Amana edulis
2017年4月 |
橘保国(1715-1792)『画本野山草』(1755) の巻之二には
「春蘭 一名独頭(とくとう)蘭
葉 蘭に似て小し 春 白うす紅の花を開 蘭のごとし 二月 花」
と本文にはあり,絵手本には
「花生エンシノグ内
白 ソトクサクシルクマ
春蘭(しゅんらん)
白六
クサクマ」
と塗る色が指定されている.名前は春蘭ではあるが,絵からアマナである.(左図)
直海元周『広倭本草』(1759) の 第四巻 には
「山慈姑 三種アリ 一種ハアマナ 一種ハ石蒜ナリ 叉別ニ一種ノ物アリ 外丹本艸及ビ土宿本艸等ノ説ハ皆石蒜ヲ指ス 必石蒜ノ説ヲ非トスベカラズ 石蒜ハハミズハナミズト云モノナリ」(右図)
と山慈姑と呼ばれる薬草には三種あり,その一種はアマナであり,他の二種の一つはヒガンバナとしている.
平賀源内『物類品隲』(1763) 巻之三には
「山慈姑 和-名アマナ叉ムギクワヰ又メウロント云東-璧曰ク山慈-姑處虜-處有レ之冬-月生レ葉ヲ如二ニシテ水仙-花ノ之
簇テ成二一朶ヲ一如二絲ニテ紐成一可スカレ愛三月結レ實有二三稜一四-月初苗-枯ルト此モノ本-邦亦數-種アリ白-花ノモノ
所-在ニアリ〇駿-河産亦赤-花ノモノ方-俗田ユリト云壬-午客-品中同-國沼-津驛清玄-一具レ之ヲ○大-和吉-
野下市産花深-黄-色壬-午客-品-中同-所内-田七右衛門具レ之ヲ」(左図)
と,『本草綱目』の記述を元にしながら,日本産の山慈姑=アマナには白と赤と黄色の花があるとし,夫々の産地も示す.この白花がアマナであろうか.
島田充房・小野蘭山『花彙』(1765) 草一には,美しい絵と共に,
「山慈姑(サンジコ) 俗名アマナ
近-道山-中湿-地及假-寝-芝(カリネシバ)ニ有レ之 冬月葉ヲ生ス綿棗兒(サンタイカサ)ノ
葉ニ似テ緑色 苗高五七寸 二月莖ヲ抽箭幹(ヤガラ)ノ如シ 莖-
端花ヲ開ク 紫-色 形小山丹(ヒメユリノ)花ノ如シ 又有リ二白色紅-色ノ者一
四-月ノ初メ苗-枯 其根-状慈-姑(クハヱ)ノ如シ故ニ名ク」とある.葉はツルボに似ていて,花は紫色,白,紅色があるとのこと.さて,何だろう.(右図)
千家新流の創始者,入江玉蟾撰『千家新流挿花直枝芳』(1768) の「春」の部には,「山慈姑(サンジコ)和名
アマナ艸 種類あり」と立派な陶器製の壺に挿されたアマナの生花が春の折入花の手本として描かれている.茶花とはいえ,あまり持たなかったのではと心配される.(左図)
名古屋の儒学者で尾張本草学開拓の巨匠でもあった,松平君山(秀雲)(1697-1783)
の『本草正譌(せいか)』(1776) には
「山慈姑
用薬須知の説石蒜と相混す本草綱目の形狀を案
するに和産の山慈姑と偁する物眞なり紅白黄の三色あ
り但二月中に花を開くと云和産は四月苗枯れて後花を
引く花紅にして花と葉と不二相見一故無義草と云石蒜根なる
へしと云山慈姑も葉枯れて後花を生す是亦無義草と
云へし強て石蒜とすへからす石蒜俗しひとはな本草七月
苗枯乃於二平地一抽二出一莖一如箭幹一莖端開レ花四五朶六出
紅色如山丹花一而辧長黄蕊長鬚と是を以て見れは山
慈姑と混すへからす一種鐵色箭と名つく物は俗名夏水
仙なり」とあり,和産のアマナが山慈姑の本物としている.(右図)
*『臞仙神隠』明・寧献王朱権(明の太祖洪武帝の第17子,?~1488)撰の,前半は養生および家政の術,後半は農業を主とした月令.臞仙は朱権の自号。『神隠』『臞仙神隠書』『臞仙論』などともいう.閲覧できず.
一方,上記の「本草正譌」の所説を評した山岡恭安の『本草正正譌』(1779) 草部には
「山慈姑。按ズルニ同類五種。二種、葉深緑光沢、四月苗
枯テ後花アリ。綱目時珍ガ所説ノ物是ナルカ。一種、
葉韭葉ニ似テ粉緑色、二月開花、貝母花二似テ白或ハ
紫色、四月苗枯。俗名アマナ、是襲氏ガ所謂金燈龍、
一名山慈姑ナル物ナリ。一種、八月赤花アリ、九月苗
ヲ生ジ三月枯。俗名ヘソビト云,是石蒜ニシテ浮図氏
ノ曼珠沙花、僧法雲ガ此ニハ赤華ト翻スト云物ナリ。
一種、鉄色箭、ナツ水仙ナリ、一種同類ニシテ七月白
花ヲ開ク、陳扶揺ガ所謂忽地笑*也。」 と山慈姑には何種かありその一つがアマナであり,花が赤いのはヒガンバナ(ヘソビ),そのほかナツズイセン,忽地笑*が山慈姑であるとしている.
*忽地笑:現代中国ではショウキズイセン(Lycoris
aurea)とされている.花色は黄色.ここで言うのはシロバナマンジュシャゲ(Lycoris x albiflora)か.
この書はことさら先輩松平君山の説に異を立てたというほどではなく、すでに書き上げてあった「本草和産考」のうちから、所見を異にするものを摘出して世に問うたものといわれる.
1789年に中山および掖玖諸島の草木160種に関し,薬効を福建等の中国医師45名に質し作成したと始めに記す.草木の線描と簡単な効用を紹介.作者の呉継志,また,成立についての詳細は不明.1837年江戸の須原屋,山城屋等で発行.
その「巻之三」には(左図),
その「巻之三」には(左図),
「山慈姑 アマナ ムギクワヰ
生二ス田-野一ニ冬生レス苗ヲ兩葉-對生シ春抽二ク小莖一ヲ高サ五-六寸テ而開レク花ヲ三-四-
月葉枯ル
山-慈-姑釋-名朱姑與二石蒜一相ヒ似タリ惟石-蒜ハ葉上有レリ毛此ノ種ハ葉上無シ
レ毛是山-慈-姑ナルコト無シレ疑イ太-乙紫-禁-錠*ノ之方-中ノ要藥 甲-辰** 陸-澍
山-慈-姑能ク敗レル毒ヲ瘡-科-内-用用フレ根ヲ 甲辰** 周之良 鄧 履仁 呉美山
中-山稱シテ爲二山-慈-姑一ト前-年江南ノ陸-氏鑒シテ爲二山慈姑一ト請フ得二テ先生ノ再-
喩一ヲ益マス証レセン之ヲ 乙-巳** 再ヒ問二フ潘貞蔚
石家辰一
此レハ一-定ニ是レ山-慈-姑也 乙-巳 陳-倬-爲 代二潘貞蔚
石家一辰ニ再-問ス」
と複数の中国人医師に質問したが,この植物は山慈姑だと言われたとある.但し「アマナ」は琉球列島には自生していなかったので(金城勇徳,沖縄県医師会報「質問本草」の植物について②),花の咲いた実物を示したのか,鱗茎をしめしたのか,絵を示したのかは不明.
*太-乙紫-禁-錠*:『本草綱目』の「山慈姑」の章,【附方】の項に「萬病解毒丸︰一名太乙紫金丹,一名玉樞丹。解諸毒,療諸瘡,利關節,治百病,起死回生,不可盡述(以下略)」があって,『国訳本草』では,「萬病解毒丸︰一名太乙紫金丹,一名玉樞丹。諸毒を解し,諸瘡を療し,關節を利し,百病を治し,起死囘生の功述べ盡し難い。」とあり,その製造法は「山慈姑を皮を去りよく洗ひ淨め焙じて二兩,川五倍子を洗い刮り焙じて二兩,千金子仁の白いものを研り紙で壓搾し油を去って一兩,芽の紅い大戟を蘆を去り洗ひ焙じて一兩半,麝香三錢を用ゐ,端午,七夕,重陽の日,或は天德、月德、黄道の上吉日を撰び,豫め齋戒して服装を改め,藥品の取扱ひに精心を凝らしそれぞれ末にし,それを祭壇に供へて礼拝祈禱してから,薄絹の重ね篩で羅(ふる)つてよく勻ぜ,糯米の濃飲で和して木臼で千杵搗き,一錢づつを一錠に作るのである」と訳され,「山慈姑」が霊薬「太乙紫金丹」の重要な原料であるとある.
**甲辰:1784年,乙-巳:1785年
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