2018年7月19日木曜日

オオボオシバナ(2)-仮 青花紙,毛吹草,日本鹿子,大和本草,大和本草,廻国奇観,和漢三才図会,廣益地錦抄,地錦抄,附録,物類品隲

Commelina communis var. hortensis

オオボオシバナという名前は明治以降に一般的になったらしく,それ以前はツユクサとの明確な区別なしに記述されたり,あるいは「アオバナ-青花」や「大寫花」などと呼ばれていた.この花を摘んで,絞って,和紙に何回も塗り重ねたものが「青(花)紙」で,この紙の一部を切り取り,水で色素を抽出し,その液で工芸品の着色に,また特に染め物-主に友禅染-の下絵を描くのに用いられた.下絵は跡形もなく水に溶けて失われるという特性を生かした利用法であった.

今の滋賀県草津市近辺での特産品として「青花紙」が,江戸中期,17世紀前半には記録に残っている. この「青花紙」がツユクサから得られた可能性もあるが,特産とするには,他の地方とは異なった特性を持つ製造法が存在したと思われ,それは「オオボオシバナ」の栽培と考えられる.

オオボオシバナは適度の湿度を持つ肥沃な畑で育てられた.「青花紙」の製造,特に花辧の早朝からの採取は大変な労働で,しかも工程を短時間で行わないと色素の劣化が起こるため,地元江州栗太郡では「地獄花」とも呼ばれていた.

現在では殆ど栽培・製造をする農家はいないとの事.そのため,沃素と澱粉の呈色反応を利用した「化学青花液」と呼ばれる下絵用の液が販売され,「青花液」は高級な染め物以外には使われていない.

江戸時代の俳諧論書★松江重頼『毛吹草』(1645)巻第四
「從---物聞-觸見-及類載之但--
近江 東山道
蛇骨(じゃこつ) 蟬●(流のさんずいを虫)(せんたつ) 苅安(かりやす) 辛灰(からはい) 石灰(いしばい) 滑(なめし) 蜩大豆(ひぐらしまめ) 納小豆(おさめあづき)世俗に是を大納言と云 (中略)
青花紙(あおばながみ)(後略)」と,近江地方の特産品として青花紙を紹介している.

元禄4年刊★磯貝舟也撰『日本鹿子』(1691)の「巻第八 東山道 八ケ国之内 近江国」の部の「同国中名物出所之部」の項には「○青花紙(アヲハナカミ)露草ト云草の花を取て紙を染そのかみを志ほりてこんやにてうわゑをか くなり当こくより諸国へ出すなり」とある.
同書は1412冊より成る日本全国の地誌であり、国ごとに知行高、城郭、陣屋、寺社、名所旧跡、名物、道のりなどを略記し、地図や名所の風景を挿絵で加えてある。
この「青花紙」が近江特産となっているのは,この地方では「オオボオシバナ」が栽培され,効率よく青花紙が製造されたからだと考えられる.

★貝原益軒『大和本草(1709)
「巻之九雑草類」
鴨跖草(アヲハナ)
葉ハ竹葉ニ似タリ花ノ形ハ鳳仙花ニ似テ碧色ナリ 和名月草トモ露草トモ云 苗ノ性大寒腫気ヲケシ熱ヲ消ス 蛇犬ノクラヒタルニツケテヨシ 花ハ用テ絵ヲカク 藍ノ色ノ如シ 水ニテ洗ヘバヲツル故下絵ヲカクニ用ユ 又和名ウツシ花トモ云 鈍(ニブ)色トハウツシバナニテ染ルヲ云 又白花アリ」
とツユクサの花の染料・絵具としての利用法について言及している.

長崎出島に医師として 16901692年滞日し,多くの日本の植物の記述を残した★エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 - 1716)の『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae , 1712)には,ツユクサについて,跖鴨 Koo Sĕkĭ, vulgo Skigusa et Tsugusa, aliis etiam Asango 鴨跖 おうせき 俗に スキグサ 或は 月草 又は アサンゴ)という日本名を持つとし,その利用法として
“Usus florum est pro ultramarino conficiendo: cuius petala cum furfure oryzae mixta humectantur; massa paulo post exprimitur; expresso eius succo immergitur charta pura, et humectata exsiccatur; quod toties iteratur, usque dum ipsa charta pro colore valeat.”
とあり,花弁からウルトラマリンの色素が取れて絵を描くのに用いられる.(途中意味がつかめず).きれいな紙をこの汁に,何度も浸すと,価格が高い絵具になる.と書いてあるようだ.
ケンペルが短期間の長崎の滞在で興味をもつほど,青紙は長崎の市場に出回っていたのであろう.

★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)の「鴨跖草(ちくさ・あをはな)」の條に
「鴨跖草(かうやのおめん,ちくさ,あをくさ)
芩鶏舌(きんけいぜつ)草,碧竹(へきちく)子,竹鶏草,竹葉菜,碧蝉花(へきさんか),淡竹葉,耳環草,藍姑(らんこ)草
本綱、鴨跖草は処処の平地に之れ有り。三四月に苗を生ず。紫の茎、竹の葉、嫩き時食ふべし。四五月に花を開く。蛾の形の如く両葉翅の如く、碧色、愛づべし。(中略)
△按ずるに、鴨跖草(和名、都岐久佐)は、俗に云ふ知久佐なり。処処に多く之れ有り。其の花汁の濃き者を用ゐて染紙を浸す。呼びて青花と曰ふ。畫の具と為す。勢州より之れを出す。江州多く作り出す
古狀 世の中の人の心はつき草のうつろひやすき色にそ有ける
翠胡蝶は即ち鴨跖草の一類か。(末の巻に見ゆ)」(読み下し文)
とあり,オオボオシバナをツユクサ(鴨跖草)と区別していないが,画料として使われる「青花(紙)」が「勢州」でも産するが「江州」の特産としているので,この「青花」はオオボオシバナ由来であろう.
なお,「日本植物方言集成」では,「あおばな」は滋賀県における「オオボオシバナ」の地方名とされ,ここ以外ツユクサを青花と呼ぶ地方はない.

★伊藤伊兵衛『廣益地錦抄(1719)の「巻之八 花木草花三十九種」には,
寫花(ウツシハナ) 一名あを花とも叉つゆくさともいふ 花形は鳥のかしらのかたちにて鳥のくちばしあるがことく花の色こいあさぎ色 花をとりて繪具(エグ)とす こんぜうの色を染る繪出て後おちやすし 水にあらひておつるゆへ下繪を書クに用ゆ されハうつし花といふ 野邉に多く生るは葉青し 是ハ青葉のうちに雪白の筋多く有て嶋のごとく はなよりまきりてなかめ有り根は冬かる、たぬをとり置春まくべし」
とあり,「つゆくさともいふ」とあるが,添付図はオオボオシバナのように思われる.

★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録(1733) の「巻之二△草花の部」には
大寫花(おほうつしばな)
うつし花ともいふ 草立大くして三四尺ばかりにのび立葉大く花大りんにしてほうせん花の輪ほどあり ながめしよし 六月咲さかり久しき物なり 花を取りて絵具(えぐ)とす
とあり,中国からの渡来品と考えられていたようだ.草丈は1メートル近くあるとして,オオボオシバナのそれと一致する.染料・絵具の実用以外にも観賞価値も高く評価されている.

★平賀源内『物類品隲(1763) の「巻之三 鴨拓草」には,「○近-江栗-本郡山田村産葉ノ長サ六---辧大サ寸ニ近シ-人多-植テ利トス六月十三日ヨリ七月十三日ニ至テ花ヲ採ノ侯トス挙テ-家野ニ出テ花ヲ取リ汁ヲ●(手偏+容,シボ)リ紙ヲ染是ヲ青--紙ト稱シテ四-方ニ鬻(ヒサ)ク*其ノ製傳アリ」(*鬻(ヒサ)ク:売る,商う)とオオボオシバナが近江地方で商品作物として栽培されていて,青紙にするには秘伝がある事を記している.

オオボオシバナは花弁が大きく(ツユクサの8-10倍),立性の為にツユクサに比すれば花は摘み取りやすく,開花期には毎日新しい花を咲かせるため収量が多く,商品作物としての栽培に適する.
しかし早朝に開花した花はその日の昼頃には萎んでしまう上,搾り取った汁はその日のうちに紙に塗らないと変質してしまうため,青花摘みと青花紙作りは酷暑の中,長い休憩の取れない作業が連日続く過酷な作業であった.このため生産地では別名,地獄草,地獄花とも呼ばれた.
近代,ヨウ素デンプン反応を利用した「化学青花」が代わりに用いられるようになり,青花紙の需要は減り,オオボオシバナの栽培量も減少した.

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