Agrostemma githago
可憐な花をつけるが,小麦などの麦類の悪性雑草として長く欧米の農家を苦しめていたナデシコ科の一年草.小麦と同調して生育し,全草有毒.特にその黒い種子がパンに入ると,その味を損なうので嫌われていて,聖書に出てくる「ドクムギ」の一つとも考定されていた.種子選別法が発展するとともに小麦畑から姿を消し,現在では主に庭での花卉として栽培されていて,日本でも逸出・帰化が認められている.
日本で栽培されている種は,萼片が花弁より短いか同じである事から,A. githagoの園芸種 “Milas” か,別種 A. brachylobum と思われるが,ムギセンノウ A. githago として記述する.
古くから小麦と共に生育していたが,ディオスコリデスやプリニウスの書籍には,ムギセンノウと確定できる植物の記載は見当たらない.彼らが麦の悪雑草として記した lolium,zizania や,種の黒い git を A.
githago と考定した後世の本草家もいたが,これらはドクムギやクロタネソウとも考えられる.
中世から欧州では悪名が高いためか,ムギセンノウは各地方で多くの異名や地方名を持っている.特にドイツ語圏内が多くG. A. Pritzel, K. F. W. Jessen 著 “Die deutschen
Volksnamen der Pflanzen: neuer Beitrag zum deutschen Sprachschatze” (1882) には Mittalt, Gid, Lolium, Nigella の欧州での共通名称の後にドイツ語圏での名称として,“Ackerkümmel” から “Schneller” まで,46の名称が収載されている.
また,欧州各地の植物の名称(文献上の名称,死語も含む)を収載した
Gerth van Wijk, H. L. 著 “A dictionary of
plant names” (1911) には,欧州での共通名称とし,死語の †gith; †githago ; †lolium ; †nigellastrum ;†pseudomelanthiuni が挙げられ,更に英語圏での “bachelor's buttons” から “wild savager” の 34 の,フランス語圏での
“agrosteme” から “turaiel” の 54 の,ドイツ語圏での “ackerrade(n)” から “zottiger feldkumme” の 80 の,オランダ語圏での
“baronnen” から “zwijnsooren” の 61 の,計 229 の名称(重複あり)が収載されている.語源を調べれば興味深いだろうが,「小麦」「バラ色」「貝」「黒(い種)」「鼠」に関連する名称が多いようだ.ドイツ語圏での名称が多いのは,多くの小国が存在し,言葉が多少なりとも異なっていたためもあろうが,小麦など麦類の生産が盛んで,ムギセンノウに悩まされていたからであろう.
明らかにムギセンノウと考定できる植物の,欧州での記事の嚆矢は,ドイツの神学者アルベルトゥス・マグヌス(Albertus
Magnus, 1193? - 1280)著★『植物について』(De vegetabilibus)の “Nigella” であろう.この “Nigella” が現在のキンポウゲ科のニゲラと異なっているのは,記述から明らかで,名称はムギセンノウの特徴の一つである「黒い種子」に由来すると思われる.この
“Nigella” はムギセンノウの名称として16世紀半ばまで使われていた.
マグヌスの著作を復刻・注釈した K. F.
W. Jessen, E. H. F. Meyer著 “Alberti Magni ex ordine praedicatorum de
Vegetabilibus libri VII :historiae naturalis pars XVIII” (1867) には,
“De vegetabilibus
libri VII
Liber VI. Qui est: De speciebus
quarundam plantarum.
Tractatus II. In quo agitur: De
herbis specialiter secundum ordinem alphabett.
Cap. 13. De napone napello napello
Moysi nasturtio narcisso nenufare nigella et nepita.
x) Avic.
vet. cap. 523; Plemp. pag. 279:
Sjunìz,
Melanthium. λ) Quam plantam et fortasse quoque plantas confines herbam borith Hebraeorum esse, ex verbis Maimonidis patet, qui eam uschnan Arabum esse docuit (conf. Ro- senmüller Biblische Naturgeschichte
Vol. I pag. 112), quo nomine ???? etiam hodie
hoc plantarum genus in Egypto desìgnari Husson confirmavit, conf. Sontheimer
Zusammengesetzte Heilmittel der Araber, Freiburg 1845 p.269.
§. 396 : 1 et est
figura ejus A. 2 in terra V;— cresciti. 3 et add.L.
4. intheca L; teca V. 5 -ma A,
-mo JL. 6 corize Codd. ubi- que; colicae
J. 7 autem Edd. 8 pannos add. A ;— borich L.”
とあり Jessen と Meyerはマグヌスの言う Nigella をムギセンノウと同定した.本文では確かに,ピラミッド型につける花はバラ色で,長く細い茎に小さな葉をつけ,実の薄くて硬い殻には黒い種子がぎっしりと詰まっているなど,ムギセンノウと合致し,今云うニゲラとは異なる記述がされている.また,薬草としての効能や種子の粉末が borith (Salsola fruticosa)* と同様に羊毛の漂白洗剤に用いられるとある.このムギセンノウをラテン語で Nigella と呼ぶ事は,16世紀半ばまで,確認されている.
* Salsola fruticose L. = Suaeda fruticosa Forssk. ex J. Gmelin. ヒユ科オカヒジキ属,ハママツナに似ていて,肉厚の茎,枝,葉を持ち侵海水湿地に生育する.ナトリウム塩の含有量が高く,焼いて石鹸やガラスの原料とされた.
アルベルトゥス・マグヌス Albertus Magnus は,スコラ神学者,自然研究家.南ドイツ,ラウインゲン (Lauingen) で騎士の家に生まれ,イタリア,パドヴァ(Padua)大学在学中にドミニコ会に入り,ケルンその他の修道院で神学を学び,また教えて後,1245年パリ大学神学部教授となった.このころトマス・アクイナス (Thomas Aquinas) がアルベルトゥスの弟子となる.48年ケルン大学の前身であるドミニコ会神学大学ストゥディウム・ゲネラーレ創設のためケルンに移る.この後レーゲンスブルク司教,および教皇庁所属の神学者として活躍した時期を除くと,主としてケルンを本拠に著作,教育および仲裁・和解活動に従事.彼は当時の学問領域の全般にわたる学識のゆえに,〈普遍博士doctor universalis〉と呼ばれ,存命中すでにギリシャのアリストテレス(Aristotle),アラビアのアビセンナ(イブン・シーナー,Avicenna),アベロエス(イブン・ルシュド,Averroes,)と並ぶ権威ある著作家とみなされたが,その多方面な研究活動の中心はつねに神学であり,キリストの福音の宣教をめざしていた.
彼は哲学,つまり経験世界についての包括的で根元的な研究が神学にとって不可欠であることを認識し,アリストテレスの全著作を,彼自身の解釈と創見を加えた形でラテン世界に紹介することでこの要求を満たした.その成果は彼の著作のほぼ半分をしめ,百科全書の観を呈している.また,自然現象や動植物の観察に強い関心を示し,さまざまの魔術伝説が生まれたほどであるが,実際には彼の自然研究者としての功績は,当時優勢であった教学的方法による自然現象の説明に対抗して,固有の対象と方法をもつ自然学を確立したことである.1622年にはグレゴリウス15世によって福者 (beātus) に,1932年にはピウス11世によって聖者 (Sanctus) に列せられ,自然科学研究の守護者とされている.
圖:Bust of Albertus
Magnus by Vincenzo Onofri, c. 1493 from Wikipedia (G)
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