってから,初めて産後産前の諸症状に効くこの薬草の事が分かった」との記述があるので,ケンペル以前に来日した西欧人が関与していると思われる. 

江戸前期からハコネシダ(ハコネサウ)と考定されるようになった「石長生」は,中国の古い本草書『神農本草経』にも記載されている薬草である.シダ類である事は確かだが,現在でもその本体は明確ではない.前記事では,日本の江戸以前の本草書における「石長生」の考定を追ったが,ここでは江戸前期の本草書での「石長生」の考定和名を追ってみる.
 江戸時代以降,日本での本草書の標準となった李時珍『本草綱目』(1578)は斬新な内容だったので,本家の中国でも版を重ねたが,日本でも寛永14年(1637 の江西本を嚆矢とし,何種もの和刻本が刊行された.その中には考定された和名が追刻された品目がある版も多い.
「石長生」に対しては,初期の松下見林本(「篆字本」-1669)までは和名はないが,貝原本(「校正」-1672)には「ヒナハラ」,最善本とされる若水本(「新校正」-1714)には「ヨメガハハキ」の和名が刻されている.
「校正」で「ヒナハラ」と和名を記した貝原益軒は,『本草綱目品目』(1680頃)で,「石長生」を「ハコネサウ」と考定しなおし,これはハコネソウの初出であった(磯野初見).
 遠藤元理『本草瓣疑』(1681)には,「箱根草(はこねくさ)」が一項目として載り,「オランダ人が江戸参府の途上,箱根で採って産後産前の諸症状に効く」と言ったとして,「阿蘭陀艸」の別名を記す.オランダ人の関与を示す初見である.但しケンペルの江戸参府途上の箱根での「はこねそう」の採取は1691年(元禄4年)なので,このオランダ人がケンペルとは考え難い.
 岡本一抱撰『広益本草大成』(1689)には,「石長生」と「箱根艸」が別項目として収載され,前者には『本草綱目』の記述の一部が,後者には「オランダ人が箱根で採ってから,初めて産後産前の諸症状に効くこの薬草の事が分かった」と記載されている.
 貝原益軒の養子貝原好古『和爾雅』(1694)には,「石長生」に「ハウヒサウ,シノブ,或云ハコ子クサ」の和名が載っている.

 中国本草学の集大成として明代の★李時珍『本草綱目』(1578)は,それまで出版された多くの本草書を引用しながら著者自身の見解を附した大作で,1871種の薬種を収録している.1596年(万暦23年)に南京で初版が上梓された(南京の古称,金陵にちなんで,金陵版と呼ばれる).この書を林羅山(1583 - 1657)が1604年以前に入手していた事が,彼の読書目録からわかるが,慶長12年(1607年)には彼が長崎でこの書を入手し,駿府に滞在していた徳川家康に献上していて,これを基に家康が本格的に本草研究を進める契機となった事はよく知られている.『本草綱目』の明版・清版は世界各国に伝えられ,とりわけ漢字圏の日本・朝鮮・ベトナムでの本草研究に多大な影響を与えてきた.ただし本書の朝鮮版・ベトナム版はなく,中国以外で全巻を復刻したのは現在に到るも日本しかない.


 本書の「草之九 石草類」に収められている「石長生」に対して,初期の松下見林本(「篆字本」-1669 ①)までは和名はない.
 貝原益軒が校正したとする版(貝原本,「校正」-1672 ②)には「ヒナハラ」の和名が添刻されている.この和名は,前記事に載せた林羅山『多識編』(1612)にしるされた「石長生」の和名「比那和良」に由来すると考えられる.
 最善本とされる稲生若水(16551715)が校正したとする版(若水本「新校正」-1714 ③)には「ヨメガハヽキ」の和名が刻されている.八坂書房編『日本植物方言集成』(2001)には,ハコネシダの地方名として24の名が収載されていて,その中には「よめがさら 甲斐,よめがはし 甲州,よめがははき 甲州,よめのかんざし 越後,よめのぬりばし 越前,よめのはし 能登,よめのははき 近江」と「嫁」がつく方言が多くあるが,若水がなぜ,甲州地方の方言をここで採用したのかは分からない.当時ハコネシダを束ねて乾燥させ,葉を落として黒褐色のつややかな細茎だけにしたものを,文人達が机上を掃く箒として用いていて,その名がヨメガハヽキだったのかも知れない.


★貝原益軒『本草綱目品目』は,『本草名物附録』と共に,1672年初刊の『本草綱目』和刻本(貝原本)の附録だが,執筆されたのは 1680 年の可能性がある.との故磯野慶大教授の見解に従って,著作年代を1680頃とする.貝原本に添刻されている和名と比較すると,この著作の方が年代が後と考えられる.この書で益軒は「石長生」を「ハコネサウ」と考定しなおし,これはハコネソウの初出であった

 江戸時代前期の本草家で,京都の製薬業者の★遠藤元理(??)『本草瓣疑』(1681)の「巻之五 異国産 十七種」には,「箱根草(はこねくさ)」が一項目として載り
「【四】箱根草(ハコ子クサ)                         一名阿---(ヲランダサウ)
---人江-城参-上ノ時箱根ニ
テ採之産-後産-前ノ諸疾ニ妙ナ
リト云 今諸-山ニ多
 葉ノ形ノ細ニシテ莖細ク堅ク甚タ
 黑ク狀シノブ艸ニ似タル小草
 ナリ石-岩ニ生ス」とある.一方この書に「石長生」は見いだせなかった.調べた限りでは,この記事がハコネシダをオランダ人が薬草とした最初の文献ではある.

 ★岡本一抱(1654 - 1716)撰『広益本草大成』(1698)は通称『和語本草綱目』とよばれ,2310冊本からなり,収録の薬物は1834種で,明・李時珍の「本草綱目」所載の1788種に46種の新種を追加している.各個の薬物には,一抱が自ら描いた図があり,古今の説を自己の見識によって取捨して引用するとともに,自らの経験を参酌したその解説は詳細で平易である.
 この書の「巻之十 附録」には,
石長生鹹大冷○治-瘡大-ライ(サケ)鬼邪。治-蟲疥(ヒサン)(タムシ)」と,『本草綱目』の一部を引用し,また,「巻之十 ○新増附録」には,
箱根(サウコン)(ハコ子グサ)
血分産前産後諸疾○阿蘭陀(ヲランダ)人來聘ノ時。箱根(ハコ子)ニ於テ
是ヲ采(トリ)シヨリ。人始テ知。葉莖(クキ)(ホソ)ク茎ハ堅(カタ)ク黒ク。シノブ艸ニ似(ニ)タリ。今
諸山ノ石岩(セキガン)ニ多ク生ス」とある.記述は『本草瓣疑』とほぼ同じで,オランダ人が指摘して,初めて薬効が知られたとある.図は見いだせなかった.

 ★貝原好古『和爾雅』(1694)の「艸木門 第二十二」には,「石長生 ハウヒサウ,シノブ,或云ハコ子クサ」と和名が載っている.『和爾雅』は叔父益軒の養子,貝原好古(かいばら-よしふる,16641700)が著した江戸前期の8巻の辞書.中国の「爾雅」に倣って日本で用いられる漢語を意義によって24門に分類し,音訓を示し,漢文で注解を施した書. 放屁草

続く

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