Davidia
involucrata
2015年には200個程(http://hanamoriyashiki.blogspot.jp/2015/05/2015-1.html),昨年もほぼ同数の花がついた我が家の庭のハンカチノキ.今年はわずか
10 個程しか咲いていない.原因は昨秋に植木屋さんに頼んで行った剪定であることが分かった.
植えてから20年近く,はみ出した枝の先を切るぐらいで,殆ど手入れをせず野放図に伸びた樹形を整えるため,剪定をお願いした.ハンカチノキの剪定なぞする機会が少なかったためであろうか,特に注意をすることもなく植木屋さんはばっさばっさと枝を伐り,かなりコンパクトにしてくれた.
その際,花芽のついていた枝が切り落とされた為であろう,花+苞がついたのは手を入れず残してくれた一本の枝だけで,10 個程の花が咲いた.剪定された枝では,葉が青々と茂るのみで,一つとして花がついていない.
楽しみにして,いつ咲きますかと聞いてきてくれた方々には,まことに申し訳ない春となった.
東京都文京区の礫川公園にあるハンカチノキは,小石川植物園の技官山中寅文(1926 – 2003)から,作家幸田文(1904 – 1990)に贈られた木が,彼女の死後2002 年に娘の青木玉(1929 - )から公園に寄贈されたものだ.青木玉の随筆『こぼれ種』の中の「縁あるもの」(都の礫川公園のHPでは,「緑あるもの」となっている.指摘のメールを送ったら,お電話を頂き,近日中に訂正するとの事)の章に,母の存命中には見ることのできなかった白い苞を,1998年に見た感慨を書き綴っているが,その中にようやく花を見ることができた年の秋に,植木屋さんに剪定を頼んで,その翌年は花がつかなくなって「大損をした気分」とある.
前もって読んでいれば,高さを抑えるだけにしておいたのにと悔やまれる.来年に期待しよう.
「縁のあるもの
縁のあるなしは人ばかりではない。樹木にもそれがあるように思う。木はこちらから縁を持とうとしなければ、向うから近付くことはないが、時に思いもかけぬ縁が生じることがある。
「前からの約束で幸田さんの所へ植えようと持って来たんだけど、お留守のようですからあなたの所へ預けてゆきます」。はいはいと云ったまではいいが、「ま、仮植えしときましょう。そのうち時期を見て移せばいいから」と細い木を庭の真ん中に植えて、その人*は帰ってしまった。
二、三日後、旅から帰った母はどれどれと見に来て、「陽当りもいいからこのまま植えときなさい。これハンカチの木っていうんだって。白い花が咲くんだろうね」と云う。そのまま木は毎年一節ずつ大きくなって、背丈ほどだった苗木は、今や二階の手摺りまで伸びてきた。
冬落葉し春新芽が萌える。植えた時から十年はとうに過ぎたが、花は咲かなかった。何時になったら名前のような白い花が咲くのだろう。
この木を貰った当の母は八年前に旅立ってしまった。母とこの木の縁はここで絶えた。預かった私は花を待つ気もなくなり、二階の廂に洗濯ものを干すたびにちらっと眺めるだけだった。
それが去年の五月頃だったと思うが、何か木の様子が変ったと感じた。変なものが所どころに下がっている。あれ、実がなっているのかしら、どうして花が咲いていたのに気がつかなかったのだろう、惜しいことをした、ひと目みたかったのにと悔んだが、後の祭りである。葉のかげにちょっと出た柄の先に、小指の先ほどのえんじ色の塊り**は、どうみても実であった。洗濯ものを干すたびに気にして見るようになった。
そして幾日目だか、はっとした。ほんとうに、ハンカチ状の白いものが二枚、実**を包むように大きいのが一枚と小さいのが一枚、べらっと下がって風に揺れていた。洗濯籠をほうり出して手摺りから身を乗り出して見た。実と思ったのは蕾**であり、葉と同じくらいの大きさの白いハンカチは苞(ほう)であった。
(中略)
このあと、私はとんでもない大ポカをやってしまった。花が咲いていたのは夏前のこと、庭掃除が不得手な私は、毎年秋に植木屋さんにきてもらうことにしている。その時、この木は来年のために花芽を残しておいてくれと云うのを忘れてしまった。庭に植える木は育てる時から枝をえらび芽を摘んで樹形を整えるものだ。ハンカチの木のように、元はと云えば中国南西部の山のなかに自生するものは気儘にのびる性質がある。庭に植えるのならば、先ぎきのためにと、枝をつめてしまったのだ。その結果、今年の花は一つも無いことになっていたのに私は気付かないでいた。ハンカチの花が咲いているというニュースが流れても、どうして家の木はまだ咲かないのかと思うのんきさで居た。やっと変だと気が付いた時は、植物園のハンカチの花はもう散るばかりの時だった。諦めてしまえばよいものを、南風が強く、日の光が差すかと思うと、ばらばらと大きな雨の粒が通り過ぎる荒れた空模様の日だったが、せめてと思って出て行った。苞は散って見当らない。ぼさぼさになった蕊が残っているだけだった。がっかりして帰ってくれば、花を咲かせなかった我が家の木は、緑の葉を繁らせてけろりと立っていた。母に縁がなく、せっかく私に縁があった木だと云うのに、これから何回この木の花を見る折があるのだろう。楽しみに待った一回を失って、大損をした気分であった。
(後略)」 青木玉『こぼれ種』新潮社(2000)
*小石川植物園の技官山中寅文(1926 –2003)
0 件のコメント:
コメントを投稿