日本特産のこの植物を最初に欧州に紹介したのは,出島の三学者の一人,ツンベルクであった.彼は出島のオランダ商館の医師として滞在した一年有余の間に観察・採取した植物について著した
“Flora Japonica” (1784) のなかで,ホトトギスを Uvularia hirta と記録した.このラテン名はシーボルトの校閲を経て,伊藤圭介訳述『泰西本草名疏』(1829) にホトトギスと考定され,前々記事に述べた如く飯沼慾斎は之に従った.
しかし,シーボルトが滞日中 (1823 -
1829) の1826 年に★ナサニエル・ウォーリッチ(Nathaniel Wallich, 1786 -
1854)が,ネパールの植物誌
”Tentamen Floræ
Napalensis Illustratæ” を刊行し,そこにネパール産のホトトギス類の一種 “Tricyrtis pilosa Wall.” をType species とする新たな属 “Tricyrtis Wall.”(ホトトギス屬)を記載した.
T. pilosaの記載には “Uvalaria
hirta, Thunb. japon . p. 136?” とあり,ウォーリッチはツンベルクの ”U. hirta”
がT. pilosaと同一種の可能性を示唆していた.ホトトギス(U. hirta)と仮に同定する見解は,ホトトギスが 1860 年代に,R. フォーチュンやシーボルトによって歐州に移入され,栽培され,生体を比較することができるまで続いた.
なお,「ホトトギスのなかまの外花被片はみな基部の背面がふくらみ,ここに蜜がたまっている.属名トリキルティスは「3つのせむし」の意だという.」とある.(長田武正『野草図鑑(2)ゆりの巻』(1984) p. 153)
欧州文献図は B. H. L.,植物図譜は Plantillustrations のネット公開画像より引用.
ナサニエル・ウォーリッチ(Nathaniel Wallich, 1786 - 1854)は,デンマーク生まれで,イギリス東インド会社のためにインドで働いた外科医,植物学者.インドやヒマラヤ産の多くの植物をヨーロッパにもたらした.デンマーク王立外科医アカデミーで資格を得て,インドのベンガルのセランポールのデンマーク人入植地に医師に任命され,1807年11月にセランポールに到着した.ナポレオン戦争による国際情勢はデンマークの植民地をイギリスが占領することになり,セランポールのデンマーク植民地Frederiksnagoreも,占拠され,ウォーリッチは捕虜となった.1809年に学識が認められて仮釈放された.
1813年までにインドの植物や植生に強い関心を持ち,ネパール,西ヒンドスタン,ビルマの探検を行った.
1814年にアジア協会の理事会に博物館の設立を提案する手紙を書き,自らのコレクションを協会に寄付し,協会のために働くことを申し出た.協会は申し出を受け入れ,博物館を設立しウォーリッチを名誉学芸員に任命し,その後,アジア協会の東洋博物館の監督官になった.
博物館はウォーリッチの指導や,収集家たちの協力で充実したものになった.協力した収集家の多くはヨーロッパ人であったが,インド人のBabu Ramkamal Senもいて,Ramkamal Senは後にアジア協会のインド人事務局長となった.
その後,コルカタの東インド会社の植物園の監督にも任命され,1817年から1846年に引退するまで,植物園の常任職員として,植物園で働いた.1837年から1838年の間はカルカッタ医学学校の植物学の教授も勤めた.
★ウォーリッチ"Tentamen Floræ Nepalensis Illustratæ"
(vols I-II, 1824–26) の 61 ページには,(https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k976214/f48.item)
“TRICYRTIS, Wall
Perianthum inferum, subscampannulatum, hexaphyllum: folila exteriorum tria
basi
gibboso-saccata. Stamina longitudine perianthii, ejusdemque basi inserta. An-
theræ anticæ, nutantes. Stylus divaricato-trilobus. Stigma
sex, uncinata. Cap-
sula perismaica, trilocularis, polysperma, apice dehiscens. Semina
plana.
Class Linneana. Hexandria monogynia
Ordo naturalis. Lilia, Juss
Habitus:
Planta gracilis, ereeta, caule subsimolici, fullis cordatis, sessilibus,
Amplexicaulibus. Flore
erminales, pauei, pulehri, basi gibblerubus tribus, prominen-
tibus notai (unde
nomen.)”
と,トリキルティス属の特徴が記述され,62ページには,そのタイプの Tricyrtis pilosa (ヒマラヤホトトギス 仮称)が記述されている.
と,トリキルティス属の特徴が記述され,62ページには,そのタイプの Tricyrtis pilosa (ヒマラヤホトトギス 仮称)が記述されている.
“TRICYRTIS PILOSA, Wall.
TAB. 46
Uvalaria hirta,
Thunb. japon . p. 136?
Legi in
montibus Sheopore et Chandagiry, florentem Junio et Julio, fructigeram
Septembre.
Herba erecta, (以下略)”
注目すべきは,文頭に赤字で示すように,T. pilosaとツンベルクの『日本植物誌』に記載されていた
Uvalaria hirta とが同一種である可能性が示唆されている事である.
残念ながら, On line で閲覧できるこの書のヒマラヤホトトギスの図譜 (TAB. 46. https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k976214/f50.item,下図,左) は不鮮明であったが,後にカーチスのBotanical Magazineに描かれた(下図,右)本種はホトトギスとよく似ている.
ヒマラヤホトトギスをホトトギス(Uvalaria hirta)と仮に同定する事は,ホトトギスがフォーチュンやシーボルトによって歐州に移入され,栽培され,生体を比較することができるまで続いた.
ウォーリッチから24年後、19世紀の英国最大の植物学者であり探検家の一人で,Charles Darwinの親友である Joseph Dalton Hooker 卿がウォーリッチの足跡をたどった. 1850年に彼はヒマラヤとインドのシッキム州の探検中にウォーリッチの Tricyrtis pilosa を採集し,その種を父親の英国のキューガーデンのディレクターだったウィリアム・ジャクソン・フッカー (William Jackson Hooker) 卿に送った.
このヒマラヤホトトギスを Royal Kew Garden で栽培し,美しい絵で紹介した ★Curtis’s Botanical Magazine, vol. 82: t. 4955 (1856) に W. J. Hooker (1785-1865) が書いたテキストにも,
”If this is not a plant which strikes the eye from its beauty, it
ウォーリッチから24年後、19世紀の英国最大の植物学者であり探検家の一人で,Charles Darwinの親友である Joseph Dalton Hooker 卿がウォーリッチの足跡をたどった. 1850年に彼はヒマラヤとインドのシッキム州の探検中にウォーリッチの Tricyrtis pilosa を採集し,その種を父親の英国のキューガーデンのディレクターだったウィリアム・ジャクソン・フッカー (William Jackson Hooker) 卿に送った.
このヒマラヤホトトギスを Royal Kew Garden で栽培し,美しい絵で紹介した ★Curtis’s Botanical Magazine, vol. 82: t. 4955 (1856) に W. J. Hooker (1785-1865) が書いたテキストにも,
”If this is not a plant which strikes the eye from its beauty, it
can scarcely fail
to do so from the peculiar form and colouring
of the flowers.
Dr. Wallich, its discoverer, thinks it may be
identical with the Umilaria hirta of Thunberg ; if so, it is a native
of Japan as well
of Himalaya, in the mountains of Sheopore
and Chandagiry,
where Dr. Wallich saw it; but it has
probably an
extensive range in Himalaya, for it is abundant in
Sikkim-Himalaya,
where Drs. Hooker and Thomson detected it,
and whence they
sent seeds to the Royal Gardens of Kew.” ある.
現在このヒマラヤホトトギスの正名(correct
name)は
Tricyrtis maculata (D. Don) J. F. Macbr. である.この maculata という種小名は,ウォーリッチが
"Tentamen Floræ Nepalensis Illustratæ" に記載する一年前に,この植物を ★,D. Don (David, ダヴィット・ドン, 1799 - 1841) が” Prodromus florae Nepalensis”
(1825) に Compsoa maculate として記載したことを,1918 年に,Macbride (James Francis, 1892-1976) が見い出して ” Contr. Gray Herb.” に発表したからで,『国際藻類・菌類・植物命名規約』の「優先権」に基づいて,この学名が優先されたからである.
但し,属名の Compsoa が使われていない理由は,はっきりしなかったが,Tricyrtis が広く使われていたので,この属名が「保存名 conserved name」にとして優先されたからであろうか.
スコットランド人の David Don は針葉樹の研究家として名高いランバート(Aylmer Bourkeエィルマー・バーク, 1761 – 1842) の司書を務め,本人はインドへは足を運ばなかったものの,カルカッタ植物園の植物学者Francis
HamiltonとNathaniel Wallichによるコレクションに基づいて,”Prodromus floræ Nepalensis”
を編集した.
この書の p50-51 に,
COMPSOA.
foliolis oblongis, apice
incrassatis; exteriorbibus tribus
basi
gibboso-saccatis.
Stamina 6, æqualia: filamenta subulata,
compressa,
glabra, basi dilatata ac subconnata: antheræ
ovali-oblongæ,
peltatæ, extrorsæ, dupliei rima longitude-
nali hiantes. Ovarium elongatum, triquetrum,
staminibus
LILIACEÆ. -51
longius, sensim
in stylum breve desinens. Stigmata 3,
longa,
subtrigona, recurvato-patula, apice dichotoma !
revolute. Capsula (immaturam solum vidi)
triquetra, longa
(uncialis), fere
siliquæformis, trilocularis : loctdis
poljsper-mis. Semina angulata, fusca,
simplici serie secus axin di-
gesta.
Herba tota
hirsute, radice fibrosa perenni. Caulis tripedalis,
teres, strictus, foliosus, apice ramostis. Folia elliptica, acu-
minata, basi cordata amplexicaulia, 4-5 pollices
longa, sesqui
v, biunciam lata.
Pedunculi dense pubescentes, uniflori, in
apice ramulorum gemini,
Flores facie et magnitudine
Uvulariæ, cernui, albi, intus maculis numerosis
purpureis
notati.
Obs. Nomen a χομψός, elegans.
1. C, maculata.
Hab. in Nepalia. Wallich.
♃
とあり,ヒマラヤ産の斑点のある花をつけるユリ科の草本に,ウォーリックが採取した多年生植物をタイプとして,新たな
COMPSOA 属の C. maculate と命名した.
この先行文献による命名は長らく蔑ろにされていたが,米国の植物学者マクブライド(Macbride, James Francis, 1892-1976) によって Contr. Gray Herb. 53: 5. (1918) に公表され,現在の正名に反映された.
"CONTRIBUTIONS
FROM THE GRAY HERBARIUM OF HARVARD
UNIERSITY.
– NEW SERIES No. LIII
BY
J. FRANCIS MACBRIDE
Don, Prod. Fl. Nepal. 51 (1825). T. pilosa Wall. Tent. Fl. Napal.
ii 62 (1862)
In spite of the
fact that Hooker, Baker and others have agreed on the identity of the plant of D. Don and
that of Wallich they have failed to take up the former's name which
has priority.”
とある.
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