Hypericum monogynum
江戸中期の画家,伊藤若冲(1716 – 1800)は,京都,錦の青物問屋の主であり,独学で琳派,諸家を学び独自の画風を極める.自然を観察する視線は精密を極め,その作品は個性的で,特に鶏の図の作品が多い.若冲には,幾つかビヨウヤナギを描いた作品がある.
讃岐の「金刀比羅宮奥書院」の上段の間を飾っているのが,若冲の「花丸図」である.若冲は金刀比羅宮を訪れてはおらず,絵は京都で制作されて送られたと考えられている.奥書院を使っていた金光院第10代別当である宥存(ゆうそん(1739 - 1787))は,少年時代に若冲に絵を習ったことがあり,その縁で障壁画の制作を依頼したと推測されている.
格子状の枠の中に整然と配置された総数201点にも及ぶ花卉図は,床の間,周囲の壁,襖全体に広がり,若冲独特の円形の虫食い穴など緻密な描写が見られる貴重な文化遺産である若冲は,現存する上段の間のほかに,二の間に「山水図」,三の間に「杜若図」,広間に「垂柳図」を制作したという記録が残っているが,これらは天保15 (1844)年,岸岱(がんたい)が描き直した.この「花丸図」の花は1点が約30cm×40cmのサイズで描かれている.もともと地の色は白だったが,後年の加筆で金地になった.劣化の為か,この加筆の為か,ビヨウヤナギの鮮やかな黄色が白みを帯び,細い雄蕊の繊細な描写が確認できないのが残念である.
『玄圃瑤華』(1768)は,彫った木版の上に紙をのせ,絵具を含ませたタンポで叩くようにして紙の繊維を板に食い込ませて摺る「紙本拓版」で,白と黒のメリハリのはっきりした画面に強い凸凹がつき,他の版画にはない立体感を感じさせる.「玄圃瑤華」の「玄圃」は仙人の居どころ,「瑤華」は玉のように美しい花の意味.若冲53歳の時の作品で,極端に折り曲げられ,デフォルメされた草花に虫類を配した図は,白と黒の劇的なコントラストと大胆な構図が見どころ.
左は国立博物館所蔵の伊藤若冲自画自刻『玄圃瑤華』からのビヨウヤナギ図であり,拓版の特徴である細い線をつぶれること無く表現できる技法を,ビヨウヤナギの雄蕊に生かした銘品である.
右は芸艸堂が明治40年頃に刊行した『若冲画帖』中のビヨウヤナギ図であり,『玄圃瑤華』からの復刻と思われ,細かく見ていくと違いが何カ所かあるのが分かる.
『信行寺花卉図天井画』(1798)
伊藤若冲が天明8年(1788)の京都大火で疎開した石峯寺(伏見区深草)で描いた観音堂天井画の一部.本来は182面を擁する大きな格天井であったが,観音堂は明治維新時の廃仏毀釈によって解体.天井画も解体され,古美術商に渡ったのち檀家総代の五代目井上清六が買い取り,168面は,京都市東山通仁王門の真行寺に,15面は義仲寺へと分割奉納された.
信行寺花卉図天井画は全168枚.内訳は花卉図167枚で,1枚は落款「米斗翁八十八歳画」墨書と「若冲居士」朱印が刻されている.花は牡丹30枚,キク15枚,梅10枚,朝顔・百合各6枚,杜若・水仙・蓮・藤各4枚(推測含む)が目立つが,渡来して間もない珍奇な植物もある.一方,野菜や山菜などの食用の植物も取り上げられているのには,青物商の若冲の矜持の片鱗が伺われる.各板絵の法量は約38㎝四方.胡粉地の塗り残しで直径34㎝ほどの円窓の縁が設けられ,その中に花卉を,円窓に相応しい図案的な表現で描写している.
その中に,ビヨウヤナギの図がある.現在は板の木目が目立ち,ビヨウヤナギの細い雄蕊が目立たないが,制作当時はさぞかし美しかったろうと思われる.
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