2016年2月12日金曜日

アスパラガス-5  アピーキウスについて,大プリニウス 豚フォアグラ・ボラの活締め・フラミンゴの舌・キャベツ,小セネカ,マルティアリス

Asparagus officinalis
アピーキウスから最上級の珍味とお墨付きをもらった舌をもつフラミンゴ 1979-5 London Zoo
地中海沿岸原産と考えられるアスパラガスは,古代ギリシャから野生種の若い芽が食材として利用され,ローマ時代には現在と同じ種が広く栽培され,ローマの上流階級の食卓に供されていたと考えられる(アスパラガス-6 ,デ・レ・コクィナリア,大プリニウスの項参照).

帝域が拡大するティベリウス帝の時代 (14 37) に,美食家・料理人として活躍したマルクス・ガウィウス・アピーキウス (Marcus Gavius Apicius) が残したとされる古代の最も著名な料理本『デ・レ・コクィナリア (De Re Coquinaria)』にも,いくつかのアスパラガスのレシピが残る.この書はアピーキウス自身が書いたものではないとの説が有力だが,ローマ帝政時代の料理を記録したものと考えられる.

アピーキウスには,グルメとしての多くの逸話が残っていて,大プリニウスの『博物誌』Book VIII. Lxxvii. 206-209 には,”There is also a method of treating the liver of sows as of geese, a discovery of Marcus Apiciusthey are stuffed with dried fig, and when full killed directly after having been given a drink of mead.(私訳:マルクス・アピーキウスが創作した,豚の肝臓をガチョウのそれと同様に処理する方法(フォアグラの作成法)がある.乾燥したイチジクの実を豚に腹いっぱい食わせ(続け),蜂蜜酒を飲ませた直後に屠殺する.)とある.
Book IX - XXX. 64-xxxi. 67 には Marcus Apicius, who had a natural gift for every ingenuity of luxury, thought it specially desirable for mullets to be killed in a sauce made of their companions, garum for this thing also has procured a designation and for fish-paste to be devised out of their liver.”(私訳:贅沢を楽しむ創意工夫の天与の才を与えられていたアピーキウスは,ボラは同じ種のボラで作った魚醤(ガルム)に漬けて殺すのが特に必要であり,その肝臓から作るペーストは特に好ましいと考えていた.) とある.
Book X - LXVIII. には Apicius, the most gluttonous gorger of Rare birds all spendthrifts, established the view that the for the table, flamingo's tongue has a specially fine flavour.” (私訳:希少な鳥類の最も貪欲な大食漢,アピーキウスは,食卓にはフラミンゴの舌が特別繊細な風味を持つとの見解を確立した)とある.
一方,アピーキウスはキャベツの若芽(芽キャベツか?)を嫌い(BOOK XIX. XLI. 137),また,煮る前に油と塩に浸しておくとキャベツは青々としたままである事を見出した(BOOK XIX. XLI. 143)ともある.

ユリウス・クラウディウス朝時代(紀元前27 - 紀元後68年)のローマ帝国の政治家,哲学者,詩人の小セネカ (Seneca minor) とも呼ばれるルキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca、紀元前1年頃 - 65年)は,アピーキウスの贅沢な快楽を追及する姿勢に反感を持っていて,流刑中に,母ヘルウィア (Helvia) へ送った手紙「ヘルウィアに寄せる慰めの書」(De Consolatione ad Helviam Matrem)の中で
“Do you suppose that our dictator who granted an audience to the ambassadors of the Samnites, while he roasted the commonest food before the fire himself with that very hand with which he had so often smitten the enemy, and with which he had placed his laurel wreath upon the lap of Capitolian Jove, enjoyed life less than the Apicius who lived in our own days, whose habits tainted the entire century, who set himself up as a professor of gastronomy in that very city from which philosophers once were banished as corrupters of youth? It is worthwhile to know his end. After he had spent a hundred millions of sesterces on his kitchen, and had wasted on each single banquet a sum equal to so many presents from the reigning emperors, and the vast revenue which he drew from the Capitol being overburdened with debt, he then for the first time was forced to examine his accounts: he calculated that he would have ten millions left of his fortune, and, as though he would live a life of mere starvation on ten millions, put an end to his life by poison. How great must the luxury of that man have been, to whom ten millions signified want? Can you think after this that the amount of money necessary to make a fortune depends upon its actual extent rather than on the mind of the owner? Here was a man who shuddered at the thought of a fortune of ten million sesterces, and escaped by poison from a prospect which other men pray for. ...”
「いかにも、みずからの手で - すでに幾度も敵を撃破し、カピトーリウムのユッピテル(神像)の膝に月桂樹の枝を献じたあの手で - みずからきわめで安価な食べ物を竃でかき混ぜながらサムニウム人の使節の話を聞いたわが独裁官*は、われわれの記憶にある時代に生きた人物で、かつて哲学者たちが青年らを堕落させるという口実で追放されたこともあった都(ローマ)で、みずから料理屋の知識の教師を任じ、その教えで一世を毒したアピーキウスより不幸な暮らしを送っていたのだ」と。彼アピーキウスの末路を知っておくのはむだなことではありません。彼は皇帝の与える賜金の何倍もの金、カピトーリウムの国庫に納められた莫大な租税にも匹敵する金を宴会ごとに飲み干し、喰らい尽くして、一億セステルティウス**もの金を台所に散財した挙げ句、借金に苦しみ、そのとき初めてやむなく自分の帳簿を調べたのです。計算してみて、手許に残る金が一〇〇〇万セステルティウスしかないと分かると、一〇〇〇万セステルティウスの生活ではまるで飢餓の極みの中で生きることになるかのように悲観し、毒をあおいで命を絶ちました。何という驕奢でしょう,彼にとって一〇〇〇万セステルティウスが貧しさだったとは。さあ、考えてみてください、問題なのは金の額であって、精神のあり方ではないなどと。一〇〇〇万セステルティウスに怖じ気づいた一人の人間がいて、他人なら願かけをして手に入れたいと望むその一〇〇〇万セステルティウスから毒をあおいで逃げ出したのです。確かに、これほど歪んだ精神をもった人間にとっては最後の一服が最も健全な飲み物だったと言えましょう。彼が盛大な晩餐を、ただ単に楽しむだけではなく誇ってもいたとき、その悪徳をこれ見よがしに誇示していたとき、その奢侈で市民らの注目を浴びていたとき、悪い範がなくとももともと感化されやすい青年たちをたぶらかして悪癖に倣わせていたとき、その時こそ、毒を喰らい、毒をあおいでいたのです。
」(セネカ哲学全集2,『ヘルウィアに寄せる慰めの書』大西英文訳,岩波書店,2006)と述べている.
*マニウス・クリウス・デンタートゥス(Manius Curius Dentatus died 270 BC)).290, 284, 275, 274 B. C. の執政官.サムニーテース(サムニウム人),サピーニー,セーノーネースなどの部族を征服し,エーペイロスの王ビュッロスに勝利した軍人,政治家.大カトーが理想化して以後,高潔,節倹の士の範例となった.サムニウムの使節が賄賂の金をもってやって来たとき,質素な蕪料理を自ら作りながらそれを拒絶したという(左図,Curius Dentatus and the turnips - Jacopo Amigoni (1682–1752) - MUSEUM BREDIUS (The Hague), Wikimedia, public domain.)
**セステルティウス:古代ローマの貨幣単位;その銀[青銅]貨,東海大学 ヨーロッパ文明学科の河島 思朗教授によれば1セステルティウス=約320円(http://www.vdgatta.com/note_coin.html)

また小セネカが兄の Lucius Junius Gallio Annaeanus (c. 5 B. C. – 65 A. D.) へ宛てた手紙の中では Of a Happy Life / Book XI “All men, brother Gallio,
We shall, however, see whether virtue still remains virtue among those who treat her with such contempt, for if she leaves her proper station she can no longer keep her proper name: in the meanwhile, to keep to the point, I will show you many men beset by pleasures, men upon whom Fortune has showered all her gifts, whom you must needs admit to be bad men. Look at Nomentanus and Apicius, who digest all the good things, as they call them, of the sea and land, and review upon their tables the whole animal kingdom.. You will say that these men live in the midst of pleasures. Yet they are ill at ease, because they take pleasure in what is not good.” (Bohn's Classical Library Edition of L. Annaeus Seneca, Minor Dialogs Together with the Dialog "On Clemency" translated by Aubrey Stewart, G. Bell and Sons, London, 1900)
『幸福な生について』 「ガッリオーに寄せる
徳というものは、その地位から退けば、徳の名を維持できないはずだからである。さしあたりは、今問題にしている点、つまり、ありとあらゆる賜物をあふれんばかりに運命から与えられていながら、君たちが悪しき人間と認めざるをえない、快楽にとりつかれた多くの人間の例を示すことにしよう。ノーメンターヌスやアピーキウスを見るがよい、彼らが言うところの「山海の珍味」を渉猟し、ありとあらゆる国の生き物を食卓に並べて吟味している連中である。 (中略) 君の言う快楽の享受とはこうした連中の行状を指すのであろうが、彼らが幸せであるはずがない。なぜなら、彼らが喜びを見出しているのは善きものではないからである。」(『生の短さについて他二篇』セネカ著,大西英文訳,岩波文庫,青60712010

また,ラテン語のエピグラムの巨匠として知られる,マルクス・ウァレリウス・マルティアリスMarcus Valerius Martialis, 英語:Martial, 40? - 102?)が,古代ローマ皇帝ドミティアヌス,ネルウァ,トラヤヌスの統治期間にあたる西暦86年から103年の間に発表した12巻のエピグラム(エピグラムマタ,寸鉄詩集)の第三巻には,次のようなアピーキウスの服毒死を皮肉る詩を残している.この最終行にジョークを置く風刺詩は,現代のジャンルとしてのエピグラムの概念にかなり近いものである.
“Martial, Epigrams. Book 3 . XXII. ON APICIUS.
You had spent, Apicius, sixty millions of sesterces on your belly, but you had still left a loose ten millions. In despair at such a reduction, as if you were condemned to endure hunger and thirst, you took as a last draught, a dose of poison. No greater proof of your gluttony than this, Apicius, was ever given by you.“ (Translated by D. R. Shackleton Bailey, Bohn's Classical Library, G. Bell and sons, London. 1897)

(私訳:アピーキウスさん,あなたは六億セステルティウスを食欲に費やしたが,一億セステルティウスを手元に残した.こんな資産の減少では,(今後は)飢えと渇きを耐え忍ばねばならぬと宣言されたも同じと絶望し,一杯の毒液を最後の飲み物として飲み干した.アピーキウスさん,あなたの業績の中で,これ(最後に毒杯を賞味した)以上の立派な,偉大な美食家としての証明はない.)

2016年2月8日月曜日

サクラソウ (21) 異端紅 作出者:伊丹清氏,大乗院寺社雑事記,山科家礼記,宴遊日記,嬉遊笑覧

Primula sieboldie cv. “Itankou” 
2016年2月8日 異端紅
昨年の春,花見に行く途中の道の駅で購入した(¥300)サクラソウ,「異端紅」が早くも咲きだした.
年末の暖かさに誘われたか,芽が出ている幾つかの鉢を見出して,室内に入れ,午前中は東側の屋外で日光に当て,午後からは西側のガラス越しの陽を浴びさせている.

まず咲きだしたのが,異端紅.花茎の高さは三㌢ほどで,花も一輪しかついていないが,寒さがぶり返したこの冬に別れを告げる魁のように思われる.写真では表現できないがサクラソウの中で最も濃い紅と言われていて,特に日陰では黒紅色と云いたくなる花色である.

2015年4月 購入時 異端紅
「異端紅」 品種名仮名:いたんこう,表の花色:濃紅色・爪白,裏の花色:濃紅色・爪白,花弁の形:細,花弁先端の形:梅,花容:平咲き,花柱形:短柱花,花の大きさ:中,作出者:伊丹清

作出者の伊丹清氏は昭和13年生まれ.千葉大学園芸学部卒.埼玉県花植木センターで植木生産,利用の技術開発に携わり,現在は,農業を新規に始めようとする人を支援する仕事に従事している.サクラソウのコレクションは約250品種400鉢に及び,異端紅の他にも姉娘,初声,御目見得,貴妃の笑,君の微笑,小海蒔絵,心意気,零れ紅,初心,白梅(しらうめ),月天心,匂紫,はにかみ,春の海,娘心,娘盛,やすらぎ,雪見絵巻などの新品種を育生したとのこと.


サクラソウは,室町時代中期には京都で栽培されていた.
NDL

興福寺大乗院で室町時代に門跡を務めた,尋尊・政覚・経尋が三代に渡って記した約190冊にもなる日記★『大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)』の文明十年三月(1478)の項の末尾には,尋尊(一条兼良の五男)による筆記で,
「庭前ノ木草花
正月梅 椿 沈丁花  二月同 花櫻 信乃櫻 岩柳 庭櫻 櫻草 全躰(マヽ)
三月 梨(木へんに利) 海道 ス桃 桃 櫻 藤 ツツシ 山吹 木カンヒ 仙人合花 宝●(月+榻のつくり)花(宝塔花=クリンソウ) 定春 馬連 スワウ 石楠 スミレ ヒホネ 一ハツ カキツハタ カシワ」とあり,(辻善之助 編『大乗院寺社雑事記. 6 尋尊大僧正記 72-87』三教書院(1933NDLこれがサクラソウを庭で育てている最古の現存文献とされている.

原本は1450年(宝徳2年)から1527年(大永7年)までが現存しており,国立公文書館が所蔵し,重要文化財に指定されている.尋尊の書いた部分は特に「尋尊大僧正記」「尋尊大僧正記補遺」などとも呼ばれ,応仁の乱前後の根本史料とされている.またほとんどの項に紙背文書があり,あわせて貴重な資料となっている.


地植え原種系サクラソウ 2015年5月
また,故磯野慶大教授によるリストでは,『山科家礼記』の1491年が初見とされている.本書は京都の羽林家の家格を有する公家,山科家の雑掌を代々務めた大沢家の日記で,記主は大沢重康・久守・重胤.1412 (応永19) から1492 (明応1) までが現存.内蔵寮を管轄した山科家の財政,所領経営に関する記事が多く,当該期の供御人や山科七郷の動向を知る上での基本史料として重要.

その延徳三年(1491)二月二十一日の記事には「武家(将軍足利義材 後の義稙)へ桜草ほうとうけ(注:宝幢花,クリンソウ)のたね御所望候間,進之也」と,また,同年三月十六日「禁裏花参,御学文所棚心桜草・ヲモト葉、下ニ花心,いとすヽき・桜草・シャクワ葉ハリ也,小御所押板カヘ、柱心ヤマフキ、下同葉共之」,更に延徳四年(1492)三月三十日の項には「今朝予 禁裏花ニ被召候也.参候,御學文所花棚上心キニ候水草,下サクラ草・シヤクワノ葉等也,下花心松・下ケマンケ・櫻草・キンセン花色ニ,御申次唐橋殿,御酒ヲ被下候,忝畏入存候也」とあり,種から育て,宮中でも鑑賞されていたことが分かる.

サクラソウ栽培はその後江戸にも広がり,特にアシの需要が増し,武蔵国荒川の中流域で,野焼による葦の再生が、定期的な裸地の出現をもたらし,これが桜草の自然群落の出現を助けた.流域の農民は自生のサクラソウを掘り取って,鉢に植え売り歩き,また,江戸市民の行楽の地にもなった.

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江戸時代中期の大名,柳沢信鴻(1727-1792)★『宴遊日記』(安永十七日,1781)には,「土堤の下は野新田に続きたる曠野、桜草所々に開き〜」「〜曠野にて桜草を掘」とある(後の記事にてこの日の記事詳述).

その後自生種から,また栽培種から多くの変種が発見され,有力者同士の音物になったりして,「はやりもの」として育種された.

★『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』は,江戸町年寄喜多村家の次男,国学者の喜多村信節(きたむら のぶよ,17831856)が江戸時代後期の風俗習慣,歌舞音曲などについて書いた随筆.天保元年 (1830) 刊. 各巻上下2章から成る全12巻と付録が1巻.各項目を和漢古今の文献を引用して解説し,体系的に整理した百科事典的な書物で,江戸風俗を知る有益な資料として知られる.
その下巻の,「草木 草木はやり物」の項に
「安永七八年さくら草形めづらしきがはやり權家の贈りものとす數百種に及ぶこれは下谷和泉橋通りに谷七左衛門といふ大番興力あり其人の老母花を植作る事を好み櫻草を多く植作れり其花を入れたるものを見しに小介を集め入る箱のやうにこまかにしきりたる箱を多く重て内外とも黒く漆をぬり其内にかんてんをときて流し入たる格子の間ごとに櫻草の花一ツヽかんてんにさし各名を書たる札あり是を見物に行ものもありつてを其は箱をかりて見るものありもしがさまで行はれずこは享和のころなり」
とあり,大番興力 谷七左衛門の老母が種々の変種を育て,小さく区切った箱に寒天を溶かし込んでかため,そこにサクラソウの花を挿して鑑賞に供したとある.
注:安永七年(1778年),寛政13年/享和元年(1801- 享和4年/文化元年(1804),(日本随筆大成編集編,成光館書店 (1932)NDL)

サクラソウ (20) 白鷹,真如の月,笑布袋,浮間白

サクラソウ (22) 小桜源氏,江戸中期のサクラソウ文献.六義園々主 柳沢信鴻 『宴遊日記』

サクラソウ栽培の歴史は以前のブログにも記した.
サクラソウ(9) 駒止 江戸近辺 荒川流域での桜草群落の出現,桜草作伝法
サクラソウ (11)人丸 喜遊笑覧,サクラサウ 押花集
サクラソウ  (12) 絞龍田 宴遊日記,江戸名所圖會,白魚と桜草で,紅白の土産
サクラソウ  (13) 喰裂紙,「さくらそう作伝法」,「江都近郊名勝一覧」,「東京名所三十六花撰」

2016年1月25日月曜日

アスパラガス-4 江戸時代の植物図譜 質問本草,本草図譜,草木図説前編

Asparagus officinalis L.
2005年6月
日本には中国経由で江戸中期に移入され,ツンベルクによれば出島のオランダ人向けの食材として長崎で栽培され,また江戸で栽培されていた.江戸での栽培は観賞用であったらしく,梅園の美しい図譜には食材としての記事は無い(Blog-1).
いくつかの江戸後期本草・草木の図譜には「アスヘル・・・」の名の植物が記載されている.

質問本草 外篇巻之二 NDL
★中山 呉子善『質問本草』は沖縄の中山および掖玖諸島の草木160種に関し,漢名や薬効を福建等の中国医師45名に質問し,その答えに基づき,草木の線描と簡単な効用を紹介している.本書は寛政元年(乾隆五十四年、尚穆王三十八年、1789年)に完成した.時の八代薩摩藩主島津重豪はこれをおおいに喜んで出版するつもりであったが,果たさないうちに死去.これを48年後に曾孫の十一代藩主島津斎彬が,天保八年(道光十七年、尚育王三年、1837年)に薩摩府學蔵版として世に出したものである.

この書の「外篇巻之二」には,
石刁柏 蠻名アスペルシユス
春苗ヲ生シ夏花ヲ開ク
俗名 石刁柏 藥ニ入ルニ堪エ不
甲辰戴道 光戴昌蘭」
とあり,描かれた植物は,中国人医師により,漢名:石刁柏(セキチョウハク),蠻名(蘭名):アスペルシユスと同定され,薬にならないとされている.しかし,この絵を見ると,Asparagus officinalis より草丈が低く,葉が密生していて根も細い.また,「質問本草」の仕事が始まった年が,丁度オランダキジカクシが日本に渡来したとされる年で,アスパラガスが当時の琉球列島にあったとは考えにくいことから,この植物はクサギカズラやタマボウキの類と考えられる.
注目すべきは,既にこの時期に中国ではアスパラガスが石刁柏という漢名を持ち,アスペルシユスと蘭名が認識されていた事で,この時期以前に欧州から渡来し,ある程度普及していたことが伺われる.

★岩崎灌園(17861842)『本草図譜(刊行1828-1844) には,野生種,園芸種,外国産の植物の巧みな彩色図が,余白に名称・生態などについて説明を付し,『本草綱目』の分類に従って配列されている.巻510は文政131830)年江戸の須原屋茂兵衛,山城屋佐兵衛の刊行.以下巻1196は筆彩の写本で制作,三十数部が予約配本され,弘化元(1844)年に配本が完了した.
本草図譜 巻之二十八 NDL
この書の巻之二十八,「百部」の項には,
「一種
さうちく
志ヽかくし
アスベルチイ アスハラキュスの誤称なり
時珍の説に鄭樵通志に葉似薯蕷者謬なりと云ハ却て非なりこれ百部を知らざるなり
時珍の説に有細葉茴香と云是なり 
春月宿根より生ず初生小指の大サ形竹筍の如く荷蘭人これを食らふと云 
長すれバ枝を分ち葉を生じて小茴香に似て粉緑色又きじかくしに似て稜なく圓く高サ四五尺葉の間に小き淡黄花を開き天門冬の花ニ似たり 根は百部に似て塊なし.」
とある.「荷蘭人これ(小指の大きさで形が筍のような芽を食らふと云」と西洋では食用にされていたことを認識している.また,冒頭の文は明の時珍『本草綱目』の「草之七 蔓草類,百部」の項に「(《別錄》中品)【釋名】婆婦草 野天門冬
(中略)
時珍曰百部亦有細葉如茴香者,其莖青,肥嫩時亦可煮食。其根長者近尺,新時亦肥實,但乾則虛瘦無脂潤爾。生時擘開去心曝之。鄭樵《通志》言葉如薯蕷者,謬矣。」とあるのを指すが,この時代中国にアスパラガスがあるとは考えにくい.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(草部は1852(嘉永5)ごろ成稿,出版 1856 (安政3) 年から62 (文久2) 年)草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る. 

草木図説 巻之七 草部 第六綱下 NDL
「巻之七 草部 第六綱下
 蘭種キヂカクシ 石刁柏 質問本草
此草ハ蘭舶載來テ訛轉シテ普クアステルヒーノ名ヲ稱ス。キヂカクシ類中ノ最大ナルモノニシテ高四五尺ニ及ヒ。莖圜ニシテ線條ナク。枝撓ミテ婆娑。幹枝共ニ○?アリ。幹ニアツテハ殆ト鱗状ニシテ。ソノ下側ノ正中ニ當ツテ一尖起アリ。蓋シ刺ノ小ニシテ軟ナルモノナリ。枝ニ至テハ分裂シ両側一針様ヲナス。亦柔ニシテ剛ナラズ。葉細長針状鹹蓬葉ニ似テ細カク如糸。七九或ハ十餘モ一處ニ攅生シ。花キジカクシノ如クナレトモ。彼ノ如ク多カラズ。長梗アルコト玉ホウキノ如クシテ葉間ニ下垂ス。萼六出ニシテ短小。花六辧尖纔(ワズカ)ニ開翻シ。色淡黄緑白。六雄蕋辧瓜ニ出。實礎六縦道アル圓体ニシテ種ナケレバ。斷シテ假トス。此種詰實セズソノ雄性ナルコト不待言 附一 全花
一 陪圖 二 開花体見諸事郭大圖
第二種 アスパラギュス デシリナトュス  アフゲホーゲ子 アスペルギー 蘭
     Asparagus Declinatus            afgeboogene aspergie

とあり,黒白ながら美しく精密な木版画と共に,雌雄別株の存在など正確な観察の結果が記載されている.


2016年1月18日月曜日

アスパラガス-3 共和政-帝政ローマ時代 大カト,コルメッラ,パッラディウス

Asparagus officinalis
2004年6月
地中海沿岸原産と考えられるアスパラガスは,古代ギリシャから野生種の若い芽が食材として利用され,ローマ時代には,農民が現在と同じ種を大がかりに栽培していたと考えられる.栽培法は幾つかの農書に収載され,太く柔らかな芽を得うるために,湿度の高い肥沃な土地が栽培に適しており,アシとの共作や,播種・中耕・除草・施肥などの方法が細かく指示されていて,重要な換金作物として認識されていたことがうかがえる.

共和政後期の著名な雄弁家であり監察官でもあった★マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(大カトMarcus Porcius Cato Censorius, 234 B.C.149 B.C.) 『農業論,デ・アグリ・クルトゥラ (De Agri Cultula)』には,畑での栽培法が細かく記載されている.
(英訳W. D. Hooper et H. B. Ash, Loeb Classical Library, London (1934),和訳はこれより私訳)
161 Method of planting asparagus: Break up thoroughly ground that is moist, or is heavy soil. When it has been broken, lay off beds, so that you may hoe and weed them in both directions without trampling the beds. In laying off the beds, leave a path a half-foot wide between the beds on each side.
Plant along a line, dropping two or three seeds together in a hole made with a stick, and cover with the same stick. After planting, cover the beds thickly with manure; plant after the vernal equinox. When the shoots push up, weed often, being careful not to uproot the asparagus with the weed.
161 アスパラガスの栽培法 湿ったまたは粘土質の土をよく耕す.苗床に踏み入らず,両側から雑草をぬき,鋤き返しが出来るように苗床を作る.苗床を作るにあたっては,半フィートの幅の道を両側に作る.一直線上に杭で穴をあけ二,三粒ずつ一緒に入れて播き,同じ杭で覆土する.種播きは春分の直後に行ない,その後苗床を厚く肥料で覆う.発芽後は,雑草と一緒にアスパラガスを引き抜かないように注意して,頻繁に除草する.
The year it is planted, cover the bed with straw through the winter, so that it will not be frostbitten. Then in the early spring uncover, hoe, and weed.
The third year after planting burn it over in the early spring; after this do not work it before the shoots appear, so as not to injure the roots by hoeing. In the third or fourth year you may pull asparagus from the roots; for if you break it off, sprouts will start and die off. You may continue pulling until you see it going to seed. The seed ripens in autumn; when you have gathered it, burn over the bed, and when the asparagus begins to grow, hoe and manure.
種を播いた最初の年には,冬の間は床を藁で覆って霜の害から守り,早春に覆いの藁を取りはらい,土を鋤き返し,除草する.
三年目の早春には,覆いの藁を燃やす.この後はアスパラガスの芽が出ないうちは,アスパラガスの根を痛めないよう,鋤き返しの作業をしてはいけない.三年目四年目には,アスパラガスを根元から収穫できる.途中で折ると,新芽が発生して枯れてしまう.種をつけるようになるまでは収穫し続けることができる.秋に種が熟したら,集めて床の上で燃やし,アスパラガスが生育するに従い,鋤き返して肥料を施す.
After eight or nine years, when it is now old, dig it up, after having thoroughly worked and manured the ground to which you are to transplant it, and made small ditches to receive the roots. The interval between the roots of the asparagus should be not less than a foot. In digging, loosen the earth around the roots so that you can dig them easily, and be careful not to break them. Cover them very deep with sheep dung; this is the best for this purpose, as other manure produces weeds.
そして八・九年後,すっかり古くなってしまったら,(新しい場所の)土をよく耕して肥料を施してから掘り上げ,小さな溝を作って,そこに株分けする.その根を一フィート以下の間隔で植える.掘りだす際には容易に掘り出せるように,根の周囲の土をやわらかくし,折らないようにすることが肝要である.(株分けした根は)ヒツジの糞で上を厚く覆う.この目的には羊の糞が最適である.というのは,他の動物の堆肥では雑草が生えるからである.

L. JUNIUS MODERATUS COLUMELLA
from Wiki-commons public domain 
帝政ローマ時代のもっとも重要な農書の著作者★コルメッラ (Lucius Junius Moderatus Columella; 4 – c. 70 AD) 12巻よりなる ”Res rustica(農業書)は完全な形で保存されていて,ローマ帝国の農業を理解する上によい資料であり,後世のPliny the Elder に引用されている.無記名者に英訳された完本が1745年に出版された.和訳はこれよりの私訳.
“L. JUNIUS MODERATUS COLUMELLA 0F HUSBANDRY. IN TWELVE BOOKS: AND HIS BOOK CONCERNING TREES.
Translated into English, with several Illustrations from Pliny, Cato, Varro, Palladius, and other antient and modern AUTHORS.
この書では数カ所で Asparagus に言及しているが(Book X: p444, 570「(初夏に)つやつやとしたにアスパラガスの芽がでる」, Book XI: p488 「二月にアスパラガスを植えたり種を播いたりする」),特にBook XI Chap. III. p 493に詳しい栽培法が載っている.

Chap. III.
About the first of October, chervil, as also the pot-herb orrach, which the Greeks call ασπάραγος must be put under-ground, in a place that is not very cold: for, it the country has very hard winters, the plants must be transplanted from the place where they were seated close together, and separated to a greater distance the one from the other. The same method is observed in the sowing of poppy and dill, as of chervil and orrach.
 The seeds of garden asparagus, and of that which the peasants call corruda (wild asparagus) are almost two years in preparing : when, in a fat and well-dunged soil, you shall have put them under-ground, so as to place into every little trench you have made for them, as much seed as your three fingers can hold ;
十月の始めに(中略)庭用アスパラガスと,農民たちがコルードと呼ぶ野生のアスパラガスの種を播くが,収穫?までは殆ど二年かかる.肥えてよく肥料が施された土壌では,三本指でつまめるほどの量の種を,そのために作ったそれぞれの溝の中に播いて上に土を十分にかける.

commonly after the fortieth day they are twisted and interwoven with one another, and make, as it were, an unity, or one united mass ; which small roots, thus twisted and connected, the Kitchen-gardeners call spunges : and it is proper, that, after twenty-four months, they be transplanted into a sunny place, sufficiently moist, and well dunged : but the trenches or furrows are made at the distance of one foot the one from the other, and not more than three- fourths of a foot in depth, into which the little spunges are so thrust down, that, after the earth is put upon them, they may easily spring up.
通常四十日ほどで,それらはよじれ互いに絡まりあい,そうであった様に一本になって一つの塊になる.その小さな根は捩れて繫がりあう.野菜を育てる園芸家はこれを「スプンゲ (spunge)」と呼ぶ.適切に育てられると,二十四ヵ月後に,日当たりのよく,湿潤で,よく施肥された場所に移植できる.しかし溝や畦は互いに一フィートは離し, 3/4フィートの深さにすべきであり,そこに土をかけた後で容易に芽が出るように小さな「スプンゲ (spunge)」(の芽)を押し込む.


But, in dry places, the feeds or plants must be placed in the lower parts of the furrows, that they may abide, as it were, in little chanels or troughs : but in such as are ousy*, on the contrary, they must be placed in the uppermost back of the ridge, lest they be hurt with too much moisture.
しかし乾燥した土地においては,播種と地植えは(畦と畦との間の)低い部分にすべきであり生育もその場所でよく,小さな水路や水溜りでも同様である.しかしこれに反し,ヤナギと同様に水分があまりにも多い土地では過剰の湿度で害を受けることのないように畝の最上部に植えるべきである.

Then the first year, after they have been thus planted, the asparagus, which they shall send forth, must be broken off short ; for if you should pull it up from the bottom, the little roots being as yet tender and weak, the whole little spunge will follow : the rest of the years it must not be cropped, but plucked up by the root ; for, unless you do so, the stalks that are broken off short, hurt, and give pain to the eyes of the spunges, and, as it were, blind them, and do not suffer them to put forth the asparagus.
このようにして植えられた最初の年には,アスパラガスの出てきた芽は短く折り取らねばならない.もし,根元から引っこ抜いたら,まだ柔らかく弱い小さな根が若い「スプンゲ (spunge)」全体が続いて(抜けて)くるからである.その年の残りは収穫はせず,根の周りの除草を行なう.そうしないと莖が短く折られ,損じられ,(次の年芽の出る)「スプンゲ (spunge)」の目(eye)に損傷を与えるからである.そのようであるなら,目か潰されていて,アスパラガスを発生しない.

Moreover, every stalk, which springs up last in Autumn, must not be intirely taken away, but some of them must be left, and set apart for seed. Then, after it has made its prickle, the feeds themselves being gathered, the haulm must be thoroughly burnt in its own place, just as it is ; and then all the furrows must be sarcled, and raked at the same time, and the weeds taken out of them ; and presently after, either dung or ashes thrown into them, that the juice of them, trickling down with the rains the whole Winter, may come to the root.
Then in the Spring, before it shall begin to sprout, let the earth be stirred with a forked irontool, that the style may the more easily spring up, and shew itself, and become thicker and fuller when the ground is loosened.
更に前年の秋に伸びた全ての莖を全部取り去ってはいけない.何本かは種を取るために別にしておかねばならない.刺(状の葉)を茂らせ,種を集めた後, haulm をその場所でそのまま完全に燃やし,全部の(畝と畝との間の)溝の除草を行い,同時に(熊手で)かき集め,雑草を完全に除く.冬の間に降る雨によって滴り落ちた抽出液が根に届くように,その直後に堆肥か灰を溝に投入する.
春になったら,地面が融解したときに,若芽がより容易に出てきて姿を見せ,太く,充実しているように,芽が出る前に,地面を鉄製のフォーク(またぐわ)で掻き回す.

パッラディウスPalladius Rutilius Taurus AEmilianus)は紀元後45世紀に活躍したローマ時代の著述家で,特に14巻からなる『農業』(Opus agriculturae, sometimes known as De re rustica)でよく知られている.この書にもアスパラガスの栽培についての記事があり,ここでも湿地でアシと一緒に栽培する利点が述べられている.

THE FOURTEEN BOOKS OF Palladius Rutilius Taurus AEmilianus, ON AGRICULTURE, translated into English By T.OWEN, M. A. et. al. LONDON: J. WHITE (1807).(和訳はこれよりの私訳)
BOOK III. FEBRUARY. (二月の農作業)
XXIII. OF PLANTATIONS OF REEDS AND ASPARAGUS, AND OF THE PLANTS OF WILLOWS AND BROOM, AND OF MYRTLE AND LAUREL NURSERIES.(アシとアスパラガスの畑について,また,ヤナギとエニシダ,及びミルテとゲッケイジュの育種について)

'Reeds are to be planted at this season in very small trenches; the eyes of the reed being set in all the trenches, which ought to be at the distance of half of a foot from each other. If we consult the advantage of a warm and dry province, we must allot wet vallies, or such as are well watered, to the reed plantations. If the country is cold, let them be raised in mode- rate situations, but in such as lie to receive the moisture of the villa yard. We may sow the seeds of asparagus among these, that they may grow together, because asparagus is cultivated and and burnt in the same manner as the reeds. If the plantations are old, let them be weeded at this season, those parts being cut off, which are to be cleared from the root; that is, those shoots that are decayed, and such as have no eyes for propagation. We are now to set the plants of willows, and of all such kinds as are to be applied to the use of the arbustum, or broom, if it is wanting. We are also to set myrtle and laurel-berries in nurseries, or if they are already set, we are to trim them. - - -
アシはこの季節(二月)に非常に小さな(浅い?)溝に植えるべきである.アシの芽がでる部位(eye)は互いに半フィートはなれた距離で溝に置く.もし暖かい乾いた地方を利用するならアシの畑のためには,谷やそのようなよく水が得られる土地を使うべきである.寒い地方において栽培する場合には,やや温和な環境で,しかし別荘の庭の湿度を受けるようなところに置いて育てるようにする.我々はアスパラガスの種をその間に播種し,共に育てることができる.というのも,アスパラガスはアシと同じように栽培され,燃やすことが出来るからである(灰は肥料となる).畑が古くなった場合には,この季節に根元からきれいにするために抜き,切断する.なぜなら,これらの芽は壊れており,繁殖のための芽がでる部位eye を持っていないからである.そこで,(この後に)我々はヤナギを植える. arbustum, or broom,(エニシダ,箒に使う)が必要とされている場合には,これら全ての種類の栽培法が適用できる.(この季節)ミルテとゲッケイジュの苗を植えるし,既にある場合は剪定する.(以下略)

2016年1月12日火曜日

アスパラガス-2 古代ギリシャ テオフラストス,共和政ローマ ウァロ

Asparagus officinalis
2004年5月
地中海沿岸原産と考えられるアスパラガスは,古代ギリシャから野生種の若い芽が食材として利用され,ローマ時代には現在と同じ種が広く栽培されていたと考えられる.

現存する最古のヨーロッパの植物書とされている古代ギリシャの著作家★テオフラストス(Theophrastos, : Theophrastus, 371B.C 287B.C.)の『植物原因論 (Enquiry into plants, and minor works on odours and weather signs)』には,アスパラガス (ασπάραγος) について,この植物の葉の特異な形状について,複数回述べ,さらに (4) では,春には根から茎が出てきて,それが食用にされること,細い刺のような葉の根元から小さな蕾と花が着くこと,を記している.

(1) I. x. 6-8 “For in all these spines, as it were, take the place of leaves, and, if one is not to reckon these as leaves, they would be entirely leaves, and some would have spines but no leaves at all, as asparagus.”
(2) VI. i. 2-3 “ Of spinous kinds some just consist of spines, as asparagus and skorpios ; for these have no leaves except their spines.”
(3) VI. iv. 1-3 “Of the classes thus distinguished that with spinous leaves is the largest, while that which is altogether spinous is about the smallest. It is indeed, as was said, a very small class, and it would not be easy to find examples of such plants besides asparagus and skorpios.(中略)Both of these flower after the autumnal equinox. Skorpios produces its flower in the fleshy swelling below the top of the spinous twig ; at first it is white, but afterwards it becomes purplish. Asparagus produces alongside of the spines a small knob, and from this grows the flower, which is of small size.”
Skorpios has a single root which runs deep; asparagus roots very deep and its roots are numerous and matted, the upper part of them being in one piece, and from this the actual shoots spring. The stalk comes up from the plant in spring and is edible; afterwards, as the season advances, it acquires its rough and spinous character ; the bloom appears not only on this stalk, but on those of previous years, for the stalk is not annual. Such is the character of plants which are altogether spinous.
(Theophrastus: Enquiry into plants, and minor works on odours and weather signs, with an English translation” by Sir Arthur Hort (1864-1935), The Loeb Classical Library; London: G. P. Putnam's Sons,1916.” )

『テオプラストス 植物誌 2』小川洋子訳 西洋古典叢書 京都大学学術出版会 (2015)
第六巻 小低木,特に花冠用植物について
第一章 小低木の分類
三 刺のある植物の中には,アスパラガスや,「スコルピオス(サソリ草)」(ノハラヒジキのように,刺だけを付けていて,刺以外に,どんな葉も付けていないものもあれば,刺のある葉を付けるものもある.
第四章 刺のある小低木(続き)-刺がある部分による分類
アスパラガスや「スコルピオス」(ノハラヒジキ以外,このような植物(*全体に刺のある植物)の例を見つけるのはなかなか容易ではない.
二 両者はともに秋分の後,花を咲かせる.
「スコルピオス」(ノハラヒジキは,刺の付け根のところ葉腋で膨らんだ,肉質の部分に花を付ける.花ははじめ白く,後に赤味がかっだ色になる.アスパラガスは刺のそばに小さなこぶ状の芽のようなものを作り,ここから小さな花が出てくる.「スコルビオス」は一本の根を深く伸ばす.一方アスパラガスは,確かに根は深いが数が多く,根〔根茎〕が密生しているので,その上部はひと塊になっている.そこから,茎そのものの芽が出てくる.春になると,アスパラガスの根根茎〕から茎〔鱗芽のある吸枝が出てきて,それが食用にされる.その後季節が進むにつれ,茎はざらつくようになり,刺状になる.茎が一年生ではないので,花はその年に生えた茎だけでなく,前年の茎にも付く.

最初の文の英訳者 Hort は,この Asparagus Asparagus acutifolius  (Wild asparagus) と,また,Robert W. Sharples skorpios を,細かく切れ込んだ葉と黄色い花をつけるトリカブトの類,Aconitum anthora と考定している.一方,小川洋子が訳書の底本としたアミグ (Suzanne Amigues, 1937- ) の "Theophraste, Recherches Sur Les Plantes" では,これをアカザ科オカヒジキ属の Salsola kali (S. tragus. 標準和名 ハリヒジキであるとした.植物図譜を見ると,花色など,こちらの方がテオフラストスの記述に合っている.
 左図:Asparagus acutifolius, Sibthrop, J. Flora Graeca (drawings), vol. 4: t. 37 (1823)
 右図:Salsola kali : Woodville, Medical Botany, 3th edition, vol. 4: t. 227 (1832)

アスパラガスは古代ローマ時代には食用として大規模に栽培されたようで,
★マルクス・テレンティウス・ウァロ(ラテン語: Marcus Terentius Varro, 紀元前116 - 紀元前27年)は,共和政ローマ期の学者,著作家,政治家である.「レアテのウァッロ」(ウァッロ・レアティヌス,Varro Reatinus)とも称される.ウァロは大量の作品を残していて,フリードリヒ・ウィルヘルム・リッチェル(en:Friedrich Wilhelm Ritschl)によれば,74の作品,約620巻を記したと推測されているが,そのうち完全な形で残っているのは『農業論』1つしかない.(英訳:Varro on farming = M. Terenti Varronis Rerum rusticarum libri tres / translated by Lloyd Storr, Bohn's classical library (1912),和訳はこれより私訳)

“Rerum rusticarum libri III(農業論 3巻)
CHAPTER XXIV OF OLIVES, AND TREE PLANTING 67
4. Scrofa added on the same authority that if the place be damp you should plant there shoots of poplar trees and make a reed plantation. It is first dug with a large spade, and then the eyes of the reed are planted at intervals of three feet [and with them wild asparagus, that the garden variety may result from it]. Both asparagus and reeds need pretty much the same kind of treatment. Osiers should be planted round the reed bed, to provide material for tying up the vines.
スクロファは専門家として,その土地が沼地ならポプラを植えてアシの畑にすべきだと付け加えた.最初に大きな鋤で掘って,芽を出す部位(eye)を持ったアシを三フィートの間隔で植える.〔それと共に,庭のアスパラガスが由来した野生のアスパラガスも植える〕.アスパラガスとアシは全く同じような手入れが必要である.オジャー(枝のしなやかなヤナギ)もアシの畝の周りに植えるべきである.そうすると蔓(ブドウの木?)を縛る材料が得られる.

* Gnaeus Tremellius Scrofa,: アウグストゥス帝(紀元前63- 紀元14年)時代の重要な農学者・著作家.その著作は現存していないが,後の農学者たちによってしばしば引用される.
** オジャー osier Salix viminalis, the basket willow, common osier

続く