2018年9月24日月曜日

ムシャリンドウ (9) 学名 (4) ミクェル,サバティエとフランシェ Dracocephalum ruyschiana,シーボルトStachys seiran

Dracocephalum argunense

ムシャリンドウの現在の標準的な学名(正名)は,Dracocephalum argunense Fisch. ex Link で,フィッシャー (Fischer, Friedrich Ernst Ludwig von, 1782-1854) がロシア極東で発見した個体を基に,1822年にリンク (J. H. F. Link , 1767-1851) によって発表された.

一方日本産のムシャリンドウに対しては,ロジャー提督率いる艦隊(1853-1856)が青森県の尻屋崎で採取した標本を基に,米国の A. Gray が欧州産の Dracocephalum ruyschiana の変種として D. ruyschiana var. japonicum と名づけ (1859) た.(前記事

この学名は現在では正名のシノニムとされているが,ミクェル (F. A. W. Miquel) 及び サバティエとフランシェ (P. A. L. Savatier & A. R. Franchet) によってそれぞれの著作に引用されている.前者は,シーボルト藏の腊葉標本及び彼の『「日本植物目録」草稿』に記されている “Seiran(青蘭)という和名も記録している.

ミクェルFriedrich Anton Wilhelm Miquel, 18111871)は,現在はオランダに属するフローニンゲンの大学で医学を学び,ロッテルダム大学で医学を教え,ユトレヒト大学の植物学教授(18591871)となり,1862年ブルーメ(C.L. von Blume)の後継者として,オランダ,ライデンの王立植物標本館の館長となった.
ミクェルは,ツッカリーニがシーボルトと共著していた Flora Japonica” の執筆中に逝去したので その第2巻を分担した.オランダ領インドを中心としたマレーシアの植物研究をして『蘭領インド植物誌』(1855 - 1860)を刊行し,アジアの熱帯植物について深い造詣を有していたので,彼の日本植物研究では西南日本産の暖帯・亜熱帯植物の研究に彼の資質が発揮されたといえる.彼はツンベルクやシーボルトとその継承者達による,当時の世界では最大の日本植物の標本コレクションに大きな関心を寄せ,その重要性に鑑み一般の標本から分けて別室に保管した.これがHelbarium Japonicum Generale と呼ばれる植物標本のコレクションである.
ミクェルは来日していないが,ツユンベルク・シーボルト・ビュルガ一・ピエロ(J. Pierot18121841)・テクストール(C. I. Textor, 1816-?)らの東インド会社の採集品,および伊藤圭介・水谷豊文(助六)・二宮敬作ら日本人植物学者による標本・資料により,日本の植物,主に関東以西の植物相と熱帯の植物との比較検討を行い,分類学的研究を推進して,『日本植物誌試論』の中で日本植物562点を記載している.

★ミクェルは『日本植物誌試論Prolusio Florae Japonicæ, 1865 - 67)』in “A. M. B. L.-B. Ann. Mus. Bot. Lugduno-Batavi” で,ムシャリンドウに Dracocephalum ruyschiana を採用しているが,グレイの附けた学名と,シーボルが残したラテン名を記録している.

p 109
DRACOCEPHALUM LINN.
Sectio Moldavica BENTH. l. c. p. 401.
1. DRACOCEPHALUM URTICAEFOLIUM MIQ. (中略)

§2. Ruyschiana BENTH. l. c. p. 402.
2. DRACOCEPHALUM RUYSCHIANA LINN. — BENTH. l. c. (DC.Prod. vol. 12) p. 402, var. iaponica A. GRAY On
Bot. Jap. p. 402. Stachys seiran herb. SIEB.
An in Japonia indigenum?; schedulae adscriptum E. H. Uko." Teste SIEBOLD Seiran vel Mosi jarin dowan jap.
(Ad prom. Siriki-Saki legit WRIGHT ap. ASA GRAY l. c.).
と欧州産の Dracocephalum ruyschiana と同定しながら,グレイの文献を参照して var. iaponica シーボルトの腊葉標本からの Stachys seiranも示している.また,「日本産か?台紙には  E. H. Uko." とあり,シーボルトに従えば日本名はセイラン若しくはムシャリンドウMosi jarin dowan)」と記載した.なお,” E. H. Uko.” は調べたが不明.
シーボルトはムシャリンドウをイヌゴマ属(Stachys)に帰属し,漢名の「青蘭」の日本語読みで,江戸時代の名称の一つであるセイラン seiran を種名としたラテン名を残した.
シーボルトの残した資料中のムシャリンドウについては次記事

一方,★サバティエとフランシェの『日本植物目録(Enumeratio Plantarum in Japonia Sponte Crescentium, 1875-79.) には,Dracocephalum ruyschiana が採用されている.
サバティエ     フランシェ

サバティエ(ポール・アメデ・ルドヴィク,Paul Amédée Ludovic Savatier, 1830 1891)はフランス人の医師・植物学者で,お雇い外国人医師として横須賀造船所に1866年から1871年まで日本に滞在し,また1873年から1876年に再度滞日した.自ら横須賀や伊豆半島で植物採集を行った他,伊藤譲(18511883,伊藤圭介の三男)・田中芳男(1838 - 1916)・田代安定(1857 - 1928)・小野職愨(おの もとよし,1838 - 1890,小野蘭山の曾孫)等の,日本の植物学者と親交を深め,学名などの校訂依頼に力を貸し,また彼等から標本を入手した.
帰国後,フランシェ(アドリアンAdrien Franchet, 1834 - 1900)との共著で『日本植物目録』(Enumeratio Plantarum in Japonia Sponte Crescentium) 1873-1879年に出版した.サバティエが集めた標本は,パリ自然史博物館などに収められている.

フランシェ(アドリアン・ルネ Adrien René Franchet1834 - 1900)は,フランス人の医師・植物学者で,父親を早く失うが,植物学への情熱を持ち,植物学の研究に必須だったラテン語をモンティ(Montils)の司祭から学んだ.1857年にシュヴェルニー城の所有者,ヴィブレイ侯爵に雇われ,城の考古学,地質学コレクションの学芸員となり,1880年にヴィブレイ侯爵が没するまでその仕事を続けた.1881年からフランス国立自然史博物館の標本館などで働き,中国や日本などの植物の専門家となった.パンダを発見したダヴイッド(A. David18261900)神父採集の植物や,デラヴェ(A. J. M. Delavay, 18341895)神父が中国西南部(雲南奥地)で収集した標本による分類などの研究論文・著書を数多く残し,またマキシモヴイツチとの交流も深かった.
サバティエが日本から帰国後,彼が収集した標本や,持ち帰った本草書*などを基に,共著で『日本植物目録』を出版した.これはThunbergの『日本植物誌』と並ぶ重要な文献で 日本の種子植物2,743種とシダ植物198種が分類・記載され,多数の新種とその自生地が載っており,その後の日本産植物の研究者に便宜を与え,外国人によって出版されてきた日本の植物誌の最後を飾るのにふさわしい著作である.
*サバティエが持ち帰った本草書:飯沼慾斎の『草木圖説』,岩崎灌園の『本草図譜』,島田充房・小野蘭山共著の『花彙』など.

ENUMERATIO PLAMARUM JAPONICARUM 375

DRACOCEPHALUM L.
1350. Urticæfolium Miq. Prol , p. 41
(中略)

1351. Ruyschiana L. sp. 830. — Miq. Prol., p. 41.
Hab. in Japonià boreali, circa Hakodate insulæ Yeso (Maxim.);
ad promontorium Siriki saki (Wright, var. Japonicum A. Gray,
a typo non diversum). Ex urbe Yedo cultum habuit Dr Savatier
n. 961.
JAPONICE. — Mousja rindô (Tanaka).
ICON. JAP. — Sô mokou Zoussetz, vol. 11, fol. 49, sub :
Mousha rindô, Seiran.

と日本の北地,北海道の函館(マキシモヴィッチ*),尻屋崎(ライト)で観察された草本で,サヴァチェは江戸での栽培品(の腊葉を)持っている.日本名は植物学者田中芳男によれば「Mousja rindô(ムシャリンドウ)」,『草木図説』の11巻第49に載り,名称は「Mousha rindô(ムシャリンドウ)」「Seiran(セイラン)」とある.
*マキシモヴィッチ: ロシア人:CJMaximowicz18271891

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