Impatiens
textorii
ツリフネソウ 2004年10月 渡良瀬遊水地 |
古代エジプト第18王朝の若くして亡くなったファラオ,ツタンカーメン(紀元前1342頃 - 紀元前1324頃,在位:紀元前1333頃 - 紀元前1324頃)の墓から発見された,埋葬時にささげられた花束には,ヤグルマギクなどと共に,マンドレイクの実のついた茎が入っていて,これらの植物の開花や結実の時期から,埋葬されたのは,三月中旬から四月下旬と推定されている.マンドレイクはナイル流域には自生しないことから,中近東から移入され庭園で栽培されていたと思われる.(H. Carter “The Tomb of Tut-Ankh-Amen: Discovered By The Late Earl Of
Carnarvon And Howard Carter, Volume II”, Cambridge Library Collection)
また,マンドレイクをモチーフにした壁画や,腕輪(右図)などの装飾品,調度品等の副葬品が多く発見されていて,特に王妃アンケセナーメンがその実の束を王に手渡している絵(左図)からも,当時からこの実は「愛」の象徴とされていたと考えられている.また,軟膏を入れる貴石製の容器には,様式化されたマンドレイクの根が描かれ,鎮痛薬としてマンドレイクの根が配合されていた可能性を示唆する.
スカラベとマンドレイク +スイレンの腕輪 |
また,マンドレイクをモチーフにした壁画や,腕輪(右図)などの装飾品,調度品等の副葬品が多く発見されていて,特に王妃アンケセナーメンがその実の束を王に手渡している絵(左図)からも,当時からこの実は「愛」の象徴とされていたと考えられている.また,軟膏を入れる貴石製の容器には,様式化されたマンドレイクの根が描かれ,鎮痛薬としてマンドレイクの根が配合されていた可能性を示唆する.
★『旧約聖書』の「創世記 第三十章 14節」に,” During wheat harvest, Reuben went
out into the fields and found some mandrake
plants, which he brought to his mother Leah. Rachel said to Leah, “Please give me some of your son’s mandrakes.”” と,ヤコブの第一夫人のレアの息子,ルベンが野から持ってきたマンドレイクを,第二夫人のラケルが受胎のためにもらい受けたとの説話が記されており,文語訳,口語訳聖書ではそれぞれ,「戀茄(こひなす)」「恋なすび」と和訳されていて,受胎誘起作用が期待されている.ただし中世から,まだ幼いルベンが摘んできた植物は,マンドレイクではなく,花の美しい他の植物ではないかとの異論もある(Geralde).
また,ソロモン王(紀元前1011年頃 - 紀元前931年頃)が詠ったとされる「ソロモンの雅歌 第七章 13節」には,” The mandrakes give forth fragrance,
and beside our doors are all choice fruits, new as well as old, which I have
laid up for you, O my beloved.” とあり,それぞれ「戀茄」「恋なす」と訳されていて,果実のリンゴに似た香りには催淫作用があるようにも読める.
帝政ローマ期の政治家及び著述家,フラウィウス・ヨセフス(Flavius Josephus, 37 - 100頃)の★『ユダヤ戦記
“The Jewish War”』の 紀元 70 年のエルサレム陥落を描写した第六章には,エルサレムの近くのバアラス(Baaras)という土地には,同名の植物が生育していて,その根には魔に取りつかれた病人から悪魔を追い出す効果がある.しかし,根の採取には,犬を使わないと危険であると,歐州中世のマンドレイクの伝説に通じる記載があり,このバアラスがマンドレイクであろうと考えられている.
” But still in that valley which
encompasses the city on the north side there is a certain place called Baaras, which produces a root of the same name with
itself its color is like to that of flame, and towards the evenings it sends
out a certain ray like lightning. It is not easily taken by such as would do
it, but recedes from their hands, nor will yield itself to be taken quietly,
until either the urine of a woman, or her menstrual blood, be poured upon it;
nay, even then it is certain death to those that touch it, unless any one take
and hang the root itself down from his hand, and so carry it away. It may also
be taken another way, without danger, which is this: they dig a trench quite
round about it, till the hidden part of the root be very small, they then tie a
dog to it, and when the dog tries hard to follow him that tied him, this root
is easily plucked up, but the dog dies immediately, as if it were
instead of the man that would take the plant away; nor after this need any
one be afraid of taking it into their hands. Yet, after all this pains in
getting, it is only valuable on account of one virtue it hath, that if it be
only brought to sick persons, it quickly drives away those called demons, which
are no other than the spirits of the wicked, that enter into men that are alive
and kill them, unless they can obtain some help against them.” (“The Works of
Flavius Josephus, Translated by William Whiston, [1737]”).
陥落するエルサレム エルコレ・デ・ロベルティ(Ercole de' Roberti, 1451頃 - 1496) |
〔一度引き抜けば〕手で扱っても安全である。この植物はこのように危険きわまりないものにもかかわらず、人びとに珍重される治癒力が認められている。すなわちこの根を病人の患部に当てるとそうしただけで、悪鬼(デイモニア)と呼ばれるもの - それは邪悪な者たちの霊で、生きている者〔の肉体〕に入り込み、手当てしなければ死ぬ - がたちどころに追い出されるからである。」(フラウイス・ヨセフス著,秦剛平訳『ユダヤ戦記 III』(1997)山本書店)
冬のアルプスを象と共に超えてローマに進攻した逸話で有名なカルタゴの猛将ハンニバル・バルカ(Hannibal Barca, 247 B.C. – 183/182
B.C.)
の部下マハルバル(Maharbal)は,反乱を起こしたアフリカの一種族に,彼らが酒好きなのを知って,マンドレイクを入れたワインの甕を残して敗退を装って陣地を明け渡した.その後,勝利の美酒に酔いしれ,マンドレイクの麻酔作用で無力になった敵軍を散々に打ちのめしたと,フロンティヌス(Sextus Julius Frontinus, 40 A.D. – 103 A.D.)はその著書★『戦術書 “Stratagems”』の第二巻に記している.
“Maharbal, sent by the Carthaginians
against rebellious Africans, knowing that the tribe was passionately fond of
wine, mixed a large quantity of wine with mandragora,
which in potency is something between a poison and a soporific. Then after an
insignificant skirmish he deliberately withdrew. At dead of night, leaving in
the camp some of his baggage and all the drugged wine, he feigned flight. When
the barbarians captured the camp and in a frenzy of delight greedily drank the
drugged wine, Maharbal returned, and either took them prisoners or slaughtered
them while they lay stretched out as if dead. (”Sextus Julius Frontinus: Stratagems” Loab edition, 1925 Translated by
Charles E. Bennett. )「私訳:カルタゴからアフリカの反乱軍鎮圧に送られたマハルバルは,その部族がワインに目のない事を知って,毒死と催眠作用をもたらす中間の量のマンドレイクを混入したワインを大量に用意した.見せかけの小競り合いの後,彼はわざと敗退した.真夜中にいくつかの荷物と,薬物を混入したワインとを幕営地に残して,退却を装った.野蛮人たちがキャンプを占領し,大喜びでそのワインをウワバミの如く飲んだ時,マハルバルは戻ってきて死んだように寝込んでいる彼らを捕虜にしたり,虐殺したりした.」
地中海沿岸に自生している薬効の大きなこの植物は,古くから薬剤としての効用と共に,ふしぎな伝説を付け加えられて記録に残る.次は古代ギリシャ・ローマの著作のいくつからマンドレイクの記事を記す.
0 件のコメント:
コメントを投稿