2013年8月17日土曜日

シラネアオイ (2/2) シーボルト.ペリー,A.グレイ,ミクェル,サバティエ,クラーク博士,フス,ガーデンメリット賞

Glaucidium palmatum

この日本特産のシラネアオイがキンポウゲ科の新しい属の植物である事を見出し,学名をつけたのは,シーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796-1866)で,1845 年にツッカリーニと共著の “Abhandlungen der Mathematisch-Physikalischen Classe der Königlich Bayerischen Akademie der Wissenschaften. Munich (バイエルンの自然科学学会紀要)”の 4 (2): 184, にテキストを, t. 1 Bに図を提示した(左下図).属名の Glaucidium とは,ケシ科の属名 Glaucium ツノゲシ属の縮小形で,花の外観が多少似るため,種小名 palmatum は,「掌状の」の意味で葉の形を表す.

基づいた標本は日本の本草家から得た蝦夷(北海道)産の植物であると記されている.ただ,その標本は完全なものではなかったが,蕾を精査することにより,キンポウゲ科に新しいシラネアオイ属を建てることが出来たようだ.
Die wenigen uns vorliegenden und von japanischen Botanikern auf Jesso gesammelten Exemplare sind leider unvollstaendig
Alle Bluethen sind geöffnet und an keiner eine Spur des abgefalleunen Kelches zu sehen. Doch koennte nur die Ansicht der Knospe entscheiden, ob der jetzt als Blumenkroue  angesprochene Kreis nicht ein gefaerbter Kelch ist und die Corolla fehlt.
(The few we received and collected by Japanese botanists to Jesso specimens are unfortunately incomplete.
Then all Blue are open and see no trace of the abgefalleunen chalice. But only the view of the bud could decide whether the circuit is referred to now as Blumenkroue not a colored calyx and the corolla is missing..)(独→英は Google 自動翻訳)

シーボルトにシラネアオイの標本を与えた,日本の本草家の名前は記されていないが,東京都立大学牧野標本館所蔵のシーボルトコレクション*に,水谷豊文(助六, 1779 - 1833)がシーボルトに提供した蝦夷産の「シラ子アフヒ 山ボタン 日光方言シラ子葵」と書かれた付箋のついたシラネアオイの腊葉標本(MAKS0223,右図)が保存されているので,水谷豊文なのかも知れない.

*ロシア,レニングラード市(現サンクト・ペテルブルグ市)のコマロフ植物研究所から交換標本として送られてきた“シーボルトコレクション”の大部分はシーボルトが滞日した1823-1829年および1859-1862年に収集した植物標本である.シーボルトがミュンヘンで亡くなった後に,ロシア人の植物分類学者マキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz, 1827-1891)が未亡人より購入したもので,約100年ぶりに日本に帰ってきた.

このわが国の固有種は多くの外国人ボタニストの興味をそそり,数多くの記述が見られる.

Dr. Morrow & 箱館風景
(ペリー航海記第一巻)
江戸幕府に開国を迫るために来た米国のペリー提督は,寄港地毎に植物や鳥類,魚介類を採取し,後に米国議会に提出した報告書(『ペリー提督 日本遠征記』)の第二巻には,そのリストを添付した.
植物に関しての検討は,ハーバード大学のエーサ・グレイ教授(Asa Gray )が担当した(Vol. 2, “ACCOUNT OF BOTANICAL SPECIMENS.LIST OF DRIED PLANTS COLLECTED IN JAPAN”).

その中には,ペリーの一行に同行した農学者のモロー博士(James Morrow, 1820-1865)らが1854年(安政元年)5月17日~6月3日に滞在した函館で採集したシラネアオイの腊葉(左図)に基づいた記述があり,より詳しい検討結果が "Mem. Amer. Acad. Arts Sci. (Boston) n. s. 6: 379 (1859)" に記載された.

NY Botanical Garden Herbarium
”Our collection contains specimens of Glaucidium palmatum, Sieb. & Zuce, with young fruit, and so affords the means for nearly completing the characters of this remarkable genus. The floral envelopes (lilac or pinkish) are evidently simple, calycine, and early deciduous ; the anthers of the normal sort.
But the remarkable point now brought to light is, that there are often two or three pistils, more or less connate at their bases, apparently follicular and above widely divergent in fruit, and containing numerous seeds in several ranks.
Mem. Amer. Acad. Arts Sci. (Boston) n. s. 6: 379 (1859)
The immature seeds are oval, fiat, thin, and broadly winged except at the hilum.
The number of pistils, as now revealed, excludes the idea of a relationship with Podophyllum* and Diphylleia**, which the foliage suggests. Zuccarini has rightly referred the genus to the Ranunculace . It belongs, however, not to the tribe Paeonie , but to the Cimicifugae, and in my opinion its nearest relative is the Alleghanian genus Hydrastis.”

すなわち,「ペリーの航海で得られた標本の若い果実を調べた結果,基部で2~3本の雌蘂が合着しているのが,この種の特徴であることが明確になり,葉の形状が似ている Podophyllum* か Diphylleia** と近縁であるとの見解は否定できる.
キンポウゲ科としたツッカリーニは正しいが,ボタン属ではなく,Cimicifugae*** であり,私はHydrastis****に近いのではないかと思う.」とある.

 *Podophyllum メギ科 ミヤオソウ属 ポドフィルム,アメリカハッカクレン
 **Diphylleia メギ科  サンカヨウ属(左図左,CBM Diphylleia cymosa 1814 銅版手彩色)
 ***Cimicifugae キンポウゲ科 サラシナショウマ属(左図右,CBM, Cimicifuga palmata, 1814 銅版手彩色)
****Hydrastis キンポウゲ科ヒドラスチス

確かに葉の形状は全てシラネアオイによく似ている.

ミクェル (Friedrich Anton Wilhelm Miquel, 1811 - 1871) は,シーボルトらのコレクションを科ごとに整理したカタログの色彩が強い『日本植物誌試論』(Prolusio florae iaponicae,in Ann. Mus. Bot. Lugduno-Batavi, ライデン植物園年報,1867) に,シーボルトの記述を引用してシラネアオイを紹介し,グレイの文献もリファーした(右図).

1866年から1871年まで横須賀造船所の医師として日本に滞在し,1873年から1876年に再度滞日したサバティエ(Paul Amédée Ludovic Savatier, 1830–1891)がフランシェ (Adrien René Franchet, 1834-1900) と共著で著した『日本植物目録』(Enumeratio Plantarum in Japonia Sponte Crescentium 1: 9 (1873))にも左図のように,この植物の記述がある.

The University of Massachusetts Herbarium
“Boys be ambitious” の惜別の辞でよく知られるクラーク博士(William Smith Clark, 1826-1886) は,日本政府の熱心な招請をうけて,学長を勤めていたマサチューセッツ農科大学の1年間の休暇を利用して訪日するという形をとって,1876年(明治9年)7月に,札幌農学校に教頭として赴任した.
クラークの立場は教頭で,名目上は別に校長がいたが,クラークの職名は英語では President と表記することが開拓使によって許可され,殆ど実質的にはクラークが校内の全てを取り仕切っていた.

専門の植物学だけでなく,自然科学一般を英語で教えた.翌年の1877年5月に離日したが,8ヶ月の札幌滞在の間,学生を連れての札幌近郊を野外授業において植物を採集し,少なくとも 166 種の腊葉を米国に持ち帰った.これらを同定したのはハーバード大学のエーサ・グレイであり,その腊葉標本はマサチューセッツ大学植物標本庫(The University of Massachusetts Herbarium)に現在も保管されていて,その中には 1876年の7月にクラークがサッポロで採集したとのラベルのあるシラネアオイの標本もある(左図).

また,2012年3月3日~5月6日,北海道大学総合博物館において,「W. S. クラーク博士来札・札幌農学校開校135年記念,クラーク博士と札幌の植物」という展示会が催されたが,ここでは,クラーク博士らが札幌周辺で採集した,このシラネアオイを含む植物標本30枚(カツラ,イネ,シロツメクサ,カタクリ,ヤドリギなど)が里帰り展示された. 

フス (Ernst Huth, 1845 – 1897) は日本産のキンポウゲ科の植物をまとめた “Bulletin de l'Herbier Boissier. 5: 1084 (1897)” の中で,シーボルトはじめ,それまでのシラネアオイの文献をリファーした(右図).

シラネアオイは観賞用の園芸植物としても高く評価され, 1993 年,英国全土で栽培でき,ロックガーデンやアルパインハウスに適しているとして,英国王立園芸協会(RHS)の栄えある Award of Garden Merit (AGM) を受賞した.
なお英語での一般名は Japanese Wood Poppy.

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