Arisaema urashima
松岡恕庵(1668-1746)は稲生若水門の逸材として,その学風を継承発展させ,その門から小野蘭山を輩出して,わが国本草学の形成に功績のあった人として知られる.恕庵の代表著書である★『用薬須知』は正徳二年(1712)の自叙があり,この年が一応の成稿年とみられる.享保十一年(1726)に刊行された.この書は,日用薬物三二○種について薬物ごとに臨床医に役立つ撰品の知識が簡潔に述べられている.
この書の「巻之一草部」に「半夏」「天南星」の項が,「巻之二草部」に「由跋」の項がある.
「半夏 和不シテレ擇レ處ヲ而生ス一種大-半-夏ト稱スルモノ其根-
塊極メテ大葉亦濶大ニシテ有二紋縷(スヂ)一且光ル非ス二半夏ニ一由-跋ナリ
南星ノ一種也不レ可二混シ用ユ一」
「天南星 山コンニヤクト名ク相ヒ-似テ非ナル者アリ斑-杖
ト云形-狀大-抵相-似テ粗-大莖ニ紫斑紋アリ其實
大ニシテ千年(ヲモトノ)○(草冠+昷)ノ實ノ如シ毒尤甚シ不レ入二藥用ニ一南
星ハ莖ノ色ウス色或ハ白色ニシテ斑(フ)白シ實モ亦小粒
大半夏ト称スルハ是上ニ言ヘル由跋ナリ藝花屋(ウエキヤ)ニ武
蔵鐙(アブミ)トモ呼フ叉近世北斗草ト称スルアリ葉似二半
夏ニ一稍大ニ深緑色是モ亦其ノ類ナリ」
「由跋 南星ノ一種ナリ種-樹-家ニテムサシアフミト
云フ和方中ニシバキリノ根ト云テ根ヲ用イ瀉藥
也此物綱目諸説混ス群芳譜明*ニ辧セリ」とある.
参照されている*『群芳譜』は,明の王象晉の著書『二如亭群芳譜』を基に,汪灝・張逸少・汪漋・黃龍睂等が改編擴充した百卷からなる園芸書『佩文齋廣群芳譜』(1708)の事と思われ,この叢書の「卷九十七 藥譜五」の「天南星」の項には,本草綱目の一部改変した「虎掌」の引用で,虎掌,天南星,由跋の違いを「蘇頌曰天南星即本草虎掌也小者名由跋.李時珍曰虎掌因葉形似之天南星因根圓白,形如老人星狀,故名」と述べられている.
この書は知名度は低いが,先行する『花壇綱目』や『花壇地錦抄』より記載がはるかに詳しい園芸書で,草類だけを載せる.著者名は明記されていないが,序文の筆者菊池成胤(浪華の人)と思われる.現存本は上巻のみであり,これには図が一つも無い.凡例によれば図集を下巻として出版するとあるが,刊行された形跡は認められない.見出し数は209だが,同一項に類品を挙げる場合が少なくないので,総品数はこれよりかなり多い.ただし,品種の多いキク・シャクヤク・ボタン・ユリは載せていない.新出品はあけぼの草・いわかがみ草・うらしま草・君かげ草(現スズラン)・なるこゆり・水芭蕉(すべて原記載名)など,15品ほど.注目されるのは,斑入(ふいり)品が30ほど挙げられている点で,江戸時代園芸の大きな特徴である斑入嗜好がすでに始まっていたとわかる.「斑入」の用語も2カ所で初出する.
この書の「雪もち草」の項に,その類として「ウラシマソウ」が記されている.
「雪もち草
花のかたち中心(まんなか)同しいつる舌いろ黒紅すこしかすりあり
同じのち色はしの????極しろし舌な??ささ丸き
しんあつき雪白にして甚見るなり
あつく?やあり又雄?ちといふあり雪もちよりは花大に
見ゆるなりを せうなるその中 (大はんげ)天南星(やまこんにやく)
虎掌(大なくさ??)斑杖(小なくさ??)むさし阿ふミうらしま(満)草かふり草させん
草小斗草皆おなじるいなりかふり草はかたち冠の如し
ざぜん草は同しひら?くあつし小斗草は??しの?ちより
??ながきひけ出る皆秋の末に実をむすふ色あかく玉蜀黍(なんはきび)
のことく玉極みるなり花のかたち尖ていおなじ雪もち草
みなうちの???なり又く?んぎ草とも同じ草ともいふ」とある.
注目すべきは,この類は秋になると「玉蜀黍トウモロコシ」のような赤い実をつけるとある事で,テンナンショウ属の果実の形容としては貝原益軒『大和本草』(1709)にもあり,江戸初期から廣くトウモロコシが知られていた事を示す.
テンナンショウ属の果実は赤く特異な形状が鑑賞用としても高く評価されているが,その形容としては,トウモロコシのほか,ザクロ,オモト,ヤマゴボウ等があり,興味深い.
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