Left:ジャーマン・アイリス Iris gemanica. J. Sibthrop, J.E. Smith, "Flora Græca", vol. 1 p. 29, t. 40 (1806)
Right:イチハツ Iris tectorum. Houtte, L. van, "Flore des serres et des jardin de l’Europe", vol. 22 p. 23 (1877)
外観からのイチハツとジャーマン・アイリスの見分け方
○イチハツの葉は薄く,艶のない剣状で,冬に地上部を枯らし、春に再び芽吹く.花は通常一茎に一輪が咲き,葉の上に高く抽んでることはない.花色は紫と白が知られている.上図右
○ジャーマン・アイリスは,葉は厚く,やや白みを帯びた剣状で,冬でも葉が枯れる事はない.花は通常分岐した花茎に複数が咲き,葉の上に高く抽んでる.花色は紫,白,桃,黄,複色などで「虹の花」の名に恥じないほどの多くが知られている.上図左
自然との共生を目指す建築を提案し,多くのユニークな建物を作っている藤森照信(1946 - )は,その著書や講演で,草ぶき屋根の上に育つ植物について言及し,これは,古代竪穴住居の屋根の上に土を載せ,草を生やし,寒さを防ぐ伝統のなごりであると考え,現代に生かした建築構造物を考案した.
彼の著書★藤森照信『増補版 天下無双の建築学入門』(2019)
筑摩書房の,「その昔、屋根には花が咲いていた(芝棟)」「フランスのシバムネ・ハウス(芝棟)」の章の内容を要約すると,
1. 東日本の草ぶき屋根の天辺の棟に,野芝などの植物を生やしている例が多い.これを芝棟と呼ぶ.
2. 芝棟は,雪深い地方にはすくない.
3. 生やしている植物としては,イチハツ・イワヒバ・ユリ・マツ・アスパラガス・ニラなどがある.
4. これらの植物を生やしている意味は不明だが,飾りであろう*1.
5. 芝棟は日本だけではなく,フランスの大西洋側ノルマンディー地方でも見られる.
(参考写真:http://kousin242.sakura.ne.jp/mt008/001-2/000-3/09共生する自然/)
(参考写真:http://kousin242.sakura.ne.jp/mt008/001-2/000-3/09共生する自然/)
6. 但しノルマンディー地方で植えられているのはイチハツ*2と巻絹(まきぎぬ=イワヒバ)のみ.
7. パリのヴェルサイユ宮殿内,マリー・アントワネットが農村生活を楽しむために建築した「アモー」には,多くの草ぶき屋根の建造物があるが,そのいくつかの芝棟にはイチハツ*2が植えられていた.
8. 水戸光圀も別荘の西山荘の草葺屋根の芝棟にイチハツを植えていたので,「世界の有名人のうち,二人の人物がイチハツの芝棟の家に住んでいたことが明らかになった.西山荘の水戸黄門とベルサイユ宮殿のマリー・アントワネット。二人は芝棟兄弟だったのである。」と記した(各条の藤森著作記事は文末).
彼の考察は卓見だが,幾つか疑問点もあり,明らかに誤りではと思われる事もある.
*1:イワヒバは胞子が,ニラは軽い種子が風に乗って草葺屋根に乗り,発芽生育することはあるが,イチハツやユリ(オニユリ
Lilium lancifolium)は,意図を持って植えられたと考えられる.前者は根茎を密に発達させるので,棟に葺いた萱などが強風によって飛散するのを防ぐ補強であろうし(『広益地錦抄』),後者は赤い花が火伏の呪いの意味を持っていたか,「鬼百合」という名が魔よけであったか(鬼瓦),また球根が救荒食であったのかも知れない,
またニラやイワヒバは乾燥に強く,その根は細いが緻密に絡み合い,棟を補強するのに全く役に立たないとはいえない.秋田県横手市の「横手城」は土塁の斜面に土砂崩れの防止と籠城の際の食料にするため,ニラ(韮)を植えたため,韮城とも呼ばれた.また,茨城県土浦市の「土浦城」でも,同様の目的で堀の斜面にニラを植えていた.
またニラやイワヒバは乾燥に強く,その根は細いが緻密に絡み合い,棟を補強するのに全く役に立たないとはいえない.秋田県横手市の「横手城」は土塁の斜面に土砂崩れの防止と籠城の際の食料にするため,ニラ(韮)を植えたため,韮城とも呼ばれた.また,茨城県土浦市の「土浦城」でも,同様の目的で堀の斜面にニラを植えていた.
*2:ノルマンディー及びベルサイユの芝棟に植えられているアヤメ科の植物は,ジャーマン・アイリスと一般に呼ばれる Iris germanicaで,イチハツ (Iris tectorum) ではないと思われる.
ここでは,特に *2 について詳しく述べたい.
フランスのノルマンディー地方の草ぶき屋根,及びパリ,ヴェルサイユ宮殿の「アモー」の芝棟に咲くアイリスは,イチハツではなく,ジャーマン・アイリス (Iris germanica) であると判断できる根拠は,
1) イチハツは19世紀初頭にシーボルトが日本から欧州にもたらし,欧州で栽培が始まったのは19世紀半ば以降.従ってマリー・アントワネット (1755 - 1793) の時代にはイチハツは欧州にはなかった.
2)ノルマンディー地方及び「アモー」の芝棟に現在生育しているアイリスの画像を見ると,葉序はイチハツに似ているが,一本の花茎が分岐し,複数の花が葉より抽き出て咲いているので,イチハツではなくジャーマン・アイリスと判断される.
3)「アモー」を建築したマリー・アントワネットによって「蒐集品室画家」に命ぜられた「花のラファエロ」 P. J. ルドゥテの著作『ユリ図譜 Les Liliacées』にも,「屋根に生育する」と書かれている.
4)複数のフランスの植物誌に,ジャーマン・アイリスの生育場所として「屋根 Le toit」「草ぶき屋根 Toit de chaume」が挙げられている..
5)エリザベット・ド・フェドー
著『マリー・アントワネットの植物誌』(2012) の「アイリスIris spp.」の章に,「ヒゲのあるジャーマンアイリス
I. germanica も、トリアノンの庭園で生育す(ママ)が、特に「農村」の草ふき屋根で花が咲く。」とある.
詳細に述べよう.
1) 日本産イチハツに関しては,長崎の出島に滞在した欧州人によって記録が残されていて(Meister (1692), Kaempfer (1712) ),また,学名をつけたのは横浜で屋根の上にイチハツを観察したMaximowicz (1866) である(後述)が,欧州に持って行ったのはシーボルトで,1874 年以前の19世紀初期とされる.
“A Guide to Species Irises: Their
Identification and Cultivation” British Iris Society. Species Group, Species
Group of the British Iris Society (1997) の “Iris tectorum” の章には,”Observations
It was first introduced to Europe by Philipp
Franz von Siebold, who sent plants
to St Petersburg sometime during the
early nineteenth century.
とあり,またそれを引用する形で “https://en.wikipedia.org
› wiki › Iris_tectorum” には, “It was
introduced to England and European cultivation
in 1874, by Philipp Franz von Siebold,
who sent plants to St Petersburg.” とある.
2-1)ノルマンディー地方には,古くから草葺屋根の建物が存在し,また,現在でも続々と草葺屋根の家屋が新築されている.現在の家屋では実際的な意味よりも,景観上の観点からの建造物が多いようであり,古くからの伝統に従い,その芝棟には,アイリスが植えられている.藤森氏の古い写真からは,その種を同定するのは難しいが,近代の家屋のそれは,画像から,葉の質が厚くて,花茎が葉より高く抽ん出て枝分かれし,複数の花をつけている事から,イチハツではなく,ジャーマン・アイリスという事が分かる.なお,他にチューリップ等が咲いている家屋もある.
2-2)ヴェルサイユのアモー Versailles
le Hameau de la Reine
Iris sur le toit d'une chaumière Normande |
ヴェルサイユ宮殿の一角にある小トリアノン宮殿(le Petit Trianon)は,1762年から1768年,ルイ15世の公妾,ポンパドゥール夫人のために建てられたもので,アンジュ=ジャック・ガブリエル(Ange-Jacques Gabriel)の設計による.しかし宮殿が完成した時には,ポンパドゥール夫人はすでに亡くなっていた.
Petite maison des valets de pied |
その建物のいくつかは茅葺屋根で覆われ,その芝棟には現在アイリスが生育している.その葉はイチハツによく似ているが,葉の質が厚くてやや白っぽい事や,花茎が葉より高く抽んでて,枝分かれして複数の花をつけている事が画像からわかるので,ジャーマン・アイリスと判断される.またイワヒバの類が,生育しているのも見て取れる.
(Petite maison des valets de pied (Small footmen's house, 馬丁の小宿舎)
Sachet roof of Petite maison des valets de pied and the Flowers of I. germanica |
★藤森照信『増補版 天下無双の建築学入門』(2019)
筑摩書房
「その昔、屋根には花が咲いていた(芝棟)
今回は、日本の民家の屋根にまつわる奇妙な風習について考えてみたい。
頭の上に草を生やして歩いている民族がいたら大笑いだが、それと似たようなことを、実は日本の民家はやる。芝棟(しばむね)という風習で、草葺き屋根のチッペン(棟)に草を植える。枯れ草(茅)に生きた草の組合せでこれこそまことの草葺き。植える草は野芝が主だから芝棟と呼ぶが、イチハツ(小型のアヤメ)とイワヒバも広く見られ、意外なものではユリ、松、アスパラガス、などなど、乾燥に強い植物なら何でもありだ。先ごろ、“芝棟の最後の宝庫“として一部に知られている岩手県の二戸から青森県の八戸までを探訪したら、ニラの白い花がまっ盛りだった。
なんでテッペンに草を植えるかについては、棟の位置は馬の背のように茅が両側に分かれるので、草の根の力でしっかり固めるため、という説があるが、ユリやニラにそんな効果があるとも思えないし、だいいちもっと簡単な方法がいくらもなされているではないか。私が聞いた説に、棟が乾かないようにというのがあったが、屋根が乾いて何が困る。
(中略)
日本の屋根という屋根のテッペンには草が生えていた時代があったんじゃないだろうか。
もし、こうした風習が今日も残るのが日本だけなら、本当の理由を探る途も絶えるが、さいわいフランスの大西洋側の地方にもあって、そのたたずまいといいイチハツといい日本の芝棟とウリ二つなのに驚かされる。ユーラシア大陸を間にはさんで、屋根に草の載る地域が二つ。どういうことなんだろうか。
(後略)」
「フランスのシバムネ・ハウス(芝棟)
芝棟(しばむね)についてふたたび。
「棟」という一語が建物を造る上でいかに大切かは、「上棟式」とか「棟梁」とかの用語で分かる。日本では古来、屋根のてっぺんに棟木を上げることをもって建物の完成とした。床を張ったり、屋根を葺いたり、壁を塗ったりなんてどうでもよくて、とにかく棟を上げるところまでこぎつければ、出来たも同然。その上げられた棟の梁のように重要な人物のことを「棟梁」と称した。
日本の建築界では、かように大事なその棟に芝草を植える習慣が大昔からある。茅葺き屋根の棟に、野芝、イチハツ、イワヒバ、ユリ、ニラ、などなどを植えて飾りとする。五月の節句の頃、茅葺きの屋根のてっぺんで、青空を背にイチハツ(矮性のアヤメ)が横一列に紫色の花を咲かせ、その脇をコイノボリが泳ぐ様はすぼらしい。マサカ屋根の上でアヤメの花が、と疑う人は水戸の黄門様の別荘の西山荘に出かけてほしい。今でこそ東北地方を中心に百棟あるかないかだが、戦前までは全国各地の茅葺き民家に広く根づいていた伝統の造りなのである。
茅葺きのてっぺんに花を咲かせるような伝統は日本だけにしかない、と長らく思ってきた。ところが、フランスにもあることが分かった。で、一昨年、昨年と二度探訪した。自宅の屋根にタンポポを植え(タンポポ・ハウス)、知人の屋根でニラを咲かせ(ニラ・ハウス)、時には松(一本松ハウス)や椿(椿城)さえ植えてきた私としては、なぜかユーラシア大陸の両端にのみ息づく芝棟に心を寄せないわけにはいかない。こんなに奇妙で不思議な現象を、どうして放っておけようか。
で、一昨年、フランスに出かけた。目指すは、ノルマンディー地方のマレー・ベルニエールという農村。フランスの民家写真集にこの村の芝棟の写真が一枚載っていた、というだけが根拠。現場の案内は私の研究室からパリに留学中の安田結子さん。
(中略)
村で一軒の居酒屋兼レストラン兼宿舎の前で降り、一本道を歩き始めると、すぐ左手に茅葺きの小さな納屋が現れ、てっぺんには緑が生えている。貧相だが芝棟に間違いない。気持ちがせいて、足早に近寄りながら、一本道の先の方に目をやると、右に一軒、二軒、左にも二軒、三軒、点々と芝棟の屋根がのぞいているうれしい。来た甲斐があった。一本道を先まで行ってみた結果から言うと、この村のほとんどすべての建物は、住まいも納屋も家畜舎も芝棟だったのである。
(中略)
村の芝棟はすべてイチハツ。イチハツの脇に巻絹(まきぎぬ)が植えられている場合もあるが、よく見ないと分からない。日本のイチハツの例と比べると、屋根だけ写せば区別がつかないくらいに似ている。ユーラシア大陸の両端に、奇妙な造りの民家が一卵性双生児のように残っていた。おそらく、人類がマンモスを追っかけてユーラシア大陸を移動していた古い古い寒い寒い時代まで遡る血縁関係なんだろう。
以上が一昨年のこと。昨年はどうしたかというと、パリの近郊に出かけた。大勢の観光客に混じって出かけた。なんせ、行き先はベルサイユ宮殿。太陽王ルイ十四世がフランスの富を傾けて造営した世界一の宮殿建築と広大な庭で知られる。二代後のルイ十六世の王妃マリー・アントワネットが贅沢三昧の宮廷生活を繰り広げ、その果てにパリの広場に引き立てられて断頭台のツユと消えたことでも知られる。漫画の 『ベルサイユのばら』 でも知られる。
(中略)
テラスから西に折れ、森の中を進むと、コツ然と視界が開け、片田舎が現れる。川が流れ、ほとりには水車小屋が建ち、池が広がり、畑があって農家が立つ。柵があるのは家畜小屋。煙突の立つのは住まいだろう。いずれの建物も壁には石が粗く積まれ泥が塗られ、屋根には草が葺かれている。
森の中を歩いているうちにいつしか宮殿の敷地の外に出てしまっていたのだ。ではなくで、この(アモー)と呼ばれる小さな村こそ、ベルサイユ宮殿の中でマリー・アントワネットが最も好んだスポットにはかならない。宮殿本体はルイ十四、十五、十六世の造営になるけれど、この村は彼女が自らの好みで作らせたのだ。
宮殿の儀礼と虚栄の日々に疲れると、彼女はここに引きこもり、村娘の姿になり、乳しぼりをした。乳しぼりはしなかったという説もあるが、きっとした。コスプレはしてみると分かるが、アクションをせずにはおられないものなのだから。
ここまで書けば、「もしや…・ではあるまいか」と私が疑った理由は分かっていただけただろう。村娘のマリーさんが乳しぼりに励む家畜舎の草葺き屋根のてっぺんには、もしやイチハツの花が咲いていたのではあるまいか。
答えは
“アタリッ”
大当たりだった。アモーの中のすべての建物とはいわないが、三、四棟にはイチハツの花が咲いていたし、かつてあったと覚しき痕跡のあるのも含めると、主な建物は芝棟で飾られている。
こんなことに興味をもってベルサイユを訪れた者が私以前にいるとも思えないから、マア一応の発見と言っていいだろう。
これで世界の有名人のうち、二人の人物がイチハツの芝棟の家に住んでいたことが明らかになった。西山荘の水戸黄門とベルサイユ宮殿のマリー・アントワネット。二人は芝棟兄弟だったのである。
兄弟と書いてから、フト不安になった。マリー・アントワネットが姉で黄門さんが弟だったらどうしよう。人名事典で調べて、安心。黄門さんの方が百二十九歳年上でした。」とある.
水戸光圀:常陸水戸藩の第2代藩主 (1628 - 1701)
マリー・アントワネット:マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アブスブール=ロレーヌ・ドートリシュ(フランス語: Marie-Antoinette-Josèphe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine d'Autriche,
1755 - 179)
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