Hypericum monogynum
『蘭山先生十品考』 |
******文献画像は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用********
江戸時代の本草学者,小野蘭山(1729 - 1810)は,京都に生まれ,はじめ松岡恕庵(1668 - 1746)に師事したが,師の死後は独学し,25歳ですでに多くの弟子を集めた.寛政十一 (1799) 年,70歳で江戸幕府に招かれ医学館の本草教授.翌年から文化三 (1806) 年にいたる6年間,関東,中部,近畿の諸国をめぐって草木の観察と採取を行い,報告書を将軍に献上した.主著『本草綱目啓蒙』 (48巻) は,蘭山の孫の職孝と門人の岡村春益が蘭山の口述筆記をまとめたもので,当時の本草百科事典として医学者必読の書であった.門人も飯沼慾斎,岩崎灌園,水谷豊文,山本亡羊ら非常に多い.
蘭山は,貝原益軒の『大和本草』中の誤謬を指摘し,訂正を試みた講義を行い,弟子の井岡冽(れつ)に『大倭本草批正(ひせい)』に筆記させた.
この書の[巻十二] 花木の項には
「金絲桃 轉ジテビジョヤナキト云二三尺叢生ス枝上ニ花ツク五辨
黄色黄蕋長シ花鏡ニ金絲桃ト云ハ別物ナリ」
と「ビジョヤナギ」(びようやなぎ)は『秘伝花鏡』に掲載されている「金絲桃」とは異なると言ったが,何とは言っていない.
一方,蘭山は彼の七十歳の古稀の祝が弟子たちによってなされとき,それまで明らかにしていなかった植物の漢名を和名に考定した『十品考』を著わして弟子に授けた.後に蘭山の書いた字のまま木版印刷して『蘭山先生十品考』と題し祝の出席者に配布した.序文は医官越智(百々)俊道*が書き,寛政十年と記してある.本文は万寿竹(ホウチヤク),満天星(ハクテウ花),雁来紅(日々花),金糸桃(テンニンクハ),竜骨木(キリンカク),女萎(牡丹ヅル),木黎蘆(ハナヒリノキ),中天蓼(コンロンクハ),赤楊(ハリノキ),練鵲(フウチヤウ)の十品の解説である(植物名の表記は原文のまま).このようなものが秘伝というべきものであろうか疑問ではあるが.
蘭山が『秘伝花鏡』にいう「金糸桃」と考定した「テンニンカ」は,東南アジアの熱帯・亜熱帯地方原産のフトモモ科の常緑低木である.1738年には渡来していたことが,当年作成の『筑前國産物絵図帳』に図(http://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/gallery/006/04/04_053.html)がある事(故磯野慶大教授)から,これ以前に渡来していたことが分かる.従って蘭山も見ていた或は情報を得ていた事はありうるが,テンニンカ(Rhodomyrtus tomentosa (Aiton) Hassk.)の花は紅色後白色で,蘂は多数ながら花の外に飛び出してはおらず,何故蘭山がこのような考定をしたか,『秘伝花鏡』にある「一名」の「桃金嬢」がテンニンカの漢名(現代中国では桃金娘)である事が原因かと思われる.
*百々俊道(1771-1818) どど-しゅんどう 江戸時代後期の医師.京都の人.小野蘭山に本草学を学ぶ.朝廷の医師をつとめ,法眼(ほうげん)となる.著作に「本草類抄備要方」.
『蘭山先生十品考』
小引
我邦本草家自古未審漢名者凡有十品我蘭山先
生講説之暇博求遍索始闡其幽然而帳秘不言者
蓋有年矣今茲戊午春以先生七十初慶門下執事
偏謀同心獻壽於東山第一楼予亦陪焉及酒酣先
生出此書授之諸子蓋酬其酒饌也其巻拈列漢籍
中諸可爲徴之文毎品不下數十條然先生將臨席
時草々所筆無復別副而諸子各有欲得之意予因
謀之用其手稿上刻刷而頒之以均其恵名曰十品
考云
寛政十年 戊午季春 醫官百々俊道謹誌
金絲桃 テンニンクハ 與 金絲海棠同名
秘傳花鏡云金絲桃一名
桃金嬢出桂林郡花似
桃而大其色更頳中莖
純紫心吐黃鬚錯*散
花外儼若金絲八九月
實熟青紺若牛乳狀
其味甘可入藥用如分
種當從根下劈間仍以
土覆之至來年移植便
活
引用元の『秘伝花鏡』の原文では「錯」ではなく「鋪」であり,意味が異なる.
闡:音読み:セン; 訓読み:ひらく,ひろまる,あきらか. 意味. 開けるという也意味がある.広まるという意味もある.また,明らかにするという意味
錯:乱れて入りくむ.
鋪:しく.しきつめる.
左図:Curtis, W., et al., Botanical Magazine vol. 7 (1794), t. 250
右図:Miquel, F.A.W., Choix de plantes rares ou nouvelles, cultivées et dessinées dans le jardin botanique de Buitenzorg (1864), t. 3
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