E. J. Lowe “Ferns British And Exotic” (1857) |
西欧にカニクサに学名をつけて紹介したのは,長崎出島のオランダ商館の医師として赴任し,多くの日本産の植物を紹介したカール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828,滞日1775 - 1776)で,彼の『日本植物誌』(Flora Japonica)(1784)にはハナヤスリ科ハナヤスリ属に属するとして Ophioglossum japonica と命名して記載した(左図).
しかし 1800年に Olof or Olavo (Peter) Swartz (1760-1818) がフサシダ科カニクサ属 Lygodium に転科転属し,現在有効な学名 Lygodium japonicum にした.
ツンベルクの『日本植物誌』には,生育地として長崎,越戸?,薩摩が挙げられ,日本名として,Kaikinsja, Siamisen Tsulu, Sasin Ito が記録されている.長崎地方の地方名でそれぞれ,海金砂,三味線蔓,三線(さんしん)糸と思われ,カニクサ(1/3)に記した江戸時代の本草書の地方名と比較すると興味深い.
江戸時代には,日本でカニクサは観賞用として栽培されていたが,英国・米国にも19-20 世紀に鑑賞用植物として導入された.
英国では遅くとも 1857 年には,美しいシダとの評価が確立していて,いくつもの庭園,植物園で栽培されていた.冒頭に掲げた E. J. Lowe の “Ferns British And Exotic” の説明文には Japanese climbing fern として “A very pretty climbing Fern. A stove species” 「大変可愛らしい蔓性のシダ,温室向き」とし “It may be procured of any Nurseryman” 「多くの育苗園から入手できよう」とある.ヤツデと同様,当時流行だった熱帯地方の植生をイメージさせる鉢植え,特に噴水や池の近くのパーゴラやトレリスにからませるために用いられたと考えられる.
米国には1900年代初めに観賞用 (ornamental plant) として,フロリダに導入された.しかし英国とは異なり暖かいこの地方では,逃げ出し野生化し,30㍍にも巨大化することもあるとのこと.これに胞子をつけて撒布し,子孫を増やしたカニクサは,厄介者と化した.以下のHPに繁茂の状況が詳しいが,まさにジャングル状況.(USDA, National Invasive Species Information Center, www.invasivespeciesinfo.gov/plants/japclimbfern.shtml).
スイカズラと同様に樹木に絡まりキャノピーをつくり,樹木や,その下に生える植物の光合成を阻害するだけではない.山火事の際には,樹冠まで火を誘導し,樹木を完全に燃やしてしまうが,自分自身は土中に茎や根があるため,火の影響をうけず,火事のあとはむしろ灰の栄養を受けてますます繁茂し,胞子で生息域を拡大する.
現在では南部を中心に 14 州への侵入が確認されていてますます分布域を広げる勢いだ.
カニクサ(3/3) 名の由来,多くの地方名,あせもぐさ,たたきぐさ,鹿児島の島々では神事にも
カニクサ(1/3) 日本で最大の葉 胞子は海金沙 本草綱目,大和本草,和漢三才図会,広益地錦抄,物類称呼,本草図譜,本草綱目啓蒙,物品識名,薬品手引草
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