2013年5月16日木曜日

エゴノキ (1/5) 魚毒漁,材の利用,チシャノキ,万葉集,ちさの花,山ぢさ

Styrax japonica

 森陰を背景にして,白い可憐な花を枝いっぱいに吊り下げて咲く姿は,春の終わりを告げる.一斉に開いた花を一時に落とし地面を白く染めるので,ああ,ここにエゴノキがあるんだと,分かる場合も多い.

エゴノキの名前は,果実を口に入れると喉や舌を刺激してえぐい(えごい)ことに由来するとされる.若い実の果皮には界面活性剤のエゴサポニンを含み,古くは洗剤として使われた.また,魚を一時的に麻痺させる魚毒漁にも使われていた.奄美ではこの漁法を「ケゴ」とよび,潮の引いた後に残った潮溜まりにエゴノキの実をすりつぶしたものを流し込んで,魚を取っていたが,今は禁止されている.(植松黎「毒草を食べてみた」文春新書1990).

材は白くて緻密で粘り気があり丈夫なため,細工物,こけし,将棋のこま,天秤棒,傘の轆轤などに多用され,また,杖にも加工された.そのため,ロクロギやザトウノツヱの地方古名がある.
また,木村陽二郎監修『図説草木名彙辞典』(柏書房,1991)によれば,この木には「杓子木(しゃくしぎ)・山萵苣(やまぢさ)・山萵苣(やまぢしゃ)・山桐・轆轤木(ろくろのき)・座頭杖(ざとうのつえ)・子安木(こやすのき)・小櫨(こはぜ)・小櫨木(こはぜのき)・石鹸木(せつけんのき)・あぢさ・いつさいえご・いつし・いつちや・あかんちや・かきのきだまし・こがのき・こやす・やめらがしは・やまがら」など,多くの別名があり,いかに里人たちに親しまれていたかが分かる.

一方,故磯野直秀慶応大学教授の「エゴノキ」の初見は,1735年の『諸国物産帳』である*.また,『本草綱目啓蒙』には,「ヱゴ」が江戸での地方名であると記されているので,「ヱゴノキ,エゴノキ」の名称が一般的になったのは近世になってからであり,それ以前はチサノキ,チシャノキが一般的であった思われる.この名は,無数の実が垂れ下がった様子を動物の乳房にたとえた「乳成り」 がチナリ→チナリノキ→チナノキ→チサノキ→チシャノキに転訛したと言われており, 転訛の過程でチナ、チサ、ヂシャ等に変化し訛ってジシャ、ジサ、ズサになったと考えられている.

785前に成立した『万葉集』には,「ちさの花」は,越中国守時代の大伴家持が天平勝宝元(七四九)年に,部下の史生尾張少咋(ししょうおはりのをくい)を教え喩した長歌,「大巳貴(おおなむち)少彦名(すくなひこな)の神代より 言ひ継ぎけらく 父母を見れば尊く 妻子(めこ)見れば愛(かな)しく愍(めぐ)し うつせみの世のことわりと如此様(かくさま)に 言いけるものを世の人の 立つる言立(ことだて)ちさの花 咲ける盛に 愛(は)しきよし その妻の児と 朝夕に 笑(え)みみ笑まずも ……」(巻十八-4106)と詠われているが,これはエゴノキの花と考えて良いと思われる.

一方,『万葉集』には「山ぢさ」を詠った歌も二首ある.
「『氣緒尓 念有吾乎 山治左能 花尓香公之 移奴良武』 息の緒に思へる我を山ぢさの/花にか君がうつろひぬらむ」作者不詳,(巻七-1360)
「『山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止』 山ぢさの白露重みうらぶれて/心に深くわが恋止まず」『柿本人麻呂歌集』(巻十一-2469)

イワタバコ 0808 榛名神社 葉がカキヂシャに似る
鎌倉時代の仙覚律師『万葉集註釈』(1266~1269) 以降,この山ぢさをエゴノキに比定する説が,現在でも有力である.たとえば,山田卓三,中嶋信太郎『万葉植物事典「万葉植物を読む」』北隆館 (1995).

しかし,有名な植物学者牧野富太郎博士は「古往今来万葉学者が唱うるように、万葉歌の山ヂサを(中略)エゴノキきりの一種としたとき、果してそれが上の二首の万葉歌とピッタリ合って、あえて不都合なことはないかというと、私は今これをノーと返答することに躊躇しない。」と言い,その根拠としては,「山ぢさの花にか君が移ろひぬらむ」から,山ぢさの花の色は白ではないと考えられること,「山ぢさの白露重みうらぶれて」から,エゴノキの花に露は宿っても,もともと下垂している花なので,興趣が得られないことなどを挙げ,「山ぢさ」は「樹ではなく草であって、それはイワタバコ科のイワタバコ(岩煙草)、一名イワヂシャ(岩萵苣)、一名タキヂシャ (崖萵苣)、一名イワナ(岩菜)、(中略)すなわち Conandron ramondioides Sieb. et Zucc. でなければならぬと鑑定する。」と主張した.また,このイワタバコ説は、江戸後期の書である「国史草木昆虫攷」(曽槃,文政4年(1821))で既に唱えられているとも指摘している.(牧野富太郎『植物記』「万葉歌の山ヂサ新考」1943年).

『新撰字鏡』 NDL
牧野博士の説に説得力があるように思えるが,そのためには奈良時代に既に「チシャ(萵苣)-カキヂシャ」が中国から日本に移入され,栽培され,山でイワタバコを見たときに,歌を読む人たちが両者の葉の類似性に気がつく程度に普及していなければならない.故磯野直秀慶応大学教授によれば,『新撰字鏡』(900年頃)の「萵 知左」とあるのが,確認され*(右図),また,927年に成立していた『延喜式』にも言及があることから,奈良時代には蔬菜として栽培されていたと考えて良いであろう.ますます,「山ぢさ=イワタバコ」説に軍配が上がりそうだが,寿命の短い白い花をいっぱいにつけた灌木の「エゴノキ」の風情にも捨てがたいものがある.
草木図説前編巻15チシャ NDL

一方,和泉晃一氏は「山チサ」も「チサ」も同じ蔬菜のカキヂシャであるとの説を唱えている**.根拠はこの植物が奈良時代以前に日本に導入・栽培されたと考えられること(和銅7年(714)頃の長屋王家木簡に「智佐 二把」,天平6年(734)の造仏所作物帳に「苣 一万四千五百三十七把」とある),チシャの花は「朝咲いて午前中にしぼんでしまう」半日花で「移ろう花」であること,当時は平地で稲,山地で蔬菜を育てていたと考えられる事である.

しかし,チシャの花は当時の貴族階級や歌人の目に止まるような風情に満ちた花ではなく,むしろみすぼらしい花であり(左図),いくら山地とはいえ「白雲ふかき**」とかけられる山奥で栽培されていたとは考えにくいので,個人としては「イワタバコ」説に一票を投じる.

*磯野直秀『資料別・草木名初見リスト』慶應義塾大学日吉紀要 No.45, 69-94 (2009)
** http://www.ctb.ne.jp/~imeirou/soumoku/s/tisya.html
***六帖に「我が如く人めまめらにおもふらし白雲ふかき山ぢさの花」の歌がある.

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