2025年2月25日火曜日

ムギセンノウ-13-2-12. シェイクスピア『リア王』-9,雑草の王冠-9 ドドネウス『本草書』(Crŭÿde boeck)の渡来4 サフラン-5 (Saffron, Crocus sativus),中国-4,高麗 灌佛会,『佛說摩訶刹頭經』,五色水,赤水:鬱金香

  

     欧州で薬用あるいは実用の長い歴史のあるサフランが中国に伝わったのは,唐太宗の治世(貞觀の治 626-649)で,香料「鬱金香」として渡来したと文献に現れ,香料や化粧品としても用いられた(前記事参照).

 一方,仏教では,釈迦の誕生日を祝う「灌佛会」で,仏像に掛ける五色水の一つの「赤水」として,サフラン(鬱金香)の抽出液を用いた.この五色水で浴佛する習俗は中国・日本で長く行われ,両国の歳時記に記され,日本では朝廷でも重要な年中行事としてそのプロセデュアが,記録された.

釈迦の誕生については,『灌洗佛形像經』に以下のように記述されている.(CBETA西晉 譯者釋法炬 本作品收錄於《大正新脩大藏經》)
「爾時佛告摩訶頭諸天人民:「皆一心聽。」佛言:「人身難得,無為道亦然,佛世難。吾本從阿僧祇劫時,身為白衣累劫積德,每生自剋展轉五道,不貪財寶棄身施與無所愛惜。自致為王太子,以四月八日夜半明星出時,生墮地行七步,舉右手而言:『天上天下唯吾為尊,當為天人作無上師。』太子生時地為大動,第一四天王,乃至梵天、忉利天王,其中諸天各持十二種香和湯雜種名花以浴太子。太子得成佛道,開現聖法濟度群氓。」
 この故事に基づいて,四月八日には寺院に於て,誕生仏に花を捧げ,薫り高い水を浴びせるようになった.現在の日本では「甘茶」を掛けるのが一般的だが,本來は薬草から造った「青・・白・黄・黒」の五色の「
五色水(五香水)」を用いる.

高麗版大蔵経』(1251完成)の『摩訶刹頭經 亦名灌佛形像經』(西秦沙門釋聖堅譯,冒頭図)には,


四月八日 浴佛法 都梁 藿香艾納
合三種草香挼而漬之此則靑色水
若香少可以紺黛秦皮權代之矣
金香手挼而漬之於水中挼之以作
赤水若香少若乏无者可以面色權
代之丘隆香擣而後漬之以作白色
香少可以胡粉足之若乏無者可
以白粉權代之白附子擣而後漬之
以作黃色水若乏无白附子者可以
枙子權代之玄水爲黑色最後爲清
淨今見井華水名玄水耳
右五色水灌如上疏

以水清淨灌像訖以白練若白綿拭
之矣断後自占更灌名曰清淨灌其
福與第一福無異也
摩訶刹頭經
  己玄歳高麗國大蔵都監奉
  勅彫造」と,
4
8日に仏陀を沐浴させるための「五色水」の作成法や灌水法,白絹や白綿の布で仏陀を拭う方法が述べられ,「五色水」の内の「赤水」は鬱金香即ちサフランから製するとある.他の色水作成に用いられている薬草については,後記事で述べる.なお,版木が彫られた「己玄」とは1239年のことである.

聖堅がこの経典をサンスクリット語?の原文から中国語に訳した時に活動していた「西秦」(385 - 431年)は,五胡十六国の一つ。385年鮮卑族の乞伏 (きっぷく) 国仁が前秦から独立して建国。中国北西部に位置し,都は金城(現在の甘粛省の省都である蘭州)。431年夏 () に滅ぼされた.西秦は弱小国で,その統治期間は非常に短かったが、東西交易路と中国の母なる大河・黄河との交差する要衝に位置していたため、その領土における仏教の繁栄は当時の他の政権のそれをはるかに上回っていた。大きな仏教石窟(現在は甘粛省永靖市の炳霊寺石窟)は今日まで保存されている。

 釋聖堅の伝記は残っていないが,彼の事績を記録した最も古い文献は,隋の費長房が著した『歷代三寶紀』で,其書卷九に,「乞伏は立国した際には僧侶を敬った.彼が聖堅に会ったとき,彼の教えに共感を覚え,教えを広め,経典の翻訳を実行するよう命じた.それは 5 (4 人であるべき) の統治者の下で 44 年間続いた.」(大意)とある.
 聖堅が訳した仏典は,西秦聖堅譯で4点,西晉聖堅譯で2点,伏秦聖堅譯で4点,姚秦聖堅譯で1点,計11点が『大正新脩大藏經』に聖堅譯として収められている.

伏秦=西秦,乞伏 (きっぷく) 国仁の秦
  西晋:(せいしん,拼音: Xījìn)は,司馬炎によって建てられた中国の王朝(265 - 316年). 成立期は中国北部と西南部を領する王朝であったが,呉を滅ぼして三国時代を完全に終焉させ,後漢末期以降分裂していた中国を約100年振りに再統一した.
  姚秦:中国の五胡十六国の一で,羌族の姚萇(ようちょう)が384年に建国した国で.都は長安で,417年に東晋の劉裕に滅ぼされた.

 この経典が収められている『大蔵経』とは一切経とも言われ,経(釈尊の教え),律(僧侶の生活規範),論(経の注釈書)の「三蔵」と解説書などをすべて含む仏教典籍の総称である.中国では10世紀後半,宋の太祖(趙匡胤)の時に漢訳大蔵経の木版印刷による刊行が着手された.蜀(四川省)で開版された漢訳大蔵経である『開宝蔵』である.
 一方,高麗では,第8代顕宗の 1020 – 21 年頃,漢訳大蔵経の刊行に着手し第13代の宣宗の 1087 年に完成した(初雕本).しかしその版木は,1231 年のモンゴル軍の高麗侵攻の際にすべて焼失してしまった.1232 年崔氏政権は宮廷を開京(開城)から江華島に移すと共に,仏力による加護を得ようとし,大蔵経の再刊に 1236 年に着手し,1251 年に完成した.これが海印寺に現存する版木であり『高麗大蔵経(高麗八萬大蔵経)』(再雕本)と言われている.戦乱の中で莫大な財力・労力を傾注したのは,支配者層にとって大蔵経の刊行は救国の事業と考えられたからである.高麗時代に仏教は国教であり,国家鎮護の法として国王・文武百官以下広く民間に信仰されていた.
 この復刻された経版は,その後長く大切に保存され,いまも南朝鮮の海印寺に残っている世界的仏教資料である.日本の室町・戦国の大名・豪族も朝鮮に使者を送り何度もこの版木で刷った大蔵経を求めた.それが現在,日本各地にも残っている.(旗田巍『元寇』中公新書 801965p.33 – 34

 日本に於ては,大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)までの10年間をかけて,『大正新脩大蔵経』を大正一切経刊行会が編纂し,大蔵出版が出版・刊行した.北宋代に蜀(四川省)で開版された漢訳大蔵経である『開宝蔵』を最もよく保存していた朝鮮海印寺の高麗大蔵経再彫本を底本としつつ,日本にあった各地・各種の漢訳仏典をすべて調査校合した民間人の手による「漢訳仏典の総集」とも言えるものである.大正大蔵経,大正蔵ともいう.編纂責任者は,高楠順次郎・渡辺海旭・小野玄妙の3名.当時の仏教関係の大学研究者が一致協力し,校訂作業に当たった.2008年,大蔵経テキストデータベース研究会によって『大正新脩大蔵経』テキストデータベースがインターネット上で公開された.近年では,東京大学の『大正新脩大藏經』テキストデータベース(SAT)や台北の中華電子佛典協會(CBETA)といったプロジェクトが,大正藏の電子テキスト化を推進している.それらは,一定の制約内ではありながら自由に使用できる.

 この五色水を浴佛に用いる習俗は中国・日本で長く行われ,梁時代の『荊楚歳時記』を始めとする中国歳時記や,平安時代の一条兼良による『公事根源』などの有職故実書,江戸時代の曲亭馬琴による『俳諧歳時記栞草』などの俳句歳時記に記されている. (後記事)

2025年2月14日金曜日

ムギセンノウ-13-2-12. シェイクスピア『リア王』-9,雑草の王冠-9 ドドネウス『本草書』(Crŭÿde boeck)の渡来3 サフラン-4(Saffron, Crocus sativus L.),中国-4 明 李時珍『本草綱目』鬱金香,咱夫蘭,番紅花

  漢民族が再び中国の支配権を回復し、明国が成立した後に刊行された★李時珍『本草綱目』(1596)にはサフランが「咱夫蘭」「鬱金香」「番紅花」の三つの名で記載されている.彼は「鬱金香」「咱夫蘭」「番紅花」をサフランの異名とは考えず,異なる三種の植物と考えたのであろう.


咱夫蘭:時珍は『本草綱目』「巻第五十二獸之一四 畜類」の「」の綱目,「」の【附方】として,「心氣鬱結」を和らげるとして「咱夫蘭(即回回紅花)」を処方しており,また「」では「腎虛腰痛」の処方として,「咱夫蘭」を加えた塗布剤をいずれも『飲膳正要』を引用して記録している.ここでは,「洎夫蘭」ではなく,『飲膳正要』とおなじ,「咱夫蘭」を用いている.

本草綱目』「巻第五十二 獸之一四 畜類」
 本經 中品
  下並也用白羝羊者良 (氣味)甘 無毒  日華曰 有孔者殺人  (主治) 止憂恚膈氣 別錄 補心 藏器  
 
(附方) 新一 心氣鬱結 羊心一枚 咱夫蘭 即回回紅花  浸水一盞 入鹽少許 徐徐塗心上 炙熟食之 令人心安多喜 正要

(中略)
 (氣味)同心(主治)補腎氣虛弱 益精髓 別錄
(中略)
 腎虛腰痛 千金 用羊腎去膜 陰乾為末 酒服二方寸匕 日三 正要 治猝腰痛 羊腎一對 咱夫蘭一錢 玫瑰水一盞浸汁 入鹽少許 塗抹腎上 徐徐炙熟 空腹食之
最初の「」の処方は,以下の『飲膳正要』の「炙羊心」と同一と思われ,本文でも「正要」として『飲膳正要』を参照している.

 「炙羊心
治心氣驚悸 鬱結不樂
羊心(一箇 帶系桶) 咱夫蘭(三錢)
右件 用玫瑰水一盞 浸取汁 入塩少許 簽子簽羊心 於火上炙 將咱夫蘭汁徐徐塗之 汁盡為度 食之 安寧心氣 令人多喜

一方,二つ目の「」の「治猝腰痛」の処方は,私の見た『飲膳正要』(明景泰七年府刊本.北京大學圖書館 Internet Archives)には載っていなかった.しかし,陳夢雷; 蔣廷錫『欽定古今圖書集成』「物彙編 第二百八卷 醫部彙考一百八十八 腰門三」には,「治卒腰痛 羊腎一對 咱夫蘭一錢 水一盞浸汁 入鹽 少許 塗抹腎上 徐徐灸熟 空腹食之 正要」とある.この記事が直接『飲膳正要』を参照したのか,『本草綱目』の記事を二次引用したのかは,分からない.

鬱金香:李時珍は番紅花の条を新設しても、「芳草類」に「鬱金香」を置き、鬱香(『太平御覽』)、紅藍花(『本草綱目』)、紫述香(同)、草麝香、茶矩摩(佛書)をその異名とした。その記述は陳藏器の「鬱金香」の引用が主であり,時珍は「鬱金香」と「番紅花」とは別の薬草と考えていたようだ.それぞれの図は,巻第一に掲載しているが,「鬱金香」の葉は細長くジャノヒゲに似ているが,花はサフランとは全く異なり,一方「番紅花」は紅藍花つまり紅花と良く似ている.時珍の時代にはサフランの生植物を見ることはできず,文献のみからの推測で描かれたのであろう.

本草綱目』巻第十四 草之三 芳草類」

鬱金香 宋開寶 (校正)(禹錫曰)陳氏言鬱是草英 不當附於木部 今移入此

(釋名)鬱金 御覽 、紅藍花 綱目 、紫述香 綱目 、草麝香、茶矩摩(佛書 (頌曰)許慎
文解字 云 鬱芳草也 十葉為貫 百二十貫築以煮之 鬱鬯
乃百草之英 合而釀酒以降神 乃遠方鬱人所貢 故謂之鬱
鬱 今鬱林郡也
時珍曰:漢鬱林郡 即今廣西、貴州、潯、柳、邕、賓
諸州之地 《一統志》惟載柳州羅城縣出鬱金香 即此也 《金光
明經》謂之茶矩摩香 此乃鬱金花香 與今時所用鬱金根
同物異 《唐慎微本草》收此入彼下 誤矣 按趙古則《六書本義》:
鬯字 象米在器中 以匕 之之意 鬱字從臼 奉缶置於幾上
有彡飾 五體之意 俗作鬱 則鬱乃取花築酒之意 非指地言
地乃因此
草得名耳

(集解)藏器曰:鬱金香生大秦國 二月、三月有花 狀如紅藍
月、五月採花 即香也 時珍曰:按鄭玄云:鬱草似蘭 楊孚
《南州異物志》云:鬱金出 國人種之 先以供佛 數日萎
後取之 色正黃 與芙蓉花裹嫩蓮者相似 可以香酒 又《唐書》
云:太宗時 伽毗國獻鬱金香 葉似麥門冬 九月花開 狀似芙
其色紫碧 香聞數十步 花而不實 欲種者取根 皆同
但花色不同 種或不一也 《古樂府》云:中有鬱金蘇合香者 是
此鬱金也 晉左貴嬪有《鬱金頌》云:伊芳有奇草 名曰鬱金 越自
殊域 厥珍來尋
芳香酷烈 悅目
目怡心 明德惟馨 淑人是欽

(氣味)苦 無毒 (藏器)(曰)平 (主治)蠱野諸毒 心腹間惡氣鬼疰 鴉鶻
等一切臭 入諸香藥用藏器

番紅花:時珍は『本草綱目』「巻第十五 草之四 隰草類上」に「番紅花」という新名を立て『飲膳正要』の咱夫蘭とは微妙に異なる洎夫蘭をその異名とした。

番紅花 綱目
〔釋名]洎夫藍 綱目 撒法郎
〔集解]時珍曰 番紅花 出西番回回地面及天方國 即彼地紅
藍花也  元時 以入食饌用 張華 博物志 言 張騫得紅
藍花種於西域 則此即一
種 或方域地氣稍有異耳

〔氣味]甘 無毒 〔主治]心憂鬱積 氣悶不散 活血 久服令人心
又治驚悸 時珍
〔附方]新一 傷寒發狂 驚怖恍惚用撒法即二分水一
盞浸一夕服之.天方國人所傳 (王璽醫林集要)

「番紅花」には「洎夫藍」の他にも,サフランの音に良く似た異名「撒法郎」を載せ,李時珍もサフランという西洋名を音写した.今日でも李時珍の“洎夫蘭”は Saffron の漢名として広く通用し,わが国では「さふらん」と音読されている.一方,番紅花という名は,李時珍が集解で「西番(新疆とその外境),囘囘回回の地靣(イスラム圏の地)及び天方國(アラビア)に出づ,即ち彼の地の紅藍花なり」と述べているように,紅藍花ベニバナの類と考えていた事に由来する.李時珍は「元時,以て食饌に入り用ふ」とも述べているので,『飲膳正要』を直接あるいは間接的に参照したことに疑問の余地はないが,同書の“未だ是否詳らかならず”とあるところに言及することなく,一方的に“彼の地の紅藍花”としてしまった.ネーミングとしては,“番”は“蛮”に通じるので,「蛮種の紅花」の意として実に明解である.
 本書の日本に伝来以降,日本における「洎夫藍(サフラン)」=「蛮種の紅花」の認識を強固なものとした.

★『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)(1929)春陽堂
番紅花 (綱目)
      和名 さふらん
      學名 Crocus sativus L.
      科名 あやめ科(鳶尾科)
〔釋名]洎夫藍(綱目) 撒法郎
〔集解]時珍曰番紅花は西番・囘囘の地,及び天方國に生ずる.即ち彼の地の紅
藍花である。
元朝の時代には,食膳の調理に入れたといふ。按ずるに,張華の博物志に『張騫(ちゃうけん)が紅
藍花の種を西域から齎らした』とある,このものもその一
種で,或は産地の地位形勢や,気候地味の關係から多少の異(ちが)ひがあるに過ぎない。
〔氣味]【甘し,平にして毒なし】〔主治]【心憂鬱積,氣悶して散ぜぬものを活かす。久しく服すれば精神を
愉快にする。又驚悸を治す】(時珍)。
〔附方]新一。【傷寒發狂】恐怖し,恍惚たるには,撒法郎二分を水一
盞に一夜浸して服す.天方國の人から傳へた方である。(王璽醫林集要)」