2016年9月19日月曜日

ヒマワリ (9) 歐州最初の図版 ドドネウス"Florum et coronariarum odoratarumque nonnullarum herbarum historia" 1568

Helianthus annuus
2001年8月
Dodoens, 1553 trium priorum
de stirpium historia (BHL)
欧州で出版された書で,最初にヒマワリの図が掲載されたのは,『本草書 Cruijdeboeck』でよく知られているフランドルの本草家,ドドネウスRembert Dodoens (1517 – 1585))の Florum et coronariarum odoratarumque nonnullarum herbarum historia, (Antwerp, 1568)” とされている(例えば,F. Egmond ”The World of Carolus Clusius, Natural History in the Making, 1550-1610” (2010),但しこの書では,該書の出版年を1569 年としているが).

彼はこの書を当時フランドルを統治していたスペイン王室にフランドルの法律顧問として仕えていた,縁戚の Ioachim Hopperus (Joachim Hoppers 1523-1576) に献呈した.Hopperus は任地マドリードから,園芸愛好家の妻,Christine Bertolf (? – 1578以降) に,当時西スペインと呼ばれていたアメリカ大陸から渡来した植物を育てていた庭園で得た種子や情報を送っていた.
Christine からの情報や種子はフランドルのみならず,欧州の本草家や園芸愛好家間のネットワークを通じて広く行き渡った(上記文献).その一つがヒマワリの種子と図である.

ドドネウスの  ”Florum et coronariarum - - “ (1568) のp290 には,” AD LECTOREM EPILOGVS. (EPILOGUE TO THE READER)” の章があり,そこには,「この書を改訂するにあたって,二つの重要な植物の画像を入れる事とした.
Chrysanthemum from Peru Asphodelus palustris である.
尊敬すべきChristine Bertolf Chrysanthemum from Peru に我々の注意をうながした.この画像はスペインより,王のオランダの法律に関する顧問である彼女の夫のヨアヒム・ホッパースから彼女に送られてきた.」(私訳)と,Christine から得られたヒマワリの絵を(木版に起こして)挿入することが記されている.
Florvm, et coronariarvm ・・・(1568)  (BHL)
更に p. 294-295 には,
Chrysanthemum from Peru は驚くほど背の高い植物で,目を見張るほど大きな花をつける.この植物はペルーや他のアメリカの各地で見ることができる.マドリードの王立植物園で育てられたものは,24 フィートの高さに達し,太い幹は直立し,キク(Chrysanthemum)のに似ているがはるかに大きな葉をつけた.
花の直径は 1 フィートより大きく,重さは 2 3 オンスより重い.花の周りには紫のユリに似ているがそれより大きな花弁(舌状花)がついていて,黄金色である.人々は(この花盤の周りの黄金色の舌状花が)太陽の輝きに似ているので,Indian sun [nebloem] と呼ぶ.
我々はこの植物を J. Braicion* 氏の庭で見ることができたが,そこでは高さ 10 12 フィートにしか達しておらず,葉はやや下を向いて垂れさがり,スペインのそれより大分小さかった.冬が近かったので,成長がよくなかったのであろう.
実際イタリアのパドヴァでは,この植物はスペインのより大きく,40 フィートの高さまで達した.もっとも経験に富み,学識豊かなパドヴァ在住の Antonio Cortusi** 氏によれば成熟した花に花粉は着かないとの事であった.氏の薬草園は非常に手入れが行き届いている事が知られているので,この植物も適切な世話をされていると考えられる.
彼(Cortusi氏)は,若い葉柄は毛を除いた後で,塩と油を加え,グリルでローストするとおいしく食べられることが経験上分かっている.またその花盤はアーティチョークと同様に賞味でき,味はアーティチョークに優るとも劣らない.更に性欲を刺激する効果もあると書いている.」
(私抄訳:羅→蘭***→英****→和)との記述と共に,Christine から得られたスペインで咲いた立派なヒマワリの図が掲げられている.

* J. BraicionJean de Brancion (circa 1520-1575) はハプスブルク家に出入りしていた法服貴族(Noblesse de robe)で,1550 年代にはメヘレン(現在はベルギーのアントウェルペン州の都市.フランス語名ではマリーヌと呼ばれる)に立派な庭園を持ち,異国の植物を育てていた.
** Antonio CortusiGiacomo Antonio Cortuso (15131603).イタリア,ボローニャで私的な薬草園を造り,その後ボローニャ大学の植物園の園長も務め,欧州有数な植物園に拡充した.1568年には種から育てたヒマワリにイタリアで最初の花を咲かせ,その成長の観察し,太陽を追う運動する事をマッティオラに報告した(後の記事).また,この園ではジャガイモやセイヨウトチノキもイタリアで最初に育てた.
***羅→蘭:based on 1569 edition ” Christine Bertolf en Dodonaeus Netwerken in de zestiende eeuw 24 januari 2015
****蘭→英:Google 翻訳

ドドネウスの上記著書の第二版 Florum et coronariarum - - , Altera editio “  (1569) に於いても,p304-309 に第一版と同一の文章と図が載せられている.

しかし,ドドネウスの本草書の集大成ともいうべき ペンターデス植物記 Stirpium historiae pemptades sex, sive libri XXX.”(1583) p 264 “CAP. XXII, De Chrysanthemo Peruuianoの章では,Ioachim Hopperus, Christine Bertolf, Braicion, Cortusi 等の個人名は記載されず,性状の記述が主となっている.新たに,小型の枝分かれする種があること,ドイツで栽培すると大きくならないことが加えられ,更にプリニウス博物誌二十一巻の bellioが参照されているが(記事後部),ヒマワリがこれとして良いかは疑問としている.更に食すると「催淫効果」があるとした部分は,やわらげられ「強壮効果」とされている.

この記述は同書の 1616 年版にも引き継がれた.また,ドドネウスの死後,1644 年に出版された『本草書 Cruijdeboeck』の最終版においても,この図版が使用されているが,記述文が古オランダ語であるため,その内容が『ペンターデス植物記』と同様であるか否かは確認できなかったが,少なくとも個人名は記載されていない.

ドドネウスの本草書のヒマワリの挿図を年代順に左から右に並べるが,見る通り全て同一で,Christine Bertolf から貰った圖を使い回しをしている.
From left to right 1568 ”Florvm et coronariarvm” p295, 1569 ”Florum et coronarium” p307,
1583 ”Stirpium historiae pemptade” p264, 1616 ”Stirpium historiae pemptade" p264, 1644 "Cruydt boeck" p421 (BHL)
“PLINY: NATURAL HISTORY”, BOOK XXI
“at, Hercules, petellio ipsa nomen inposuit, autumnali circaque vepres nascenti. ei tantum color est commendatus, qui est rosae silvestris, folia parva, quina; mirumque in eo flore inflecti cacumen et e nodis intorta folia nasci parvolo calice ac versicolori luteum semen includentia. luteo et bellio, pastillicantibus quinquagenis quinis barbulis. coronant pratenses hi flore; at sine usu plerique et ideo sine nominibus, quin et his ipsis alia alii vocabula inponunt.”

English translation by H. Rackham,  (1945)
“But—by heaven!—Italy herself has given (petellium.) the petellnium its name, an autumn flower growing near brambles and esteemed only for its colour, which is that of the wild rose. It has five small petals. A wonderful thing about this flower is that the head bends over, and from the joints grow a curved petals inclosing yellow seed forming a small corolla of several colours. The bellio too is yellow, with fifty-five lozenge-shaped little beards. These meadow flowers are used for chaplets, but most of such flowers are of no use and therefore without names. c Nay, these very flowers are differently named by different people.”

和訳:大槻真一郎編『プリニウス博物誌 植物薬剤篇』八坂書房 (1994)
「二五 ペテリウム、ベリオ
49 しかし神にかけて、ペテリウム(未詳)にはイタリア自身が名を与えた。これは秋の花であり、イバラのしげみの辺りに生育し、花の色のためだけに重んじられた。その色は野生のバラの色である。小さな花弁が五枚あるが、この花の不思議なことは、先端のところが内側に曲り、節のところから花弁がまくれて生えていることで、とても小さい色とりどりの杯をなして、黄色の種子(ここでは雄しべのこと) を囲んでいる。
べリオ(未詳の牧場植物)も黄色で、ぶつぶつした五五本のひげがある。この花は草原に生え、花冠にする。ところで、きわめて多くの花は役立てられることもなく、それゆえに名前もない。だがむしろ、こうした花々こそ、人それぞれがつけたいろんな呼び名をもっているものである。」


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