2010年9月27日月曜日

ゴジカ

Pentapetes phoenicea
現在では,あまり見かけないが,古くから栽培されていた熱帯アジア原産の多年草(日本では春蒔き一年草として扱う).室町時代にはかなりポピュラーだったと見えて,伝 土佐広周(1492年没)の『四季花鳥図屏風』 (サントリー美術館) の左隻 中央部に描かれている.また,1645年本年刊の「毛吹草」に名が出て,種類と呼称が広まっていた事を示す.

江戸時代の園芸書・博物書では
寺島良安の『和漢三才図会』(1713頃)には
「金銭花(ごじくは) 夜-落-金-銭  子午花
    倭名抄俗ニ云 古-無-軟
    今云 午子花

画譜に云ふ、外国より出づ。梁の時、外国より花を進(たてまつ)る。朶は銭の如く亭として愛すべし。
倭名抄に云ふ、梁の簡文帝に金銭花の賦有りと。
 △按ずるに、金銭花は葉狭く長く、鋸歯有り。五六月に花を開く。深紅色、形円くして銭の如く、其の色状甚だ愛すべし。日午(ひる)盛んにして夜子(よる)落つ。俗に呼んで午時花と曰ふ。金盞花を以って金銭花と為すは甚だ誤りなり」として,花の形も色も甚だ愛すべしと,左図の様に高く評価されている.

貝原益軒『花譜』(1694)巻之下 七月
「午時紅
瓶史に出たり.篤信曰,倭俗に午時花という.舊根よりは出ず.毎春種子(たね)を下す.日中に花ひらく,故名づく.」

貝原益軒『大和本草諸品図』 (1709)上
「六七月紅花を開く.俗に午時花と云」 (下図,左下)

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)
後時花(こしくわ) 花形よし色上々くれなひ此花日中ニひらき明朝落ル故二午時花共又五時花共書りすべて花ハちりてはしぼむならいなり後時花ハ落花久敷しぼむ事なし故ニ落花を盆上ニのせ花籠に入て見物する又此花数多(あまた)あつめてさらりとちらすに地に落て百(もも)に一ツも下へむかず

伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』 (1699) (左図,右)
よく特徴を捉えた挿絵.テキストには
午時花
〇花の色くれない、此花日中に開,其夜中たもち、明朝落花せり、其次のつぼみ段々左のごとく、〇五時花とも、○後時花とも書り。又鼓子花といふ草ありて、牽牛花のやうに花もろくして色くれなひなれば、午時花の事かといへり。本草を按るに鼓子花は田野中に甚だ多く、鋤芠芟すれども又生すこと、しからば此事にあらず、午時花は一年草にてくさきりて生す。 とある.

数年前に種をタキイから買って育てた.花色は珍しい朱紅色.一日花で,しぼまずに散るが,バランスの関係か,落ちた花は全て上を向く.まさに花壇地錦抄の記述通り.
垣根に仕立てたのが上の写真.継代に失敗し今は育てていない.

0 件のコメント: