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Parkinson は “Paradisi in Sole (1629)”に形状や性状,利用法については細かく記しているが,名前に関しては,The Names “The first hath his name in his title (The flower of the Sunne). The second, besides the names set downe, is called of some Plantamaxima, Flosmaximma, Sol Indianus, but the most usuall with us is, Flos Solis: In English, The Sunne Flower, or Flowers of the Snne.” と太陽を追いかけるからだとは云っていない.
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ローマ時代の博物学者プリニウス (Pliny the Elder, 23 AD –79 AD) の「Naturalis Historia 博物誌」のBOOK II. AN ACCOUNT OF THE WORLD AND THE ELEMENTS. CHAP. 41. (41.)—OF THE REGULAR INFLUENCE OF THE DIFFERENT SEASONS.には,”One might wonder at this, did we not observe every day, that the plant named heliotrope always looks towards the setting sun, and is, at all hours, turned towards him, even when he is obscured by clouds.” (英訳,John Bostock) とあり,また第22巻,57節には「へリオトロピウムの驚くべき力についてはすでに何度か語ったが、これは曇りの日にも太陽に合わせて動くほど、この天体に強い愛着を抱いている。夜になると切ないかのごとく青い花をとじる。」(大槻真一郎責任編集「プリニウス博物誌 植物薬剤篇」八坂書房 1994)と記されている.
この和訳本では「へリオトロピウム(ヒマワリ、その他の向日性の植物)」とし,また渋沢龍彦『フローラの逍遥』(平凡社 1987)のヒマワリの項では,「プリニウスがへリオトロピウムと呼んだ植物は、たぶん今日へリオトロープという名で知られている、ムラサキ科に属する潅木のことだったらしい。園芸植物としてはペルー原産のものが知られているが、南ヨーロッパの原野に自生している種類もあったようである。」としている.
しかし,プリニウスの時代にはヒマワリも,現在ヘリオトロープと一般に言われている潅木の H. arborescens も欧州には入っていなかったことや,プリニウスのその後の記述にあるこの植物の草丈や花穂の形状から,このへリオトロピウムは南欧州に自生している H. europaeum の事であることが分かる.
17世紀になり,ペルーから花が大きく,その形も太陽に似ているヒマワリが入ると,地味な H. europaeum の「へリオトロピウム=太陽とともに回転する花」の地位を完全に奪い,絵画や彫刻のクリユティエはヒマワリとともに現れるようになった.しかし,欧州では現在でも H. europaeum はEuropean Turnsole, Europäische Sonnenwende, など,太陽の動きと関連付けられた一般名で呼ばれている.
Filippo Parodi (1630 –1702) “Clytie”
Charles de La Fosse (1636 – 1716) “Clytie changee en tournesol” 1688