Mirabilis jalapa
梅毒スピロヘータは,地球を半周して,日本に到達,1512年(永正9)には記録が残る.南蛮人の渡来より30年も早く,当時は,唐瘡(とうがさ)あるいは琉球瘡(りゅうきゅうがさ)とよばれた.この梅毒を運んだのは日本人を主体とする倭寇であり,時代は戦国乱世の動乱期で,梅毒はたちまち日本人を激しく冒していき,江戸時代に深く淫侵(いんしん)した(参考:立川昭二「疫病史」日本大百科全書(ニッポニカ)の解説).
この疾病名は歐州でこの病気をもたらした人々にちなんで「フランス病」「ナポリ病」と呼んでいたのを思い起こさせる(前ブログ記事参照).
この疾病名は歐州でこの病気をもたらした人々にちなんで「フランス病」「ナポリ病」と呼んでいたのを思い起こさせる(前ブログ記事参照).
梅毒は室町後期 1512年には京都に患者が発生したという記録が,歌人・三条西実隆の歌日記『再昌草』にあるとされる.また,竹田秀慶の『月海録』の同年の記録にも京都の多くの住民が罹患していると書かれている.これが梅毒の日本における最初の記録とされている.
宮内庁書陵部 |
道堅法師、唐瘡をわつらふよし申たりしに、戯に
もにすむや我からかさをかくてたに 口のわろきよ世をはうらみし
返 事
唐瘡をかくかきにさすもくつにも 大和こと葉の〔虫喰い〕れす
叉
朝倉や清水たてし飲中も あらすなる世に身をはうらみし」とある.
(芝葛盛 山岸徳平監修『桂宮本叢書 第12巻』(1953) 宮内庁書陵部/編,養徳社)
「四月二十四日」と www.tanken.com/baidoku.htm には,あるが,「四月十三日」の誤りと思われる.
道堅法師(岩山道堅 いわやま-どうけん)?-1532 戦国時代の武士,歌人.死亡したのはこの20年後の1532年.本当に唐瘡(梅毒)に罹患していたのだろうか.
奉公衆として足利義尚(よしひさ)につかえ,文明15年(1483)の和歌打聞(うちぎき)(私撰和歌集)に参加した.義尚死去後出家し,明応4年から三条西実隆のもとで歌道にはげんだ.享禄(きょうろく)5年6月2日死去.名は尚宗.歌集に「道堅法師集」「道堅法師自歌合」など.(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)
富士川游博士が発掘した京都の医師 竹田秀慶(享録元年,年七十九歿)の『月海録』には「永正九年壬申,人民多有レ瘡,似二浸淫瘡_,是膿庖,醗花瘡之類,稀所レ見也,治レ之以二浸淫瘡之薬_,云々,謂二之唐瘡,琉球瘡_」と,同じ1512年に京都で流行した「瘡」病を記載し,これは,中国あるいは琉球より伝わった疾病であるとしたが,後にこれが梅毒であることが指摘されている。
また,旧甲州都留郡太田村(現在の山梨県河口湖町)にある日蓮宗の古刹 妙法寺の住職が,坂東諸国の出来事を代々書き綴ってきた古記録『妙法寺記』に,「永正十癸酉、此年麻疹世間ニ流行シ、大半ニ過タリ. --- 此年天下ニタウモト云フ大ナル瘡出デ平愈スルコト良ス,其形譬ヘバ,癩人ノ如シ云々」と1513年の記事にあり,この頃関東地方にも梅毒が流行したことが記録されている.(富士川游著,小川鼎三校注 『日本医学史綱要』第1巻 平凡社 東洋文庫 258 (1974),堀口友一『日本の文献にあらわれた古代・中世の疾病に関する歴史地理学的研究』茨城大学教育学部紀要(15): 121-136 (1966)(http://hdl.handle.net/10109/10048))*「タウモ」のタウは唐、モは瘡(モガシ)の意であって、唐瘡=梅毒.
Luís-Fróis1977 Portugal 没400年記念 |
*The term "mule" was used here as a synonym for syphilitic bobcat.
(19 われわれの間では人が横根**にかかったら、それは常に不潔なこと、破廉恥なことである。日本では、男も女もそれを普通の事として、少しも羞じない。
**横根:梅毒はコロン(コロンブス)によってアメリカ大陸からヨーロッパに伝わった病気で、わが国にはポルトガル人によって伝えられた。横根という言葉は『日葡辞書』にも見え、「ヨコネ—鼠蹊部に生ずる腫瘍、すなわち横根 mula」と記されている。しかし当時の日本人は、この病気に雇っても、それを恥ずべきこととは考えなかったようである。)」(和訳『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス著 岡田章雄訳注(p137)).
加藤茂孝氏(理化学研究所 新興・再興感染症研究ネットワーク推進センター
マネージャー)によれば,「欧州でもルネッサンス期には美男美女の病として感染者からはむしろ誇らしげに語られたとさえ言われている.日本でも江戸時代前期には,遊び人の勲章であると思われていた節がある.しかし,18 世紀中ごろからは,社会的に恥ずべき病とされて行く.」(モダンメディア,62 (5), 2016)
梅毒は江戸時代になると,参勤交代で江戸に上がった藩士たちが花街で遊び,感染して帰国後地元で拡げたことから,全国的な感染症となった.
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