Amana edulis
当ブログの前記事に示したように,古い文書では,黄精(ナルコユリ),萎蕤・葳蕤・女委(アマドコロ),麻黄(マオウ)の和名が「あまな」として記録されている.そこで,これらの植物,及び江戸時代以降アマナの漢名として汎用されている山慈姑の和名の推移を追ってみた.その結果,黄精,萎蕤,麻黄ともアマナと呼ばれていたが,15世紀以降ヲホヱミ,エヒ(ミ)クサ,カクマクレの和名が主流となる.一方,山慈姑は,李時珍の『本草綱目』が渡来して初めて和文献に現われ,漢名の「金燈」「鬼燈檠」に由来してか,トウロウバナと和訓された.
漢名
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黄精
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萎蕤・葳蕤・女委
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麻黄
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山慈姑
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出典
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刊行年
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ナルコユリ
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アマドコロ
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マオウ
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アマナ*
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出雲風土記
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733
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(和名なし)
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(和名なし)
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新撰字鏡
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898-901
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安万奈
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本草和名
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918
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阿末奈
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阿末袮
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阿末奈
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延喜式
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927-967
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(和名なし)
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(和名なし)
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(和名なし)
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和名類聚抄
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931
- 938
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保恵美
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安麻奈
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阿萬奈
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医心方
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984
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阿末奈
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阿未尓
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阿末奈
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色葉字類抄
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1146
- 1181
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あまな
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下学集
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1444
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ヲホヱミ・アウシ
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アマナ
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温故知新書
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1484
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恵具?(ヱ?)
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多識編
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1631
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於保恵美・阿宇之
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恵美(エビ)久佐
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加久麻久礼・以奴登久左
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土宇呂宇波
奈(ナ)
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和刻 江西本 本草綱目
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1637
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ヲホヱミ
俗称アウシ
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エヒクサ
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カクマクレ・イヌトクサ
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トウロウハナ
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★『出雲国風土記』天平五年 (733年)
『続日本紀』に「(和銅六年,713 年)五月甲子.畿内・七道の諸国は,(一)郡・郷の名は好字を著け,(二)その郡内に生ずるところの,銀銅・彩色・草木・禽獣・魚虫等の物は,つぶさにその品目を録し,及び(三)土地の沃瘠,(四)山川原野の名号の所由,また(五)古老相伝の旧聞・異事は,史籍に載せて言上せよ.」(原漢文)とある『風土記』撰進の命令が下った.
各国の風土記が朝廷に提出されたが,殆どが失われ,『出雲国風土記』は現存する『風土記』のなかでは首尾完備した唯一の完本で,この書の巻末には,「天平五年 (733年) 二月三十日勘造,秋鹿郡人 神宅臣金大理,国造帯意宇郡大領外正六位上勲十二等,出雲臣広島」とあり,作成された時期と人とがはっきりしている.
この風土記には,出雲の国の 10 郡(意宇郡,嶋根郡,秋鹿郡,楯縫郡,出雲郡,神門郡,飯石郡,仁多郡,大原郡),それぞれ郡の中の郷や山河の位置,その名の由来,神社の名称や,また自然産物が記載されている.その「凡諸山野所在草木」には,黄精と萎蕤(女委)が出雲の国のいくつかの郡で産出することが記されている.
黄精(ナルコユリ):意宇郡,飯石郡,仁多郡
女委(アマドコロ):秋鹿郡,出雲郡,飯石郡,仁多郡,大原郡
この「凡諸山野所在草木」は殆ど全てが有用植物であるので,この,黄精と萎蕤(女委)も薬用として用いられていたことが推察される.風土記は漢文で記されているため,これらがなんと和語で呼ばれていたのかは不明.なお,麻黄は「凡諸山野所在草木」の中に記載はない.
★僧昌住編『新撰字鏡』昌泰年間(898- 901)
現存する最古の漢和辞典,892年(寛平4年)に3巻本が完成したとされるが,原本や写本は伝わっていない.3巻本をもとに増補した,12巻本が昌泰年間に完成したとされ,写本が現存する.12巻本には約21,000字を収録.
また,和訓をつけた漢字だけを抜き出した抄録本も伝わっている.
長く忘れ去られた書物であったが,18世紀後半に再発見され,1803年に刊行された(享和本).しかしこれは抄録本であり,後により原本に近い天治元年(1124年)の写本が発見された.古い和語を多く記しており,日本語の歴史の研究上できわめて重要である.また,平安時代になると失われた上代仮名遣いのうちコの甲乙を区別していることでも知られる.
『群書類従497下』に収められている『新撰字鏡 下 草』 には「黄精 安万奈 又云 恵弥 又云 重樓 又 鶏格 又 救究」とあり,黄精(ナルコユリ)が「あまな」と呼ばれていたことが分かる.
『群書類従497下』に収められている『新撰字鏡 下 草』 には「黄精 安万奈 又云 恵弥 又云 重樓 又 鶏格 又 救究」とあり,黄精(ナルコユリ)が「あまな」と呼ばれていたことが分かる.
★深根輔仁撰『本草和名』延喜年間(901年 - 923年)編纂
伝来した本草書等を駆使し編纂したのが深根輔仁の『本草和名』2巻(918頃成)で,現存する日本最古の本草薬名辞典である.本書は『新修本草』の薬物名とその配順に従い,70余の中国書から薬物の別名を網羅.各々には和名を同定して万葉仮名で記し,国産のあるものは産地まで記してある.中国本草学の本格的受容は,まさしく同書によって口火が切られたといえよう.
『本草和名』上冊には,
「女萎 萎蕤 一名 熒 一名 地節 一名 玉竹 一名 馬薫(略)和名 恵美久佐 一名 阿末●(仐の十を小,=尓)」
「黄精 (中略)和名 阿末柰(=奈) 一名 也末恵美」
「麻黄 一名龍沙(中略)和名 加都祢久佐 一名 阿末■(=奈)」
とあり,萎蕤(女萎,アマドコロ)が「あまね」,黄精(ナルコユリ)が「あまな」,麻黄も「あまな」と呼ばれていることを示す.
★『延喜式』(927編纂開始,967 施行)『延喜式』(エンギシキ)とは,「養老律令」の施行細則を集大成した古代法典.延喜5年(905),藤原時平ほか11名の委員によって編纂を開始し,延長5年(927),藤原忠平ほか4名が奏進した.その後も修訂が加えられ,40年後の康保4年(967)に施行された.全50巻.条数は約3300条で,神祇官関係の式(巻1~10),太政官八省関係の式(巻11~40),その他の官司関係の式(巻41~49),雑式(巻50) と,律令官制に従って配列されている.その典藥寮の項には諸国から毎年進上すべき薬物の種類と量が記されている.その中には黄精と萎蕤(女萎),麻黄が記録されている.
「延喜式 卷第卅七 典藥寮 諸國進年料雜藥」には,
黃精
下總國,卅六種 黃精二斤/出雲國,五十三種 黃精二斤/美作國,卌一種 黃精三斤十兩/備中國,卌二種 黃精五斤
女萎
備中國,卌二種 女萎四斤/阿波國,卅三種 女萎二斤/讚岐國,卌七種 女萎五斤
麻黄
相摸國,卅二種 麻黃六斤八兩/武藏國,廿八種 麻黃五斤/讚岐國,卌七種 麻黃十六斤
とあり,黃精:計十一斤十兩.女萎:計十一斤,麻黄:計二十七斤八兩が,毎年諸国から宮廷に献上されることと決められていた.
一方,使われ方としては,麻黄しか記されていない.
「延喜式 卷第卅七 典藥寮
元日御藥【中宮准此】 麻黃一兩一分
臘月御藥 麻黃六兩
東宮 麻黃一兩一分
每年十二月造元日料 麻黃四兩
諸司年料雜藥
齋宮寮,五十三種 麻黃二兩三分四銖
左右近衛府,各卌七種 麻黃一斤
左右衛門府,各卅四種 麻黃三兩
遣諸蕃使
唐使 草藥,五十九種 麻黃八斤」とあり,計十七兩九斤五分四銖の麻黃の用途が決められていた.(『国史大系
第十三巻
延喜式』)
実際にこれらの植物がどのような薬品として使われていたのかは未詳であったが,重要な薬物としての位置を占めていたと思われる.この資料も漢文で記されているため,これらの和名が何であったのかは不明.
秤量系:17世紀に『本草綱目』が渡来するまで,日本において本草書のスタンダードとされていた★蘇敬撰『新修本草』(659) の「卷第一 合药分剂料理法 古秤惟有铢两,而无分名。今则以十黍为一铢,六铢为一分、四分成一两、十六两为一斤。」「卷第一 合藥分劑料理法」には,「古秤惟有銖兩,而無分名。今則以十黍為一銖,六銖為一分、四分成一兩、十六兩為一斤」,つまり 6銖=1分、4分=1兩、16兩=一斤とされている.この系では「兩」が「斤」より下位であり,延喜式の記述に合致しない.現代の質量への換算値は調べきれなかった.
★源順編『倭名類聚抄』は、平安時代中期の承平年間(931年 - 938年)に,勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう(911-983))が編纂した辞書で,中国の分類辞典『爾雅』の影響を受けている.名詞をまず漢語で類聚し,意味により分類して項目立て,万葉仮名で日本語に対応する名詞の読み(和名・倭名)をつけた上で,漢籍(字書・韻書・博物書)を出典として多数引用しながら説明を加える体裁を取る.今日の国語辞典の他,漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴.
那波道円 (1595-1648) [校]の『倭名類聚鈔』(元和3 [1617] 年序)の「巻二十草木部卅二 草類」には,
「女葳蕤(ゑみくさ)(アマナ)拾遺本草ニ云女葳蕤一名黄芝 葳ハ音威蕤ハ音汝誰ノ反和名恵美久佐 一ニ云 安麻奈」
「黄精(をほゑみ ヤマエミ)本草ニ云黄精ハ 和名於保恵美 一ニ云夜末恵見」
「麻黄 本草云麻黄 和名加豆禰久佐 一云阿萬奈」とある.
黄精(ナルコユリ)は,女葳蕤(アマドコロ)の山に生えるもの,または大型の者としての名がついたと考えられる.この書では女葳蕤(アマドコロ)と麻黄の和名をアマナとしている.
★丹波康頼(912 – 995)撰『医心方』984年(永観2年)朝廷に献上
『医心方』全30巻は巻1がおよそ本草の総論,巻30が食物本草部分で,両巻とも『新修本草』からおもに引用している.しかし,巻1の諸薬和名篇は『新修本草』の全品を記すため,約5分の1には和名が同定されていない.他方,巻30所載の162品は,音読で当時よばれた酪と酥を除くすべてに和名が記されている.さらに『新修本草』収載品でも,日本に生息しない虎などは,巻30に採らない.逆に『新修本草』にない鯛や鮭などの魚類などを,『崔禹食経』(724-891間)ほかの中国本草約10書を駆使し,収載している.これらの点に,中国書からの引用ではあるが,国産で和名もすでにある常用品に焦点を定め,編纂した日本化の特徴を見ることができよう.
(槙佐知子『全訳精解医心方』筑摩書房, 2012)
「第六巻 草上之上四十一種
女萎々蕤 和名恵美久佐 又阿未尓
(於委反 人隹反)
黄精 和名於保恵美 又阿末奈 一名也万恵美」
「第八巻 草中之上 三十七種
麻黄 和名加都袮久佐 一名阿末奈 出讃岐國」
とあり,女萎萎蕤(アマドコロ)が「あまね」,黄精(ナルコユリ)と麻黄が「あまな」と呼ばれているとある.
なお,『医心方』がベースにした『新修本草』には,卷第六に「女萎萎蕤」「黃精」,卷第八に「麻黃」はあるが,「山慈姑」は,ない.従って,『医心方』に「山慈姑」の記述がないのは当然であろう.
★橘忠兼編『色葉字類抄』(1146 – 1181) 平安時代末期に成立した古辞書.橘忠兼編.三巻本のほか二巻本の系統もあり,また十巻本『伊呂波字類抄』もある.和語・漢語を第一音節によってイロハ47部に分け,更に天象・地儀など21門の意義分類を施した発音引き辞書である.イロハ引きの日本語辞書として最古.
当時の日常語が多く収録され,特に漢語が豊富に収録される.また社寺・姓名など固有名詞も収録される.それらの漢字表記の後に片仮名で訓みが注され,時に簡単な漢文で意味・用法が記されるものもある.
この書の三巻本の写本(光棣(写),京都,1827)には,
「中 色葉字類抄八 〇安 〇植物」の項に」
★東麓破衲編『下学集』(1444年成立)
日本の古辞書の一つ.著者は,序末に〈東麓破衲〉とあるのみで不明.京都東山建仁寺の住僧かといわれる.内容は〈天地〉〈時節〉以下18の門目を立てて,中世に行われた通俗の漢語の類を標出し,多くの場合それに注を加えてある.但し,アマナは山脇道円 [増補] の 1669年版以前には確認できなかった.
東麓破衲 [編] ; 山脇道円 [増補],寛文9 [1669] 年刊の『増補下学集下之三 第十四『艸木門』八』に
「女葳蕤(ヱミクサ)(アマナ)」「黄精(ヲホヱミ)(ヤマヱミ)」とある.
★大伴泰広(大伴広公)『温故知新書』(1484)は,室町時代後期の文明16年(1484年)に成立した国語辞典.著者は新羅社宮司大伴泰広(大伴広公).序文は園城寺学侶尊通による.全2巻(3冊).所収語数は約13,000.いろは順が一般的であったこの時代に五十音順を採用した最古のものといわれている.まず語頭の音で五十音順の50の「部」に分け,更に分野・部門別に12の「門」に分けられている.現在は,尊経閣文庫に写本が伝わるのみである.尊経閣叢刊. 侯爵前田家育徳財団 (1939) の影印本がNDL で閲覧できる.
その「ヱ」の部の,「生植」の門に「恵具?(ヱク?) 女萎(同一)(顕??)」とある.
★林羅山『新刊多識編 古今和名本草并異名 羅浮子道春諺解』(1631)は,李時珍『本草綱目』(1596)に関する日本で最初の著作で, 羅山が1630 年に刊行した『本草綱目』から漢名を抜粋した『多識編 一名 今和名本草并異名』に,自身が万葉仮名で和名を記した改訂書である.羅山は徳川家に召し抱えられた最初の儒者であるが,本草書にも造詣が深く,1604年までには,当時出版されて間もない『本草綱目』を読んだとの記録もある.また,慶長12
年(1607 年)には長崎で『本草綱目』を手に入れ,駿府に滞在している家康に献上している.
羅山は本草家ではなく,彼の関心は,漢名の動・植・鉱物は邦産の何にあたるのか,またそれに対していかなる和名をあてるべきかという点(名物學)にあり,みずから自然物を採集して,実物について調べるというのではなかった.従って,この書に万葉仮名で記した和名も,過去の文献や記述からの考定であり,彼自身が『本草綱目』の[集解]の形状と,当てはめた和産の植物のそれとの対応を実地に確認したわけではない.
『新刊多識編 山草類』に
「黄精 於保恵美 今俗称ス二阿宇之一
萎蕤 恵美(エビ)久佐 異名 女萎本經 玉ク竹ク別録
山慈姑 今案ニ土宇呂宇波奈(ナ)」とあり,『隰草類』には,
「麻黄 加久麻礼 今-案 以奴登久左」
とあり,この書で初めてアマナ(Amana edilis)の漢名と日本では認識されていた山慈姑の名が現れた.しかし羅山による和訓,「土宇呂宇波奈(トウロウバナ」と呼ばれる植物は複数あり,木村陽二郎監修『図説草木名彙辞典』柏書房 (1991) によれば,アマナの他にヒガンバナ,ホタルブクロ,ホオズキ,マルバノニンジン(唐沙参)がそう呼ばれる.羅山が『本草綱目』の山慈姑の[集解]を精査してアマナと考定したかは疑問で,[釋名]の「金燈(拾遺)、鬼燈檠(綱目)」を根拠にあてはめたのではなかろうか.
★和刻江西本『本草綱目』(1637) .『本草綱目』のはじめての和刻本を刊行したのは,寛永十四年に京都魚屋町通信濃町の野田弥次右衛門であり,1603年に中国で出版された江西本を底本として翻刻している.殆どの品に和名がカタカナで記入されているが,その和名が略々『新刊多識編』の万葉仮名でしるされた和名に基づくことから,訓点したのは林羅山であろうと,白井光太郎は指摘している*.その書の
草之一 山草類に「黄精 ヲホヱミ 俗称アウシ (以下略)」
同じく草之一 山草類に「萎蕤 エヒクサ (以下略)」
草之四 隰草類上に「麻黄 カクマクレ イヌトクサ (以下略)」
草之二 山草類下「山慈姑 トウロウハナ (以下略)」とあり,『新刊多識編 山草類』の万葉仮名をカタカナになおした和名と全く同一である.
*藍正字『『本草綱目』と林羅山』』(1995), http://www.lib.yamaguchi-u.ac.jp/yunoca/handle/D150002000002,白井光太郎 『本草学論攷』392ページ
圖は NDL の公開デジタル画像より部分引用.
アマナ-(2) 古典文献上でアマナと呼ばれている植物は,必ずしも Amana edulis にあらず.
*藍正字『『本草綱目』と林羅山』』(1995), http://www.lib.yamaguchi-u.ac.jp/yunoca/handle/D150002000002,白井光太郎 『本草学論攷』392ページ
圖は NDL の公開デジタル画像より部分引用.
アマナ-(2) 古典文献上でアマナと呼ばれている植物は,必ずしも Amana edulis にあらず.
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