Hypericum monogynum
この土殷孽(どいんけつ)とは,本来土中から発見される乳白色の管状の鉱物で,古代からの中国の本草書にも記載がある薬物であり,鍾乳石の一部が土中に生じあるいは埋まった物とされている.
一方日本では,完全に対応する鉱物が見出されず,土中に発見される,管状ではあるが赤褐色の砕けやすい,通称「高師小僧(たかしこぞう)」と呼ばれる鉱物を指すようになった.上記,ビヨウヤナの鮮度保持剤として用いられるはこの「高師小僧」と思われる.
「高師小僧」は,鉄分の多い湿地帯の湿生植物の根の周囲では,鉄バクテリアが大繁殖することがあり,その作用により生成される,全長数cmの暗褐色で棒状の塊.かつて根があった場所に孔が空いている場合もある.褐鉄鉱質団塊よりなり,人形状,棒状,いも状,樹枝状その他種々なる形態となり,多くはかつて根があった中心に孔を有して管状を呈し,大部分のものは地層中に直立して産出する.
下痢止め・血止めの薬になるとの事なので,殺菌作用が生花の鮮度を保持剤するのであろうか.
この書の「巻之七 土部」には
「石鍾乳 諸国深山石窟ノ中ニ生ス其品不レ同佐渡ヨリ出ル通
竅アツテ清徹ナリ眞ノ鵞管石ナリ信州ニ出ルハ氷柱ノ如
シ俗ニツラヽ手ト云加賀白山岩穴勢州篠タチノ洞ニ出ルハ
凝結シテ雪ノ如シ是乳花ナリ
土殷孽 尾州知多郡山中ニ多シ形管ノ如ク其質黄土ニ
似タル物是ナルヘシ」とある.黄土質で管状で「高師小僧」の名の由来になった愛知県豊橋市附近での産とあるので,この「土殷孽」は「高師小僧」とみて,間違いないであろう.
加地井高茂 [編] ★『薬品手引草』(1778)はイロハ順に薬物名を並べて,簡明に漢語には読みと和名や説明を記した字引である. この書には
「 殷孽(インケツ) はじかみいし
土乳(トニウ) ドインケツ之
土殷孽(トインケツ) つちのいしのつ(ち?)ち 和ニアリ
石鍾乳(セキシヤウニウ) 山霊(サンレイ)いしのい 唐
近世和ノサドヨリ出ル佳
孔公石(コウ/\セキ) コウ/\ケツ之
孔公孽(コウ/\ケツ) いしのちちのひこはへ」
とある.どうも「石鍾乳」を羅山の和訓「いしのち」から「いしのちち」として土殷孽,孔公孽の和名を記したらしい.「土殷孽」に和産があるとしているが,どのようなものであったろう.
小野蘭山★『本草綱目啓蒙』48巻.1803 - 1806年刊.は《本草綱目》に関する蘭山の講義を,孫の職孝(もとたか)が筆記整理したもの.《本草綱目》収録の天産物の考証に加えて,自らの観察に基づく知識,日本各地の方言などが国文で記されている.この書の「巻之五 石部 石之三 石類上三十二種」には
石鍾乳 イシノチ 和名鈔 ツラヽイシ イシノツラ,
イシノヨダレ イシノチヽ
土州 〔一名〕公乳 事物異名*1
石乳
證治準縄*2 滴乳石 外科正宗*3
山中洞穴ノ中ニ生ス.乳水滴リ垂凝テ泳柱(ツララ)ノ形ノ如シ.大
小アリ.大ナル者ハ柱ノ如ク,臼ノ如シ.小ナル者ハ筆管ノ
如シ.白色或ハ黄色ヲ帯,赤色ヲ帯ルアリ.透明ニシテ馬腦ノ
如キヲ上トス.中空ク管ノ如キアリ,中實スル者アリ.中空
ナル者ヲ鵞管石ト云.別ニ舶来ノ鵞管石アリ,形木賊(トクサ)ノ如
シ.白石ニシテ輕ク,内空シクシテ菊花紋アリ.長サ一二寸,長短
等シカラス.皆末尖レリ.又三五叢生スル者アリ.本草原始*4
ニ圖アリ.此ハ鍾乳ノ鵞管石ト同名ナリ.醫学入門,藥性要
畧大全等ニ,鍾乳ノ外ニ鵞管石アリ.本草原始*4ニ圖スル者
ト同物ナリ.鍾乳石ヲ打破ハ中ニ蝉翼ノ紋アリ.備中及能
州,加州,和州大峯山,佐州海府,奥州岩城山,濃州三國ケ嶽,江
州佐目村ノ風穴此處ニ甚大ナル者アリ,勢州丹生村,豫州小松,肥後ワ
タリ山ノ佛ケ岩屋,讃州八島,紀州熊野小雲取,越中伊波村,
薩州等,諸国ニ出.
孔公孽
一ツノツラヽ石ヲ三ツニ別チ,本ヲ殷孽トシ,中ヲ孔公
孽トシ,末ヲ鍾乳トス.一物三名ナリ.別録ノ説ハ時珍ニ反
ス,誤ナリ.
殷孽 鍾乳ノ本ナリ.〔附録〕石牀 〔一名〕砂石牀
藥性奇方*5 乳水
滴リ溜リテ凝,下ヨリ筍ノ如ク生スルヲ石牀ト云.石ニ著,
上生ス.故ニ一名石筍と云.鍾乳ハ上ヨリ下リ生ス.故ニツ
ラヽイシト呼.石花 竹笋ノ如ク直立スル者ハ石牀ナ
リ.乳水石上ニ凝結シテ霜ノ如ク,或ハ木枝ノ如ク叢生スル
ヲ石花ト云.寇宗奭*6ノ説ハ,海中ニ生スル ミドリ石ニシテ,
菊銘石ノ類ナリ.石上ニ多ク叢生シ,高サ三四寸,形細カニ
シテ枝アリ.白色質硬クシテ折易ク,此ヲ扣ケバ聲アリ.華夷珍
玩孝*7ニ詳ナリ.菊銘石ハ広東新語*8ノ海花石ナリ.石骨
詳ナラズ.
土殷孽 キツ子ノコマクラ クダイシ キツ子ノラウ
ソク越中 キツ子ノマクラ筑後
土中ニ生ジテ細長ク小サキ鍾乳ノ如シ.大ナルハ指ノ如シ.
小ナルハ筆管ノ如シ.淡黄色,又國ニヨリテ黒色ヲ帯ル者
アリ.其質重疊シ,密ニシテ柔ニ,碎ケ易キ者良ナリ.其質粗ニ
シテ堅ク,碎ケ難キ者ハ下品ナリ.城州稲荷山,八幡山ニ多シ.
其他諸國ニモアリ.其形狀一ナラス.或ハ長ク,或ハ圓ク,或
ハ兩段ニシテ葫蘆(ヒヤウタン)ノ形ノ如ク,或ハ枝アリテ樹ノ如シ.或ハ
人形ノ如ク,或ハ卵ノ如シ.或ハ甘藷(サツマイモ)ノ如シ.皆内空ニシテ黄
粉アリ.又黄粉脱シテ孔ノ通リタルモアリ.故ニ細長ナル者
ヲ管イシト云.又形長大ニシテ内實スル者アリ.此ヲ 長イ
モ石,イシダイコン,角ノ化石ト云.皆其形ノ似タルニ
困テ名ク.」とある.
*1『事物異名』:中国清代の厲靜薌原輯,關晉軒増纂の『事物異名録』(1788)は,一種の辞典で,事物を,「乾象部,歳時部,坤與部,郡邑部(上,下),形貌部,倫屬部,爵位部,品術部,禮制部,音楽部,政治部,人事部,宮室部,飲食部,服飾部,舟車部,耕織部・漁猟部,器用部,書籍部,文具部,武器部,蔬穀部(上,下),布帛部・珍宝部,玩戯部,年齒部,佛釋部・仙道部,藥剤部(上,下),百草部,樹木部,花卉部,果蓏部,禽鳥部(上,下),獸畜部,水族部,昆蟲部(上,下)」の39部に分け各項目に属するものの異名を列挙し,その出典を示したものである.
その「巻三十 藥材部下 石類」に
「留公乳 鵞管石 蘆石 夏石 黄石砂 本草綱
目鍾乳一名留公乳 一名鵞管石 一名蘆石 一名夏
石 一名黄石砂 蘆與鵞管象其空中之狀 以下鍾乳」とある.(「昌平叢書. 事物異名録」明42.3序 松山堂)
*2『證治準縄』は,明代医家王肯堂編輯, 1608年頃に成書.六科に分かれ,《六科証治準縄》《六科準縄》とも称する.
その「卷一百十九」に
「秘傳杖瘡膏方 專治打傷又治金瘡及無名腫毒臁
瘡若跌傷及別様瘡忌貼
香油四兩真者佳將穿山甲栢枝先入油中煎數沸去二件查乗熱將薄綿濾淨油復入鍋中
煎沸以次下藥冬月用油五兩 穿山甲一片 栢枝一根已上二件止取油煎汁不用查
取法見前 槐枝一莖須另報開小條不用大樹上者入藥油用此頻攪
府丹即飛丹淨
水飛過去漂腳取細末一兩作二次入油 水花硃淨水飛過去漂腳曬乾取細末二錢
血
竭 沒藥 乳香 孩兒茶已上四件各三錢搥碎和勻共入銅鍋炭
火上炒沸過為細末 新珍珠 新紅象牙各麫包燒存性取細末油舊者不用
面粉炭火上燒黃各一錢
人指甲炒黃
三七晒乾取細末
石乳銅鍋內炒
過取細末 黃連細末 黃芩細末各三分 海螵蛸五分細末 半夏大者十枚
為細末已上十六件俱用極細篩節過和勻分作
五分留起一分看膏藥老嫩加減止用四分作四
次下下法如左 樟氷細末四錢 黃蠟二錢
氷片一分
麝香三分
阿魏成片
者五分已上十件待諸藥俱下盡臨
起鍋時方下攪極勻取出阿魏查
右藥先將細末藥分五分其四分以次下鍋如左其
一分留看藥厚薄以為増減如四分已下盡藥尚薄
亦將此分漸下如正好留此一分待貼膏藥時摻在
患處尤妙」とある.
*3『外科正宗』(1617):明の外科医・陳実功(1555-1636)の著. 癰疽をはじめ,外科治療を157篇にわけて病理・診断・治療・適用処方などを列記した.
その「卷之三 下部癰毒門 結毒論第三十七」に,
「五寶散 五寶散內用硃砂 琥珀珍珠冰片加 飛羅面同滴乳石 飯糰煎和效堪誇
治結毒筋骨疼痛,腐爛口鼻,諸藥不效者服之。
滴乳石 如乳頭下垂,敲破易碎,亮似蜻蜒翅者方真,四錢
琥珀二錢 硃砂二錢 珍珠二錢 冰片一錢
右各研極細,對準共為一處,再研數百轉,瓷罐密收。用
藥二錢,加飛羅面八錢再研和勻,每用土茯苓一
斤,水
八碗,煎至五碗,濾清作五次,每次加五寶散一分和勻,
量病上下服,一日服完。十服自愈。如鼻子腐爛,每日土
茯苓內加辛夷二錢煎服,引藥上下,忌食海腥,牛,羊,火
酒、煎炒、房事等件。」とある.
*4明代の著名な醫藥學家,李中立は,『本草綱目』は臨床の座右で利用するには、あまりにも博物学的記載が多いので、『本草綱目』の要点を整理した『本草原始』12巻(1612)を著した.薬物508 種を,草、木、谷、菜、果、石、獸、禽、蟲魚、人の十部に分けて記述したが、中に描かれた生薬図は独自である。この書の「石部」に中立独自の図と共に
「石鐘乳 始生少室山谷及泰山.今道州江華縣及連.英.韶.階.峽
州山中皆有之.生嵓穴陰處.溜山液而成.空中相通.長
者六.七寸.如鵝翎管狀.碎之如爪甲.中無雁齒.光明者爲善.
色白微紅.采無時.入水不沉.係石之津氣.鐘聚成乳.滴溜
成石.故名石鐘乳.
[氣味]甘溫,無毒
【主治】欬逆上氣。明目益精。安五臟。通百節。利九竅。下乳汁。○
益氣。補虛損。療腳弱疼冷。下焦傷竭。強陰。久服延年益壽。好
顏色。不老。令人有子。不煉服之。令人淋。○主泄精寒嗽。壯元
氣。益陽事。通聲。○補五勞七傷。○補髓。治消渴引飲。
粛炳云。如蟬翅者上。爪甲者次。鵝管者下。明白而薄者。可服。
本經上品
服忌參朮犯
者多死.蛇床
爲之使.惡牡
丹玄石牡蒙
畏紫石英衰
草.忌羊血」とある.
また,「石部」に
「鵝管石 此石色白形如鵝管故得此名
[氣味]甘 平.無毒
[主治]肺寒久嗽。痰氣壅隔。兼治疳瘡。
鵝管石新増
狀如鵝管中空色純白根上多紋.梢(稍?)上光浄.
入藥火煆細研.」
とあり,木賊の化石を引き延ばしたような図もある.
*5『藥性奇方』:数多くの本草書に出典とされている書であるが,良質な情報は得られていない.
*6寇宗奭(こうそうせき):北宋時代の医者,『本草衍義』(初版 1119)を著わす.本書はそれ以前に刊行された『嘉祐本草』と『図経本草』を補足する目的で,五〇三種の薬物について寇氏の見解が述べられている.この書の「巻五 」に
「石鍾乳蕭炳曰如蟬翅者上爪甲者次鵝管者下經既
言乳今復不取乳此何義也蓋乳取其性下不用如鴈
齒者謂如烏頭附子不用尖角之義同但明白潤輕
鬆色如錬消石者佳服錬別有法」
「石花白色圓如覆大馬杓上有百十枝每枝各槎牙分
岐如鹿角上有細文起以指撩之錚錚然有聲此石花
也多生海中石上丗亦難得冢中自有一本後又於大
相國宮中見一本然其體甚脆不禁觸擊本條所注
皆非」とある.
*7『華夷珍玩孝』:明の慎懋官,李時英の『華夷花木鳥獸珍玩考』(1581).この書に
「 石花
白色圓如覆大馬杓上有百十技每枝各槎牙分岐
如鹿角上有細紋起以指撩之錚錚然有聲此石花
也多生海中石上世方難得家中自有一本後又於
大相國宮中見一本然其體甚脆不禁觸擊」とある.
*8『広東新語』:著者の屈大均(1630 - 1695)は,中国,明末清初の詩人.強い反清思想をもち,五言律詩を得意とする典雅な詩風で,明の遺民として詩名が高かった.晩年を広東でおくり,地方風俗誌的な記録『広東新語』を残した.この書の「卷五
石語」に
「海石
海石有二.其一曰海花石,蓋瓊海鹹沫所凝,有似
假山者、花樹者、人與鳥獸形者.初甚鮮翠,久乃枯
槁.其狀若盤者,名荔支盤,質如荔支之殼,皺而紅
紫,以畜養金鯽魚,甚善.其一曰羊肚石,出陽江,大
如拳許,浮游水上,左思所云「雲雨所儲,浮石若桴」
者也.以之濯磨污垢,亦善.此二石皆水之質水之
渣滓所成.若山之石,則火質火之精華所成也.火
之精華者,以紫石英爲最.紫石英出東莞爆山,大
如指頭,小者如石橊子.色純紫,光明鮮豔,若漳浦
茅晶,而多五稜.廣人多以飾佩帶器物,婦人絕孕
十年無子者可療,以爲服食亦善.或有詩云「增城
雲母粉,東宮紫石英.仙人所服餌,往往得長生.」雲
母,亦火之精華也.有雲核者,多產羅浮山中,其黃
者出黃雲,白者出白雲,各以其色,蓋亦雲之母也.
屑之調爲漿,久飲之,口能吞吐五色雲.」とある.
耕雲堂灌圃★『閑窓録』(1804)は,江戸時代で唯一の貝化石図集刊本である.著者についての詳細は不明であるが,金石の収集で有名な近江の木内石亭(きのうち・せきてい)が序を寄せているので,関西の人か.本文には,撰者と同好者たちの所蔵する112品を図示し,それぞれに産地と所蔵者名を添える.同好家は名古屋以西の人々が多い.化石は貝類が大半だが,ウニや,石サンゴらしい品も含まれる.図頁のあいだには俳句や詩を載せる趣味的な構成である.この書に
「勢州産 土殷孽 貝石
濃州 曲鈴館
黄色ニシテ甚ダ奇也」
と説明文と共に,巻貝のような図が載せてある.巻貝の化石かも知れないが,「黄色」や,蘭山の「角ノ化石」に拘ると「高師小僧」の可能性もある.
★『紀伊続風土記』は,江戸幕府の命を受けた紀州藩が,文化3年(1806年)8月,藩士で儒学者の仁井田好古を総裁とし,仁井田長群・本居内遠・加納諸平・畔田翠山らに編纂させた紀伊国の地誌である.編纂開始から3年後には紀北4郡の調査を終えたが,文化5年(1808年)から文化8年(1811年)にかけての仁井田の離任により編纂が中断するなど,種々の困難に見舞われた.編纂作業は文政13年(1831年)に再開し,それから8年後の天保10年(1839年),33年の歳月を要して完成した.編纂にあたっては,編纂者たちが国中を余さず調査したという.
この書の「巻之八十八 物産第一 石部」に
「○石鍾乳(ツラヽイシ) 本草○和名鈔に以之乃知
牟婁郡色川荘大雲取潮崎荘古座黒島四番
荘大谷村の巌窟在田郡滋賀荘山中等に産す
又海部郡衣奈荘白崎浦千尋の岸壁上に産す
るは數百年を經てなれる者なり乳汁巖上よ
り湧出し下は海際に流連して儼に雪山の如
く白色光艶にして海面に映す他邦此のことく
大なるを見す實に奇観なり
○土殷孽(ツチダンゴ) 本草
那珂郡名手荘市場村日高郡南部荘山田村牟
婁郡田邉荘鉛山村等に産す」とある.
ツチダンゴと地方名が振られている所を見るとこの産物は「高師小僧」に間違いあるまい.わざわざ「物産」の項に記録している所を見ると,何らかの用途があったのであろう.
★岡林清達・水谷豊文『物品識名』(1809 跋) は,品名を和名のイロハ順とし,ついで水・火・金・土・石・草・木・虫・魚・介・禽・獣に分け,各項にその漢名・和の異名・形状などを記した辞典.序によれば,『物品識名』は,初め水谷豊文(1779-1833)の友人岡林清達が着手したが眼病で中絶し,豊文が継続,完成させた.後編『物品識名拾遺』(1825 跋)は豊文の単独執筆である.イロハ順といっても,江戸時代の場合は第2字目以下はイロハ順ではないが,本書は「キリシマ・キリ・キリンケツ」のように,第2字目も同じ名を連続する工夫をしているので,一般的なイロハ引より使いやすい.本書は和名中心の動植鉱物辞典の嚆矢だったので,大歓迎された.この書の「津部」に
[石]「ツラヽイシ 石鍾乳
末尖ノ一段ヲ石鍾乳トシ中ノ一段ヲ孔公孽トシ本ノ石ニ着ク處ノ一
段ヲ殷孽トス
中空ナルモノヲ鵞管石ト云
亦別ニ鵞管石ト云モノアリ鍾
乳ノ類ニアラズ 乳石滴汁落テ下ヨリ笋ノ如ク生ルヲ石牀ト云
乳水石上ニ
凝結シテ霜ノ如ク或ハ木枝ノ如ク叢生スルヲ石花ト云」とあり
『物品識名拾遺. 乾』「土部」に
「ドインケツ キツネノコマクラ 土殷孽」とある.この和名は蘭山の『本草綱目啓蒙』にも記録されている.
★北海道の名付け親と言われる松浦武四郎(1811 - 1888)は,蝦夷地探索の報告書『按北扈従』(1859)や『丁巳日誌』(1857)に,蝦夷地での土殷孽の発見の記録と図を残している(http://sada.la.coocan.jp › arekore › doinketu › tkhp10).「按北扈従」挿絵「色何れも赤土色也」.また,彼が「明治年間雲出川ニテ拾得せる土陰穴」の実物が松浦武四郎記念館に所蔵されている.北海道では名寄市の「名寄高師小僧」が国の天然記念物に指定されている(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215639).
0 件のコメント:
コメントを投稿