2017年8月10日木曜日

カタクリ(8)江戸晩期-2 屋代弘賢『古今要覧稿』第5巻 草木部 下 かたかこ

Erythronium japonicum

古今要覧稿 内閣文庫 128 カタカコ
古今要覧稿』は屋代弘賢(やしろひろかた,1758 - 1841)がまとめた類書(諸事項を部門別にし,解説・考証を加えた書).
文政4(1821),幕府の命により弘賢が中心となり,巻数およそ1000巻の予定で編集を進めたが,その死により未完成に終わる.事項は神祇・姓氏・時令・地理など20部門別に意義分類して、その起源や沿革などに関してまず総説を述べ、古文献の記述や本題にちなむ詩歌を引用し、別名などを示す.引用が豊富でしかも詳しい.その内容の真偽に関しての弘賢の見解も示され,日本初の本格的な類書といえよう.

この書の第四百四巻の草木部の「かたかこ」の章に,カタクリが詳しく記されている.内閣文庫から公開されている『古今要覧稿』ではそのページ数は十を超える.流麗な文字で記されているので,以下のテキストは,NDLからデジタル公開されている国書刊行会刊(明38-40)の活字本による.また個人的な判断で,適宜,句読点や空白,改行を加えている.

特に興味深いのは,「釋名」の項で,数多くの地方名が収載され,その語源が説かれている.なかには,「カタカゴ」の名の由来になりそうな「片葉鹿の子」(葉が一枚しかない時期が長い+カタクリの葉の斑点)がある.
引用されている文献で特に阿部将翁著の『上言堅香子辧』は参考になりそうなので Net で探してみたが,今のところ残念ながら見いだせなかった.

古今要覧稿』 「第四百四
●草木部
 かたかこ ゐのしり かたくり 山慈姑
堅香子は萬葉集にみえて今の世にかたくりといふ物なり.漢名を山慈姑といふ.凡仙覺抄よりこのかた歌,よむ人々はこの草をしるものまれなるに,みちのくの南部より此根を粉となして奉りしは寛文の頃を始とし 上言堅香子辧,阿部將翁*が下野ふたら山におのれとおひ出しを採りて物に植え奉りしは,享保の頃を始とす 同上.叉大和國八智よりもおなじく粉に作りしを奉つるといへり 千金方藥註.これはその始たしかならずといへ共にいづれにも寛文よりこのかたの事なるべし. 扨かたくりはふたら山のみならず,いづくの深山にもいとようおひづる物にして,葉の狀は大葉子(オオバコノ)葉の如くまどかにて稍長く,また甜野老(アマトコロノ)葉に似て色青くして,すべてしろみをおびおもてに紫黒色の斑あり.其根の嫩(ワカ)き時はたヾ片葉にて年ふるものは二葉になる.花は片葉のうちには咲ず,二葉ならびいづるものはかならず二月の頃,其葉のなかより四五寸ばかりの莖をぬき出て花をつく.狀つヽじあるひはゆりなどのはなに似て,さかしまに垂れ,はなびらはかみにそりかへりて,色は薄紫なり.叉こむらさきも有しろきもあり,近きあたりにては鼠山大宮八幡の境内にいと多し.

萬葉集巻第十九云
「攀二折堅香子草花一歌一首 
物部能八(もののふのや)十乃●嬬等之挹亂寺井之於乃堅香子之花 ( ●=女+感)(そのをとめらが くみまがふ てらゐのうへの かたかごのはな)」
〇仙覺抄にこの歌落句古點にかたかしの花と點ぜり.是をかたかこの花とよむべし.かたかこ叉はゐのしりといふは,花咲草なり.其花の色は紫也云々.按に攀は山にのぼるをいひ,折は花に莖をそへて採をいふ.此攀折の二字によりて或はかたかこをかたかしとはおもい誤れるものなるべし.

上言堅香子辧云 私儀*此堅香子堅くりと申もの,享保年中下野國日光産より始て取出し獻上仕候.此草は本朝固有の物にて,奥州南部より根を製し獻上に相成候.其譯は能存候.南部より獻侯は寛文年中よりの事に御座候.

採藥使記云 奥州南部ニカタクリト云草アリ.其形百合ニ似タリ.花モユリニ似テ紫色.正二月ニ此花サク.其根ヲトリ葛ノ如ク水飛シテ,水ニテ子リ,餅トシテ食フ.葛ヨリハ色白ク,甚ミゴトナル物ナリ.土人専ラ久痢ニ用ヒテアリト云ナリ.

千金方藥註云 山慈姑ニ車前葉韭葉ノ二種アリ.車前葉ノ者ハ和名カタコ一名カタクリ.山城叡山四明洞下八瀬,陸奥ノ南部,大和ノ八智河上ノ山ヨリ出ヅ.南部八智ノ者ハ粉ニ造リ毎年宮ヘ獻ズ.二月ノ初ニ生ズ.葉ハホトヽギス草ニ似タリ.又萎蕤ノ初生ニ似タリ.淡青色光アリ.根淡黄色.蒜ニ似テ小ナリ.根地ニ入ルコト深シ斷ヤスシ.生ニテ食フベシ.三月紅白暈單辧ノ花ヲ開ク.一莖一花,形ユリニ似テ辧長シ.花謝シテ實ヲ結ブ.四月苗枯ル.翌年宿根ヨリ生ズ.韭葉ノ者ハ和名アマナ,一名ムギグハイ.上加茂社前芝原妙心寺邉其外處々ニ生ズ.

本草綱目啓蒙云 蔵器ノ説ニ葉似車前トハ車前葉山慈姑ナリ 深山ニ多ク生ズ 葉ノ形萎蕤葉二似テ、厚ク白緑色 面ニ紫斑アリ 嫩根ノモノハ只一葉ナリ 年久キモノハ二葉トナル 二葉ノモノハ二三月兩葉ノ中間ニ一茎ヲ抽ヅ 高サ五六寸 頂ニ一花ヲ倒垂ス 大サ一寸半許 六出淡紫色 蕾ハ紫色深シ 形山丹花ニ類シテ弁狭細クシテソノ末皆反巻ス 叉稀ニ白花ナル者アリ 花謝シテ實ヲ 結ブ大サ三分許形 圓ニシテ三稜アリソノ色亦白緑ナリ 根ノ形葱本ニ似テ白色性寒ヲ喜 故ニ東北ノ地方二産スルトコロノ者苗根最肥大ナリ 土人其根葉ヲトリ烹熟シテ食フ 叉根ヲ用テ葛粉ヲ造ル法ノ如ク製シテ粉ヲ取ル 甚潔白ニシテ葛粉ノ如シ 餅トナシテ食フ カタコモチトヨブ 奥州南部及和州宇陀ヨリ此粉ヲ貢献ス カタクリト云

本草綱目引藏器山慈姑生山中濕地葉似車前根慈姑又引大明云零陵間有一種團慈姑,根如小蒜

〇釋名
堅香子 萬葉集
〇名義詳ならず.強ていはヾ.堅は片字の意にて片葉の略.香子は鹿子にして斑文あるをいふ.此草はじめ生出て,一とせニとせのうちはすべて片葉にて,狀おほはこの葉に似てしろみを帯,なかにわきて白き筋及び紫のまだらある.故に片葉鹿の子といひしなり.凡鹿の子は伊勢物語の歌にも鹿,の子まだらに雪の降らんなどみえて,白斑の物をいふは常なれども.それより轉じて花の色白くして赤斑點あるゆりを鹿の子百合といへるたぐいひもあれば,かならず白斑のみかぎりていひしにはあらざるべし.既に鹿は黄質白斑と本草にみえたれば,まことの鹿の子まだらはさなくばいひがたかるべきにても其儀はをしはかるべし.
ゐのしり 萬葉集抄
〇按に大和本草にゐのしりを猪舌に作るによれば篤信のみなり.仙覺抄の利字は全く多字なる事しるし,これは之多字を片假名にてシタとかきしタ字のなかの一點の落しよりあやまれるものなるべし.志かれば猪舌は眞葉の狀を以て名付けしものなれば,なほ大葉子を牛舌草といひ小車を狗舌草と云へる類なり
かたこゆり 常毛採藥録
〇かたしはかたかこの略.ゆりはこの花百合に似たるによりて也
かたつは 同上木曽方言
〇つは音便にて卽片葉の義なり
かたくり 堅香子辧採藥使記千金方藥註南部方言
〇これはかたこゆりといふ名のつヾまりたるなり.こゆの反くなるにて其義はあきらけし
はつゆり 採藥使記千金方藥註江戸方言
〇採藥使記註に此草正月の頃花さく故に初ゆりと名づく
ぶんだいゆり 同上
〇此草は少さき草いで其花のうつくしさ,文机の上などに置てめづべきものなるによりて,かくは名付しなるべし
かぜふきぐさ 千金方藥註越前湯屋峠方言
〇論語に草加之風必偃といへるが如く,此草一葉のものもニ葉のものもすべて直立せず,其狀全く風をうけてふしたるが如くなるによりて名づく
むかごからむし 同上若狭木芽峠方言
〇名義詳ならず
ねずみゆり 同上西國方言
〇名義上におなじ
くわい 同上攝津方言
〇慈姑をくわいといへばこれもしかいへるものなるべし.井を伊と書るは原より俗語なればなり
くわ 同上北國方言
〇卽くわいのいを省きしなり
かたはな 同上北國方言
〇片葉菜の儀と.叉はかたかごばなのつヾまりたるなるべし
だいぼせ 同上伊豫大洲方言
〇卽ぶんだいゆりの儀にて,だいのぼせの略なるべし
かヾゆり 本草啓蒙江戸方言
〇かヾは國名にや,またはかたかごゆりの略にや
かたゆり 同上
〇かたこゆりの略なり
こむへいる 同上下野日光方言
〇名義詳ならず
こむへいろう 同上
〇按に日光の方言こむへいろといへる名堅香子辧に見えたり
山慈姑 本草拾遺 嘉祐本草
〇此草,山中に生じて,根の狀水慈姑の如し.故に名づく.されど此根は細長きかたにて,全く水慈姑の如く正圓ならずといへども,そのおほよそを以てしか命ぜしなり.これは千金方藥註に,かたごは根蒜に似て小なりといひ,佐渡國上にかたはなの根は水仙に似たりといへるも,またそのおほよそを以ていひしにても,其義はをしはかるべし

 〇正誤
古今六帖               大伴宿禰家持
 武士の八十をとめらかふみとよむ
              寺井の上の堅かしの花
〇按に「くみまがふ」を「ふみとよむ」と改作りしは,攀折の攀を誤りて木にのぼる事とせしによりての事なるべし

新撰六帖
妹かくむ寺井の上の堅かしの                      衣笠内大臣家良公
              花咲ほとに春そなりぬる
 誰か見む身をおく山に年ふとも                   前藤大納言爲家
              世に逢ことの堅かしの花
小車のもろ輪にかヽかる堅かしの                九条三位入道知家
              いつれも強き人こヽろかな
かつはまた岩にたとふる堅かしも                   左京太夫行家
              つれなき人の心にそしる
人こヽろなへておもへは堅かしの                   右大辧入道光俊
              花はひらくる時もありけり

按に以上六首は萬葉集の舊き點により木なりとおもひしなり古より甜檮白檮葉廣熊檮などいへる事あれども,かたかしといふ名はみえず.かしは諸木にすぐれて堅強なるものなれば,かたかしともいふべけれど,既にかしといへるは,卽かたかしといふ意にておふせし名なるべければ,それを重てこの木の名とせんはいかヾあるべき.されば仙覺抄の説のごとく,かたかごとよめるにしたがふべし.堅香子辧また右の歌を載せて,古今六帖新撰六帖共に堅香子の子を字音にて,橿と申木のことヽ心得しは誤にて御座候.萬葉集等の目安にも,堅香子の花はつヽじに似たる草なりと御座候へば,別に心得違も有間敷様に奉存候.なるほど堅香子の花はつヽじによく似申候草に御座候.先年鉢植に仕獻上仕入上覽候事御座候云々

大和本草云ウ カタコ 高二尺許莖紫色葉面ニ有黒點花.カザグルマノ如シ紫色ナリ.比叡山ニアリ.正月ノ末開花尤美シ.根ノ形芋ノ如ク又蓮根ノ如シ.若水云 本草紫參下ニ出タル旱藕ナルヘシ

按に凡かたしは其莖高きものといへ,共僅に六七寸に過ざるものなるに,今二尺許といへるはおそらくは傳聞の誤りなるべし.陸奥南部のものといへ共さはおい出ざるよしなれば,いかで比叡山あたりのものヽしか生出る事やはある.また其花風車の如く,根蓮根の如しといふもかなはず.按に本草啓蒙に,古説に此草を旱藕とするは穏ならずといへり.これはいとよき考なれども,大和本草かたこの上に和品としるせしによれば,其實は篤信も若水の説をよろしとせしにはあらざるべし.

叉云萬葉集十九攀折堅香子草花歌アリ古抄ニ云香子ハ猪舌トモ云春紫色ノ花ノサク今按ニ是カタコナルカ

新撰六帖ニモカタカコノ歌アリ
按に新撰六帖にはかたかしと有.こヽにカタカコと書しは誤なるさるは,古今六帖に萬葉の歌を古點のまヽにかたかしとのせたるゆへに,新撰には木なりと思ひて橿の字を用ひたるなり.

採藥使記注云 カタクリハ花萎ミテ後ニ葉ヲ生ズ花ノ時葉ナキ故ニ姥ユリトモ云
按に此説あやまりなり.かたくりは先葉を生じて,後に莖をぬき出て花さくものなるに,今花萎みて後に葉を生ずるといふはうたがわし.且姥ゆりは舊説に,象山其母に擬せしものにて,かたくりの名にはあらざるべし.

本草啓蒙云 山慈姑和名アマナ,車前葉山慈姑和名カタクリ,叉云團慈姑ハ常ノ山慈姑ナリ
岡村尚謙**云.かたくりは卽山慈姑にしてあまなは一種の團慈姑なり.凡山慈姑のはじめてものにみえしは臓器本草なり.其葉似車前といへはかたくりは卽山慈姑にして,正に本條たる事明けし.また其根如慈姑といへど,其實は根の狀細長くして,葱本に似たるもの故に,日華本草に有一種團慈姑根如小蒜とみえたり.これはかたくりの根の細長きにむかへて,團といひ,且それを以て一種とはいひしなり.然るを皇國諸家の説ふるくより,團慈姑を本條とし,本條の山慈姑を以て車前葉の三字を冠して一種とせしは,全く時珍の説の誤りをうけて,臓器の説をよそにせしものなれば,謬誤殊に甚しされど,松岡子敕ひとりは其父恕菴の説を敷衍して,嘗て千金方藥註を作りて,山慈姑に車前葉韭葉の二種あり.車前葉のものはかたくりにして,韭葉のものはあまななりといへり.其車前葉のものを以て韭葉のさきに舉しは其説啓蒙よりまされり.

叉云 猪舌 萬葉抄

香子 同上
〇按に萬葉集抄にかたかこ叉はゐのしりとありて香子の名なし.これは大和本草にその抄を引て香子は猪舌ともいふといへる文によりて,遂に抄にも香子は名有とおもひしなり.いはゆる大和本草に香子といひしは,其文の上に萬葉集の歌を引て堅香子とある.そのくだり故に堅字を省きて,ただ香子と書しなり.然るを抄にも其名有とおもへるはひが事なり.」

*阿部将翁?1753 江戸時代前期-中期の本草家.延宝のころ大坂への途中台風にあい清に漂着,その地で医術,本草学をまなんだという.帰国後幕府の採薬使として全国を踏査した.宝暦3126日死去.没年齢には88,104歳などの説がある.陸奥盛岡出身.名は照任(輝任).字は伯重.通称は友之進.著作に「採薬使記」「御薬草御用勤書覚」など.弟子に田村藍水がいる.平賀源内は孫弟子.

**岡村尚謙?- 1837 江戸後期の医者,本草家.名は遜,号は桂園.下総高岡藩(千葉県)藩主井上正滝に医家として仕える.江戸下谷に住み,文化14(1817)年岩崎灌園に入門して本草学を学ぶ.屋代弘賢の『古今要覧稿』の物産説の編集に灌園と共に協力.旧聞にとらわれず新見を求める姿勢を保ち,李時珍の『本草綱目』(1607年渡来)を批判し,古本草を研究して『本草古義』を著した.これは未完のまま病没したが,同書全3冊は子の元喬らの手で完成した.著作に『秋七草考』『桂園橘譜』『竹譜総論』など.

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