Helianthus annuus CHRYSANTH: PERVVIANVM MAIVS ET MINVS
ヒマワリが歐州に渡来してしばらくは,物珍しさと花の豪華さ,草丈の高さで大きな人気を博した.多くの植物図譜に描かれたが,初期の銅版植物画集として名高いクリスピン・ド・パス(Crispijn
de Passe, 1590頃-)の『花の園
“Hortus floridus”』(1614) にも二種のヒマワリが描かれている.この図集は植物図譜,兼,塗り絵・絵手本として作成されていたようで,線画の図には植物の説明と共に,植物のそれぞれの部位に塗る絵具の色を細かく指定している.
Crispijn de Passe 『花の園 “Hortus floridus”』 (1614) (Biblioteca Digital del Real Jardin Botanico de Madrid) |
日本でも画家の絵手本として,橘保国『絵本野山草』及び河村琦鳳『琦鳳画譜』に収載されている所を見ると,実際には見ることがなくても描く画家の需要があったのかと思われる.
クリスピン・ド・パス(クリスペイン・ファンド・パス,またはクリスピヌス・パセウス)は,オランダの有名な彫版師の家系の出身であり,たぶん1590年ごろケルンで生まれた.いずれにせよ,1614年,すべてをビユランで彫版した二百点以上の図が入った長方形クォート判の『花の園』が出版された時点ではまだ非常に若かった.というのはこの著作はクリスビンの「最初の成果」と評されており,クリスピンはその後五十年以上は生存していた.一六一七年に,それまで五年間生活していたユトレヒトを去り,パリに赴いて,父親の彫版工房の代表者として定住した.パリでクリスピンは,王宮の小姓や上流階級子弟の教育のための「マネージュ・ロワイヤル」の絵画の指導教授に任名された.その後の十二年間に多数の書物のために図版を彫ったが,もっとも重要な作品はA・ド・プリユヴィナルの騎士たちに乗馬の手法を教える『マネージュ・ロワイヤル』(Manegie
Royal, 1623年)の挿図である.晩年は,オランダで家族とともに過ごし,ほとんどまとまった仕事はしなかった.そして,どうやら,発狂して死んだらしい.1)
この書の主要部は四章に分けられていて四季に対応している.図に添えられている短い説明文は,初版はラテン語であったが,フランス語,オランダ語,そして英語の説明文をもつ版が直ちに現れた.
“CHRYSANTH: PERVVIANVM MAIVS ET MINVS,(大・小二種のペルーから来たキク)” の表題のもと,
「ヒマワリ “Chrysanthemum Peruvianum (ペルーの菊)”
は巨大な一年草で,非常に背の高い茎を持っているので,イタリアでは
“pianta massima (最大の植物)” と呼ばれる.ペルーやアメリカの地方で見出され,そこからもたらされた.マドリードの王立植物園に播種された時には,24フィートの高さに成長した.またイタリアのパドアでは40フィートに達したと記録されている.しかし,我々の住む地方(In nostris a Provintiis,北海沿岸低地帯(the Low
Countries))では,背の高い人の背を越すことは稀であり,冬になるまで秋を生き延び,寒気の厳しさに順化されたとしても,完全に成熟した花をつける事はない.これは腕の太さの直立した幹を伸ばす.葉は非常に広く縁には鋸歯がある.
花の形はある程度
“Chrysanthemo vulgari
(corn marigold)*” の花に似ているが,すっと大きく素晴らしい豪華さを授かっている.中心部の花盤または円形部の直径は1フィートを2から3インチ越え,独立した花辧でぐるりと囲まれている.この花弁は,”Lilij purprei maioris**, (greater purple lily)” のそれに似ているがもっと大きく,黄金色をしている.最終的には,これらの花辧は散って,縦長の平べったい種が中央の黄色い円形部に残る.でこぼこした鬚根はあまり発達していない.この花は太陽に向かって自ら向きを変えるといわれている.あまり不快ではない匂いを発する.
左:Chrysanthemum segetum.Svensk botanik vol. 7: t. 496 (1812) (from Plant Illustrations), 右:着色圖 |
小型ヒマワリ “Minus Chrysanthemum Per” は7から8フィートに達することは稀である.幹からは枝を出し,その枝には時々花をつける.」(私訳)の説明文がある.
Lilium purpureum maius (L) Dodoens "Stirpium historiae pemptade" (1583) (R) Besler "Hortus Eystettensis"(1620) |
** Lilij purpurei maioris, (greater purple lily):ドドネウスのヒマワリの記述文でも花弁の形の基準とされている.
ドドネウスの「ペンターデス植物誌」の p 198-199 に “LILIUM purpureum majus. minus” の項と図もあり,欧州原産の花径が4-6㌢の小型のユリ,Lilium bulbiferum (Orange lily) と思われる(左図.左).記述文には花色について,"colore vero rubro ad croceum inclinante multis exiguis nigris quasi punctulis, literarum quarundam veluti rudimentis, respersi:(色は赤から黄色で,まるで初学者が文字をいい加減に書いたような黒い斑点がある(私訳)"とある.
このユリの花色がオレンジ色なのに,LILIUM purpureum (紫百合)と呼ばれているのは,ローマ時代からの伝統で,”Pliny has quite a long section (IX, 124-141) dealing with purpura. It is plain from this that the colour referred to was usually a deep red tinged with more or less blue, our " purple " in fact, the most esteemed variety being like clotted blood.” (Loeb 版 PLINY: NATURAL HISTORY, BOOK XXIV. RACKHAM (1945))とあるように,「purple, 紫」は広いスペクトルを持っていて,この花の色はその範疇に入っていたから,古くからこのような名で呼ばれていたのであろう(上図右:Besler "Hortus Eystettensis"(1620)).
“CONTENANT LA DESCRIPTION DES COVLLEVRS DES
FLEVRS. DE L’AVTOMNE” で,「ヒマワリ(the mary golde of some and the
lesser marigolde of peru)」には,読者には次のような塗る色の指示がある.「ぐるりと出ている舌状花(リーブス)は,にごりのない鮮黄色(マスティコット)で,もし鮮黄色が強烈でなければラック赤を少し添えて調節しなければならない.そして光沢感を出して,くすんだ黄色で陰影をつける.その内側の部分は漿果類(ベリー)にみられる黄色でなければならず,その部分で突き出ている頂点の星々〔筒状花〕は舌状花と同じ色になるよう配慮されねばならず,さらに内側の褐色環はこの花のすべての色彩のうちではもっとも沈んだ色合いである.黄色の舌状花の背後の総苞(リーブス)はきわめて明瞭に表現せねばならない.というのはそれらは緑色だからである.これらの総苞(リーブス)と軸枝の部分は黒ずんだ黄色および灰色で陰影をつけねばならぬ.そして白色や鮮黄色を上にぬらなければならない.」(英訳本からの和訳)1) と非常に細かい.
この指示に従って色が塗られた図と思われる絵を示す.
この指示に従って色が塗られた図と思われる絵を示す.
1)
ウィルフリッド・ブラント『植物図譜の歴史 芸術と科学の出会い』森村健一訳,八坂書房 (1986) の記事(一部改変あり)
★橘保国『絵(画)本野山草』(1755)には「「丈菊」日向葵(ひうかあをひ)といふは、長(たけ)七八尺、花の大さ七八寸、色黄にして春菊に似たり。かたち、岩畳(がんでう)に見えて柔なり。此はな、朝は東に向ひ、日中には南に回り、夕陽の比(ころ)は西にむかひ、大陽を追ふ。よって、日草とも名つく。合歓木(ねふりのき)は夕に葉をたゝみ、朝に開く。其外、朝に開き、夕に葩(はなひら)を抱(かかゆる)花多し。丈菊ひとり、大陽にむかひ回る。東坡(とうば)の詩に、李陵衛、律陰山二死ス。葵花ノ大陽ヲ識ルニ似ズ、と云にひとし。七八月花。」とある(左図).
しかし図では多くの枝を打ち,花弁の先が丸く,むしろ現在メキシコヒマワリと呼ばれる近縁種に似ている.また,他の図には時々ある花弁や茎葉の色の指定はない
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左:シュンギク, 右:画本野山草 高麗菊(春菊) |
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ただ,橘保国の記述や絵には間違いがあることが知られている.また「本書は全163項目から成るが,うち半数の82項が菊池成胤★『草木弄葩抄』(1735) の記文の全部あるいは一部の転写である(磯野直秀).」しかし,『草木弄葩抄』には「丈菊(日車)」の項は見出せなかった.
もう一つ,ヒマワリが描かれた絵手本本は,★河村琦鳳(1778-1852)画の『琦鳳画譜』(一雲道人序 吉田新兵衛板1824〉で,何度か版を重ねたこの書で,植物のみを描いた図譜は,全三〇図譜の内,このヒマワリ図だけで,他は植物と動物,働く職人,龍や虎,神話上の人物などである.この図は P Hulton & L Smith ”Flowers in Art -From East and West”,
British Museum Publications Ltd. (1979) にモノクロながらも British Museum 所蔵の,注目すべき日本のボタニカル・アートの一つとして掲げられている(p 104).
なお,他の日本の書籍や図譜に於けるヒマワリの画像は,前のブログ「ヒマワリ (7) 花の裏側図,Daniel Fröschl,(メディチ家,ピサ植物園),毛利梅園」「ヒマワリ (2/4) 丈菊 天蓋花 迎陽花 日向葵 日廻り.花史左編,花壇綱目,訓蒙図彙,花壇地錦抄,草花絵前集,大和本草,廻国奇観,花木真写,滑稽雑談,絵本野山草」を参照.
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