2013年1月7日月曜日

セイヨウヤドリギ (5/6)英米文学 (1/2) シェイクスピア・ギスボン・スコット・ハーディー・ロングフェロー

Viscum album
MISTLETOE & PUSSY WILLOW (1890)
Anton Seder ed. "Die Pflanze in Kunst und Gewerbe"

英米文学に現れるセイヨウヤドリギには,陰のイメージが付きまとう.キリスト教からすると,邪教と人身御供の残像が付きまとうからであろうか.

   シェイクスピア(1564-1616)『タイタス・アンドロニカス』1590年前後 
彼の全作品中,最も残虐で暴力に溢れているという点で異質な戯曲であり,そのため最近まで上演される機会も少なかった初期の悲劇.ローマ軍の将軍タイタスによって息子のひとりを生贄にされたゴートの女王タモーラは,新ローマ皇帝の座に就いたサターナイナスに取り入って后となり,アンドロニカス一族への復讐を開始する.タモーラとその愛人であるムーア人エアロンの策略によって,タイタスの娘ラヴィニアはタモーラの息子達に夫を殺され,強姦された上に,口封じのため舌と両手を切り取られる陰惨な場面.

“Titus Andronicus” SCENE III
TAMORA
Have I not reason, think you, to look pale?
These two have 'ticed me hither to this place:
A barren detested vale, you see it is;
The trees, though summer, yet forlorn and lean,
O'ercome with moss and baleful mistletoe:
Here never shines the sun; here nothing breeds,
Unless the nightly owl or fatal raven:
「タモーラ(息子たちに) 理由もないのに血の気が失せると思うの?
この二人(*ラヴィニアとその夫)が私をこんなところにおびき出したのよ、/ご覧、こんな荒れ果てたぞっとするような窪地に。
木々は、夏だというのに寒々と痩せほそり、/苔だの、(*baleful=有毒な)ヤドリギだのに覆われて生気をなくしている。
ここには日の光も射し込まず、夜のフクロウとか/不吉なカラスのほかは何も棲みつかない。」
『タイタス・アンドロニカス-シェイクスピア全集12』松岡和子訳(筑摩書房,2004

★トーマス・ギスボン(Gisborne, Thomas, 1758-1846)
 “Walks in a forest; or, Poems descriptive of scenery and incidents characteristic of a forest, at different seasons of the year” (1794)

“WALK THE SIXTH. WINTER FROST.”
“Projecting wide
O'er the bare plain with horizontal stretch,
His arms enormous, girt with wither'd leaves,
And tufted still with misleto, no more
By Druid hands and golden sickle cropt,
Rear high their elbowy twistings ; and uphold
With firm support the thickly-woven spray.”

「見渡す限りあらわな原一面に,/お前の太い腕は枯葉をまとい,
まだ厚いヤドリギをつけたまま,/ドルイドの手や黄金のかまで切られることもなく,
その突兀の節くれをしっかと持ち上げ,/葉の茂る小枝をがっしりと支え持つ。」

★サー・ウォルター・スコット(Sir Walter Scott, 1771 - 1832),『アイバンホー』(Ivanhoe)は1820年に発表した長編歴史小説.

スコット記念碑 エジンバラ 2008年9月
リチャード一世が不在の間,王位を狙う王弟ジョンが人気取りのために開催した馬上試合で,主人公のウィルフレッドを助けた黒い騎士(実は獅子心王リチャード一世)は,森の中で1人の僧(ロビンフッドの仲間の修道士タック)の元へ一晩の宿を借りた.酒を愛する陽気な僧はすぐに黒い騎士と意気投合し,酒盛りを始めて盛り上がる.その時タックがハープをつま弾きながら歌う “THE BAREFOOTED FRIAR. はだしの托鉢僧” の注としてこの唄の繰返し(ルフラン)が,古代ドルイドがヤドリギを集めるため,森に行く時にうたった聖歌に由来するとされている.なお,この注 (*) は『河出世界文学大系17 スコット』中野好夫訳1970,河出書房新社 の『アイバンホー』では訳されていない.

Chapter XVII

"Why," said the knight, "did you not tell me that this water was from the well of your blessed patron, St Dunstan?"
"Ay, truly," said the hermit "and many a hundred of pagans did he baptize there, but I never heard that he drank any of it. Every thing should be put to its proper use in this world. St Dunstan knew, as well as any one, the prerogatives of a jovial friar."
And so saying, he reached the harp, and entertained his guest with the following characteristic song, to a sort of derry-down chorus, appropriate to an old English ditty.

* It may be proper to remind the reader, that the chorus of
* "derry down" is supposed to be as ancient, not only as
* the times of the Heptarchy, but as those of the Druids,
* and to have furnished the chorus to the hymns of those
* venerable persons when they went to the wood to gather
* mistletoe.

THE BAREFOOTED FRIAR.
1.
I'll give thee, good fellow, a twelvemonth or twain,
To search Europe through, from Byzantium to Spain;
But ne'er shall you find, should you search till you tire,
So happy a man as the Barefooted Friar.

そう言うと、隠者はさっそく手を伸ばして竪琴を引き寄せ、次のようなざれ唄を歌って客をもてなした。それはイギリス古歌話に独特である一種のルフランがついたものだった。
「はだしの托鉢僧」
暇ならやろうぜ、一年、二年はやすい/ビザンチンからスペインかけて/探してごろうじ、足は棒にしても/またとはいまい、愉快なことじゃ、/はだしの坊主の上こす奴は。(中野好夫訳)

 トマス・ハーディー (Thomas Hardy1840 - 1928『ダーバヴィル家のテス』(Tess of the d'Urbervilles1891

Phase the First: The Maiden
5. CHAPTER V

The crimson brick lodge came first in sight, up to its eaves in dense evergreens. Tess thought this was the mansion itself till, passing through the side wicket with some trepidation, and onward to a point at which the drive took a turn, the house proper stood in full view. It was of recent erection--indeed almost new--and of the same rich red colour that formed such a contrast with the evergreens of the lodge. Far behind the corner of the house--which rose like a geranium bloom against the subdued colours around--stretched the soft azure landscape of The Chase--a truly venerable tract of forest land, one of the few remaining woodlands in England of undoubted primaeval date, wherein Druidical mistletoe was still found on aged oaks, and where enormous yew-trees, not planted by the hand of man grew as they had grown when they were pollarded for bows.

(軒まで縁の常磐木(トキワギ)におおわれたまっ赤な煉瓦の門番小舎がまっ先に目についた。テスはこれが屋敷だと思ったが、いくぶんどぎまぎしながら小門をくぐりぬけ、馬車道の曲がり角までくると、本邸がすっかり現われた。これは最近建てられたもの - 実際、新築といってもいいほどで、門番小舎の常磐木と著しい対照をなしている、同じまっ赤な色をしていた。周囲の落ち着いた色に比べてジェラニュームの花のようにそそり立っている、この屋敷の一隅のはるか彼方に、ご猟林のやわらかな藍色(あいいろ)の風景が見渡すかぎり広がっていた-まことに神々しい森で、疑いもなく原始時代からイングランドにわずかに残っている森林地帯の一つであった。ここにはドルーイド僧の崇拝した寄生木(やどりぎ)が檞(かし)の老木に今もなお見られ、人間の手で植えたのでないいちいの巨木が、弓を作るためにその頂を切られた昔そのままの姿で生えていた。『ハーディー「テス(上)」』井上宗次・石田英二訳,岩波書店 (1960) )

★ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow (1807-1882)  “Tegner's Drapa”
米国の詩人ロングフェローは,愛した詩人 Esaias Tegnér の死を北欧神話の美しい神,バルドルの死になぞらえて詠った.
『海辺と炉辺』 (The Seaside and the Fireside. 1850);

I heard a voice, that cried,
"Balder the Beautiful
Is dead, is dead!"

All things in earth and air
Bound were by magic spell
Never to do him harm;
Even the plants and stones;
All save the
mistletoe,
The sacred
mistletoe!

Hoeder, the blind old God,
Whose feet are shod with silence,
Pierced through that gentle breast
With his sharp spear, by fraud
Made of the
mistletoe,
The accursed
mistletoe!

(泣き叫ぶ声が響いた./美少年バルドルが/死んだ,死んだと
天地の全てのものが/彼を傷つけないと/呪文にかけられていたのに/草木も石さえも/ヤドリギをのぞいては/あの聖なるヤドリギを除いては
沈黙のくつをはく盲目の神へイダーは/あの優しい胸に突き刺した/だまされて作ったヤドリギの鋭いやりを/呪われたヤドリギのやりを)

2012年12月31日月曜日

セイヨウヤドリギ (4/6) 薬効 ディオスコイデス・プリニウス・カルペッパー

Viscum album
1978-12 Cambridge, U.K.
神秘的な力を持っていると信じられていたヤドリギには,多くの呪術的は,或は薬用的な作用があると考えられ,現在でも ”all-heal,all-healer” と呼んでいる地方もある.

Pedanius Dioscorides
古代ギリシアの医者、薬理学者、植物学者ペダニウス・ディオスコリデス(Pedanius Dioscorides 40年頃 - 90年)の有名な『薬物誌(Materia Medica)』には,” IXOS” の名でヤドリギの記述があり,「部分によっては有毒. 最善のixiaは新鮮な,内部はレーキのような緑色で,外側は薄黄色で,つるつるしていて,粉は吹いていない.これはオークの上に育ち,丸い実がなり,つげに似た葉をつける.実を砕き,洗って,水中で煮沸する.噛み砕く過程を加える人もいる.リンゴやナシの木の上にも育つ.等量の蝋や樹脂と混合すると,耳下腺の炎症による腫れや他の化膿に効果がある.夜間にのみ現れる吹き出物を癒す.- - また,乳香との混合物は潰瘍や悪性の化膿を柔らかくする.」などの効用が記されている.

また,古代ローマの博物学者プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus, 22 / 23 – 79)は,彼の “Naturalis historia 『博物誌』” (77 A. D.) の第二十四巻,6節に「迷信から,ヤドリギを新月後の第一日目に,鉄の刃物を使わず大地に触れないようにしてロブル(hard-wood oak)から採取すると,その効力がいっそう強くなり,癲癇を癒し,とりあえずただ身につけておくだけで女性が妊娠するのを助け,噛み砕いてつけると潰瘍を治すのに非常によく効く,と信じている人たちもいる」.また,これから製造される鳥もちの効用として,「(とりもちを造るのに)最上のものは,皮がなくて非常に滑らかで,外側は黄褐色で中身はリーキ(ニラネギ)のような緑色をしている.この鳥もちほどねばねばしているものはない.これには,炎症を鎮め,腫れを散らし,腺腫を乾かす作用がある.これに樹脂と蜜蝋を混ぜたものは,あらゆる種類の皮膚の膿瘍を鎮める.」と,彼が迷信と考えているのも含めて,ディオスコリデスの『薬物誌(Materia Medica)』に類似した多くの魔力・薬効を挙げている.

この,「癲癇を癒す」効用はヤドリギがほかの木に寄生して「地に倒れない」ことを癲癇(falling sickness)封じに結びつけたものとも,考えられるが,18世紀まではイギリス・オランダ辺りの医学者さえもその効能を信じていた.

Nicholas Culpeper

17世紀に活躍した英国の植物学者・本草家・医者・占星術師のカールペッパー(Nicholas Culpeper , 1616 –1654) は,その著書 ”English physician and complete herbal (1652) “ の数ページをヤドリギ(Misletoe)の記述に割いている.

そこには,抗炎症や鎮炎症の他に,「特にオークのヤドリギの粉は,40日間連続して内服,あるいは首から下げると,癲癇に効果がある.また,どんな種類のヤドリギの若木でも,それを傷つけて分泌される液を耳に入れると,数日の内に膿瘍によって引き起こされる問題が解決される.」とあり,また,その粉は胸膜炎にも著効があるとしている.

Culpeper の著書より
さらに,「(癲癇の治療には)ハシバミの木に着いたヤドリギがオークに付いたものより適しており,何年間も有名な医者にかかっても,効果がないどころか,症状がかえって悪化し,一日8~10回の発作を起こしていた若い女性が,満月に近い数日,早朝に6ペンス分のヤドリギの粉をblack cherry-water あるいはビールに入れて服用しただけで快方に向かった」と実例を挙げている.

現在では,勿論これらの効用は否定されているが,1916年にドイツのルドルフ・シュタイナーが提唱して以来,スイス・オランダ・イギリスの一部の医者が抽出物を抗がん剤 (Iscador または Helixo の名で売られているらしい) として使っている.

2012年12月26日水曜日

セイヨウヤドリギ(3/6) "Aurei rami", The Golden Bough, 金枝.フレーザー卿(Sir James Frazer)「金枝篇」

Viscum album
Dec.1978, Barcelona
セイヨウヤドリギは古代ローマ神話に現れる「金枝(Aurei rami, Golden bough)」 と考えられている.

Joseph M W Turner (1775-1851) The Golden Bough (1834)
この「金枝」は神・樹木・王をつなぐシンボルとして,著名な人類学者ジェームズ・フレーザー卿(Sir James Frazer, 1854 - 94)の著書「金枝篇(THE GOLDEN BOUGH, A STUDY OF MAGIC AND RELIGION)」のメインテーマとなっている.その書の中にはヤドリギと北欧神話の光の神・バルデルの死や,スイス・オーストリア・イングランド北部など欧州各地のヤドリギの伝承も取り上げられているが,メインはイタリアのネミ湖畔のディアナ神殿の祭司にまつわる伝承と,ローマ建国神話「アエネーイス」の挿話に現れる「金枝」である.

ローマの東,イタリア中部に位置する小さな村アリチア,近くの湖ネミ湖も湖畔にはかつては広大なディアナの神殿があったとされる.そこに伝わる伝説によれば,かつてはそこにディアナに仕える祭司がいて,彼はなぜか「森の王」という称号を持っていた.その任期は彼が殺されるまでである.したがってその職に就こうとする者は,その祭司と戦って彼を殺さなければならない.ただ戦う資格を持つためには,その前に必ずそこに茂るある樹の枝を折ることになっている.だから祭司もその枝を折らせまいと,昼も夜も抜身の剣をひっ下げてその樹のまわりを歩きつづけるのである.
この重要な木の枝が「金枝」であり,フレーザーは多くの伝承や神話からこれがオークの木に着いたヤドリギであると考えた.

古代ローマ黄金時代のウェルギリウス(70-19 B.C.)の建国叙事詩「アエネーイス」では,トロイア敗戦から逃れた王族アエネーアスが,新たな国を築くべく,父祖の地イタリアへの旅の途中で,亡父アンキーセースと再会するための冥府下りに必要な「黄金の枝」を求めて,どこまでも広がる陰欝な森に入る.
果てしない森をさまよったあげくに,アエネーアスは二羽の鳩の導きで、暗い影を落とす木々の向こうに、ゆらめく光が頭上のからまりあった枝を照らしているのを見て「黄金の枝」を発見するのだが,それはオークに着生したヤドリギのようだとされている.
Henry Matthew Brock (1875 – 1960)
From Lady FRAZER
"Leaves from the Golden Bough" (1924)
As, on the sacred oak, the wintry mistletoe,
Where the proud mother views her precious brood,
And happier branches, which she never sow'd.
Such was the glitt'ring; such the ruddy rind,
And dancing leaves, that wanton'd in the wind.
(Translated to English by John Dryden)

それはまるで宿り木のよう。いつも厳寒の冬至のころ、森の中に
新緑の葉を伸ばすが、親木とは種が異なり、
サフラン色の実でなめらかな幹を包む。
そのような光景を見せて、黄金が蔭深い常磐樫から
枝を伸ばしていた。そのように金箔がそよ風に鳴っていた。
(ウェルギリウス『アエネーイス』岡道男・高橋宏幸訳 2001)

しかし,前に述べたように(セイヨウヤドリギ (1/4)),ヤドリギは親木のオークが葉を落としても緑の葉を茂らせている.それゆえ,崇拝の対象のオークの命が冬の間も宿っているとして神聖視されていた.

ならばなぜ「黄金」と形容されるのか.フレーザーはそれに対して次のように答えている.
"It only remains to ask, Why was the mistletoe called the Golden Bough? The whitish-yellow of the mistletoe berries is hardly enough to account for the name, for Virgil says that the bough was altogether golden, stems as well as leaves. Perhaps the name may be derived from the rich golden yellow which a bough of mistletoe assumes when it has been cut and kept for some months; the bright tint is not confined to the leaves, but spreads to the stalks as well, so that the whole branch appears to be indeed a Golden Bough. Breton peasants hang up great bunches of mistletoe in front of their cottages, and in the month of June these bunches are conspicuous for the bright golden tinge of their foliage. "
「なぜヤドリギが「金枝」と呼ばれたのか。ヤドリギの実は白っぽい黄色だが、それだけではこの名がついた説明としては不十分である。なぜならウェルギリウスはこの枝が葉ばかりか茎まで黄金色だったといっているからだ。「金枝」と呼ばれたのはたぶん、切りとったヤドリギの枝を数か月おいておくと、見事な金色がかった黄色になるからだろう。その鮮やかな黄金色は葉だけではなく茎にまで及び、枝全体がまぎれもなく「金枝」に見えるようになるのだ。ブルターニュの農民は、ヤドリギの大枝を家の戸口に吊るしておくが、六月になると、その枝は輝く金色に染まってひときわ人目を引きつける。(フレーザー『図説 金枝篇』内田昭一郎・吉岡晶子訳 1994)」

フレーザーは『金枝篇』で,太古から綿々と続く「樹木=自然崇拝」の原点を「金枝」をキーワードにして解き明かそうとしたかに思われる.

2012年12月19日水曜日

セイヨウヤドリギ(2/6) クリスマス,kissing under the mistletoe,北欧神話,サートゥルナーリア祭

Viscum album
Dec. 1978, Market Square. Cambridge U.K. 
屋台の日よけには,セイヨウヤドリギの枝が吊り下げられ,25p で売られていた
クリスマスの時期,天井から吊り下げたりやツリーに飾ったヤドリギの下では,遠慮なく女性にキスすることが許されるという風習は,英語圏では今でも一般的である.

スペインからサンディエゴに戻ってきたケイトさん(英国人)に,ヤドリギの下でキスされたことある?と訊いてみたら,”It is custom that dates back from pagan times, and continues today. There are many songs about it, because of its romantic associations. When I was growing up, I remember that the adults in my ‘extended’ family would make a lot of fun about kissing under mistletoe, but it was always so innocent. My father would tease my 80-some year old aunt about catching her under the mistletoe!
I think that it has happened to me, but as you can tell, it was so unmemorable that I have no recollection. I am sure that I would have remembered if there had been romantic interest, but alas, that has never been the case!” とのこと.

老婦人に敬意を表するために,ヤドリギの下でキスをするのは,古くからの習慣らしく,チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens, 1812 - 70)の『ピクウィック・クラブ “Pickwick papers” (1836 - 1837)』第28章には,
"From the centre of the ceiling of this kitchen, old Wardle had just suspended with his own hands a huge branch of mistletoe, and this same branch of mistletoe instantaneously gave rise to a scene of general and most delightful struggling and confusion; in the midst of which, Mr. Pickwick, with a gallantry that would have done honour to a descendant of Lady Tollimglower herself, took the old lady by the hand, led her beneath the mystic branch, and saluted her in all courtesy and decorum.
この台所の天井の中心のところから、老ウォードル氏は自分自身の手でやどり木の大きな枝をたったいま吊るし終わったところ、そして、その同じやどり木の大きな枝が、みなの楽しいおし合いへし合いと混乱をひきおこしていた。その最中にあって、ピクウィック氏は、トリムグラウア夫人自身の子孫にも名誉となるほどの慇懃さで、老夫人の手をとり、彼女を神秘的なやどり木の下につれてゆき、すべての礼儀正しさと丁重さをこめて、彼女にキスをした。(北川悌二訳,ちくま文庫)" と,ピクウィックさんが老トリムグラウア夫人手を取ってヤドリギの下に導き,キスする情景が記されている(右図).

勿論,好きな少女にキスするためにこの機会を狙う若者もいて,米国のロック カントリー曲 “Hangin' 'Round the Mistletoe, ヤドリギの下をうろうろ” と言う歌では,” Well, I've waited all year long and nore the year is almost gone, Hangin' 'round the mistletoe, hangin' 'round the mistletoe” と一年間この機会を待っていた純情な青年の心情が歌われている (The Whites - "Hangin' Around the Mistletoe" Live at The Grand Ole Opry )

この風習の起源に関しては,いろいろな説があるが,北欧神話のバルドルの死と復活とヤドリギの挿話がオリジンというのが,一般的らしい.
光の神バルドルは,主神オーディンとのフリッグの息子で,母フリッグの寵(ちょう)愛を一身に受けていた美しい神であった。フリッグはバルドルに危害を加えないようにあらゆる被造物から誓約を取り,バルドルは不死身の子として,ほかの神々からも愛されていた.ところがフリッグが一見無力なヤドリギを見くびって,これから誓約を取ることを怠ったために,厄神ロキはこの事を探り出しヤドリギから矢を作った.
「そしてそこで、大地にも水にも根づいていず、一本のカシの木の幹から生えているもの、この(ずる賢い者-ロキ)が探しにきたものを見つけたのでした - ヤドリギの小枝です。その実は、淡い瞳が集まったかのようにほのかに輝いていました。葉は緑や黄緑で、その茎と小さな枝々や細い若枝は緑色でした。白昼の光の中では、それは静止していてこの世ならぬものに見えましたが、薄明かりの中では、いっそう奇妙でした。*」.
ロキは,バルドルの盲の異母弟ヘズにこの矢を与え,甘言をもってバルバドルに向かって投げさせたので(右図),バルドルは殺されてしまった。バルドルは葬儀の時に,悲しみのあまり死んだ妻のナンナと共に,船-リングホルン-の上で火葬にふされた.この後,神々と巨人族との間に起こる,終末の究極的な戦いラグナレク(「神々の黄昏」)を迎え,オーディンをはじめとして多くの神が死に,オーディンの神話の世界は滅ぶ。しかし,やがて新しい大地が浮かんでくると,バルドルはヘズと共によみがえってくる。

また,前記事に述べたドルイド僧の異教慣習の影響とも,冬至の後の太陽の復活を祝う古代ローマの農事の神,サートゥルヌス神を祝したサートゥルナーリア祭の遺習だとも云う.

いずれにせよ,この風習はキリスト教からすると「異教 pagan」起源であることは間違いない.キリスト教は土着宗教の信者を改宗させるために,土着宗教の祭日や慣習やシンボルを積極的に取り込んだことはよく知られている.クリスマスという祭日自身が,キリストの誕生日ではなく,冬至-太陽の復活-を祝う祭典の時期に重なっているのは,偶然ではない.

したがって,宗教的迫害を逃れて北米大陸に移住した清教徒(Puritan)は初期にはクリスマスを祝わなかったし,今でも教会で mistletoe の飾りつけを禁じている教区が多いとのこと.
一方,カソリックでは,そのような禁忌はないようで,米国で最も大きいカソリック系の大学,ワシントンD.C.にある The Catholic University of America では,毎年「ヤドリギ舞踏会,Mistletoe Ball」を開催している(左図).
日本でも七五三のお祝いをしているキリスト教会がカトリック系には多いそうだ.

*キーヴイン・クロスリイーホランド『北欧神話物語』山室静,米原まり子訳,(青土社,1994)

セイヨウヤドリギ(3/6) "Aurei rami", The Golden Bough, 金枝

セイヨウヤドリギ (1/6) プリニウス,ケルトのドルイド僧,鳥による種子散布,ターナー,ジェラード

2012年12月17日月曜日

セイヨウヤドリギ (1/6) プリニウス,ケルトのドルイド僧,鳥による種子散布,ターナー,ジェラード

Viscum album
 “Tierleben im Ornament” by G. Sturm, in Anton Seder ed. ‘Die Pflanze in Kunst und Gewerbe’ (1895)
最上段にはセイヨウヤドリギの実をついばむキレンジャクが描かれている
欧州では古くから神秘の植物として,古代ケルトの神事,北欧神話,キリスト教伝説,民間伝承など,地中海域からバルチック海域にいたるまで,ヨーロッパのフォークロアにゆかりが深い.

この植物を特に神聖視したのは古代ケルト族のドルイド僧で,樹木の王者と考えていた Oakに寄生したヤドリギ(‘Oak Mistletoe’)を神からの授かりものとして崇拝した.それは,この植物が地面には生えず,木の上にのみ生えることから,天から降りてきたものと考え,また本体のオークが葉を落としても青あおとしているヤドリギに生命力の源を見たのだろう.その採取には厳しい方式を守っていたとされる.

Rome: Sweynheim and Pannartz, 1470
ローマ時代の博物学者,ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus, 22 / 23 – 79)は”Naturalis historia 『博物誌』(77 A. D.) ” (写本,左図)の第十六巻,95節に「彼ら(ガリアのドルイド僧たち)は年頭の月齢6日の夜に白衣すがたで2頭の白い雄牛を連れてこれを捜しに出かけ,見つかれば,黄金の鎌(celt)でそれを切り取り,持ち帰って祭壇を飾った.切り取った茎は土に触れるのを忌み,それを白い袖なしの上着に受け止めた.そのあとで,神が自らの贈り物を,それを授かった人々のために幸いなものにしてくれるよう祈願しながら,犠牲のウシを屠る.彼らは,ヤドリギを飲み物にすると,子の生まれないどんな動物でも多産にすることができ,あらゆる毒物に対する解毒剤になると信じている.諸民族のつまらない事物に対する崇拝の念は,たいていの場合,これほどに強いものである.」と,記している.シーザーの『ガリア戦記』にあるように,当時のローマ帝国の北辺は現在のイングランドで,先住のケルト族との接触があったので,このような知識が入ってきたのであろう.

注目すべきは,第十六巻,93節で,「なおヤドリギは,どんな方法で種子を播こうと決して生育せず,ただ鳥,ことにハトとツグミの糞を通じてだけ生えてくる.これがヤドリギの性質で,鳥の腹の中で熟したものしか芽を出さない.大きさは,常緑でいつでも茂みをつくっているもの(ヒユフェアル=セイヨウヤドリギ)でも一クビトウム(約四四センチ)を越えない.ヤドリギは雄性のものには実がなるが,雌性のものにはならない(The male plant is fertile and the female barren.)ただし,実のなるはずのものでも時にはならないことがある.」と記していることで,種子の散布が鳥によって行われていること,雌雄は取り違えているものの,雌雄別株であることを認識していた事である.


この鳥による樹木への種子散布は中世の英国でも知られており,ウィリアム・ターナー(William Turner, 1508 - 68) の“A new herbal 『新本草書』”(1551 – 1568)には ‘The thrush shiteth out the miscel berries.’とあり,また,ジョン・ジェラード(John Gerard aka John Gerarde, 1545 – 1611 or 1612)“The herbal, or, General Historie of plantes 『本草あるいは一般の植物誌』”(1597) にも,”--- ; some of the learned have set downe that it came of the dung of the birde called a Thrush, who having fedde of the seedes thereof, as eating his owne bane, hath voided and left his dung upon the tree, whereof was ingendred his berry, --- “ とある(右図).(続く)

セイヨウヤドリギ(2/6) クリスマス,kissing under the mistletoe,北欧神話,サートゥルナーリア祭

2012年12月10日月曜日

ヤドリギ (2/2) 薬料,延喜式・本草和名・和名類聚抄・江戸本草書,ケンペル・ツンベルク

Viscum album subsp. coloratum
2003年3月 茨城県南部 十三面砂山
(承前) ヤドリギの葉や茎は漢方で婦人薬として使われている.

江戸時代まで最も権威ある中国本草書の集大成として認められていた,中国の明の李時珍選『本草綱目』(初版1596)木之四寓木(寓木類一十二種)の「桑上寄生」には,「【修治】曰︰採得,銅刀和根、枝、莖葉細銼,陰乾用。勿見火。【主治】腰痛,小兒背強,癰腫,充肌膚,堅發齒,長須眉,安胎(《本經》)。去女子崩中內傷不足,產後余疾,下乳汁,主金瘡,去痺(《別錄》)。助筋骨,益血脈(大明)。主懷妊漏血不止,令胎牢固(甄權)。」とある.ヤドリギが婦人にのみならず,小児の背の痛みに対してなど幾つかの薬効があるとされている.この書には他にも桃寄生,柳寄生が収載されているが,これらの記述は少ない.薬料としては「桑上寄生」が重要視されており,日本ではこれがヤドリギに当てられた.

日本でも,『延喜式』(927) の「巻三十七典薬寮」の「諸国進年料雑薬」には,毎年「阿波国」より「卅三種」の薬料が貢進されることになっていて,その中には「橘皮一斤。躑躅花四斤。芍薬,牡丹各三斤。細辛九斤。大戟。狼牙。茯苓。連翹。女萎各二斤。升麻十両。蒲黄八両。天門冬五斤。」などとともに「寄生廿斤。」がある.

NDL, WUL
以下に江戸時代までの主な本草書に於けるヤドリギの記載を拾うと,いずれも「桑上寄生」=「ホヤ,ヤドリギ」としている.(右図,右端より1 - 4)
★深根輔仁撰『本草和名』延喜年間(901 - 923)編纂「上巻,第十二巻 木 上卅七種,桑上寄生 和名:久波乃岐乃保也」(右図,1)

★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 [校](1617)「木類第二百四十八」(右図,2)

★東麓破衲編『下学集』(1444)「寄生 アトカキ,ホヤ 一名寓生」

★林羅山『多識編』(1612)「巻之三 木部四 桑上寄生 久和乃保也(ほや) 今案ニ 久和乃保也土利元(クワノヤドリギ)」(右図,3)

★岡林清達・水谷豊文著『物品識名-坤』(1809 跋)(右図,4)


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貝原益軒『大和本草』(1709) には,より詳しい記述があり(左図),「ヤドリキ ホヤ 寄生 諸木倶ニアリ 薬ニハ桑上ノモノヲ用ユ」と桑に付いたヤドリギが最も薬効が高いとしている.

 さらに,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806)「巻之三十三 木之四 寓木類」には,「桑上寄生  クハノヤドリキ」の項が設けられ「寄生 ヤドリキ(和名抄),ホヤ(同上),ヤドルホヤ(古歌),カラスノウヱキ(防州),トビキ(讃州)
 桑寄生 〔一名〕混沌螟姈,寓屑,寓童,桑生,桑木冬児沙里,桑絡,桑樹上羊児藤,桑上羊児藤,桑上牛児藤
 桑樹上ノヤドリキヲ桑寄生ト云。ヤドリキハ寄生ナリ。其木ノ余気ニテ生ズル者ニシテ、諸木共ニアリ。薬ニハ桑上ノ者ヲ用ユ。鳥他木ノ子ヲ食ヒ、糞樹上ニ落テ生ズルヲ寄生ト云ニ非ズ。保昇ノ説ハ誤ナルコト、宗爽ノ弁明ナリ。寄生ハソレゾレノ木ニ自ラ生ズ。故ニ各木ニ由テ葉実ノ形異ナリ。鳥ノ糞中ノ木子樹窼ニ落テ生ズル者モアレドモ、コレハ寄生ニ非ズ。桑寄生ハ隠州ノ産ヲ上品トス。凡ソ蚕ヲ養ハザル暖地ニハ、桑木採斫ノ苦ナキ故、木盛ニ茂り、木モ古クナリテ枝間ニ寄生ヲ生ズ。皮中ヨリ幹ヲ出シ、他木ノ枝ヲ挿タルガ如シ。枝葉両対シ、柳葉ノ如ク、躑躅葉ノ如クニシテ厚シ。葉間ニ円実ヲ結ブ。南天燭子ノ大ノ如シ。熟シテ淡黄色透徹シ内子見ユ。破レバ粘滑ナリ。隠州ノ産ハ葉他州ノ者ヨリ大ナリ。桜、柳、朴(エノキ)、梨等ノ寄生桑上ノ者ト形状相同ク、乾者節節相離レ、葉葉自ラ落。故ニ今薬家ニ販グ者多クハ和州芳野ノ桜寄生ナリ。桑上ノ者ハ枯テ枝葉共ニ黄色ナリ。
 他木ノ者ハ緑色ニシテ黄ナラズ。故ニ黄色ニ染テ偽ル者アリ。本草原始ニ、茎葉黄自採者真ト云。本草彙言ニ、其他木如松楓楡柳欅槲(カシワ)桃梅等、樹上間或赤有寄生、形頼相似、気性不同、服之反有毒ト云。本草●(氵+匚+隹)ニ別樹生者殺人ト云リ。松上、樅(モミ)上ノ者ハ葉、柞木(イヌツゲ)葉ニ似テ、狭細ニシテ厚ク色深シ。実ハ小豆ノ大ノ如シ。紅熟シテ味甘シ。櫧(カシ)上ノ者ハ、ヤシヤビシヤクト云。他ノ樹上ニモ生ズ。一名テンバイ テンノウメ テンリウバイ(加州)キウメ(土州)シャウイタドリ(同上) 葉ハ木ヒヨドリジヤウゴノ葉ニ似テ厚シ。花ハ梅花ニ似タリ。実ハ蒼耳(ヲナモミ)実ノ如シ。野州日光山ニ多シ。即、鄭樵。爾雅ノ註ノ蔦ナリ。」とある.
西欧ではローマ時代にすでにヤドリギ(セイヨウヤドリギ)は鳥が散布することを記しているが,小野蘭山は「其木ノ余気ニテ生ズル者」として,木が切られもせずに古木になったときに,その精気が余ってヤドリギが生ずるとしている.一方,形状の観察は鋭い.クワの木に生えたヤドリギは,薬用としての需要は多かったためであろう,他の木のヤドリギを黄色に染めた偽者が売られていることも記している.

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長崎出島に滞在したケンペル,ツンベルクもヤドリギの記録を残していて,ケンペル(1651 - 1716)の『廻国奇観』(1712)には,「生寄,Ksei, Jodoriki」と,漢字・漢名・和名とともに,”Viscum baccis rubentibus” とセイヨウヤドリギとの類似性を指摘し,江戸参府の途上,三河で観察したとしている(左図,左上).

カール・ツンベルクの『日本植物誌』(Flora Japonica)(1784)には,日本名は「Ksei, I(J)adoriki」であるとし,三河と長崎の植物園で見て,リンネが命名したセイヨウヤドリギ (Viscum album) と同定した(左図,左下).

シーボルトの弟子の伊藤圭介はツンベルクの『日本植物誌』を訳述した『泰西本草名疏』(1829) で,『日本植物誌』のViscum album に「ヤドリキ 寄生」を当てた(左図,右).

 現在では冒頭の学名のように,ヤドリギはセイヨウヤドリギの亜種と位置づけられている.(セイヨウヤドリギに続く)

2012年12月8日土曜日

ヤドリギ (1/2) 万葉集,延喜式,枕草子,源氏物語,芭蕉

Viscum album subsp. coloratum
08年11月 塩原 大沼園地
落葉広葉樹の森林が物寂しくなるこの季節,緑の団塊状のヤドリギが目につく.常緑の葉にクロロフィルをそなえて同化作用をする一方,宿主からも養分をとる半寄生の樹木.宿主樹木はエノキ・クリ・アカシデ・ヤナギ類・ブナ・ミズナラ・クワ・サクラなど幅広い.
日本のヤドリギ(中国・朝鮮半島にも分布)は,欧州で数多くの伝説に包まれるセイヨウヤドリギ “Mistletoe (Viscum album) “ の亜種とされる.セイヨウヤドリギの実がオパールのように白く半透明に熟すのに対し,淡黄色あるいは橙黄色になる.画像のように実が橙黄色になるものは,アカミヤドリギ f. rubro-aurantiacum と呼ばれる.

冬季,果実をキレンジャク・ヒレンジャク・カラスなどが好んで食べ,くちばしについた種子を樹皮でふきとったり,ふんとともに排泄した種子(シリクサリ)が樹皮に粘着して張り付くと、そこで翌年春から発芽して樹皮に向けて根を下ろし、寄生がはじまる.年内に本葉が2枚となり,年々1節ずつ伸び,2枚の対生した葉をつける.茎は二またに分かれる.それは主軸が成長を中止し両側の側枝が成長するためで,叉状分枝(ヒカゲノカズラ)と区別して,偽叉状分枝という.この枝の成長様式から株は球形となる.花は2~3月にかけて枝先にふつう3個つくので,果実も3個ずつ付く(左図,セイヨウヤドリギ Fucks 1542).

冬枯れの林に,緑の葉を茂らせていることから,万葉時代には長寿や永遠の繁栄の象徴として尊ばれていた.『万葉集』十八,4136には,越中の国庁に派遣されていた大伴家持が,天平勝宝2年(700)の正月の宴会の席で披露した,ヤドリギの古名「寄生(ほよ)」によせた祝いの歌が載る.
「天平勝宝二年正月二日、国庁に饗(あえ)を諸(もろもろ)の郡司等に給ふ宴の歌一首 「安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等理天 可射之都良久波 知等世保久等曽(あしひきの 山の木末(こぬれ)の寄生(ほよ)取りて 挿頭(かざ)しつらくは 千歳(ちとせ)寿(ほ)ぐとぞ)」(山の梢のから寄生(ほよ)を取って、髪に挿したのは、千年の命を祝う気持からです。「新編古典日本文学全集 萬葉集4」小学館).

また,平安時代には宮中の行事に使われたのか,『延喜式』巻第四十,造酒司の「践祚大甞祭供神料」の項には,「中取案/高闌料。檜葉真木葉各五担。弓弦葉(ユズルハ)寄生(ヤトリキ)各十担。真前葛(マサキノカツラ)日蔭山孫(ヒカケヤマヒコ)組各三担。---」とある(右図,国史大系 第13巻(経済雑誌社 編,1897-1901)).

「やどりぎ」はいくつかの古典文学に取り上げられているが,その多くがヤドリギではなく,大きな木の叉に鳥など運ばれた他の木の種が成長した「宿木」を題材にしたものと考えられる.

★清少納言『枕草子』(四七段)には「木は 桂。五葉。柳。橘。 そばの木、はしたなき心地すれども、花の木ども散りはてて、おしなべたる緑になりたる中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。 檀(まゆみ)更(さら)にもいはず。そのものともなけれど、やどり木といふ名いとあはれなり。榊、臨時の祭、御神樂のをりなどいとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前の物といひはじめけんも、とりわきをかし。」とあるが,単に名前の趣を楽しんでいるように思われる.

★紫式部『源氏物語』(宇治十帖)
『宿木(第七章 第五段)』 「宿り木と思ひ出でずは木のもとの 旅寝もいかにさびしからまし」
『東屋(第六章 第九段)』 「宿り木は色変はりぬる秋なれど  昔おぼえて澄める月かな」
『蜻蛉(第四章 第四段)』 「我もまた憂き古里を荒れはてば  誰れ宿り木の蔭をしのばむ」
「東屋」の歌では秋に葉の色が変わるので,「宿り木」は「ヤドリギ」ではないといえよう.

★芭蕉『発句集 笈の小文』には,「貞亭5年(1688)45歳 二月四日(網代民部雪堂)網代民部雪堂に會「梅の木に猶やどり木や梅の花(うめのきに なおやどりぎや うめのはな)」」

ヤドリギは本草綱目にも記載された薬効があるとして,薬として使用されていた.(続く