2016年11月15日火曜日

オシロイバナ-2 江戸時代-2 紫茉莉,本草綱目啓蒙,重刻秘伝花鏡,物品識名,梅園草木花譜,薬品手引草,和蘭六百薬品図

Mirabilis jalapa

小野蘭山は,『花彙』(1765刊)で,先人たちに従ってオシロイバナを『本草綱目』に記載されている「火炭母草」と考定したが,約30年後に出版した『本草綱目啓蒙』では,この考定を「穏ナラズ」とし,明の髙濂撰『遵生八牋』の「紫茉莉.一名臙脂花」,陳扶揺『秘伝花鏡』(原本 1688)の「紫茉莉.状元紅」と正しく再考定した.
この「オシロイバナ=紫茉莉」の考定はかなり広く行き渡ったが,なお,「火炭母草」との誤考定も根強かった.
一方,西欧からの本草書や薬物,あるいは科学書の渡来にともない,強力な下剤である「葯刺巴,鬼茉莉,ヤラッパ」が使われるようになり,これを「オシロイバナ」と誤認する蘭学者もあった(次次記事).これには,リンネがつけた学名の種小名が「jalapa」であることも影響しているかもしれない.

本草綱目啓蒙 濕草類下 NDL
★小野蘭山『本草綱目啓蒙(1803-1806) 巻之十二 草之五 濕草類下 には,
火炭母草  詳ナラズ。
ヲシロイバナニ充ル古説ハ穏ナラズ.ヲシロイバナハ遵生八牋ニ載ル所ノ紫茉莉ナリ.一名臙脂花(同上) 状元紅(秘伝花鏡) 春分,子ヲ下ス.円茎高サ二尺許,枝四旁ニ繁布シ,高ク聳ヘズ.節高ク紅ニシテ秋海棠ノ茎ノ如シ.其枝葉両両相対ス.葉円ニシテ尖,莧(ヒユノ)葉ノゴトシ.淡緑色.秋ニ至テ枝ノ梢ゴトニ花ヲ族生ス.夕ニ開キ朝ニ萎ム.形牽牛(アサガホノ)花ニ似テ,小ク,五尖アリ.内ニ長キ蘂ヲ吐.其花深紅色ナリ.又白色,紫色,黄色アリ.黄ニシテ深紅間(まじ)ルモノヲ花戸ニテ,キンゲシャウト呼.花謝シテ円実ヲ結ブ.大サ三分許,黒色,硬クシテ皺アリ.打破スレバ殻甚厚シ.其内ニ白キ粉アリ.故ニ,ヲシロイバナト呼.根ノ形直長ニシテ羅葡(ダイコンノ)根ノゴトシ.子熟スレバ苗根共ニ枯.然レドモ九州ニテハ旧根枯ズ,春ニ至テ更ニ苗ヲ生ズト,大和本草ニ云リ.」
と,九州では宿根であるが,江戸では一年で枯れる.こんもりと茂り,幹や枝の節は膨らみ,紅・紫・黄・白,黄色に紅色の斑入りなど,アサガオに似て先の尖った五辧の花は色とりどりの花を多くつけるなどとし,また,葉や根の特徴は多くの植物との類似性を指摘して,さすが,当代一の本草家,その記述は的確である.

この紫茉莉について★陳扶揺『秘伝花鏡』(1688) に,平賀源内が校正・訓点を加えた『重刻秘伝花鏡』(1773)には, 「巻之四 藤蔓類考」
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-----.本不甚高カラ.但婆-婆而蔓衍.葉似タリ-菁(カフラ).秋深シテ.似-而色紅-紫清-*.午-後即歛.其艶不シテ久.而香亦不-ニハ故不世重セラレ.結實頻繁.春-間下即生.」とある.大和本草と同様に,「早朝に咲き,午後には萎む」と実際の開花時間とは逆の記述があり,更には,花は似ているが,香りが本物の「茉莉(ジャスミン)」には及ばないので,中国ではあまり珍重されていないとある(右図,WUL).
*清晨:(夜明け前後の短い時間を指し)早朝,明け方

一方『遵生八牋』の「紫茉莉」の記述は,公開ネット上では見いだせなかったが,これを引用したとみられる『草花譜』の記事は認められる.(後の記事)

★岡林清達・水谷豊文『物品識名. 四十一(1809 ) には
「ヲシロイ ユウニシキ 紫茉莉 遵生八牋」と正しく考定され,この時期には有力本草家の間では広く認識されていたと思われる(左図,NDL).

梅園草木花譜 夏乃部一, NDL
★毛利梅園(1798-1851)『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849)「夏乃部一」には,庭に栽培した紅色と紫色のオシロイバナの絵が掲げられ
紫茉荊(莉?)オシロイ 辟書 白粉花
外 白シボリ有 一類華與是相同し
和漢三才圖会濕草類曰 白粉草 オシロイクサ 正字未詳 於之呂以乃木
本草家曰 山臙指(脂?)」とある.長い萼筒や飛び出した細い蕊が繊細かつ正確に描かれている.

薬品手引草 NDL
★加地井高茂『薬品手引草』(1843
「火炭母草 クハクハイモサウ おしろいはな」との誤考定が残る.

★山本錫夫(1809-1864)考定『和蘭六百薬品図』には,原著『薬用植物図譜』の Mirabilis jalappa. L.図の主要部の模写に,「北茉莉 ヲシロヒバナ」の題がついている.北の地方まで咲くことができる茉莉(茉莉花:ジャスミン)の意味と思われる.
和蘭六百薬品図 左 原図 NDL

オスカンプ等編『薬用植物図譜』(Oskamp, D. L.: Afbeeldingen der artseny-gewassen met derzelver nederduitsche en latynsche beschryvingen..( 1796-1800))は,天保期(1830-43)には舶載され,本草学者に利用された.『和蘭六百薬品図』は同書の図のみをすべて模写したもの.ラテン名,オランダ名,漢名,和名を付記する.部分図の省略は見られるものの,繊細な筆致で丁寧に再現されている.巻末に「平安榕室山本錫夫題名」の墨書があり,本草学者山本錫夫(1809-1864)が漢名,和名を付記したものと思われる.原書の図は手彩色された銅版画である.

このように江戸後期には「火炭母草≠オシロイバナ=紫茉莉」と認識されてきていたが,その薬効についての記述はあまりない.ただ,★宇田川玄真著,宇田川榕菴校補『遠西醫方名物考』(1822) には,「オシロイバナ」を,舶来の強力な下剤として蘭医の間で使われていた「葯剌巴 ヤラッパ Jalapa」と誤考定した記述と図がある(次次記事).

オシロイバナ-1 江戸時代に日本に渡来.『花譜』,『草花絵前集』,『大和本草』,『和漢三才図会』,『画本野山草』,『廣倭本草』,『花彙』 ,『本草正譌』,『本草正々譌』,火炭母草から紫茉莉

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