2014年12月 左:栄養葉, 右:胞子葉 |
小葉には胞子のつくもの(胞子葉-上図右)とつかないもの(栄養葉-上図左)の分化が見られ,形状がことなり,栄養葉のほうが鑑賞的価値が高い.秋が深まると,胞子葉は縮れてまるまり,多くの褐色の胞子嚢がついて,胞子を放出する.
この黄色~赤褐色の胞子(左図)を集め乾かしたものを,漢方では「海金沙」と呼び,内服或いは煎じた液を飲むと「清利湿热,通淋止痛。用于热淋,砂淋,石淋,血淋,膏淋,尿道涩痛」と淋病や利尿に効があるとし,カニクサ自身も「海金沙」と呼ぶ.
「海金沙」は中国の古い本草書『神農本草経』,『新修本草』には見られず,掌禹錫『嘉祐本草』(1059成書) に初めて記載されたようである.
日本の本草学に大きな影響を与えた,明の李時珍『本草綱目』(1596) 草之五,隰草類下 には
「海金沙 (宋《嘉 》)
【釋名】竹園荽。
時珍曰︰其色黃如細沙也。謂之海者,神異之也。俗名竹園荽,象葉形也。
【集解】禹錫曰︰出黔中郡,湖南亦有。生作小株,高一、二尺。七月收其全科,於日中暴之,小乾,以紙襯承,以杖擊之,有細沙落紙上,且暴且擊,以盡為度。
時珍曰︰江浙、湖湘、川陝皆有之,生山林下。莖細如線,引於竹木上,高尺許。其葉細如園荽葉而甚薄,背面皆青,上多皺紋。皺處有沙子,狀如蒲黃粉,黃赤色。不開花,細根堅強。其沙及草皆可入藥。方士采其草取汁,煮砂、縮賀。
【氣味】甘,寒,無毒。
【主治】通利小腸。得梔子、馬牙硝、蓬沙,療傷寒熱狂。或丸或散(《嘉 》)。治濕熱腫滿,小便熱淋、膏淋、血淋、石淋莖痛,解熱毒瓦斯
【發明】時珍曰︰海金沙,小腸、膀胱血分藥也。熱在二經血分者宜之。」とある.
日本においては,『本草綱目』の最初の和刻本である寛永14年 (1637) 版では「海金沙」の和名をスナクサとしている.
磯野によれば「海金沙」を「カニクサ」と比定した文献の初出は★貝原益軒著『本草綱目品目』(右図中央,1680年頃?)で,「海金沙 イトカツラ タタキクサ カナヅル カニクサ」と記している(右図中央 NDL).
これは寛文12年(1762)初刊『校正本草綱目』和刻本の附録である.しかしこの版の『本草綱目』本文では,「海金沙」の和名は「スナクサ」とされている(右図右端 NDL).
この版は,本文も貝原益軒が訓点を付したとされるが,このように,同一漢名に対する和名が本文と附録で異なる場合も多く,また本文と附録の枠の大きさが違うので,本文の校訂に貝原益軒は関与していないようである.
一方,本草家の稲生若水が校正し,和刻本のなかで一番優れているといわれている「新校正本」,正徳4(1714)版では,本文中の「海金沙」の和名は「カニクサ」とされ,貝原益軒の比定が取り入れられている(右図左端 NDL).
これ以降は,「海金沙」=「カニクサ」が一般的に認められたようである.
★貝原益軒『大和本草』 (1709) 巻之八 草之四 には「海金沙 カニクサ 七月二日ニ乾シタヽクニ金砂アリ 唐ヨリ来ルニ性ヲトラス 京都近辺ニテカニグサ又カンツルト称ス 江州ニテタヽキ草ト云又イトカヅラト云 西国ニテハナカヅラト云 ツルアリ ヨウノ内岸ノ側ニ多シ」とある(左図左端 NDL).カニクサから秋に収穫された胞子の,海金沙としての薬効は「唐ヨリ来ルニ性ヲトラス」としている.さらに,いくつもの地方名を記されているところを見ると,広く民間に親しまれていたと思われるが,それは薬用としてではなく,その特異な形状やつるの用途に由来すると考えられる.
また同書の 巻之九 草之五には「カニトリ草 細草也蔓草ノ如シ 其葉両々相対セス 和礼ニ祝儀ニ用ユ シノフヲ用ルハアヤマリナリ 紋ニモ付ル」とあり,また「和礼ニ祝儀ニ用ユ」とあり,儀礼用或いは神事に用いたことが分かり興味深い(左図右端 NDL).
★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃) では,カニクサと海金沙とは別項を立てている.
巻第九十四の末 には
「海金沙(かいきんしゃ) 竹園荽
〔俗に須奈久佐(すなくさ)。また多多岐久佐(たたきぐさ)ともいう〕
『本草綱目』に次のようにいう。
海金沙は山林の下に生える。茎は線のように細く、竹木の上に引き張る。高さは一尺ばかり。葉は細くて園荽の葉のようで大へん薄い。表面も裏面も青く、上に皺文が多い。皺の処に細沙があり、子の状は蒲黄粉(ガマの花粉)のようで黄赤色である。花は開かず、細根は堅強である。沙も草もみな薬に入れる。七月にその全科(菜も根もすべて)を収め取り、日中に曝し、少し乾くと紙を下に敷いておいて、杖で撃くと、細抄が紙の上に落ちる。また曝し、また撃くという動作を細抄のなくなるまで続ける。
気味〔甘、寒〕 小腸・膀胱の血分の薬である〔熱がこの二経の血分にある場合はこれがよい〕。熱淋急病の場合には、粉末にし、生甘草粉に煎じて二銭を調えて服用する〔あるいは滑石(雑石類)を加える〕。妙験がある。
△思うに、海金紗は和漢ともに用いる。江州から出るものが良い。また江浦草(つくも)の子を海金抄と偽るものもある。そのようなときは撚ってみて粘らないものが本物、土を撚るようで粘るものは偽である。」とある(右図右端・現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫).
一方,巻第九十八 には「蟹草 俗称 △思うに、蟹草は山谷の石の割れ目に生えている。人家の手水鉢の際に栽える。高さー尺ぐらい。茎は細く硬く、葉は細長く扁(ひらた)くて、韮の葉の様に似ている。叉がある。葉は表裏とも蒼く、四時(いちねんじゅう)凋まない。花・実はない。」(上図左端・現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫) とあり,人家で鑑賞用として植えられていた事が分かるが,それほどの暖地ではないのに,常緑性とも言っているのが不審である.
★伊藤伊兵衛『広益地錦抄』(1719) 巻之七 薬草四十五種 には,垣根にからませた図と共に,「海金沙(かいきんしゃ)葉形しのぶににたり 細長に切込あり 蔓ほそく竹木にからみ付テしげる 花はなし 葉をながめとせる 俗につるしのぶともかんつる共いふ」とあり,観葉植物として庭植えしていたことが分かる(左図,NDL).
★松岡恕庵(1668-1746) 『用薬須知後編』(恕庵の没後遺稿を整理編集して1759年に刊行) 後編巻之一 には「和用ユヘシ 和俗スナクサ カニクサ サミセンクサ リンキヤウクサト云フ 江戸種樹家(ハナヤ)ニテハツルシノブト云 葉ノ背ニ黄点アリ 即チ花也 葉ヲ陰干シテ紙上ニ撃(タタ)ケハ黄点落ツ 是ヲ用ユ 庸医誤リテ海底ノ沙ヲ用ユ 笑フヘシ 補骨脂ヲ誤リテ紙ト謂ヘルカコトシ」と和品で十分薬効を期待できること,また,名前につられて海底の砂を用いる医師がいることを笑い話として記している.
江戸時代の文物の方言資料として名高い,★越谷吾山 編輯『物類称呼』 (1775) 巻之三 には,「海金沙 うにくさ○京にて○かにくさ又かんつると云 近江及美濃或ハ上野にて○たたきぐさ又いとかづらと云 西国にて○はなかづら又さみせんかづらといふ」とある(下図左端).
いずれも NDL |
故ニ禹錫ノ説ニ、初生作小株高一二尺ト云。今ノ本ニ初ノ字ヲ脱ス。宜ク補べシ。苗長ジテ藤蔓細ク堅シ。長ク草木上ニ纏フ。其蔓ヲ採、外皮ヲ到リ去バ、中ニ堅キ心アリ。黄色ニシテ光アリ。三弦ノ線ノ如シ。小児戯ニ両端ヲ引テ弾ズレバ声アリ。故ニ、サミセンヅル云。葉ハ井口辺草(トリノアシクサ)ノ葉ニ似テ、深緑色。夏己後蔓ノ末ニ生ズル葉ハ、甚細ニシテ海州骨砕補葉(シノブ)ニ似テ、脚葉ノ形卜異ナリ。秋ニ至テ葉背ゴトニ皆辺ニソヒテ高ク皺ミ、巻カへツタル状ノゴトク見、其中ニ金砂ヲ含ム。脚葉ニハ沙ナシ。其梢葉ヲ採、紙ヲ襯(ハダ)キ、日乾スレバ細沙自ラ落テ紙上ニアリ。収貯ヘ、薬用ニ入。本経逢原ニ、市舗毎以秒土知入、須淘浄取浮者曝乾、撚之不粘指者ト云。」と生育地・形状,さらには栄養葉・胞子葉の細かい形状の違い,「金砂」の収穫法,市販品中の真の「金砂」の見分け方が記されている.
★岡林清達・水谷豊文『物品識名』(1809 跋) 乾五十 には「カニグサ ツルシノブ江戸 海金沙」とある(上図中央).
★岩崎灌園『本草図譜』(1828-1844)巻之二十 には「海金沙(かいきんしゃ)かにくさ 山中の樹下に生□春月宿根より生え蔓草なり 茎細くして黄絲如くして硬く竹木を絡ふ 葉ハ仙人掌草□に似て花叉多く互生し蔓長さ二三尺 梢葉ハ小雉尾草(がん志のぶ)に似て葉の背に黄色の細点阿り 是実□乾して振い落こと砂のごとし」とある.(左図,□は判読不能文字)
★加地井高茂 [編]『薬品手引草』(1843)上 には「海金沙(カイキンシャ)竹園荽(チクヱンスイ)すなくさ かにくさ つるしのぶ 和」とある(上図右端).
カニクサ(2/3)ツンベルク,英国では観賞用,米国では世界最長の葉に成長,野生化して厄介者に
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