2007年5月 ひたち海浜公園 |
この植物の存在を最初に西欧に紹介したのはツンベルク(Carl Peter Thunberg, 1743-1828)で,彼の 『日本植物誌 Flora Japonica』(1784) の巻末には不明植物(Plantae Obscurae)が 101 件記録されている.その No. 50 は彼がオランダ商館の館長と共に行った江戸参府の往復の際,箱根山中で見た未詳の木本 “50. Abor foliis rhamni, polysperm. Japonice: Nabe Kabusi, it Toneriko et Utsug (日本名 ナベカブシ,トネリコ,ウツギ)” であり,そこにはその植物学的な特長と花期が五月から六月とある(左図,左).
後述するカーチスのボタニカルマガジン(Curtis's Bot. Mag.: t. 7509 (1896))の記事においては,この未詳の木本はドクウツギであろうとされている.
ツンベルクが滞日中に採集した植物の標本の殆どは,スウェーデンのウプサラ大学博物館に保存されている.最近このコレクションを検討した神奈川県立生命の星・地球博物館の勝山らは,この No. 50 の植物が箱根で採取されたドクウツギであることを確認し,腊葉の写真も撮影した(勝山ほか「ツュンベリーの日本植物誌に記録された箱根産植物」神奈川県立博物館研究報告(自然科学)42号,2013)(上図,右).
http://nh.kanagawa-museum.jp/files/data/pdf/bulletin/42/bull42_35-62_katsuyama_s.pdf
ツンベルクはリンネ(Carl von Linné, 1707- 1778)の弟子であり,リンネは著作『植物の種』(Species Plantarum, 1753)において,地中海沿岸に生育するセイヨウドクウツギに Coriaria myrtifolia の学名をつけていた(Species Plantarum 2: 1037. 1753)ので,ツンベルクも Coriaria 属を知っていたと思われるが,あまりに生育地が異なっていたためか,ナベカブシが同じ属とは考えなかったのであろう.
HUH Type Specimen |
現在も有効である学名 C. japonica をつけたのは,多くの日本産の植物を研究し,植物の「東アジア・北米隔離分布」説をはじめて唱えたハーバード大学教授のエイサ・グレイ(Asa Gray, 1810-1888)である.彼は,ペリー提督の日本遠征と同時期の1853 - 1856年に,日本を含めた極東北部を探索したロジャース提督の艦隊の C. Wright が下田近郊で採取した腊葉を基に,1858年に “Mem. Amer. Acad. Arts ser. 2, 6(2): 383. 1858 “ で新種として発表した.命名の基準となったこのタイプ標本は,ペリー提督の艦隊に同行した S. W. Williams と J. Morrow が1853 年にやはり下田で採集した不完全な腊葉と同じシートに貼られて,ハーバード大学に収蔵されている.(右図)
From "Garden and Forest" |
彼は著作の中で,この木はボストンでも育つ,強健で ”handsome and interesting plant” であり,庭園の装飾用灌木(ornamental plant)として高く評価できるとした.( Sargent. C. S. “Garden and Forest.” 497 ‘New or Little-known Plants’ (1897))(左図)
1893年にサージェント教授から英国 Kew 植物園に種子が送られ,発芽成長し花と実もつけたが,ロンドンの気候にはあまり合わず, “when seen at its best is extremely beautiful. It has been grown with particular success in the Vicarage garden at Bitton*. “ と,南部地方でよい成績が得られた.(Bean. W. “Trees and Shrubs Hardy in Great Britain”. 2nd ed. Vol 1 (1919))
*イングランド南西部,南グロスターシャー,ブリストル近郊の町
カーチスのボタニカルマガジンには,このBitton の Canon Ellacombe's garden で生育し,美しい実をつけたドクウツギの図譜が掲載されている.
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