奈良時代から,中国の本草書の植物に日本の植物のどれがあたるのかを確認する,「本草学」の前身と位置づけられるいわゆる「名物学」は,学者にとって重要な任務であった.
エゴノキは中国にも自生するにもかかわらず,『本草綱目』等の日本が参考としていた本草書に記載されていなかったために,『本草綱目』の「賣子木」あるいは「斉墩果」に比定された.
『本草綱目/木之三 灌木類』には,
「賣子木/(《唐本草》)
【釋名】/買子木。
【集解】/恭曰︰賣子木出嶺南、邛州山谷中。其葉似柿。/
頌曰︰今惟川西、渠州歲貢,作買子木。木高五、七尺,徑寸許。春生嫩枝條,葉尖,長一、二寸,俱青綠色,枝梢淡紫色。四、五月開碎花,百十枝圍攢作大朵,焦紅色。隨花便生子如椒目,在花瓣中黑而光潔,每株花裁三、五大朵爾。五月採其枝葉用。
時珍曰︰《宋史》渠州貢買子木並子,則子亦當與枝葉同功,而本草缺載,無從考訪。
木/【修治】/曰︰凡採得粗搗,每一兩用酥五錢,同炒乾入藥。
【氣味】/甘、微鹹,平,無毒。
【主治】/折傷血內溜,續絕補骨髓,止痛安胎(《唐本》)。」
とある.これを受けて,
★僧昌住『新字鏡 五十八 木』 (900年)
「賣子木 河知左」(旧本河作阿真末考恐河 本草加波知佐乃岐○)
★源順『和名類聚抄』(承平年間 931年 - 938年)
「賣子木 和名 賀波知佐乃木(カハヂサノキ)」
★林羅山『多識編』(1612) 木部 第四
「賣子木 加波知佐乃木(かわちさのき) 今案 知佐乃木(ちさのき)」
と,賣子木が知佐乃木(ちさのき)=エゴノキであるとした.
しかし江戸時代になってから,,この比定は誤りである可能性が高いと,多くの学者・本草家から疑問が投げかけられた.
★貝原益軒『大和本草 巻之十二 木之下 花木』 (1709年)
「チシャノキ/花四五月開ク 形柑ノ花ノ如ク白シ 香モ柑ニ似テ柑花ヨリ大也 花ヨシ 花多クサク 葉ノ形カクノコトシ 賣子ノ木ヲチシャノ木ト云ハ非ナリ」(左図)
★寺島良安『和漢三才図会 巻第八十四 灌木類』(1713年頃)(右下図)
現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫
「賣子木(ちさのき)/買子木(ばいしぼく)
〔和名は加波知佐乃木.俗に知佐乃木という.
『本草綱目』に次のようにいう.
(中略)
〔六帖〕我がごとく人めまれらに思ふらし白雲深き山ちさの花
△思うに、売子木は今知佐乃木といっているものとは形状が大へん異なっている。
知佐乃木は処々の山中にあって、丹波に最も多い。高いもので二、三丈、径は一、二尺。皮粉は青白色。老いると浅褐色。中心は白く、葉は梅嫌木(うめもどき)の葉に似て尖っていて長さ二寸ばかり。表面は青く裏面は淡い。冬凋み春に生え出る。三、四月に花を開くが砕けていず小さく白い。単弁で野梅の花に似ていて朶(ふさ)の稍(さき)は長く垂れるが、大朶にはならず、ただいつも二・三朶が群生するだけである。実を結ぶが、状は小蓮子のようで初めは青、のち黒くなり、殻は堅く、肉は白色。山雀が喜んでこれを食べる。材は稠堅(ちゅうけん)で枴杖(おうこ,天びん棒)を作ることができ、また傘(からかさ)を造る時の轆轤(ろくろ)にしたりする。樹を伐ると嫩蘖(わかめ)は株から生え出る。生長しやすく、これを採って箕(み)の縁に用いる。」
★新井白石『東雅(巻之十三穀蔬類)』 (1719年脱稿)
「萵苣 チサ 倭名鈔に孟詵が食経を引て,白苣チサ.漢語抄に萵苣の字を用ゆ.今按するに萵字未詳と注せり.墨客輝犀に,萵菜は萵国より来る故に名づくと見えたり.萵苣数種あり.色白き者を白苣といひ,紫なるを紫苣といひ,味苦きを苦苣といふ.又別に水萵苣あり.萵即今ちさといひ,水萵苣をカハヂサといふ.是也.又賣子木をもカハヂサの木といふ.詳ならず.万葉集の歌に,ヤマチサといふものは,此木をいふにや.仙覚抄には,山萵とは木也.田舎人はツサの木といふなりと見えたり.チサの義詳ならず.」
岩崎灌園 本草圖譜(1830-44) 巻92潅木類6 売子木 |
すなわち,『本草綱目/果之三』には,
摩廚子(《拾遺》)/【集解】
藏器曰︰摩廚子生西域及南海並斯調國。子如瓜,可為茹。其汁香美,如中國用油。陳祈暢《異物志贊》云︰木有摩廚,生自斯調。厥汁肥潤,其澤如膏。馨香馥郁,可以煎熬。彼州之人,以為嘉肴。
曰︰摩廚二月開花,四、五月結實,如瓜狀。
時珍曰︰又有齊墩果、德慶果,亦其類也。今附於下。
【附錄】
齊墩果 《酉陽雜俎》云︰齊墩樹生波斯及拂林國。/高二、三丈,皮青白,花似柚極香。子似楊桃,五月熟,西域人壓為油以煎餅果,如中國之德慶果/《一統志》云︰廣之德慶州出之。其樹冬榮,子大如杯,炙而食之,味如豬肉也。
實
【氣味】/甘,香,平,無毒。
【主治】/益氣,潤五臟。久服令人肥健(藏器)。安神養血生肌,久服輕健(李 )。
★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之二十七 果之三 夷果類』(1803-1806年)
「摩厨子 詳ナラズ。〔附録〕斉墩果 チサノキ チシャノキ(俗) ロクロギ(紀州) ホトヽキス(同上) チナイ(野洲) チナヱ(石州) チヤウメ(江州) チヤウメン(土州) ヱゴ(江戸) サボン(加州) タカノヱ(丹州) ジシャ(佐州) ボトボトノキ(越前) ザトウノツヱ(同上)
山野ニ多シ。木ノ高サ丈余、枝条旁ニハビコル。春新葉ヲ生ズ。形橢ニシテ尖り、鋸歯ナク、互生ス。夏月葉間ニ花ヲヒラク。茎ナガク下垂ス。五弁白色、大サ六七分、カタチ柑(ミカン)橘(コウジ)花ニ似テ、香気アリ。後実ヲムスブ。苦櫧(アカガシ)実ノゴトク、径リ二分余、長サ三分余、秋ニ至リ黒ク熟シ、上ニ白粉アリ。破レバ仁ニ油アリ。採テ小鳥ニ飼フ。木皮白シテ青ト黒トノ細斑アリ。用テ器物ニ作ル。コノ木ヲ傘ノロクロニ用ユ。故ニ紀州熊野ニテ、ロクロギト云。又一種九州ニテ、チサノキト呼モノハ、喬木類ノ松楊ナリ。」
巻之三十二 木之三 灌木類
「売子木 サツダンクハ 即,山丹花ノ声ニシテ通名ナリ 〔一名〕山丹(三才図会)
和名鈔ニ、カハチサノキト訓ジ、多識篇ニ、チシャノキト訓ズ。皆非ナリ。コノ木和産ナク、暖国ノ産ナリ」
この比定は,綿々と受け継がれ,チサノキ(エゴノキ)=斉墩果が本草家の間での共通認識となっていた.
★岡林清達・水谷豊文『物品識名(乾)』(1809 跋)
「「木」チサノキ チシヤノキ 斉墩果(摩厨子附録)
チシヤノキ 筑前 唐ビハ,四国 松楊」(右図,左)
また,この『物品識名』には,ハシドイがヱゴと呼ばれていると記されている.江戸時代にもエゴノキがヱゴとは呼ばれず,チサノキと呼ばれていることが分かる.
★岡林清達・水谷豊文『物品識名(坤)』(1809 跋)
「「木」 ヱゴ ハシドイ 葉形女貞(タマツバキ)ニ似テ冬ハ落ツ.枝端ニ穂ヲナシ四弁の小白花櫕簇ス」(右図,右)
ハシドイは,もともと木曽地方の方言で,そのほかにエゴ(尾張),クソザクラ(山梨),サワカバ(岩手),ドスナラ(北海道),ヤチカバ(北海道・岩手),ヤチザクラ(長野)などの異名があるのだそうだ.
しかし,一旦は「チサノキ=斉墩果(摩厨子附録)」で決着がついたかに思われた比定を覆したのが,牧野富太郎博士であった.
エゴノキ (3/5) 賣子木,斉墩果,牧野博士,オリーブ,橄欖,野茉莉,油橄欖
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