2022年6月7日火曜日

ウラシマソウ-4 江戸中期-2 『地錦抄』シリーズ,テンナンショウ属.天南星(ウラシマソウ),白天南星,雪持草,武蔵鐙

Arisaema urashima


  良安が『和漢三才図会』で「△思うに,虎掌とは本名である.『和名抄』にも虎掌の名はあるが,天南星の名はない.そもそも天南星の名は唐のときから始めていわれるようになったのは明らかである.今では却(かえ)って虎掌の名を識(し)っている者はいない.」と述べたように,江戸時代の日本では,本草を除いては,「天南星」の方が一般的であったと考えられる.この植物は薬種としてのみならず,花や実を楽しむ花卉としても栽培された.

元禄期の江戸の園芸ブームを支え,一番の植木屋と言われた染井(現在の豊島区駒込付近)の種樹家,伊藤伊兵衛親子(三代,三之丞.四代,政武)は,総合園芸叢書『地錦抄』シリーズを刊行した.実際に育てた草木花卉の園芸植物の種類や特徴,栽培方法を記述し,特徴を捉えて描いた図も添えられている.それらの図は,上手とは言えないものの,それまでの本草書が中国本草書の記述や図を引き写ししていたのとは異なり,実際の植物を観察しているため,それぞれの特徴がよくとらえられている

元禄期に伊藤伊兵衛が出版した★伊藤伊兵衛(三之丞)『花壇地錦抄』(1695)は,総合的園芸の実際書として古典園芸書中の白眉.この書籍には図はないが,元禄の世を風靡したボタン,シャクヤク,ツバキ,サザンカ,ツツジ,サツキ,ウメ,モモ,カイドウ,サクラなどの花木を始め草本ではキク,ナデシコ,ユリ,ラン,アサガオなど種類と品種の特徴が記され,植え替え,培養土,肥料,草木の種類別の栽培ポイントが明らかにされている.この書の「四,五 草花春之部」には,「天南星」が記載され,『草花絵前集』と『広益地錦抄』を参照すれば,「花白とむらさき」のむらさきはウラシマソウの事と分かる.

上書には絵がなかったが,そのいくつかの植物の絵を収載した★伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』(1699)には,天南星として,ウラシマソウと白天南星(マムシグサの白花種?)の図が描かれている.

★伊藤伊兵衛・政武『増補地錦抄』(1710)は,文字通り,先行の『花壇地錦抄』(1695)を補い,新しい項目や上記二書では描かれていなかった植物の図を増やした書である.故磯野慶大教授によれば,この書がムサシアブミとユキモチソウの初出文献である.

★伊藤伊兵衛・政武『広益地錦抄(1719) には,観賞用の植物だけではなく,薬用植物も多く取り上げられている.この書にも天南星として,『草花絵前集』から転載されたウラシマソウとユキモチソウが描かれていて,説明文は『草花絵前集』のそれより詳しい.

★伊藤伊兵衛・政武『地錦抄附録』(1733)は,特に外国産の園芸植物を図と共に多く収載し,正保以降享保年間までに「渡り来る」花木・草花を挙げたのが特色である.これは植物渡来年譜の嚆矢である.もっとも,日本への渡来年というより,江戸に入った年代と受け取る方が妥当らしい.この書にはユキモチソウが描かれていて,新たに描かれた図はより正確で美しく,説明文は『広益地錦抄』のそれより詳しい.また,ユキモチソウは元禄年中に渡来したとある.

★『花壇地錦抄』(1695)の「「四,五 草花春之部

名の下ニ初中末の三字有ルハ春の季を三段トすたとヘハ正月より花咲くるひを初と云二月ニ花咲くを中といひ三月ニ咲くを末と斷ル四月より夏草のふんニしるす」には
天南星(てんなんしやう) 葉ハこんにやく草のごとく花白とむらさき有藥種ニつかふ之」
とあり,更に育て方を書いた「草木植作様伊呂波分」の【て】の部には
てんなんしやう 植替二八月野土ニ忍土まぜてよしくたし肥用べし」とある.この育てるのに適した土と肥料については「草木種土之事」「○草木用ル肥之事」の項に

「野土:原地の竹やぶをほりてさらさらとしたる黒土也
忍土:深山に數年木の葉うづもれて自然に黒土となりたるを云叉塵塚のくさりて土と成たるもいふ叉木葉を土中にうつむる事半年にして取り出せば土と成これも忍土と云」
「くだし肥:下糞一桶ニ水二桶入レ五十日程置て青き水のことくに成たる時用ル」とある.

★『草花絵前集』(1699)は,三代目伊藤伊兵衛伊藤伊兵衛三之丞(?-1719)が描いた原画を子息の政武(16671757)が編集・刊行した.本書は園芸植物120品(各巻40品)の図説で,半丁(1頁)に1~2品の図を描き,花色・花期などを短く注記する.

 この書には,二種のテンナンショウが描かれていて,その内の「天南星」はウラシマソウと,「白天南星」はマムシグサの淡色種のように見える.この両図は『広益地錦抄』に転写されている.ウラシマソウもマムシグサも,観賞用価値が高いとして庭に育てられていた事が分かる.

「○天南星(てんなんしやう)
色くろべに、三四月にさく」

「〇白天南星
色うす白し、三四月にさく。九十月、くれないの
実をむすぶ、其色珊瑚のごとし」とあり,実の美しさも高く評価している.

★『増補地錦抄』(1710)の「巻之六」には

  「武州鐙(むさしあふみ)初夏 天南生の葉のごとく花も似て少ちがひあり
 雪もち草 夏初 形も葉も天南生のごとく花の中に丸者有りて白し」とあり,雪もち草の図が掲げられている.故磯野慶大教授によれば,この書がムサシアブミとユキモチソウの初出文献である.

★『広益地錦抄』(1719)には, 目録に従えば,巻之四に56種,巻之五に57種,巻之六に33種,巻之七に45種.計191種の薬草が記録されている.多くは,性状の外,花や実の観賞用の観点からの評価はされているが,薬効の記述はほとんどない.

その「巻之四薬草五十六種」に,『草花絵前集』からの「天南星」と「白天南星」が転載されていて,
南星(なんせう) 春はへ出に一莖葉葉をひらくととも
に花出る高サ五六寸より壹尺まで一莖一花な
りはなハ異形にて外うす青く内黒紫花のしべ
ハ蛇(ヘビ)(ヲ)尾のごとく成黑き物長ク出ル實ハなし
叉一種白なんせうと云一花二莖にまた出ル花
形ハ少ちがひ有り内外共ニ青シ花しべハ丸ク
白く實(ミ)有とうもろこしのかたちで秋極朱の色
にあかくながめあり」とある.「南星」の方には,「内側から黒紫色の蘂が蛇の尾のように出る異形の花がつく.実はつかない.」とある.

仏炎苞の内部の花柱から出る付属体を「黒紫色蛇の尾のような蘂」と見ていると思われる.「実はつかない.」とあるのは,観察したのが雄株の状態のウラシマソウだったと考えれば納得がいく. 即ち,テンナンショウの類は,地下部の大小により花には雌雄の別があり,それぞれ違った株につくが,同一の株でも栄養状態によって,どちらかの株に性転換できる偽雌雄異株の変わり者である.これはテンナンショウ属の多くに共通する性質であるが,最初に咲くのは雄花,重量が増すと雄花と雌花両方つき,さらに一定重量をこえると雌花だけになる.秋には小さなトウモロコシのような形の果実が赤く熟す.すると球茎は小さくなり,雄に戻る.また球茎は子いもをつけて栄養繁殖もする.それが多い場合も雄に戻る.同一の株でも雌と雄の問を行ったり来たりする.

 ★『地錦抄附録』(1733)の「巻之一 △草花の部」には

雪持草(ゆきもちさう) 葉形花形共に天南星(てんなんしやう)に似て又かは
りたる物也花の色五色なり花の外の方黒
きほどの紫にて内は雪のごとくに白し花
中より丸き真出る雪の如く白し花の上に
立のびたる葩(はなびら)ありて内はうす紫色外は青
き筋とこびママげ?か茶色の筋とまじりて縞のごと
くなり珍花なかめたえず花盛り久しきも
の也三四月咲植て愛賞すべし」とあり,長期間珍しい色合いの花を楽しめるとして,植える事を推奨している.

また,「巻之三 花形図色付 草木異國ヨリ渡リ来ル年記」の巻の「△元禄年-中来品々」の項に,「一.天竺蓮華(テンチクレンゲ),一.木槵子(モクゲンジ),一.椿樹(チンシユ) 今云きやんちん」と共に「一.雪持草(ユキモチサウ)」が挙げられている.勿論ユキモチソウは日本特産なので,1688年から1704年頃の間に西国から江戸に入ったのであろう.

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