2021年8月5日木曜日

ビヨウヤナギ (9) 土殷孽-1,中国本草書.新修本草,証類本草,本草品彙精要,本草綱目.

 Hypericum monogynum

 ビヨウヤナギは生け花の花材として江戸末期から明治にかけて広く使われていたようで,多くの華道書にその名前が挙がる.さらに,ビヨウヤナギの「切り花鮮度保持剤」として,「土殷孽の粉」を水に混ぜると良いと記載されている書がある.

月養斎小花信「改訂増補 諸流図式生花秘伝独稽古」(1911)の「草木水上げ法并に養ひ法秘傳の部」には「○金絲桃〇金莖花は,莖の元を鐵槌(いかづち)に打ひしぎ,土殷孽の粉を少し瓶水に和(ませ)して生(いけ)べし」

春陽軒義鳳・琴松国文雅「花道池坊指南」(1911)の「水揚げ法」の章には,「山吹と金雀枝と未央柳
一.山吹,金雀枝(えにしだ),未央柳(びようやなぎ)には,土殷孽(どゐんけつ)の粉(こ)を少(すこ)しく其花器中へ入れれ置けば,能く勢(いきおひ)を助けます.」

この土殷孽(どいんけつ)とは,本来土中から発見される乳白色の管状の鉱物で,古代からの中国の本草書にも記載がある薬物であり,鍾乳石の一部が土中に生じあるいは埋まった物とされている.一方日本では,完全に対応する鉱物が見出されず,管状ではあるが赤褐色の砕けやすい,通称「高師小僧」と呼ばれる鉱物を指すようになった(次記事).上記,ビヨウヤナの鮮度保持剤として用いられる土殷孽はこの高師小僧と思われる.

 


★『新修本草』は、唐高宗の勅によって顕慶四年(659)李勣らが新たに修訂したもので、20巻からなる本草書であり,奈良時代日本に招来され,本草書の基本とされた.その巻第五には,
土陰孽
  
味咸,無毒。主婦人陰蝕,大熱,乾痂。生高山崖上之陰,色白如脂,採無時。
  
此猶似鐘乳、公孽之類,故亦有孽名,但在崖上耳,今時有之,但不復採用耳。
   
謹案此即土乳是也。出渭州鄣縣三交驛西北坡平地土窟中,見有六十餘次昔人採處。土人云服之曰鍾乳而不●(發)●(熱)陶及本經俱云在崖上,此非也。今渭州不復採用也。」と,鍾乳石の一部,孔公孽の類で,高い崖の陰に生じ色は白としている.孔公孽とは鍾乳石の根元の部分を云う.(冒頭図-①) 

唐慎微は1082年に,『嘉祐補註本草』(掌禹錫)と『図経本草』(蘇頌)の二書を合揉して★『証類本草』を撰し,処方を加えた.その「卷第五 玉石部下品」に
土陰孽 味咸,無毒.主婦人陰蝕,大熱,乾痂.生高山崖上之陰,
色白如脂.採無時.〔陶隱居〕云此猶似鐘乳孔公孽之類,故亦
有孽名,但在崖上爾,今時有之,但不復採
用.〔唐本註〕云此即土乳是也,出渭州鄣縣三交驛西北坡平
地土窟中,見有六十餘坎昔人採處.土人云服之亦同鍾乳
而不發熱陶及本経俱云在崖上,此非也.今渭州不復採
用.〔今按〕別本注云此則土脂液也,生於土穴,狀如殷孽,故名
土陰孽.〔臣禹錫等謹按蜀本注〕云今據本經
所載,既與陶注同而蘇獨異,恐蘇亦未是.」
中国の古い本草書は,それまでの本草書の記述を引用し,「○按」や「著者曰」で著者の知見を追加する形式が一般的だが,この書でもほゞ『新修本草』の内容を引用し,更にそれ以降の本草書の進記事を追加し,
〔今按〕で唐慎微の考察を追加している.その中で土陰孽は殷孽に似ていて土穴にあるので,その名があるとしている(冒頭図②).「殷孽」は鍾乳石の中ほどの部分を云う. 

★『本草品彙精要(1505) は,中国,宋と金元の医学が混融した時代である明代に書かれた勅撰本草書.太医院院判の劉文泰らが編集にあたり,1505年(弘治18)に完成させ,孝宗に進呈した.彩色原図を付した豪華本であったが,明,清時代には刊行されることなく秘蔵され,その後,数奇な運命をたどり,現在は日本に陳蔵されている.文章だけは1937年に上海で出版され,このとき初めて本書が世に知られた.『証類本草』などと比較すると,その内容はきわめて簡素で,別名,形状,薬効などが項目別に記され,引用文が少なく,それまでの本草書のおもかげはまったく残されていない.
この書の「巻之六,玉石部下品之下,石之土」に,
「 土陰孽 無毒                            土生
土陰孽主婦人陰蝕大熱幹痂(名醫所錄)【地】(圖經曰)生高山崖上之陰
色白如脂(陶隱居雲)此猶似鍾乳孔公孽之類故亦有孽名但在崖上耳(唐本注云)此即土乳是也出謂(渭?)
州鄣縣三交驛西北坡平地土窟中見有六十餘坎是昔人所採之處土人云服之亦同鍾乳而不發熱
陶及本經俱雲在崖上此非也今謂(渭?)州不復採用別本注云此則土脂液也生於土穴狀如殷孽故名
土陰孽也【時】
(採)無時【用】如脂白者爲好【質】狀如殷孽【色】白【味】鹹【性】軟【氣】味濃於氣陰也【臭】朽【制】研細用」とある.(冒頭図③) 

同じ明代の1596年に李時珍が著わした★『本草綱目』は、本草学の集大成であり,1871種の薬種を収録している.日本の本草学(博物学)にも大きな影響を与えた.その「石部第九巻石之三 石類上」には


「土殷孽
(《別錄》下品)
【釋名】土乳(《唐本》).志曰此則土脂液也,生於土穴,狀如殷孽 ,故名.
【集解】《別錄》曰生高山崖上之陰,色白如脂,采無時.弘景曰此猶似鐘乳,孔公孽之類,故亦有孽名,但在崖上爾,今不知用.恭曰此即土乳也.出渭州鄣縣三交驛西北坡平地土窟中,見有六十餘坎,昔人采處.土人云服之亦同鐘乳,而不發熱.陶及本草云,生崖上,非也.
時珍曰此即鐘乳之生於山崖土中者,南方名山多有之.人亦掘爲石山,貨之充玩,不知其爲土鐘乳也.
【氣味】鹹,平,無毒.
【主治】婦人陰蝕,大熱,乾痂(《別錄》).」とあり,時珍は,「土殷孽は鐘乳石の山崖,土中に生じたもの」と言っている.(冒頭図④-2).また図解には土中に埋まった貝の様な物体が描かれている(左図).
★『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)(1929)春陽堂 による和訳では
土殷孽(別錄下品)      和名 鍾乳狀をなせる土交じりの石灰華 英譯名 Earthly Calc-sinter of stalactite form
[釋名]土乳(唐本)曰く,これは土脂(どし)の液である.土穴に生ずるもので形,
狀が殷孽のやうだからかく
名けたのである。

[集解]別錄に曰く高山の崖上
(がけじょう)の陰(かげ)生じ,色は脂(あぶら)のやうに白い.採収に一定の時期はない.弘景く,これはやはり鐘乳(しょうにゅう)、孔公孽(こうこうげつ)の類に似たものだ.故にまた孽(けつ)なる名稱を付したもので,ただ崖上に在るものなのだ.今は用ゐられないやうである.く,これは土乳のことである.(一)渭州鄣縣(ゐしうやうけん),三交驛(さんかうえき)の西北坡(せいほくは)の平地上や窟中(くつちゆう)に出たもので,そこには昔(むかし)採収した穴が六十餘も現在し
ている.その地方の者は,これを服すれば鐘乳
(しようにう)と同功力で而も發熱しないといつで
居る。陶氏その他の本草に崖上に生ずるとあるは誤りだ,
時珍く,これは鐘乳の山
崖,土中に生じたもので,南方の名山に多くある。その地ではやはりこれを掘つて
石山(二)に作り,珍玩物として賣つて居るが,それが土鐘乳なることには氣が付かな
い.

[氣味]【鹹し,平にして毒なし】
[主治]【婦人の陰蝕(いんしょく),大熱乾痂(だいねつかんか)(別錄)
(一)渭州鄣縣,三交驛:省略
(二)石山:石山は硯山,盆山の類,文房の玩物なり」
とあり,この書では,「土殷孽は鍾乳狀をなせる土交じりの石灰華」と言っている.一方添付図には,崖の先端から垂れ下がった氷柱のような物体の図がある.これは初版本の『本草綱目』とは異なり,後継本草本からの引用と思われる.

また,和刻本草綱目の内,貝原益軒が和名を注釈したいわゆる『貝原本』(本草綱目53卷瀕湖脈學1卷奇經八脈攷,1672)において,益軒は「土殷孽」に対して,「ツチノイシノチ」の和名を当てている.一方,和刻本の中では最も信頼性が高いとされる稲生若水の『若水本』(本草綱目52卷圖1卷附結髮居別集4卷本草圖4卷,1714)では,考定した和名は見当たらない.

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