Mirabilis jalapa
伊藤圭介 (1803-1901) は名古屋生まれの植物学者.24歳の時,長崎でシーボルトから博物学の教えを受ける.
L:泰西本草名疏草稿 R:泰西本草名疏 |
「草稿」中に㋛とあるのは,既に長崎でシーボルトから得ていた見解であるが,文政11年秋に発覚したシーボルト事件のため,刊本ではシの字が削られ○印のみとなる.また本文中ではシーボルトに「稚(ワカ井)膽八朗」の仮名を使い,既に死亡したとした(稚=椎=シイ+膽八=ホルト(ノキ)=シイボルト).
★伊藤圭介『泰西本草名疏』下 八(1829)には,『日本植物誌』の Mirabilis jalappa について,
[十一 方言録*ニ IEN CHI HOA トアリ按ニ臙脂花]
「MIRABILIS IALAPPA. LINN.** オシロイバナ
紫茉莉 ○尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先輩紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ ホウセン
〔MIRABILIS HIBRIDA. R.S.** オシロイバナ〕」
とあり(左図,右側,NDL),シーボルトの言(〇)から,汎用されている「ヤラッパ」はヒルガオ科の植物で,オシロイバナ(紫茉莉)に充てるのは間違いだとしている.一方漢字名として「臙脂花」を挙げ,また和名として「ホウセン」を記している.
十一
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方言録ニ IEN
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MIRABILIS IALAPPA. LINN. オシロイバナ紫茉莉
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○尋常藥用ノ「ヤラッパ」ハ蓋シ旋花甘藷
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CHI HOA ト
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ノ類ニシテ CONVOLVUS. ナリ先
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アリ按ニ臙脂花
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輩紫茉莉ニ充ルノ説誤ナルベシ
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ホウセン
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[MIRABILIS HIBRIDA. R.S. オシロイバナ ]
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「*方言録」および学名を与えた人物「**西名」について,関連部分を同書の凡例部から拾うと
「*方言録:余西遊中般●(風+忽)爾孤(ハンビユルグ)ガ撰スル諸国物産方言録〈紀元一千七百九十二年鏤版〉ヲ閲ス其書ハ欧羅巴諸州ヲ初メ其佗支那交趾等諸国ノ方言ヲ纂輯スソノ漢名ハ音譯スルモノニシテ漢字ヲ記サレザレドモ〈余間漢字ヲ塡ムルモノアリ然トモ轉音頗ル多キニ似テ隱當ナラザルモノ蓋シ少カラズ〉茲ニ一二ヲ鼇頭ニ抄録シ漢名ノ當否ヲ参考ニスルノ一助トス」とあり,検索したが,該当する書は見出せなかった.
「**西名:編中舉ル所ノ西名ソノ●(鋻の又を十)定ノ人ハ林娜斯(リン子ウス)春別爾孤(チュンベルグ)最トモ多シ其陀稚氏引用スルモノ諸家●(鋻の又を十)定ノ名亦一ナラズ通編各名ノ下左ニ列スル符號ヲ標ス
LINN. 加禄律斯(カロリス).林娜斯(リン子ウス)
TH. 加禄兒百篤爾(カロルペトル).春別爾孤(チュンベルグ)
R.S. 爾謨爾(ルームル).斯屈兒的斯(スキュルテス)」
とあり,夫々,
LINN.: カール・フォン・リンネ(Carl von Linné、1707 - 1778),ラテン語名:カロルス・リンナエウス(Carolus Linnaeus),『植物の種』(Species
Plantarum, 1753)
TH.: カール・ペーテル・ツンベルク(Carl
Peter Thunberg,1743 - 1828),『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)
R.S.: Roemer
et Schultes, Roemer, Johann Jacob
(1763 – 1819) & Schultes, Josef (Joseph) August (1773 – 1831),” Systema Vegetabilium” (1817 – 1819)
と判明した.
シーボルトが “MIRABILIS HIBRIDA. R.S.” としたオシロイバナの学名は,Roemer et Schultes の “Systema Vegetabilium, 612-3” (1817 – 1819) に記載されている “Mirabilis hybrida Lepelletier” と思われるが(右図, BHL/Biblioteca Digital),このラテン名は現在では殆ど見ることができない.
シーボルトが “MIRABILIS HIBRIDA. R.S.” としたオシロイバナの学名は,Roemer et Schultes の “Systema Vegetabilium, 612-3” (1817 – 1819) に記載されている “Mirabilis hybrida Lepelletier” と思われるが(右図, BHL/Biblioteca Digital),このラテン名は現在では殆ど見ることができない.
一方,この刊本の原稿も,NDLで公開されていて,★伊藤圭介『泰西本草名疏 草稿』〔文政
11-12 (1828-1829)〕の「M」部には(左上図,左側,NDL)
「Mirabilis Jalappa Thu [ in. hibrida, MS] (ホウセン キンホウケ)
【按二 紫茉莉ヲ云カ 紫茉莉ハ㋛説 Mirabilis hybrida ??
ヲシロイバナ】
とあり,Mirabilis hibrid とシーボルトが同定したことが分かる.
刊本と比較すると,ツンベルクの示した学名が正として採用され,また,和名の「キンホウケ」が記載から外れている.
シーボルトが帰国後,ドイツの植物学者 ミュンヘン大学教授のツッカリーニ(ヨーゼフ・ゲアハルト,Joseph Gerhard (von) Zuccarini, 1797 - 1848)と共著で,Abh. Akad. Muench に発表した日本の植物に関する報告書,★“FLORE
JAPONICAE, FAMILIAE NAURALES, ADJECIS GENERUM ET SPECIEREM EXEMPLIS SELECTIS.
SECTION ALTERA PLANTAE DICOTYLEDONEAE (GAMOPETALAE, MONOCHLAMMYDEAE) ET
MONOCOTYLEDONEAE.” には,オシロイバナの記事がある(Abh. Akad. Muench. (1846)
4(3): 208)(下図,上部).
“407. Mirabilis L.
720. M. Jalapa L. Thunb. Fl. jap. p. 91.
Wir haben die
Pflanze nicht selbst gesehen, aber Thunberg sagt, dass die Japaner aus dem
Samenmehl dieser Art eine weisse Schminke bereiten. Da nun dieselbe Art nach
Hooker (Beechey p. 207) auch in China, nach Loureiro in Cochiuchina und nach
audern Angaben in Ostindien vorkommt, so zweifeln wir nicht an der Richtigkeit
der Thunbergischen Bestimmung.”
その記事では,オシロイバナの学名を,Mirabilis Jalapa とし,ツンベルクを参照し,「我々(シーボルト自身)は(日本では)この植物を見ていない.しかし,ツンベルクの『廻国奇観』にこの植物の記事があり,(種子内の)白い粉を化粧に使っていると述べている.フッカーは『ビーチェイ艦長航海記の植物記』では中国に,ルーレイロはコーチシナ(交趾支那,現在のベトナム南部)で記録し,また東インドでの生育も観察されていることから,(日本で生育しているという)ツンベルクの見解を否定はしない.」とある.
ルーレイロの記事では,オシロイバナの根のヤラッパ根との混同を記して,更にオシロイバナの根にも弱い瀉下作用があるとしている.
ここで引用されている,フッカーとルーレイロの記事の出典は以下の通り.
★Hooker & Beechey, “The Botany of Captain Beecheys Voyage” (1841), p. 207
フレデリック・ウィリアム・ビーチェイ (Frederick William
Beechey, 1796 - 1856) は英国の海軍士官. 1825 年から三年にわたって英国海軍の”Blossom” 號を率いて,ベーリング海峡を東側から探検・探査した.
この隊が航海中に収集した植物標本を,英国の有名な植物学者フッカー (William
Jackson Hooker, FRS,1785– 1865)が研究・同定し 1841 年に出版したのが本書.(図はGooglebooks)
★Loureio “Flora Cochinchinensi” (1790), Vol.1, p.101
ジョアン・デ・ルーレイロ(João de Loureiro,1717 - 1791)は,ポルトガルのイエズス会宣教師,古生物学者,医師,植物学者.宣教師としてインドのゴアに3年,マカオに4年赴任した後,1742年にコーチシナを訪れ,その後30年間以上滞在した.ルーレイロは薬用植物の性質や使用法を学び,アジアの植物相の専門家となった.1777年に広東を旅し,4年後に帰国し,『コーチシナの植物』("Flora Cochinchinensis")(1790年)を出版した.(図は BHL/MoBot)
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