Amana edulis
江戸中期以降,アマナは山慈姑としての薬草だけでなく,救荒植物,生け花素材として,また.倭のサフラン(泊夫藍)として記録に残っている.挿入圖は NDL の公開画像よりの部分引用.
2017年5月 三稜の果実 |
杉田玄白との往復書簡で知られている,一関藩の★建部清庵の『備荒草木図』は明和八 (1771) 年に『民間備荒録』と対になる書物として草稿が書かれたが,刊行されないまま清庵が死去したため,杉田玄白の次男杉田立卿により天保4年(1833)に刊行された.『民間備荒録』が理論的な書として書かれているのに対し,この書では実践の書として多くの人が読めるよう全体にわたって振り仮名がつけられている.内容は,104種の植物をとりあげ,実際の植物と見分けがつけられるよう詳細な図のもとに,名称と可食部・調理方法を簡単に記述する.
この書には,特徴をよくとらえた精密な絵(木版画)と共に,
「山慈姑(さんじこ)(あまな)
根を採り煎熟し食ふ
又磨きて粉として餅に
造里て食べし」
とある(左図).
これまでの書では,アマナは山慈姑の和品として薬草との記述ばかりであったが,この書で,救荒植物としてではあるが「食べられる」とされた.
これまでの書では,アマナは山慈姑の和品として薬草との記述ばかりであったが,この書で,救荒植物としてではあるが「食べられる」とされた.
★小野蘭山(1729-1810)『本草綱目啓蒙』全48巻.(1803 – 1806).李時珍の『本草綱目』に関する幕府医学館での蘭山の講義を,孫職孝(もとたか)が筆記整理したもの.蘭山は『綱目』に沿って講義してはいるが,該当する和品の形状を詳しく述べ,また類似・関連する和品もできるだけ多く取り上げる.その際に各地の方言を数多く挙げるのも大きな特色.統一された和名の無い時代なので,間違った品を治療に使わないようにするには,方言の列挙が欠かせなかったのである.
その「巻之九 草之二 山草類下」に「山慈姑 アマナ トウロウバナ トウロン ムギクワヰ(麥地ニ生ズル故ニ名ヅク) マツバユリ(江州) ムギグワヰ(根ニ皮アル故ニ名ヅク 以上京) アマツボロ(同上鳥羽村) アマイモ(同上加茂) ナンキンズイセン(同上花家) ハルヒメユリ(同上) ステツボウ(筑前) カタスミフ(肥前) スミラ(同上) ツルボ(丹波) ウグヒス(摂州) 〔一名〕山茨菰(百一選方) 金燈籠(医療統焔,古今医統,寿世保元) 馬無乙串(邦薬本草) 紅燈籠(附方)
原野陽地ニ生ズ.正月,旧根ヨリ葉ヲ出ス.年ニヨリ十二月ニモ出ス.大葉,小葉アリ.土地ノ肥瘠ニヨル.別種ニアラズ.大葉ハ長サ一二尺許,水仙葉ノ如シ.花モ大ナリ.小葉ハ二三寸許,綿棗兒(サンダイガサ)葉ノ如シ.花モ小ナリ.又一種花ノ最小ナルモノアリ.一根一葉ノ者ハ嫩根ナリ.二葉ノ者ハ老根ナリ.皆葉ハ白色ヲ帯.根ノ老タル者ハ二葉ノ中間ヨリ一両茎ヲ抽ヅ.高サ五六寸許,其端ニ細小葉二三ヲ対生シ,上ニ一花アリ.肥地ノモノハニ三花,大サ七八分,六弁白色.外ニ深紫条アリ.日光ヲ得テ開キ,夕ニ至レバ収ル.中ニ黄色ノ蕋アリ.数日ノ後,弁脱ス.其実三角,大サ二三分.ハツユリ*ノ実ニ似タリ.四月ニ至リ苗枯.根ハ円ニ小クシテ沢蒜(ノビル)根ノ如シ.掘出セバ外ニ黒皮アリテ包ム.其中ニ褐色ノ皮アリ.又其中ニ白キ綿アリテ根ヲ包ム.駿州ニハ淡紅花ナルアリ.此モ花弁ニ紫条アリ.和州下市ニハ黄花**ナル者アリ.苗ノ高サ八九寸,三葉許互生シ,茎ノ末ニ花多ク簇生ス.外ハ緑色,内ハ黄色.其中ニ黄蕊アリ.開テ大サ五分許.紫金錠***ハ医学入門,万病回春,外科正宗即附方ノ万病解毒丸ナリ.其主薬ハ此山慈姑ナルニ,今石蒜ヲ代用ルモノハ誤ナリ.(以下略)」とある.
地方名に,ツルボと関連する名が多いのは,葉と鱗茎の類似性によるものであろう.形状の記述は詳細で,特に「日光ヲ得テ開キ、夕ニ至レバ収ル」や.「其実三角」は観察が良く行き届いていると感心する.
***紫金錠:前ブログ記事参照
★岩崎灌園(1786 - 1842)は江戸時代後期の本草学者.後で出てくる『本草図譜』(96巻)の著者である.江戸下谷,現在の御徒町に生まれる.名は常正,通称源蔵.父親は直参の徒士である.本草学を小野蘭山に学び,若年から本草家として薬草採取を行う.
灌園の『武江産物志』(1824 序)は,江戸とその周辺の動植物誌.野菜并果・蕈(キノコ)・薬草・遊観(花の名所)・名木・虫・海魚・河魚・介・水鳥・山鳥・獣の各類に分け,それぞれの品に漢名を記し,和名を振仮名で付け,多くは主要産地を挙げる.合計で植物約 520品,動物約 230品.薬草類は採集地別で,道灌山(上野駅の北)の119品が群を抜いて多く,ついで堀之内・大箕谷(おおみや,現杉並区)と尾久(JR山手線田端駅の北)が各29品.
その『武江産物志』の「藥草類」の部の「道潅山の産」の章には「山慈姑(あまな)」,「黄精(なるこゆり)」とあり,また,「堀ノ内,大箕谷邉の産」の章には「車前葉山慈姑(かたくり)八幡山中 ナガサキ村ニモ」,「萎蕤(カラスユリ)東高野,野新田ニモ」とある(右図).
★佳気園(柿園)著,岩崎常正(灌園)画,芳亭野人編『茶席挿花集』(1824)は,多色刷図譜で彩られた「月別花材リスト」というべき書であり,上述灌園が同定した花材となる植物の,最も鑑賞に適した時期を月別にリストアップし,主な花は多色刷りの木版画で提示した袖珍判の図譜である.その「凡例」には「一.此書佳気園翁の集められしを予又岩崎灌園先生に請て漢名を正し剛定補入す 然れども翁の開所をも残せるもの多し 且つ草木異名あまた也 ここには只つねにいふ所の名を記す」とあり,名称に関しては灌園が校閲したことが分かる.
この書の「三月」の部に「春ひめゆ里 山慈姑 花 」とあり(左図),他の項と比較すると,後に花色を書く予定ではなかったかと思われる.また,三月の花の絵の中に「山慈姑」はない.一方「カタクリ」は「二月」の部に「かたくり 車前葉山慈姑 花うす紅」とあり,また図もあるので,「春ひめゆ里(はるひめゆり)山慈姑」はカタクリではなく,アマナと考えられる.
このブログで度々引用している★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849)の「春之部三」には,実物を写生したと思われる精緻な図に「佐不蘭(サブラン)名レ義不詳
山指甲(サンジコウ)(ノズイセン)
生花百竸*
山慈姑(サンジコ)
和名 阿未奈久佐
予曰
別ニ山慈姑(サンシコ)ト偁スル者アリ.是ハ別物也
名ヲ同ジクシテ草形状異也秋ノ末ヨリ葉ヲ
生ズ.水仙ノ葉ニ能ク似テ冬ヲ凌テ二月
枯後莖生シテ一-莖箭簳**(ヤガラ)ノ如シ梢ニ
四五辧リンツツ花開ク冊色山丹(ヒメユリ)ニ似ル
根亦水仙ノ如シ是石蒜ノ屬ニシテ山慈姑ト偁ス.
此者(サブラン)ハ開花ノ時葉相
又山慈姑(サンジコ) 山指甲ノ音相近 唐
土ヨリ來ル泊夫藍(サブラン)ハ紅藍ノ花也
泊夫藍湯ニ用ト云リ.泊夫藍ハ紅花ニ非ス
形状此者如根水仙ニ似リ六物新志ニ詳也此者則倭ノ
泊夫藍ト云」とあり(上左図),「アマナは日本のサフランだ」と言っているようだ.名前の「佐不蘭(サブラン)」もそれに関連あるのかもしれない.但し,引用されている大槻玄沢『六物新志』(1786)(右図)には,「アマナ=倭ノ泊夫藍」とは書いていない.
**箭簳:カヤツリグサ科ウキヤガラ
名高い尾張の本草・博物学グループ甞百社の中心的人物★清原重巨著の『有毒草木図説』(1827)は前後二編・附録の二巻の構成で毒性のある植物百二十二種を選び記述している.有毒植物に関するまとまった図説としては本邦初のものと言える。繊細な線画を特色とし、植物の形態を正確に写している。この書に「山慈姑 サンジコ ムギクワヰ 本草綱目
小毒あり 山野に生ず 葉綿棗児(さんだいがさ)の葉に似たり 其嫩時に
一根に一葉老根に及んでは二葉生じ心中より莖を抽で末に小
葉對生し頂に花を開く 六辧白色外に紫條あり 花後實
を結ぶ.」とある(左図).アマナは取りたてて「有毒植物」というほどの毒性はないと思われるが,食べ過ぎると良くないのかもしれない.
あまな
武州道漉山に産す.其外
諸州にあり,正二月に葉を
生じ,中心一茎を抽じて一
花を開く六辧白色外に紫の
條あり,根ハ慈姑に似
て甚小く黄白色なり」
とあり,更に別種として
「一種
濶葉にして中心白斑あり
花もあまなより大にして
内白色外薄紫色の筋
あり」と,やや大型の植物が描かれているが,これはヒロハノアマナ(Amana erythronioides (Baker) D. Y. Tan
et D. Y. Hong) かもしれない.(右図)
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