2024年12月26日の記事に記したように,ドドネウスの『草木譜』はその蘭語版が 1652 年以降何度か将来し,はじめは蘭癖の大名の手に入っていたが,その後蘭学を学んだ本草家の眼に触れるようになった.それまで,『本草綱目』での記述や稚拙な図に頼り,実物は輸入された乾燥物や部分のみしか目にしていなかった西欧由来の薬草が,ドドネウスの『草木譜』によって,その生体図や全体像が示され,衝撃は大きかったと思われる.その中でも「安産樹(含生草)」「肉豆蒄(ニクズク)」「洎夫藍(サフラン)」が注目された.ここでは,「洎夫藍(サフラン)」について記す.
サフラン(Saffron, Crocus sativus L.)は,地中海サントリーニ島のアクロティリ遺跡から,サフランを摘む女性たちが描かれた紀元前16世紀といわれるフレスコ画が発見され(冒頭図),青銅器時代には栽培されていたと考えられる歴史的にも有用な植物である(Moshe Negbi, “Saffron: Crocus sativus L.”, CRC Press, 1999).しかしながら野生種は発見されておらず,3000年以上前から球根の分割を繰り返して栄養繁殖されたため不稔性となったと説明される.
欧州で薬用あるいは実用の長い歴史のあるサフランは,当然ながら,ディオスコリデス『薬物誌』にも収載され,KROKOSの名で記載されている.薬効としては,消化を促進し,収斂作用,利尿作用があり,目やにを止め,性病に効果があり,塗ると丹毒に伴う炎症を鎮め,耳の炎症にも効くとしている.
西洋で3500年の長い歴史をもつサフランが中国に伝わったのは、唐太宗の治世(貞觀の治 626-649)に,香料「鬱金香」として渡来したと文献に現れる.この「鬱金香」は貴重な香料として高く評価され,唐太宗の貞觀二十一年(646)に伽毘国から獻上されたと,『唐会要』(961)と『冊府元亀』(1013)に記録されている.
★王溥ら編「唐会要」(961)「巻一百 蕃夷」
「二十一年三月十一日以遠夷各貢方物其草木雜物有異於常者詔所司詳録
(中略)
伽毘国獻鬱金香葉似麥門冬九月花開狀如芙蓉其色紫碧香聞數十歩華而不實欲種取其根」(圖①:WUL. 請求記号ワ04 05143, 江蘇書局, 光緒10[1884])
★王欽若・楊億ら『册府元龜』(1013)「巻之九百七十 外臣部 朝貢三」
「二十一年
三月帝以遠夷各貢方物珎果咸至其草木雜物有異于嘗者詔皆使詳録
(中略)
伽毘国獻鬱金香葉似麥門冬九月色開狀如芙蓉其色紫碧香聞數十歩華而不實欲種取其根」(圖②:WUL. 請求記号イ03 00849, 康熙11[1672]跋)
とあり,「伽毘国から獻上された「鬱金香」は葉は麥門冬(ヤブラン)に似ており,九月に花を開き,その形状は芙蓉の如くで色は紫碧色,香は數十歩はねれても聞く(嗅ぐ)ことが出来,華は咲いても實はならず,増やすには根を取る」とある.「伽毘国」が現在のどこに当たるかは調べても分からなかった.
『唐会要』は唐代の制度を類集した政書.北宋(ほくそう)初の王溥(おうふ)ら編(961年成る),100巻.蘇冕(そべん)ら編『会要』(8世紀末)と崔鉉(さいげん)ら編『続会要』(9世紀中葉)をあわせ,唐末の記事を加え,帝王に始まり蕃夷(ばんい)に終わる構成で数百項目に分け,唐代の国制と,とくに為政者の参考となる奏議などを載録する.唐の典章をうかがうのにもっとも便利な書物で,以降,歴朝これに倣い各代の会要がつくられた.
『冊府元亀』中国の北宋時代に成立した類書のひとつ.王欽若・楊億らが真宗の『歴代君臣事迹』編纂の勅命により景徳2年(1005年)から大中祥符6年(1013年)までの8年を費やして完成させた.先朝の事蹟に学ぶという要請に直接応えるこの書物に,真宗は「古来のあらゆる記録を集めた書物(「冊府」=古代の書物を蔵した役所,「元亀」=古代の占卜に用いた大きな亀)」の意を込めて『冊府元亀』の名を賜った.『太平広記』,『太平御覧』,『文苑英華』とあわせて四大書と称せられる.
現存中国本草書では★『證類本草』(唐慎微,完成年代は西暦1100年ころと推定される)「巻第十三 木部中品」に
鬱金香味苦溫無毒主蠱野諸毒心氣鬼疰鵶鶻等臭陳氏
云其香十二葉為百草之英按魏略云生秦國二月三月有
花狀如紅藍四月五月採花即香也
今附臣禹錫等謹按陳藏器云鬱金香平入諸
香藥用之說文鬱香芳草也十二葉為貫將以煑之用為鬯
為百草之英合而釀酒以降神也以此言之則草也不當附
於木部
陳藏器云味苦平無毒主一切臭除心腹間惡氣鬼疰入
諸香藥用之生大秦國花如紅藍花即是香也」とある.(WUL. 『重修政和経史証類備用本草』唐慎微 [撰] ; 曹孝忠 奉勅校勘,嘉靖2[1523]序,請求記号 ニ01 00812)
中国における最も古い本草書は,後漢の頃に成立したといわれる「神農本草経」(著者不明)であるが,後に陶弘景(452-536)が伝承薬物を365品(上薬120,中薬120,下薬125)に整理してそれぞれの性状と薬効を記録し,これに自ら選んだ他の薬物365品を加えて「本草経集注」7巻を著わした.この撰書が後世の本草文献の基礎となり,唐の高宗の時代(659)にこれを改訂増補した勅撰本「新修本草」(850品目,原本存在せず)が刊行された.
陳蔵器の『本草拾遺』10巻は,先行の『新修本草』に薬物や文献の附加,改訂した書である.
従って,サフランは「鬱金香」として陳蔵器著『本草拾遺』(739)に本草書に初めて収載されたと考えられる.「味苦溫無毒主蠱野諸毒心氣鬼疰鵶鶻等臭」の部分が唐慎微が『證類本草』に新たに付け加えた知見であろう.
陳蔵器『本草拾遺』は現存しないが,後継の本草書から陳蔵器の言を集めて復元されており,日本に於ても江戸寫『陳藏器本草拾遺不分卷[1] [2]』(永続的識別子info:ndljp/pid/2609993)が著わされ NDL の公開デジタル画像で閲覧できる.この書には,
「鬱金香 鬱金香平入諸香藥用之說文鬱香芳草也十二
葉為貫將以煑之用為鬯為百草之英合而釀酒以降神
也以此言之則草也不當附於木部
陳藏器云味苦平無毒主一切臭除心腹間惡氣鬼疰入諸香藥用之生
大秦國花如紅藍花即是香也」とあり,『證類本草』の陳氏の記述部分と一致する.
なお,何故鬱金香(サフラン)が,ショウガ科ウコン(鬱金)の名を冠しているのか,『證類本草』が「草部」を避けて「木部」に収録したのかについての考察が「全釈:カミツレ・ローズマリー・サフラン 帝京大学薬用植物園管理室 木下武司(https://wild-medplants.jp/topics_&_items2/on_curcuma_kunkuma.htm)」に記されている.