2013年4月17日水曜日

アセビ (5/5) ツンベルク,英国・米国の園芸種, 属名の由来

Pieris japonica
ANDROMEDA JAPONICA By W. ROBINSON in
“THE GARDEN, AN ILLUSTRATED WEEKLY JOURNAL” (1878)多色石版

Thunberg "Flora Japonica"
日本産のアセビを海外に紹介したのは,江戸時代に長崎の出島に滞在した医師,ツンベルクで,『日本植物誌』(1784年)に Andromeda Japonica という学名をつけ,日本名として「シシクワズ」「シシガクレ」をあげている.これは長崎県の方言で,シシはシカのことであるが,ツンベルクはこの「シシ」を「ライオン」と誤解していた節がある(左図).

アセビ属(ピエリス)は発見されて以来,1834年にデヴィッド・ダンが新しい属を作るまでは,ヒメシャクナゲ属(アンドロメダス)に分類されていたので,このような学名がつけられた.

アセビ属には一〇種ほどがあるが,一種を除き,ヒマラヤから日本など,東アジア地域に産し,ただ一種アメリカアセビ(Pieris floribunda)が北アメリカ東南部に分布する.アセビ属も「東アジア・北米隔離分布」の一例である.

ヨーロッパに最初に紹介されたのはこのアメリカ産で,1821年までには英国にフィラデルフィアの園芸家ジョン・リオンによって導入されたと言われている.しかし,庭木としては東洋産の方が美しさに勝る.
詳しい経過はわからないがアセビ(Pieris japonica)は,1870 年までにはイギリスで栽培されるようになっていたことがわかっている.これは耐寒性があるが,温暖な地域の方が大きく育つ.三月,四月に花が開くので,時に悪天候のために花が駄目になってしまうこともあった.

ヒマラヤアセビ CBM tab. 8283 (1909)
ピエリスの中で一番美しいとの評価を得たのはフォルモーサ種(P. formosa)で,1858年に紹介されたヒマラヤ産の種である.イギリスの南西部でこの灌木は 20 フィートにまで成長するが,かなり寒さに弱いのでその他の地域では十分な保護が必要である.また,当初別の種であると考えられていたが,魅力的な斑点斑点をもつ変種のフォレスティー種の種子はプラントハンターのジョージ・フォレストが 1910 年頃に雲南からイギリスに送ってきた.

フォレストは,種子及び苗木を扱うビーズ商会の創始者,A・K・バリーの依頼によって収集したのである.寒さよけの設備がある庭では,この園芸種の炎のように赤い葉が比較的大きな白い花と同時に姿を現す.もっと寒い地域では,花のつぼみは秋にできるが,春になる前に落ちてしまいやすい.しかし赤い色の若葉は灌木を美しく飾る.

日本原産のアセビの耐寒性は交配親としての貴重である.英国のサリーのサニングディル種苗園で偶然に見つかった種,これは赤い葉が出る変種のフォレスティー(P. formosa var. forrestii)と耐寒性に優れたヤポニカ種との交雑であると言われているが,これには姿に似合った“森の炎”(Forest Flame)という名前が与えられている(左図).

また,米国においては,アメリカアセビ(P . floribunda)とアセビ(P. japonica)の交配種 'Brouwer's Beauty' などが,耐寒性に優れ,赤い新芽が美しく,グンバイムシに対する抵抗性が高いので,庭園樹としての評価が高い.

属名の Pierisギリシア神話に登場する地名ピエリア (Pieria) によっている.ダンがなぜピエリスを選んだのかについては何も述べていないが,文芸,美術を司る九人の女神,ミューズに由来すると考えられる.ミューズを崇める信仰は,オリンポスの北麓にあったピエリアという土地から起ったとされ,それゆえムーサはピエリデスとも呼ばれたらしい.九人のミューズがピエリスと呼ばれた理由はギリシアのテッサリア地方にあるピエラと呼ばれる場所でミューズが生まれたからであるとも言われるし,同じくテッサリアにあるミューズにとって神聖なピエルス山からその名前がついたとも言われている.その他,金持ちのテッサリア人ピエリウスの九人の娘がピエリスと呼ばれていたが,娘らはミューズと音楽の腕くらべをして負けたのでカササギに変えられてしまったという神話もある.

アセビ(4/5) 毒性・ウマ・シカ・『毒草を食べてみた』・ヒツジ・ヌートリア,殺虫薬

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