2018年5月9日水曜日

ツグミ(8) 食物本草・養生哥-1 .宜禁本草,日用食性,和歌食物本草,和歌食物本草 増補,(閲甫)食物本草,庖厨備用倭名本草

Turdus eunomus
2018年2月
ツグミは『本草綱目』の百舌との考定から,「小兒久シク不ヲ治ス」薬物とされていたが,一方滋養に富む病人の保養食(薬食)としても,高く評価され,食物本草や養生歌に記載されていた.
文献画像は NDL の公開デジタル画像より部分引用.

安土桃山から江戸初期の医者で,権力者からも重用された医学中興の祖,★曲直瀬道三(雖知苦齋,1507-1595)は『宜禁本草』(江戸初期)に,五穀,五菜,獣肉,鳥肉等の食物を中心にその効用を示す他,月禁,合食禁等の月別の食品タブーや食べ合わせを記している.その「坤」の巻には,「〇諸禽類」の本文にはないものの,「追加三叚」の「諸鳥ノ類 上中下」には,「中品」として「ツグミ」が記載されている.

道三の甥で,後に二代目道三を名乗った★曲直瀬玄朔(1549-1632)の『日用食性』(1642)も,日常食する食物を上中下品に分け,その性・効用とその物と一緒に食べてはいけない食品を載せている.それには,「百舌 治小児久不語及殺蟲炙食」と本草綱目の百舌の記載に沿った記事があるが,百舌の考定はされていない.

曲直瀬学派は初代の道三のころより,本草や養生を歌にして覚えやすいようにしていたようであるが,曲直瀬玄朔やその弟子が,覚えやすいように和歌を使って門外不出の『庖人集要宣禁本草之歌』(慶長12年,1607年)をまとめ,それを基として『宣禁本草集要歌』(江戸初期,年代不詳)ができた.その後ふたたび『本草綱目』と『庖大柴要宣禁本草之歌』とを見直して『和歌食物本草』ができたようだ.
この書は江戸期を通じて一般にも流布し,小型のものはそでの中に入れておき,ときおり取り出しては参考にし,かつ楽しんだようだ.これらは寛永7年(1630年)から元禄7年(1694年)の間に出版されており,それと平行して増補版も出ている.(畑有紀「和歌形式で記された食物本草書の成立について」言葉と文化 14, 37-56 (2013)

★著者不明『和歌食物本草(1630) の「第二巻 草鳥之部」には
(つぐみ) 鳥之部
平りんびやうによしじんつかれいんなへこしのいたむにそよき
[つぐみ(は)平(である).淋病に良し.腎(が)疲れ、陰(が)萎え(て)腰の痛む(時)にぞ良き〕
つぐみよくきよををぎなひてとくもなししよびように用ひさしてたたらず
[つぐみ(は)よく 虚を補いて,毒もなし.諸病に用い,さして崇らず。〕」
とある.(左図,右)
★山岡元隣『和歌食物本草 増補』全七巻 (1667) の「巻之三 つ 鳥の部」には,
「〇鶇(ツグミ)
平(ヘイ)淋病(リンビヤウ)に吉腎(ジン)つかれ陰(イン)なへ腰(コシ)の痛(イタミ)にそよき
津ぐみよく虚(きよ)を補(をぎなひ)て氣力ます諸病に用ひさして毒なし」(左図,左)
とほゞ同じ内容の歌が納められている.

なお,原典は確認できなかったが,半田喜久美『寛永七年刊 和歌食物本草 現代語訳一江戸時代に学ぶ食養生-』(2004)によれば,先行する『庖人集要宣禁本草之歌』には,
平淋病に吉腎つかれ陰なへ腰の痛にぞよし
〔つぐみ(は)平(である)。淋病に良し。腎(が)疲れ、陰(が)萎え(て)腰の痛む(時)にぞ良し。〕
つぐみよく虚を補ひて気力ます諸病に用ひさして毒なし
〔つぐみ(は)、よく 虚を補いて、気力(を)増す。諸病に用い、さして毒なし。〕」
とあるそうだ.

江戸初期から,ツグミの肉は,滋養に富むため,淋病をはじめ,病人の栄養補給源として高く評価されていた.

本邦での最初の本格的な食物本草と言われている★名古屋玄医(閲甫)著, 野村玄敬 校『(閲甫)食物本草(1761) は,漢人と邦人とでは,風俗の異なるように食生活も異なるとし,日常の食品290種を撰び,穀・菜・菌・水草・菓・草・魚・介・禽・獣部にわけ,従来の諸家の説を吟味し撰び,閲甫曰と自説を加えている.
その二巻には「鶇鳥(ツクミ)       -語抄云鶫-豆久見(ツクミ)
-味平無毒不- 閲甫」とあり,
鶫の次の項には「(ヒエトリ) 和-名集曰崔---云鵯 音卑一音-匹 和-名比-衣土-里 貌
烏而色蒼-ナル-也 按スルニ-経諸説者非俗所--衣土-也然假以載性味
-味平無毒次鶇鳥者也味亦劣レリ鶇鳥ヨリ也」
とあり,鶇は鵯よりも味も栄養價も高く病人の食餌によいと評価している.

向井元升 (1609 – 1677) は江戸時代前期の医師,儒学者で,長崎に学び,二十歳のときに開業,後に京都に移り,筑前 (福岡県) の黒田侯,続いて皇族の病気を治療して名声を揚げた.私塾輔仁堂を建て,堂内に孔子の聖廟をつくって,儒学を教えた.門人に貝原益軒がいる.
承応3 (1654) 年,明暦3 (57) 年の2回,幕府の命でオランダ人医師に西洋医術を質問し,『紅毛流外科秘要』 (7) にまとめて提出した.天文学,本草学にも通じ,『乾坤弁説』『庖廚備用倭名本草』 (13) を著わした.後者は江戸時代最初の本草書である.

★向井元升『庖厨備用倭名本草(1683) には,ツグミは確認できなかったが,寺島良安らがツグミと考定した百舌を,ヒヨドリと考定した.
但しヒヨドリはいつも日本にいるので,「秋-冬ハ日-本ニ来リ春-夏ハ漢-地ニ渡リヌルニヤ」という冬に来る渡り鳥「冬鳥」が百舌の可能性があるとも指摘している.

[百舌]倭名鈔ニ鵙ノ條-下ニ載(ノセ)テ和名ヲ異(コト)ニセス多識編ニ
和名ナシ考本草一-名反-舌處-々ニ有之樹-(キノアナ)(コウ)(クツ)-(イハアナ)
中ニヲレリ其ノ-形鴝鵒ニ似テ小ク身略(ホヾ)長ク灰--色ニシテ
少シ斑點アリ喙尖(トガリ)黒シ行トキハ頭ヲ俯(ウツフ)ク好ミテ蚯蚓(キウイン)
ヲ食ス立-春ノ後ハ鳴(ナキ)-(サエツル)(テン)シテヤマズヨク諸鳥ノ声ヲナス夏(ケ)-
(シ)ノ後ハ超エ無十月ノチハ蟄(カクル)(チツ)-(ザウ)ス人コレヲ畜フコトアレハ冬-
月ハ死ス月-令ニ仲-夏反-舌無シト声是也〇元升曰此説ヲ
ミレハ百-舌ハ形色トヨクサエツリテ諸鳥ノ声ヲナスト明ラ
カニヒヨトリニ似タリ然ドモヒヨトリハ四時トモニアリテ秋-
ハ最多ク出ルモノナリ秋-冬ハ日-本ニ来リ春-夏ハ漢-地ニ渡リ
ヌルニヤ或又倭漢風氣ノカハリテ出ルトキ蟄スル時
ノカハリアルニヤ百舌ノ形色鳴キ声明ラカニヒヨドリナルヘシ
唯鴝鵒ト一-類異形ナルニヤ本ハヒトヘトリト云倭
タリ今俗ハヒヨトリト云
百舌肉味甘性平毒ナシ小兒久シク不ヲ治ス」とある.
ここに引用されている『倭名類聚抄』の「巻之二十羽-名第二百三十一」には,
モズ
兼名苑云鵙一名●(米+鳥) 上●(不の下に見)下音煩楊---云伯-毛受一云鵙
伯勞也日--紀私-記ニ云百--鳥」とある.
○『兼名苑』……【中】唐の釋遠年撰とされる字書体の語彙集。亡失して伝わらない。本草和名、和名抄、類聚名義抄に多く引用される。
○《楊氏漢語抄》……8世紀(奈良時代)の成立という字義書,既に亡失し逸文が知られているのみ.

続く

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