Aeginetia indica
2001年6月 茨城県南部 |
Linnaeus "SP2-2", p632 (1753) |
「ツユザヘモン,ナンバンギセル
達*按ルニ梅雨(ツユ)左衛門又幽霊草ト云 芸園家ニ銀竜艸ト呼 色甚白シテ鱗甲アリ 又一種一茎突出スルコト六七寸乃至一尺余 梢ヘニ牽牛(アサゴホノ)花ノ如ク亘(ワタ)リ一寸許ノ花ヲ生ス 俗ニ南蛮ギセルト云 トモニ菌ノ類也」(*松岡恕庵の本名,玄達の略と思われる)とあり(右図,NDL),菌類(キノコの仲間)として,ギンリョウソウ(ツユザエモン)の一種として記載されている.
その後,菌類ではなく,同じハマウツボ科のハマウツボとの類似性が認識されたようで,
小野蘭山『花彙』(1765)には,図と共に「草蓯蓉*(サウジウヤウ) ナンハンギセル
近山処々陰湿ノ地ニアリ三月苗ヲ生ス高サ五七寸茎円ク白シ又淡紅色ノ者又鱗甲(ウロコ)アル者アリ四五月花ヲ開ク一茎一花傾キ開ク其形烔管頭(キセルノカシラ)ノ如シ一種茎頭四花ヲ開クモノアリ」(左図,左端, NDL )とある.
勿論,この名前は西欧(南蛮)人たちが来訪して,そのマドロスパイプが見られて以降の名称で,それ以前は思草(オモイグサ),春駒草(ハルゴマソウ),蠅取草(ハエトリグサ),竹馬草あるいは煙管草(キセルソウ)と呼ばれていたと思われる.
伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)には「草花秋之部 竹馬草(ちくばさう)初中, 花形童幼のりてあそふたけ馬(むま)のごとく成 小草にして色むらさき 野ニ有」
同書「草木植作様之巻 ●ちやうせんあさがほ ●ちくば草, 右ハ二月中ニ種をまく 合肥を用て植ル ちくば草ハたね取にくき物なり」と,竹馬草として記載されている.
伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)には「草花秋之部 竹馬草(ちくばさう)初中, 花形童幼のりてあそふたけ馬(むま)のごとく成 小草にして色むらさき 野ニ有」
同書「草木植作様之巻 ●ちやうせんあさがほ ●ちくば草, 右ハ二月中ニ種をまく 合肥を用て植ル ちくば草ハたね取にくき物なり」と,竹馬草として記載されている.
岡林清達・水谷豊文『物品識名 乾』(1809 跋)「ヲモヒクサ キセルサウ ナンバンギセル 列當*一種」とある(上図,中央.NDL).
毛利元寿『梅園画譜 夏之部七』(春之部巻一序文
1825)(図 1820 – 1849)
「多識編山草類出 列當* ツチアケビ 草蓯蓉* 花蓯蓉*, 諸書出 竹馬草 ナンバンギセル ハマウツボ 日○(阝+镸)草, 丙午六月廿七日 採巣鴨原 真写」と1840年の旧暦六月に巣鴨の原で採取した個体を実写したと記している(上図,右端,NDL).
(*いずれもハマウツボの漢名)
(*いずれもハマウツボの漢名)
三重本草「竹馬草」,和漢三才図会「竹馬」,豊国「春駒」 |
薄などの背の高い草の陰で,うつむいて咲く花を「誰かをひっそりと思っている」と見立てたり(おもいぐさ),葉がないほっそりとした茎の上に比較的大きな花が載っている様を,張子の馬の頭を竹の胴につけた玩具「竹馬」や「春駒」に例えた(春駒草,竹馬草)のであろうが,南蛮煙管よりは風情がある.
(右図,中央『和漢三才図会「竹馬」,右,歌川豊国(1769-1825)「けはひ坂の少々 岩井粂三郎」(1820)部分,「春駒」早稲田大学演劇博物館.
(右図,中央『和漢三才図会「竹馬」,右,歌川豊国(1769-1825)「けはひ坂の少々 岩井粂三郎」(1820)部分,「春駒」早稲田大学演劇博物館.
万葉集に現われた思草(オモイグサ)がナンバンギセルと比定された経緯は次号ナンバンギセル(2/4-4/4)で.
ナンバンギセル (2/4) 万葉集「おもひくさ」,和泉式部,源通具,順徳天皇,藤原定家,仙覺,由阿,北村季吟,契沖,荷田春満,貝原益軒,小野蘭山
ナンバンギセル (3/4) 万葉集「思ひ草」本居宣長『玉勝閒』,『物品識名』,『和訓栞』,前田曙山『曙山園芸』,久保田淳
ナンバンギセル(4/4) 地方名,「おもいぐさ」(千葉・柏),「かっこ-へのこ」(岩手),方言,中国名,薬効,源氏伝説
ナンバンギセル (2/4) 万葉集「おもひくさ」,和泉式部,源通具,順徳天皇,藤原定家,仙覺,由阿,北村季吟,契沖,荷田春満,貝原益軒,小野蘭山
ナンバンギセル (3/4) 万葉集「思ひ草」本居宣長『玉勝閒』,『物品識名』,『和訓栞』,前田曙山『曙山園芸』,久保田淳
ナンバンギセル(4/4) 地方名,「おもいぐさ」(千葉・柏),「かっこ-へのこ」(岩手),方言,中国名,薬効,源氏伝説
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