苗を買ってから12年,庭植えにしてから9年で,ようやくハンカチノキに花が咲いた.
背丈が伸びて葉を茂らせるばかりで,樹高は6㍍近く,日陰をつくるだけの厄介者として冷遇していたが,今年は少ないながらも20個近くの特徴ある花を見ることが出来てうれしくなった.
ハンカチノキは中国の中部と西南部の高冷地のみに自生し,中国では「珍稀瀬危植物」のひとつで第一級の保護植物となって.植物界のパンダともいわれている.中国や欧米でも庭園樹として人気が高く,風に揺れる二枚の苞葉を,白い鳩(はと)に見立てて,ハトノキの別名もある.
両性花 雄花と花柱 |
ハンカチノキ(ダビディア)はシナノキにハナミズキの花を逆さまに咲かせたようにみえる.ただしハナミズキとはちがって,苞は2枚だけで,大きく白い.苞に包まれた花の花弁は小さく退化している.花は,多数の黒褐色をした雄花と,1つの緑の両性花からなり,これらが鞠状に集まる.萼と花弁はなく,緑の花柱は太くて先が6〜8裂する.基部に長さ8~16㌢の卵形をした苞があり花びらのようにみえて美しい.中には雄花のみで雌花の付かない花もある(雄花序).花は咲き始めから1週間前後が見頃で,その後は苞が落ちる.苞には落ち方が二種類あり,雄花序苞はきれいな状態で2枚くっついたままぽとりと落ち,両生花の苞はしおれて黄色く変色してからばらばらに落ちる.開花する葉の展開時期には,花からだけではなく,木全体からクレゾールに似た独特の臭気が漂う.この匂いは花の時期が最も強く,花が終わっても少なくなるが消えるわけではない.この匂いは個々の花だけでなく葉や枝の香で虫を呼ぶ方法と考えられ,自然界の子孫繁栄のための戦略の妙味を感じさせる.花後は直径2㌢程の果実ができ,秋に熟する.
1979-May in London Zoo Chia-Chia or Ching-Ching |
ダビディアの分布は中国の四川,雲南,貴州,湖北とチベットの東部に限られている.しかし日本でも川崎市と新潟県十日町から果実の化石が発見されており,更新世から鮮新世にかけては,もっと広く分布していたものであろう.
そのため,「生きている化石」とも呼ばれているが,「植物界のパンダ」の名は,希少性や生育地の一部が共通しているほか,西欧への紹介者が同じダヴィド師であることが元であろうか.
ダビディアは1869 年にフランス人の宣教師のアルマン・ダヴィド(Abbe Armand David, 1862
- 1900)が四川省で見出し,パリに乾燥標本を送り,これに基きアンリ・アーネスト・バイヨン(Henri Ernest Baillon, 1827 - 1895)が,新種として,ダヴィドに献名した Davidia involucrate の学名をつけ Adansonia 10: 115 (1871) に発表した.
1889 年には,オーガスチン・ヘンリーが四川省南部で一本の木を再発見し,花と実の標本を採取し,英国のキュウ植物園に送った.これについて研究したキュウ植物園のダニエル・オリバー博士は,"Davidia is a tree almost deserving a special mission to
Western China with a view to its introduction to European gardens...." 「ダビディアは,欧州の庭に導入するための特別の任務を持った隊を派遣する価値がある花木である」と云った.
その後,多くのプラントハンターたちが,中国やチベット奥地でこの木を捜し求めた.
その後,多くのプラントハンターたちが,中国やチベット奥地でこの木を捜し求めた.
Curtis BM (1921) DAVIDIA INVOLUCRATA var. VILMORINIANA. |
また,イギリスのヴィーチ商会では,ダビディアを入手すべく,1899年にアーネスト・ウイルソン(Ernest
Henry "Chinese" Wilson , 1876 –1930)を中国西南部に派遣している. 彼は1901年に湖北省西部の宜昌市近くでダビディアを発見し,種を採取した.ただ,これは後年 D. involucrata.ではなく, Davidia
laeta, であることが分かった.
2008年4月前橋公園 |
日本でもパンダと同様,観客を呼ぶための目玉になり,開花時期の GW には多くの植物園は開花情報を提供している.
ハンカチノキ (2/2) 珙桐・鴿子樹・綠色大熊貓・伝説
ハンカチノキ (2014), 果実,種子,種子繁殖法
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