日本に原生していて,目立つ花にしては,文献に現れる時期は遅く江戸時代.その後多くの江戸園芸書に記述されるが,その薬効や毒性へ言及した本草書は見つけることが出来なかった.
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貝原益軒『花譜』 (1694) に「福壽草 又ふくづく草ともいふ.草のたかさ数寸にすぎす.その葉胡蘿蔔(なにんたん)に似たり.其花くさやまぶきに似て黄なり.春の初花ひらく.故に元日草という.盆にうへて,新春席上の清賞とす.平安城におおし.春秋わかくうふべし.
偏鄙(いなか)には移し植れども,おほくは生ぜず.但所によりてよろしき地あるべし.寒月は,北ふさがりたる暖所にうへて,其うへに,ぬかをおおふべし.且又霜おほいをすべし.夏月は,日かげよろし.五月には,茎はかれて根はかれず.九月に発生す.此ときほりてあたたかな所にうつしうふべし.又盆にうへてよし.湿をいむ.また糞(こえ)を用ゆべからず.」
伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』 (1695)巻四・五「草花 春之部」に「福壽草 初中.花金色(こんしき),葩(はなひら)多ク菊のことし.葉こまかなる小草なり.花朝ニ開,夕にねむり,其花又朝にひらきて,盛久敷物なり.○元日草共ふくづくくさともいふ.祝儀の花也」
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寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)に「 元日草 福寿草 △思うに,福寿草は洛東の山渓の陰処に生えている.冬は枯れ,春に宿根から生え出る.茎は肥え,高さは二,三寸.葉は胡蘿蔔(にんじん)や石長生(かつべら)(石草類)の葉に似ていて小さく,歳旦に初めて黄花を開く.半開の菊花に似ていて,人は珍重し,盆に植えて元日草と称する.春・夏には長さ一尺余になり,枝条(えだ)が生え,花は綻び開く.そうなると観賞するに堪えなくなる.
『五雑組』に歳蘭(さいらん)というのが載っている.「花は蘭と同じで,葉はやや異なっている.必ず歳の初めに花が開くので歳蘭という」(物部二)とある.これも元日草と同類の異種であろうか.」(右図)現代語訳 島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫.
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橘保国『画本野山草』 (1755 初版) 巻之四 に「元日草 花,金色.葩(はなびら)多く菊のごとし.葉,胡蘿蔔(にんじん)に似たり.はな,一重八重あり.又,深黄或は浅黄,又白もありといふ.朝にひらき,夕にねぶる.其はな,又翌朝ひらく.久しくあり.高さ一寸より五寸,又春の末に至れば八九寸ばかりのぴる.茎をのばし,枝をのばす.葉ひらく.正月より二月まであり.山原,又谷そこに生ず.近江国北山よ.出せり.一名福壽草,又漢名報春草.漢にも立春よりさくと有.報春鳥(うくいす)と同じ.よって,報春草といふ.」(右図)
引用した文献にも,既に八重や浅黄・白花の変異種があることが記されているが,江戸時代後期には,多くの園芸品種が育種され,延宝,元禄の頃すでに迎春用の観賞植物として一定の地位を得ていた.その後日本各地の野性種の中から変異を求めたり,実生により変化を求めて品種数は増加し,愛好家により受継がれたと思われる.
(続く フクジュソウ 2 (2/2) 園芸種 三段咲き)