2023年3月24日金曜日

ガーンジー・リリー (11) -假 ヘルマン・ブールハーフェ,リチャード・ブラッドリー

Nerine sarniensis

フランスの植物学者 JP・ド・トゥルヌフォールは,リンネに先駆けて花の形を基準にした植物分類法を考案し,彼の主著『基礎植物学』には,“Lilionarcissus というグループが作られた(前記事).

オランダのヒポクラテス("Dutch Hippocrates")とも呼ばれた著名な臨床医ヘルマン・ブールハーフェHerman Boerhaave, 1668 - 1738)は,ライデン大学の医学と植物学の教授に任じられ,ライデンの植物園の改善と拡大を行い,多くの新種植物に関する論文を出版した.彼の著作の一つ,”Index alter plantarum quae in Horto Academico Lugduno-Batavo aluntur”(ライデン大学植物園に栽培されている植物目録)(1710)  には,トゥルヌフォールのたてた “Lilionarissus” が,”Plantae, Flore Liliaceo “ の一グループとして記載され,その中にガーンジー・リリーが “Lilionarcissus Japonicus” の名で Robert Morison Jacques Philippe Cornut の著作を参照して記載されている.

英国ケンブリッジ大学の初代植物学教授となったリチャード・ブラッドリー (Richard Bradley, 1688 1732) は,大學からの薄給を補うため多くの著作に力を注いだ.アマチュア園芸家への手引書ともいうべき “New Improvements of Planting and Gardening, Both Philosophical and Practical: Explaining the Motion of the Sapp and Generation of Plants” (1725) を出版した.そこでは一項目として,”Guernsey Lily” を取り上げ,「花卉の中で類を見ない美しい花をつける.バラ色の花弁の上に金の砂を蒔いたようだ.」と絶賛し,フェアーチャイルド家で成功している栽培方法(培地や越冬法)を述べている. 

ヘルマン・ブールハーフェHerman Boerhaave, 1668 - 1738)は,18世紀前半に活躍したオランダの医者,植物学者.科学者として独創的な業績を残す事はなかったが,すぐれた臨床教育を行った最初の人物とされており,現代の臨床教育システムと臨床病理カンファレンス (CPC) の基礎を確立し,当時「西洋の医師の半数を指導した」と言われた.

ライデン近郊のフォールハウト(現在のオランダ・南ホラント州)において牧師の息子として生まれ,ライデン大学では哲学と神学を専攻したが,同時に医学,植物学,物理学,科学,数学等の講義も聴講し,いわばあらゆる分野の学問を修めた.22歳の時に,哲学博士の学位を取得.1693年には Harderwijk 大学で医学博士号を取得したが,植物学と化学の研究も続けていた.35歳の時にライデン大学の解剖学と化学の講師となり,41歳で医学と植物学の教授に任じられ,ライデンの植物園に改善と拡大を行い,多くの新種植物に関する論文を出版した.1714年にはライデン大学学長となった.

医学部の教授に任命される以前からすでに多くの学生がよそからライデンにやってきて,彼の講義を聴くようになっていた.彼が臨床講義を始めると学生数は一層増え,亡くなる前年には97名の者が受講していたが,うちオランダ人学生は37名にすぎず,60名はヨーロッパ各地の出身者という有様だった.彼は体温を測定する事を患者受け入れの最初の検査とした臨床医の先駆けであり,オランダのヒポクラテス("Dutch Hippocrates")とも呼ばれた.1716には,ロシアのピョートル大帝(Peter the Great)はオランダを訪れた際に彼の講義を受けた.カール・フォン・リンネら,優秀な学者との交流もあった.


彼の著作 “Index alter plantarum quae in Horto Academico Lugduno-Batavo aluntur” (1710) には,” LILIO-NARCISSUS” の特徴を記して,その後にこのグループに属する種が記載されている.基本的にはトゥルヌフォールと同一の種が含まれ,ガーンジー・リリーが Lilionarcissus Japonicus として記載されている. 

LILIO-NARCISSUS. T. 385. 207.

Radix bulbosa, tunicata.
Flos Liliaceus, hexapetalus, Lilio-Asphodeli æmulus, ex
    thecâ emergens membranaceâ, ut in Narcisso.
Fructus subnascitur flori formâ Narcissi, oblongus, vel
    subrotundus, trigonus, trifariam, dehiscens, foeat us semi-
    nibus subrotundis.

LILIONARCISSUS.  T. 385.

1 LILIONARCISSUS Indicus, saturato colore pur-

 purascens. M. H. 2. 366. Lilium Africanu;
 Narcissinis foliis, polyanthos, saturato colore pur-
 purascens. H. L. Narcissus Indicus, Liliaceus, fa-
 turato colore purpurascens. Ferr. Flor. 119.
2 Narcissus Indicus liliaceus ; diluto colore purpu-
 rascens. Ferr. Flor. Cult. 121. 1c.
3 Lilium Indicum ; Narcissinis foliis monanthemos,
 ex albo rubrum. H. L. Narciflus â D. Gareto ;
 flore albo, exteriori parte rubicundus. Swert. 28.
4 Lilium Americanum ; puniceo flore ; Bella dona
 dictum Par. Bat. 194.
5 Lilionarcissus Africanus ; platicaulis, humilis ; flo-
 re purpurascente odorato. H. A. 1. Cap. 36.
6 Lilionarcissus Japonicus ; rutilo flore M. H. 2. 367.
 Narcissus Japonicus rutilo flore. Corn. 158
.
7 Lilium Americanum ; flore puniceo ; Bella dona
 dictum. Par. Bat. Ic. 194.
8 Colchico Narcissus autumnalis ; luteus, major.
 M. H. 2. 342. Colchicum luteum majus. C. B. P.
 69. Colchicum ; flore luteo Quorundam. I. B. 1.
 661. Narcisso Colchicum ; vulg
ô.
9 Lilium Javanicum habitum. an Lilio Asphodelus,
 Comm. Rar. 14?

 ケンブリッジ大学の初代植物学教授となったリチャード・ブラッドリー (Richard Bradley, 1688 1732) の子供時代については,幼い頃からガーデニングに興味を持っていたことと,当時アマチュアの博物学者が多く住んでいたロンドン近郊に住んでいたという事実を除けば,ほとんど知られていない. ブラッドリーは大学教育を受けていなかったが,彼の最初の出版物である多肉植物についての著作 The History of succulent plants” (1739) は,ジェームズ・ペティバー(James Pettiver, 1665年頃 1718)や,後にはハンス・スローン卿(Sir Hans Sloane)のような影響力のある後援者の注目を集めた. 彼らの支援により,彼は 1712 年に 24 歳で王立協会のフェロー(Fellow of the Royal Society)に推薦され,選出された.

1714 年には,ブラッドリーはジェームズ・ペティバーからの紹介状を持ってオランダを訪れ,園芸に興味を持ち,研究を行った. 彼は次の 10 年間をイギリスに戻り,天候,肥料,生産性,植物の交配などに関連するトピックに関する論文を書いた. この間,シャンドスの初代公爵であるジェームズ・ブリッジス(James Brydges, first duke of Chandos, 1674 1744)は,植栽の助言を求めてブラッドリーを雇い,またアン女王(Queen Anne, Anne Stuart, 1665 - 1714)は彼を支援した.

ケンブリッジ大学は,この分野での彼の功績を認め,植物園を開設し資金を提供するという(果たされなかった)約束をして,1724 年にブラッドリーを植物学の最初の教授に任命し,彼は死ぬまでこの地位に留まった. ブラッドリーは無給の地位だったので,晩年は裕福ではなく,出版を通じて生計を立てることに彼の努力のほとんどを集中させ続けた. 彼のライバルであり,ブラッドリーの死後に欽定教授職(Regius Professor of Botany)を継いだジョン・マーティン(John Martyn, 1699 – 1768, 在職 1727 - 1762)と,彼の後継者である息子のトーマス・マーティン(Thomas Martyn, 1735 – 1825, 在職 1762 - 1825)は,ブラッドリーは生徒たちを犠牲にしてこれを行い,生徒たちに講義することさえ怠ったと伝えている(出典不明).

ブラッドリーの ”Ten practical discourses concerning earth and water, fire and air, as they relate to the growth of plants. With a collection of new discoveries for the improvement of land, either in the farm or garden”(1727)は,庭園と農地から最善の作物を得るための土壌改良・排水・温度管理等の環境整備に関する当時の最新情報を纏めた書である.

 1725年に出版したアマチュア園芸家への手引書ともいうべき New Improvements of Planting and Gardening, Both Philosophical and Practical: Explaining the Motion of the Sapp and Generation of Plants”では一項目として,”Guernsey Lily を取り上げ,「花卉の中で類を見ない美しい花をつける.バラ色の花弁の上に金の砂を蒔いたようだ.」と絶賛し,フェアーチャイルド家で成功している栽培方法(培地や越冬法)を述べている.

BRADLEY “New Improvements of Planting and Gardening” (1718)


CHAP VII
Of Bulbous or Onion-rooted Plants

SECT. VII.

Of the GUERNSEY- LILLY.

THE Guernsey- Lilly has hardly its equal
for Beauty among the Flowering
Race ; and yet it is rarely found in our
Gardens , which may be perhaps for want
of a right knowledge of its Culture. Mr.
Fairchild of Hoxton has this Plant Flow-
ering with him every Autumn, even from
Off-sets taken from the great Roots: The
Blossoms are large, and not unlike those
of the Lilly in their Make; seemingly
powder'd with Gold Dust upon their Rose-
colour'd Petals. The most proper Soil
for this Plant is two third parts of Sea
Sand to one of Natural Soil, or a light Sandy
Earth mix'd with an equal Quantity of
Rubbish. It will bear the Hardships of
our Winters, if it be planted in either of
the foregoing Soils under a warm Wall ;
but chiefly, if it be kept dry. The Flow-
er-stems
of this Plant are commonly about
a Foot high.


 なお,ケンブリッジ大学の植物園は,
1763年市の中心部に小規模な薬草園としてトリニティ・カレジの副学長 Dr. Richard Walker (1679 – 1764) によって設立されたが,やがて衰退してしまった.チャールズ・ダーウィンのメンターとして知られる植物学教授ジョン・スティーブンス・ヘンスロー(John Stevens Henslow, 1796 – 1861,在職1825 – 1861)がケンブリッジの中心部から離れた,より広い敷地が植物園に適していることに気付き, 1831 年,大学はトランピントン・ロード沿いの町の南にある約 40 エーカーの現在の場所を購入し,1846 年に最初の木が植えられた.現在では8,000 を超える植物種が栽培・育生されている.ちなみに,家族でケンブリッジに住んでいた時は,借家が近くの Glisson Road にあったので,毎週のように訪れて季節の移ろいを味わった.

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