2018年7月17日火曜日

オオボオシバナ(1)古事記,万葉集,延喜式,名語記,日葡辞書,菊池理予「友禅染と青花紙の関わりに関する一試論」


Commelina communis var. hortensis
2017年8月 茨城県南部
暑い夏の日の朝,オオボオシバナの碧い花が一時の涼しさをもたらす.
オオボオシバナは名前の通り,どこにでもあるツユクサ(帽子花)が大型化した変種で,江戸時代には近江地方で花辧から色素を採取するために栽培されていた.

本種の基本種,ツユクサ(Commelina communis var. communis)の花は,奈良時代から衣料を青く染めるのに用いられていた.この青色は耐久性が低く,水にぬれると流されてしまうため,主に下級の役人の衣服に用いられたらしい.

★稗田阿礼口述,太安万侶述『古事記』(712) の「下 仁徳天皇記」には,浮気をつくろうために,天皇から大后(磐之媛命)に歌を届けるべく遣わされた使者-丸邇の臣口子(ワニのオミクチコ)-が受け取りを拒否され,屋外で跪いて嘆願し続け,ひどく降っていた雨で衣服から青色が流れ出して,紐の紅色に染まってしまった.という話が記載されている.

この衣服は「青摺衣」と表記され,雨水に容易に流されてしまったことから,ツユクサの花弁を摺り付けて染めたものと考えられる.

「故、是口子臣、白此御歌之時、大雨。爾不避其雨、參伏前殿戸者、違出後戸、參伏後殿戸者、違出前戸。爾匍匐進赴、跪于庭中時、水潦至腰。其臣服著紅紐青摺衣、故、水潦拂紅紐皆變紅色。」

「カレコノクチコノオミ、コノミウタヲマウスオリシモ、アメイタクフリキ。コヽニソノアメヲモサケズ、マヘツドノニマヰフセバ、タガヒテシリツドニイデタマヒ、シリツドノニマヰフセバ、タガイテマエツドノニイデタマウ。カレハヒシヾマヒテ、ニハナカニヒザマヅキヲルトキニ、ニハタヅミコシニツケリ。ソノオミ、アカヒモツケタルアヲスリノキヌヲキタリケレバ、ニハタズミアカヒモニフレテ、アオミナアケニナリヌ。」(本居宣長『古事記伝』(1764)」

◆石之日売(いわのひめ)
 口子臣(くちこのおみ)が、これらのお歌を皇后に伝え申し上げたときに、ひどく雨が降っていたが、口子臣は雨を避けようとはしなかった。
 口子臣が御殿の前の戸で待ち伏せていると、皇后は後の戸からお出になり、後の戸で待ち伏せていると、前の戸からお出になり、そのたびごとに口子臣は、腹這いをして、行ったり釆たりした。
 庭の中に跪(ひざまず)いていると、庭水がすっかり腰まで達した。口子臣は、赤い紐(ひも)のついた青摺(あおず)りの着物を着ていたが、庭水が赤い紐を濡らし、青い着物は、みな赤い色に変色した。(梅原猛『古事記』学研M文庫 (2001))

★『万葉集』にはツユクサ(当時の呼び名 つきくさ 月草)を詠った歌が九つあり,この花が早朝しか開花しないことや,衣に付けた青い色が長持ちしないことを,恋のはかなさに重ね合わせている歌も多い.
月草のうつろひやすく思へかも我が思ふ人の言も告げ来ぬ(0583
月草に衣色どり摺らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ(1339
ツキクサの名は花の色が衣服に付くので「付草」,或は色液を取るため器の中で搗いた「搗草」由来という説もある.

「養老律令」の施行細則を集大成した古代法典★『延喜式』(927編纂開始,967に施行)の「巻十五 内蔵寮」の章には
「(中略)
奉諸陵幣
錦綾各二丈八尺/別各二/尺八寸∥兩面二丈/別二/尺∥夾纈﨟纈帛各二疋二丈/別各一/丈四尺∥中緑浅緑帛各一疋四丈/別各/一丈∥白絹五丈五尺/別五尺/五寸∥生絹三疋二丈/別二/丈∥〓五丈/別五/尺∥蘇芳緂紫緂支子緂紅花緂白橡緂帛各一疋五丈/別各一/丈一尺∥緑緂紅花緂蘇芳緂紫緂糸白糸各四絇二兩/別各/五兩∥橡「緂」糸皀糸生糸各一絇八兩/別各/二兩∥蘇芳緂紫緂紅花緂支子緂縹緂綿各三屯四兩/別各/四兩∥雑色緂木綿大三斤二兩/別五/兩∥細屯綿十屯/別一/屯∥三嶋木綿卌(四十)枚/別四/枚鴨頭草木綿廿枚/別二/枚∥色紙百五十枚/別十/五枚∥細布二端二丈五尺/別一丈/五寸∥曝布二端二丈五尺/別一丈/五寸
(中略)
已上陵十所雑給料
錦綾各一丈九尺六寸/別各二/尺八寸∥兩面一丈四尺/別二/尺∥夾纈﨟纈帛各一疋三丈八尺/別各一/丈四尺∥中緑浅緑帛各一疋一丈/別各/一丈∥白絹三丈八尺五寸/別五尺/五寸∥生絹二疋二丈/別二/丈∥絁*三丈五尺/別五/尺∥蘇芳緂**緂紫緂支子緂紅花緂白橡
緂帛各一疋一丈七尺/別各一/丈一尺∥緑緂蘇芳緂紫緂紅花緂糸白糸各二絇十一兩/別各/五兩∥橡糸皀糸生糸各一絇二兩/別各/二兩∥蘇芳緂紅花緂紫緂支子緂縹緂等綿各二屯四兩/別各/四兩∥雑色緂木綿・二斤三兩/別五/兩∥細屯綿七屯/別一/屯∥三嶋木綿廿八枚/別四/枚∥細布一端三丈三尺五寸/別一丈/五寸∥色紙百五枚/別十/五枚鴨頭草(ツユクサノ)木綿十四枚/別二/枚∥曝布一端三丈三尺五寸/別一丈/五寸
(後略)」
と,ツユクサで染めた木綿が支給されると記載されている.(左上図,經濟雜誌社集『國史大系 第十三巻 延暦交替式 貞観交替式 延喜交替式 弘仁式 延喜式』(1900)「延喜式 内蔵寮」NDL)
  絇:すが縒よってある糸を数えるのに用いる助数詞。
  *絁:あしぎぬ,
  **だん【緂】
  だんだらに染めた糸を用いて組んだり織ったりして白地に横の縞模様を表したもの.地色とのさかいはぼけて絣かすりのようになる.平緒(ひらお),鎧(よろい)の縅おどしの糸,馬の手綱などに用いられる.
  白から次第に濃い色になるようにした色の組み合わせ.
内蔵寮(くらりょう,うちのくらのつかさ):律令制で,中務省に属し,宮中の御料を司った役所.職掌は大蔵省より毎年宮廷運営のために送付された金・銀・絹などをはじめとする皇室の財産管理・宝物の保管,天皇,皇后の装束や祭祀の奉幣・官人への下賜・調達など皇室関係の出納事務.

この時代には,衣類や反物に直接花辧を,或は袋に集めた花辧をこすりつけて,青色に染めたと考えられている.従って朝にしか開かないツユクサの小さい花から,大量の花辧を集めるのは,大変な作業であったろうと思われる.

13世紀になると,ツユクサ或はオオボオシバナの花の搾り汁を紙にしみこませた「青花紙」が使われるようになった事が記録に残る.

菊池理予「友禅染と青花紙の関わりに関する一試論」無形文化遺産研究報告Vol.12 (2018) には,「鎌倉時代の『名語記』(経尊、文永111274〉年)の「ハナ」の項には「ソメタルヲアヲハナ(中略)ホヲ花は鴨頭草 ツキクサノ花ヲ紙ニソメナリ(129~130頁)」、また「ツ」の項目には「草ノ名ニツキクサ如何コレハアヲ花ニソムル ツユクサノ同事ニヤ(1224~1225頁)」という記述が見られる。」とあり,鎌倉時代には.ツユクサ(オオボオシバナ)の花の花弁から絞り出した液を紙に浸み込ませて運搬・保存に利するものを得る技術が確立していたのであろう.

さらに,同論文には「その後,江戸時代初期の『日葡辞書』(葡: Vocabulário da Língua do Japão )(1603~1604年)にも『名語記』同様の記述が見られる。『日葡辞書』の「Auobana」の項には「下(Ximo)では縹(Fanada)と言う。青く染めた紙の一種。(39頁参照)」という記載が見られる。また、「Fanada」には「fanagara (花がら)と呼ばれる花で、藍色に染めた紙。上(cami)ではAuobana (青花)という。」とある。また、同書には「例、Cami ximo .(上下)上層のものと下層のものと、高貴の人と下賤の者と。(767頁)」という記述も見られるため、cami は上流階級、ximo は下流階級を示すと考えられる。
 これらの記述を整理すると、①青く染めた紙を上流階級では「アオバナ」下流階級では「ハナダ」と称したこと。②「ハナダ」とは「ハナガラ」の藍色の花の汁を紙に浸み込ませたものであることが理解できる。「ハナダ」が藍色の花の汁ということから推察すると、「アオバナ」も現在の青花紙のようなものを示していたのではないかと推測できる。」とあり,「また、『日葡辞書』が刊行された長崎で刊行されたことを考えれば、「ハナガラ」が九州近辺での呼称であったこととも関連が推測される。」ともある.(出典『邦訳 日葡辞書』土井 忠生 (編集, 翻訳), 森田 (編集, 翻訳), 長南 (編集, 翻訳) 1995 岩波書店)
更にこの『邦訳 日葡辞書』には,「Fanagara ヘナガラ (はながら 藍色の花の咲く。このように呼ばれる草」とある.
なお,『日本植物方言辞典』によれば,ツユクサの方言として「はながら」は本州中部より西で広く記録され,九州では「福岡(田川),長崎(対馬・下県),熊本,熊本(玉名・八代・球磨・芦北),大分(直入・速見),鹿児島(薩摩・大島・甑島・硫黄島)」とほぼ九州一圓である.

この染色に用いられた紙「青花紙」がツユクサの花弁からか,オオボオシバナの花弁からか,得られたのかは明確ではないが,遅くとも江戸時代初期にはこれらの花の花弁から絞り出した液を紙に浸み込ませたものが商品として流通していたことが推察される.

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