鎖国の時代に長崎出島のオランダ商館の医師として赴任し,不自由な中,日本研究をして,欧州に日本の状況を紹介した「出島の三学者 ケンペル・ツンベルク・シーボルト」もオシロイバナの記述を残している.その内前二者は実際に観察しているようだが,シーボルトは実際には見ていないと言っている.前二者はオシロイバナの和名として「ホウセン(鳳仙)」と記録しているが,他の文献にはその名の記録がなく実際そのように呼ばれていたのかは不明.また,ツンベルクは種子内の白い粉を女性が白粉として使っていると記している.
★エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 - 1716)
1690年(元禄3年)、オランダ商館付の医師として、約2年間出島に滞在した。1691年と1692年に連続して、江戸参府を経験し徳川綱吉にも謁見した。滞日中、オランダ語通訳今村源右衛門の協力を得て精力的に資料を収集した。帰国後旅行記の『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae)(1712) を著したが,この書には旅行途中に見聞した国々の情勢と共に,日本で見た多くの植物が記述され,当時の日本で呼び名や漢字名が記され,またその一部には図もあり,興味深い資料である.『廻国奇観』の執筆と同時期に『日本誌』の草稿である「今日の日本」(Heutiges Japan)の執筆にも取り組んでいたが,1716年11月2日,ケンペルはその出版を見ることなく死去した.この書は 1727 年に英国で J. G. Scheuchzer によって英訳され
“The history of Japan” の書名で出版された.
“ 仙鳳 litteratis & vulgo Foosen
& Kinfoqua. Mirabilis Peruviana Raji; seu, Admirabilis Peruana Clus.
floribus albis et rubris.”
「漢名も一般名も「ホウセン」及び「キンホウカ」,ジョン・レイ*の云う “Mirabilis
Peruviana”;或はカルロ・クスシウスのいう “Admirabilis
Peruana”. 花は白と赤.」とある.
*Joannis Raji (Ray, John, 1627-1705) の “ Methodus plantarum emendata et aucta :”
(1703),p 45 に”Mirabilis
Peruviana,” の記事がある.
“5 Mirabilis
Peruviana, hujus notas facit P.
Hermannus, semina oblong-rotunda, sulcate, pentagona, umbilicata, nucleum
farinaceum continentia, flores e tubo in pentagonum orbem dispositos, folia
& ramos conjugatos.
Jalapium Milabilis
Peruvianae radix est, monente D. Plumier
& Muntingio.”
「薇薔 Foo sen, it. Kinfo qua, vulgo Ibara, item Igi, i. e. spina, Igino fanna,
i. e. flos spinae, vel mutuato a Lusitanis vocabulo: Rosa. Rosa frutex spinosus nostras. Non habet eam odoris gratiam,
quam in Europa vel Asia occidentali. Varietates sunt:
Rosa hortensis flore pleno
albo.
Eadem flore rubro.
Rosa sylvestris flore pentapetalo,
odore perdulci.
Eadem flore candido.」
このホウセンは明らかにバラ(薔薇)で,キンホーカ(金櫻花*?)とイバラ(茨)の別名があるとしている.なぜ,薔薇が ホウセンと呼ばれるのか?未詳.
*金櫻花:Rosa laevigata Michx. ナニワイバラ
p. 862
一方,この書には「鳳仙」で思いつく「鳳仙花―ホウセンカ」の記事はない.
和名としてこの時代には一般的であった「オシロイバナ」ではなく,「ホウセン」が記録されているのか,長崎地方の方言なのかは不明.「薔薇」と共通する和名が記録されているのが気にかかる.
★カール・ツンベルク(Carl Peter Thunberg, 1743-1828, 滞日 1775-1766)”Flora Japonica”(1784)
ウプサラ大学のカール・フォン・リンネに師事して植物学、医学を修めた。フランス留学を経て、1771年オランダ東インド会社に入社し、ケープタウン、セイロン、ジャワを経て、1775年(安永4年)8月にオランダ商館付医師として出島に赴任した。翌1776年4月、商館長に従って江戸参府を果たし徳川家治に謁見した。ツンベルクは、わずかな江戸滞在期間中に、吉雄耕牛、桂川甫周、中川淳庵らの蘭学者を指導した。1776年、在日1年で出島を去り帰国し、1781年、ウプサラ大学の学長に就任した。
帰国後出版した『日本植物誌』(Flora
Japonica, 1784)では,多くの日本の植物をリンネのラテン名で同定し,また,リンネの『植物の種 Species plantum 』に記録の無い植物には新たな学名を与えた.
PENTANDRIA. Monogyma. 91
MIRABILIS.
Jalappa. M.
floribus congestis terminalibus erectis.
Mirabilis Jalappa. Linn. sp. Pl. p. 252.
Japonice : Keso*, Foosen et Kinfokua.
Foosen et Kinfokua.
Kaempf. Am. exot. Fafcic. V, p, 910.
Crescit in Sastuma, alibi.
Floret Septembri, Ocltobri
E farina seminum coniciunt
Japonenses fucum album, quo faciem quandoque obducunt feminae.
とあり,この植物をリンネが学名をつけた Mirabilis Jalappa (但し,Sp. Pl. vol.1. p 177 (1753), Sp. Pl., Edition 2. vo1. p 252 (1762) では jalapa
とpが一つ)であると同定し,薩摩(伝聞と思われる)その他の地域でも生育し,種子内の白い粉が女性の化粧に白粉として使われる事を述べている.日本名は,ケンペルと同じ「ホウセン」「キンホウカ」の他に「ケソウ(化粧*か?)」と記録している.
*実際に★八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001)には,鹿児島地方の方言で,オシロイバナが「おけしょ-ばな 鹿児島(姶良),おけしょばな 鹿児島(姶良),けしょ-ばな 鹿児島(薩摩)」と呼ばれているとある.
同書には,オシロイバナ〔オシロイバナ科/草本〕の方言として,南から「うえざぬはな:沖縄(鳩間島),うやぎばな:沖縄(鳩間島),うやんちゅぬばな:沖縄(八重山),ゆさんでぃばな:沖縄(首里),ゆさんでば-な-:沖縄(島尻),さんとうしばな:沖縄(波照間島),ゆね-ばな:鹿児島(与論島),おけしょ-ばな:鹿児島(姶良),おけしょばな:鹿児島(姶良),おしろいはな:鹿児島(鹿児島),けしょ-ばな:鹿児島(薩摩),けしんみのき:鹿児島(川内市),おしろいのき:山口(熊毛)島根(美濃)鹿児島(加世田),ご-せ-すぶら:長崎(上県・下県),めしたきばな:長崎(平戸島),よめしぼな:東京(三宅島)長崎,おしろい:福岡(築上),おっしゆくさ:福島(相馬),はっしえくさ:福島(相馬),あきざくら:仙台」が記録されている.沖縄地方での名称が多いのは,自生していてよく見かけられているからだろうが,何らかの目的に使われていたからかも知れない.
『日本植物誌』 p 213+214 ( BHL/MoBot) |
POLYGYNIA
ROSA
canina
R. germinibus ovatis pendunculisque glabris,
caule petiolisque aculeatis.
Rosa canina. Linn. spec. Pl. p. 704.
Japonice : Foosen, it. Kinfo Kua, vulgo
Ibara, it. Ige* et Igino Fanna*. Kaempf. Am. Exot. Fascic. V. p. 862.
Crescit in Dezima alibique.
Floret per totam aestatem floribus rubris inodoris
et floribus albis odoris, simplicibus.
出島の植物園でも生育し,白い花の種には香りがあり,赤いそれには香りがないと記している.
*バラの別名,Ige: 棘(いげ),Igino
Fana: 棘花(いげばな)に由来か(『図説草木名彙辞典』)
IMPATIENS.
Balsamina I. pendunculis unifloris subaggregatis, foliis lancelatis
superioribus alternis, nectariis flore brevioribus
Impatiens Balsamina. Linn. sp. P. 1328
Japonice : Foosen Kwa, it Tsumane*
Crescit prope Nagasaki, interudum in
ollis culta.
Floret Septembri, Octobri.
Ex
huius succo cum alumina ungues ruburos interdum tingunt Japanenses
と,ケンペルの書には記録がない「ホウセンカ
鳳仙花」を,Impatiens balsamina と同定して,和名は「ホウセン-カ,ツマネ」と記録し,長崎では野生化しているが,時々は鉢植えで栽培される.日本人女性は花の汁を
“alumine” ? と混ぜて爪を赤く染めるのに用いると記した.
八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001)には数多くの「ホウセンカ」の地方名が載るが,その中に,「つまね 肥前 佐賀(藤津)長崎(長崎・諌早・西彼杵・北高来)」とあり,ツンベルクの記録した「Tsumane:ツマネ」は長崎地方の江戸時代からの方言だったことが分かる.
シーボルトの「オシロイバナ」の記述と,伊藤圭介がシーボルトの指導を受けてツンベルクの
“Flora Japonica” に収載された植物のラテン名と和名を対比させた『泰西本草名疏』内の「オシロイバナ」については次記事以降.
オシロイバナ-2 江戸時代-2 紫茉莉,本草綱目啓蒙,重刻秘伝花鏡,物品識名,梅園草木花譜,薬品手引草,和蘭六百薬品図
オシロイバナ-2 江戸時代-2 紫茉莉,本草綱目啓蒙,重刻秘伝花鏡,物品識名,梅園草木花譜,薬品手引草,和蘭六百薬品図
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