2016年4月28日木曜日

ツリフネソウ-2 坐拏草 本草圖譜,本草図譜名疏,草木図説,草木図説目録,増訂草木図説

Impatiens textorii
2006年9月 茨城県北部
前記事にあるように,江戸末期から明治にかけて「ツリフネソウ」の漢名として「坐拏草」を記した植物書がある.岩崎灌園や小野職愨(小野蘭山の玄孫),白井光太郎はこの漢名を採用し,牧野富太郎も一時この考定を記録した.この「坐拏草」は,『本草綱目卷十七 草之六 毒草類」には現れる.しかし,貝原益軒や稲生若水の和刻では,対応する和名が記されておらず,小野蘭山の「本草綱目啓蒙」でも「坐拏草 詳ナラズ。〔附録〕押不蘆 詳ナラズ」と特定の植物は考定されていない(後述).後年牧野はこの考定を取り消し,現在では「ツリフネソウ=坐拏草」は誤りとされている.

★岩崎灌園(17861842)『本草圖譜 巻之二十三 毒草部』(刊行1828-1844)
一種 うづらぐさ,  一種 白花つりふねさう,  坐拏草 (NDL)
坐拏草(ざどさう)
つりふねさう よこくもさう ほらかひさう
武州道潅山水濕の地に多し春月實より生す莖ハ鳳仙に似て紅色葉濶し鋸歯あり
夏秋の間花あり形又鳳仙に似て紅色實又鳳仙に似て細し葉莖味ひ微し酸しよこくもさうを充るハ古説なり鳳仙の次の條にありて坐拏の形をいふものか又楚頌の説に六月開紫花結レ實采其苗藥甚易得と云ふあり」
「一種 白花つりふねさう
摂州及江戸稀にあり形状全種と異ることなし但莖淡緑色にして花白色なり」
「一種 うづらぐさ きつりふね
相州大山邉に多く實より生ず莖ハ鳳仙に似て細く透徹す葉は薄荷に似て鋸歯粗く紫の斑ありて鶉の羽に似たり故にうづら草の名あり
花ハ夏月開く形坐拏草(ヨコクモサウ)に似て黄色實も似たり實に觸れハ急に裂破れて實飛散る」

★本草図譜刊行会『本草図譜名疏 巻之二十』(1916-1921),和名考訂 白井光太郎,學名考訂 大沼宏平
「解説 坐孥草
〔和名〕つりふねさう. 一名 よこくもさう. 一名 よこむらさき(大田澄元,本草記聞), 一名 ほらかひさう(本草要正)
(學名)Impatiens textorii Miq.
一種 白花つりふねさう*
(學名)Impatiens textorii Miq. var albiflora K. Ohnuma
一種 うづらぐさ. 一名きつりふね.(學名)Impatiens noli-tangere L.

*和名:シロツリフネ(Impatiens textorii Miq. f. pallescens (Honda) H.Hara)か?

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852年ごろ,出版 1856 - 1862

黄ノツリフ子サウ, 紫ノツリフ子サウ, 上条一種 (NDL)
「黄ノツリフ子サウ 鳳仙花ノ属
溪間濕地ニ生ス.莖二三尺多液柔滑ニシテ節々膨起シ。有柄葉ヲ互生ス形橢圓ニシテ粗鋸齒アリ。色淡緑ニシテ光ナク。往々暗赭色ノ斑アルモノアリ。夏梢葉腋ニ寸餘ノ花莖ヲダシ。数梗ニ分レテ葉間ニ垂レ毎頭一花ヲ下垂ス。蕚圓尖二葉。花体螺ノ如ク尖尾長シテ曲リ唇大ニシテ二辧。帽小ニシテ一辧。ソノ状頗ル奇ナリ。故ニホラガヒサウノ名アリ。黄色ニシテ裏ニ赭赤ノ細點アリ。雄莖五莖帽唇相會スル処ニツキ。子室ヲ圍ミ葯下ニ至テ共ニ併合ス。葯亦相摂スルコト鳳仙花ト轍ヲ同ウス。子室角様ニシテ尖鋭。熟後折開スルコト亦鳳仙花ト同シ 附蘂廓大圖
第七種
Impatiens noli-tangere(インパチーンス ノリ タンゲレ)羅 Europisch Springzaad(エウロピス スプリングサード)蘭
Croydeken en Roert my niet.(コロデケン エン ルールト メイ ニート)鐸氏*
*書中又時々鐸氏ト云フ是レ「ドドネウス」氏(Rembertus Dodonoeus 即チ R. Dodoenus)ニシテソノ書ハ Cruydt-boeck ナリ西暦一千六百十八年(元和四年)和蘭国「ライデン」府ニ於テ出版セルモノナリ.(牧野富太郎『増訂草木圖説』「巻末ノ言」)
紫ノツリフ子サウ
大段黄花ノ品ト同シテ。葉稍大ニ形尖鋭ニシテ鋸齒細密。色深緑莖柄共ニ紅紫色ヲ帯フ花形黄花ノ者ト同ジケレドモ尖尾巻囘シ。辧色淡紅紫。體尾ニ於テハ差浅ク。裏面ニ紫細點アリ生殖部黄花ト同シ
按上条ノ一種ニシテ西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ」
上条一種
木曽山中水側濕地ニ生ス。形状都テ紫ノツリフ子サウニ同ウシテ小。高僅ニ尺許。花最小ニシテ短ク。嘴下ニ曲テ後ヘノビず。間最短キヲ交ウ。両廓大圖ヲ以テ其状ヲ示ス。五雄蘂平扁ニシテ子状ニ起リ。葯下ニ於テ各蘂分岐シテ互ニ相連ル。葯白色。子室細長ニシテ鮮緑色。一柱ヲナシ柱頭亦白色
按西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ」

 
★田中芳男, 小野職愨 選『草木図説目録. 草部』(1874)博物館
「(六五)キツリフ子 吊胡蘆〔鳳仙科〕
(65) KI-TURIFUNE. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS NOLI-TANGERE L.
(六六)ツリフ子サウ 坐拏草〔鳳仙科〕
(66) TURIFUNESŌ. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS TEXTORI MIQ.
(六七)ミヤマツリフ子  〔鳳仙科〕
(67) MIYAMA-TURIFUNE. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS PARVIFLORA. D. C..

小野職愨(もとよし)(1838 – 1890) 幕末-明治時代の植物学者.小野職孝(もとたか)の子.小野蘭山の玄孫.蘭山や父の影響をうける.維新後大学南校(東大の前身)にまなび,文部省博物局にはいる.近代植物学の普及につくし,「新訂草木図説」「毒品便覧」などをあらわした.

田中芳男 (1838 – 1916) 幕末-明治時代の博物学者,官僚.伊藤圭介に師事.蕃書調所にはいり,慶応3年パリ万国博覧会に参加.維新後は文部省,内務省,農商務省で博覧会開催や博物館の建設,殖産興業につくす.駒場農学校の創立,大日本水産会,大日本農会の設立などにも貢献.著作に「有用植物図説」など.

★故飯沼著述 牧野富太郎 再訂増補 四輯『増訂草木図説 草部(1912) 成美堂
「○第六十三圖版
キツリフ子 吊胡蘆
Impatiens noli-tangere L.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
溪間濕地ニ生ズ、莖二三尺多液柔滑ニシテ節々膨起シ、有柄葉ヲ互生ス形橢圓ニシテ粗鋸齒アリ、色淡緑ニシテ光ナク、往々暗赭色ノ斑アルモノアリ、夏梢葉腋ニ寸餘ノ花莖ヲダシ、数梗ニ分レテ葉間ニ垂レ毎頭一花ヲ下垂ス、蕚圓尖二葉、花體螺ノ如ク尖尾長シテ曲リ唇大ニシテ二辧、帽小ニシテ一辧、ソノ状頗ル奇ナリ、故ニホラガヒサウノ名アリ、黄色ニシテ裏ニ赭赤ノ細點アリ、雄莖五莖帽唇相會スルノ處ニツキ、子室ヲ圍ミ葯下ニ至テ共ニ併合ス、葯亦相摂スルコト鳳仙花ト轍ヲ同ウス、子室角様ニシテ尖鋭、熟後折開スルコト亦鳳仙花ト同ジ、附蘂廓大圖
第七種
Impatiens noli-tangere(インパチーンス ノリ タンゲレ)羅 Europisch Springzaad (エウロピス スプリングサード)蘭
Croydeken en Roert my niet.(コロデケン エン ルールト メイ ニート)鐸氏」
「○第六十四圖版
ツリフ子サウ 坐拏草
Impatiens Textori Miq.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
大段黄花ノ品ト同シテ、葉稍大ニ形尖鋭ニシテ鋸齒細密、色深緑莖柄共ニ紅紫色ヲ帯ブ花形黄花ノ者ト同ジケレドモ尖尾巻囘シ、辧色淡紅紫、體尾ニ於テハ差浅ク、裏面ニ紫細點アリ生殖部黄花ト同ジ、
按上条ノ一種ニシテ西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ、」
「○第六十五圖版
ミヤマツリフ子
Impatiens japonica Franch. et Sav.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
木曽山中水側濕地ニ生ズ、形状都テ紫ノツリフ子サウニ同ウシテ小、高僅ニ尺許、花最小ニシテ短ク、嘴下ニ曲テ後ヘノビズ、間最短キヲ交ウ、両廓大圖ヲ以テ其状ヲ示ス、五雄蘂平扁ニシテ子状ニ起リ、葯下ニ於テ各蘂分岐シテ互ニ相連ル、葯白色、子室細長ニシテ鮮緑色、一柱ヲナシ柱頭亦白色、
按西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ、

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